箱庭文学

圧倒的駄文! 何気ない日常のこと、お仕事のこと、思い出話、与太話、妄想・空想など。

心で思った「100回のありがとう」は、口にした「たった1回のありがとう」に負ける。母の日です。ありがとうを届けましょう

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パンケーキ

母の日、ひさびさに母と二人っきりで街を歩きました。デートでした。


車窓に曇天の海を流しながらドライブをして、甘いもの食べて、映画を観て、街を歩いて、お買い物して、時折おどけて腕を組んじゃったりなんかして、お肉を食べて、贈り物をして。


お喋りもたくさんしました。

朗らかで静穏な母の言葉たちは、いつも私の背筋と精神を正します。

「浄化」にも似たそれに、心を結び直される。その清澄感はとても心地よく、だからつい母と過ごす時間の永遠を願ってしまいます。


泰然とした言葉のすき間から覗き込んだ母の中にあったのは、生まれた瞬間から今日に至るまでの私の軌跡。

担任の先生に、漢字の書き順ってなんのためにあるの?と訊くと、先生は「書き順というのは、その字の一番書きやすい書き方なんだよ」と答えました。

「なら、左利き用の書き順と右利き用の書き順のふたつがないとおかしい! 左利きの子と右利きの子で書きやすさは変わると思うねんけど?」と言って、先生を困らせた小学生の私。

そんな当の本人の私ですら忘れていたささやかな想い出を、母はありありと、まるで昨日の出来事のように、そして大切な宝石でも見せるかのように語る。

追懐の最中、母はわかりやすく笑みをこぼし、私は照れて少しだけ頬を赤らめながらも、やっぱり笑っていました。


なんなんでしょうね、母親って。母親って、なんでこんなにも愛おしいんでしょうね。ずっと一緒にいたくなっちゃうじゃないですか。ほんと、母親ってズルいですよね。


*******


私の知る母は「専業主婦の母」だ。

でも兄や私が生まれる前は旅行代理店で息せき切って働いていた、と父や祖母から聞いたことがある。母は、自分が働いていたことについて、あまり話したがらない。


兄が大学生となりひとり暮らしを始めたころ、母が一度復職を目指したことを私は知っている。

それが「お金」のためでなく、「生きがい」のためであったことを私は知っている。

そして、「その世界」にはすでに自身の居場所がないことを悟り、復職を諦めたことも、私は知っている。


母の中には、私や兄を育てる代わりに失った世界がある。

ゆるがない社会の不条理を目の当たりにしたのかもしれない。時代的なものもあったに違いない。

そんな個人の力では為す術のない社会的な力学を前に、諦めた目標もあっただろう。諦めた夢もあっただろう。行くあてをなくした情熱もあっただろう。踏み躙られた意志もあっただろう。


気力も能力もありながら、「あなたいりません」という現実を突きつけられたとき、母は何を思い、そして何を考えたんだろう。

失いたくないものを知ったとき、人は失うことの怖さにまざまざ気づく。30を過ぎ、社会人として、そして母と同じ働く女性として積み上げたものができた今、母が黙して語らずの「失った世界」と、私はやっと初めて対等に向き合える気がしている。


「何かを選ぶ」ということは、「何を選ばないか」を選ぶことでもある、と誰かが言っていた。

人は目に見えるすべての可能性をすくい取れるわけではなく、常に何かを取りこぼしながら生きていく。

選ばれなかった人生というのは、ある意味で強い。

選ばれなかった人生は、実現していない人生ということ。

実現していない人生は、成功もしていなければ失敗もしていない、まっさらな人生ということ。

まっさらな人生は、可能性を常に肯定する。

しかし選ばれなかった人生に宿るその可能性は、現実世界で結実することはなく、多くの人の前に「あのとき、あっちの人生を選んでいれば…もしかしたら…」という後悔となって立ち現れる。


