※この記事ではアニメ『プリンセスチュチュ』のネタバレをしています。(5/14追記)
4/15(日)。私は佐藤順一さんと伊藤郁子さんのサイン会に参加すべく、ササユリカフェで待機列に並んでいた。
私の人生には、どうしても欠くことが出来ないアニメーターさんがいる。*1
1987年生まれの私は4歳の時に、佐藤順一さんと伊藤郁子さんが参加した『美少女戦士セーラームーン』にビッグバンを喰らった。小さかったし、ストーリーの細かい部分はちゃんとは理解してなかったと思う。でも、「ムーンプリズムパワー!メイクアップ!」と叫んで始まる、あの神秘的な変身バンクに釘付けになったのを覚えている。
うさぎちゃんのボディにピンクのキラキラしたリボンが纏われ、セーラームーンへ華麗に変身する映像は、耽美で、大人びていて……それをなんて言葉で表現すればいいかまだ知らなかった4歳の私でも、「綺麗とはこういうことなんだ」と感覚的に理解していた。
大きくなってから、初代セーラームーンのシリーズディレクターである佐藤順一さんの名前を覚えるようになった。
セーラームーンショックを受けてから、幼稚園での遊びの7割(体感)はセーラームーンごっこだっし、『たのしい幼稚園』の付録のセーラームーンポストカードで友達とお手紙のやりとりをしたし、親にセーラームーンのおもちゃを買ってもらえなくて駄々もこねたし、将来なりたいものは当然セーラームーン一択で、そのために髪を長く伸ばしている、どこにでもいるセーラームーン好きの女児だった。
セーラームーンが大好きだからこそ、私は最初ちびうさが嫌いだった。自分と近い年齢の可愛いキャラクターということで、当時女児からの人気も高かったようだし、なかよしの人気投票でもちびうさが1位を獲得していた。
でも私は、応援していたうさぎちゃんが、ちびうさが登場したRで精神的に苦しめられるのが本当に辛かった。
ちびうさが現れたことで、恋人のまもちゃんともギクシャクして一度は別れちゃうし*2、仲間のセーラー戦士は敵に拉致されるし、ブラックムーンに寝返ってブラックレディに闇堕ちしたりするし、ちびうさをトラブルの種としか見れなくて、なかなか受け入れられないでいた。
そんな私がちびうさを本当に受容出来るようになったのは、伊藤郁子さんが描くちびうさの可愛いさと、SuperSでのとあるセリフによるところが大きい。
「私の夢は、素敵なレディになることだもん!」
ちびうさの言う「素敵なレディ」の下地にあるのは、三十世紀のクリスタルトーキョーを治める自分の母親・クイーンセレニティ、つまりはセーラームーンのことだ。
ちびうさというキャラクターは、美しく強いセーラームーンに憧れるスモールレディで、彼女はセーラームーンに憧れてしょうがない、幼い私そのものだった。
セーラームーンSuperSの終盤で、ネヘレニアにより永遠の眠りにつかされたちびうさに、セーラームーンはこう叫ぶ。
「ちびムーン、目を覚まして!
このままじゃ私たち、未来を失っちゃう…!!
一緒に大人になろう?
大人になって、一緒に夢を叶えよう?」
「セーラームーン、一緒に夢を叶えよう」
ちびうさは永遠の眠りより、現実を生き、成長し、大人になって夢を叶えることを選んだ。
その最終回を観た私はSuperSを最後に、何となくセーラームーンから卒業し離れてしまった。セーラームーンを嫌いになったとかでなく、何となく「お年頃」だったんだと思う。小学校高学年でセーラームーンを見ている同級生はあまり多くなく、「セーラームーン見るほどもう子どもじゃないよね」みたいな空気が漂っていたと思う。
皮肉にもセーラームーンが呼びかけた「大人になること」の第一歩は、私にとって「セーラームーンを卒業すること」だった。
小学校高学年にもなれば、自分の前世は月のプリンセスじゃないし、下校途中に三日月ハゲの猫は現れないし、自分は選ばれたセーラー戦士ではないことを理解するようになった。うさぎちゃんのマネで伸ばしていた髪も、いつの間にか切った。
決定打になったのは、中学生のとき。うさぎちゃんと同い歳になった私は、CSでセーラームーンの再放送が流れているのをたまたま見かけた。すると父親が「お前セーラームーンと同い歳になったけど、セーラームーンになれたんか?」とクリティカルすぎるツッコミを入れたのだ。
私はセーラームーンになれなかった。
広島県の片隅で、普通に公立校に通って、普通に部活して、ジャンプを読みながら普通に毎日を過ごす子供だった。同じ日本に存在する街なのに、麻布十番はどんな街よりも遠くに霞んでいた。
すっかり弁えを覚えた私は、もうひとつの傑作に出会う。
それが『プリンセスチュチュ』だった。
プリンセスチュチュは、1羽のアヒルが魔法の力でプリンセスチュチュに変身し、心を失くした王子様のために、心の欠片を取り戻していくというストーリーで、「主人公だし上手いこと王子とくっついてハッピーエンドかな」と予想していた。