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小さなころから人を笑わせることが私は好きだった。

どこかに落ちているかもしれない「おもしろい」をいつも探してた。

小学校の卒業文集の「クラスでおもしろい人ランキング」では圧倒的得票数で1位になったりもした。

小さなころからずっと、人を笑わせることが私の生きがいだった。


人を笑わせることが好きだけど、誰を一番笑わせたいかと今問われれば、その答えは「母」だ。

母が「私の何か」で目を細めて笑っている姿を見ると、たまらなく嬉しい。


私が母を笑わせる。それは私にとって、「幻影への反抗」だ。

今「ここ」に私がいるのは、母が父と人生を共にし、子どもを授かり、産み育てるという人生を選択したからにほかならない。

その選択によって私は存在を許された。何かが少しでも違えば、私は今「ここ」にはいない。

そして同時的に、その選択によって母の中には「選ぶことのできなかった人生」も生まれた。


「母が選んだ人生」の延長線上に私はいて、そんな私が目の前の母を笑顔にすれば、「母が選べなかった人生=実体のない虚無な幻影」に抗えているような、そんな感覚に自らを落とし込める。

私は、母の中にくすぶる「もしもあのとき…」のすべてを剥ぎ取りたいんだと思う。

母が諦めたあれこれを、母が選べなかった人生を、私は「私自身の手」で滅してしまいたい。

ただ母を、幸せにしたい。



今日、本当はママの昔のことや今のこと、これからのことをたくさん話したかったけど、ママの口をついて出るのは、私や兄のことばかりでしたね。とても照れましたが、とても嬉しかったです。

大好きです、ママ。ほんとに。超大好きです。

ずっと笑っていてください。私がずっと笑わせますから。

ママのこれからの日々が、誰よりも幸せなのものでありますように。

そしてどうか、私に、ママのこれからの日々を幸せなものにさせてください。


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デートを終え、母との別れ際、照れてしまったけど、「ありがとう」と言いました。

「産んでくれて本当にありがとう」と、ちゃんと伝えました。


気恥ずかしかったり、タイミングが合わず言えなかった方もいると思います。仮に今日がもう無理なら、明日でも明後日でもいいので、「ありがとう」を届けましょう。


人間て、いつもどこか不完全です。偉そうにすべてを知っているように振る舞うけど、もちろんすべてを知っているわけではありません。

いつも何かを知らず、いつも何かに気づけないまま、過ぎ去る時間に流され、それぞれの人生を往きます。何かを知らず、何かに気づけないまま生きてしまうから、人は過ぎた日を振り返り、そして追憶の中にさまざまな「後悔」を見るのでしょう。

でも、30年も生きることができたおかげで、ほんの少しだけですが私は「人間」というものを知り、ほんの少しだけですが「感情」というものがわかりました。


感情って、言葉にしたり行動に移して、初めて人に伝わるんです。

「ありがとう」って心に思うだけなら、それは「何も思っていない」に等しい。

心で思った「100回のありがとう」は、口にした「たった1回のありがとう」に負けるんです。

せっかく心に「ありがとう」があるなら、伝えましょう。届けましょう。


こんなことを言ってると、「あなた」はますます照れて、「うん、そうだね。じゃあいつか言うよ」と答えるかもしれません。

「いつか言う」の「いつか」って、一体いつぐらいを想定した「いつか」なんですか?

「いつか言う」という幼い言い訳を理由に、今まで一体どれだけの「ありがとう」を見送ってきましたか?

「いつか言う」の「いつか」を、今日にしちゃいけない理由がどこかにありますか?

また今日も、「ありがとう」を見送りますか?


大丈夫ですから。

少し恥ずかしいかもしれませんけど、大丈夫ですから。ほんと大丈夫ですから。恥ずかしくて顔から火が出そうになったり、体が熱くなるかもですが、大丈夫、火は出ませんし死にもしませんから。絶対大丈夫ですから。

だから「ありがとう」って言いましょう。ちゃんと伝えましょう。

あなたの未来から、「あのとき言っとけばよかった…」という後悔を、今ひとつなくしましょう。



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