でも結末は違った。
プリンセスチュチュに変身するための魔法のペンダントが王子の最後の心の欠片だとわかる。主人公のあひるは、
「私たちは元の姿に戻ろう。
ただのアヒルになったって、踊ることはできるよ。
この物語をハッピーエンドにしよう」
とプリンセスチュチュに変身する魔法を、王子のために手放す決断をする。
本来のプリンセスであるもう一人のヒロインが王子に選ばれ、主人公はただのアヒルに戻る結末は私の心にグッサリ突き刺さった。
プリンセスにはなれないけど、それが本当の私。
私がセーラームーンになれない事実は何ら変わらないのだけど、プリンセスチュチュによって、幼少期の「セーラームーンになりたい」夢が叶わなかったことに何となく折り合いがついて、失くした夢の落とし所を得られた気がした。
「おいおい何だよこの神アニメは!一体どこの誰がこんな名作作ったんだ!」とスタッフを調べると、総監督に佐藤順一さん、キャラクターデザインに伊藤郁子さんのお名前が燦然と輝いていた。
セーラームーンで月のプリンセスについての物語を描いたお2人が、プリンセスになることを選ばない結末の物語を描いたことは、きっと偶然ではないんじゃないかな(と思いたい)。
セーラームーンとプリンセスチュチュに教えてもらったことはたくさんある。
女の子でも時には大切な人のために立ち向かうこと。
どんなピンチの時も絶対諦めないこと。
本当の自分を受け入れること。
与えられた役割を生きるんじゃなく、自分で役割を選び取って生きること。
こんな乙女のポリシーを幼少期と思春期の脳みそにドボドボと注入されたら、作り手を尊敬することは不可避で、私の精神面はお2人が作ったアニメに育てて貰ったと言っても過言ではなかった*3(当社調べ)
こんな風に佐藤順一さんと伊藤郁子さんは私にとって特別なアニメーターさんになった。
(壮大な前フリここまで)
冒頭のサイン会に話を戻す。
プリンセスチュチュ15周年を記念して、佐藤順一さんと伊藤郁子さんのサイン会が開かれた。順番を待ってる間、お2人に何て声をかけるか、脳内でシュミレーションを繰り返した。
私はアイドルの握手会には何回か行ったことがあるけれど、サイン会は初めてで、アニメの制作者とお話するのも初めてだった。
私に順番が周り、お二人の前にサインを書いてもらうパンフレットを差し出し、私はこうお伝えした。
「私は今30歳なんですが、4歳でセーラームーンに出会って、プリンセスチュチュに出会って、今があります。お2人の作品に育ててもらったようなものです。素敵な作品を作ってくださってありがとうございます。」
ちょっと重たいこと言ってしまったかな……と少し気になったけど、伊藤郁子さんが微笑んで、こう言葉をかけてくださった。
「まあ、こんな立派な娘さんになって…」
立派な娘さん!素敵なレディに憧れるスモールレディだった私には、これ以上ない言葉だった。
タイムマシンがあったら、幼少期の自分に「喜べ!!あなたはセーラームーンという素敵なレディにはなれないけれど、セーラームーンを描いた伊藤郁子さんに立派な娘さんと声を掛けてもらうぞー!!」と教えてあげたい。それくらい嬉しかった。30年生き延びて、本当に良かった。
伊藤郁子さんがサインを書き終わり、佐藤順一さんが続けてサインを書きながら、
「ここに来るみなさん、『ありがとう』って言ってくださるんですよ。御礼を言いたいのはこっちの方なのに。僕達の作品を好きでいてくれて、ありがとうございます。」
微笑みながら佐藤監督はサインを書き終わり、パンフレットを受け取って私のサイン会は終わった。あっという間だけど、こんなに温かい時間を過ごせるとは思わなくて、会場を後にしてもしばらく足元がふわふわしていた。
アニメ好き人生30年目にして、初めて制作者に直接御礼を伝えたこの日は、私にとって本当に特別な日になった。
今、佐藤順一さんは『HuGっと!プリキュア』のシリーズディレクターを担当されている。
主人公のはなちゃんが目指す「超イケてるお姉さん」は、言葉は違っても、ちびうさが夢見た「素敵なレディ」と、きっと違わないだろう。
しかも最新話では、プリキュアに憧れるえみるちゃんという少女が「たとえ私は偽物でも、街の危機は放っておけないのです!」と、自分はプリキュアじゃないことを自覚したうえで、ヒーローであろうとする姿を描いていた。もう「私は憧れのヒーローじゃない」そんなことに悩むのは古いのかもしれない。
セーラームーンの乙女のポリシーは、大切な人のために戦うキュアエールに、26年もの時を経て、今も受け継がれている。
元スモールレディ・現アラサーの立派な娘さんは目頭が熱くしながら、凛々しく戦い「素敵なレディ=超イケてるお姉さん」になろうとする美少女戦士たちを、今週も応援するのでした。