『中央公論』2015年12月号
【“疑似科学”と科学の間】(02) 教師も騙される! 学校教育に入り込んだ“トンデモ科学”――左巻健男×川端裕人
↑から引用。
川端「左巻先生が、初めに学校で“疑似科学”が教えられていることに気付いたのは、いつだったんですか?」
左巻「高校で化学を教えていた頃、水に関する本を執筆したんです。その本が書店でどんな風に陳列されているのか見に行ってみたら、僕の本の隣に“水からの伝言”(波動教育社)という写真集が並んでいて、そちらのほうがよく売れている。それで、興味を持って読んでみると、『水の入った容器に“ありがとう”という言葉と“ばかやろう”という言葉を書いた紙を貼り付けておいてから、それらの水を凍らせると、“ありがとう”を見せた水は美しい六角形の結晶に成長し、“ばかやろう”を見せた水は崩れた汚い結晶になるか、結晶にならなかった』という説明と共に、様々な結晶の写真が載っている。これは、『水が人の言葉を理解するからだ』と言うんですよ。水には感覚器官がありませんから。『こんな出鱈目は誰も信じないだろう』と思っていたのですが、次第に“水からの伝言”を使った授業を行っている教師が増えていることに気付き、愕然としました」
川端「理科や化学の授業ですか?」
左巻「いえ、主に小学校の道徳の時間です。『水は言葉を理解する。人の体の6〜7割は水だ。だから、良い言葉や悪い言葉をかけると人の体は影響を受ける』という考え方が授業に使えると思った人たちがいたんです。写真集の結晶の写真を見せながら、『だから、“悪い言葉”を使うのは止めましょう』という授業が広まりました」
川端「『道徳的に良いことを教えるのだから、細かいことに目くじらを立てなくてもいいじゃないか』と言う人がいますが、どう思いますか?」
左巻「それはおかしいと思いますし、実際、本当に信じている人が多かったんです。教師というある程度知的な階層の人々が、こんな荒唐無稽を信じるとは思ってもみませんでした」
川端「僕の息子が通っていた小学校でも、学校通信みたいなものの中で、校長先生が“水からの伝言”に触れていました」
…
左巻「“水からの伝言”が全国に広がったのは、“教育技術の法則化運動”という団体が果たした役割が大きいです。これは、『全国の教師の授業法を共有しよう』という趣旨の団体なのですが、今は、“TOSS(教育技術法則化運動)”と名前を変え、約1万人の教師が参加しています」
川端「活動趣旨自体は立派なものだと思うんですが、紹介している授業法の中に非科学的なものが一部あったんですね」
左巻「“水からの伝言”や“EM”(Effective Microorganismsの略称。有用微生物群。乳酸菌・酵母・光合成細菌を主体とする微生物の共生体とされ、放射線を除去し、健康を増進し、農業・畜産・水産・環境浄化等といった様々な分野で効果があると主張されている)を紹介していたので、このような“疑似科学”を全国の教師が授業で用いるようになった訳です」
川端「そうした授業を子供たちが真に受けたらと考えると怖いですね」
左巻「背後にあるのは、『子供たちの言葉遣いを綺麗にしよう』といった教師の善意です。しかし、その方法がおかしい。“水からの伝言”のような出鱈目に頼ってはいけません。『雪は天から送られた手紙である』という言葉で有名な中谷宇吉郎博士(1900-1962)の研究に依って、温度と水蒸気の量でどのような雪の結晶ができるかが明らかにされています。“水からの伝言”は、撮影者が“ありがとうの水”“ばかやろうの水”を知った上で、恣意的に写真を撮っているだけで、水が言葉を理解している訳ではありません。昨年、亡くなった“水からの伝言”の著者の江本勝氏は、物質の波動を測定できるという“MRA(共鳴磁場分析器)”を使う“波動カウンセリング”なるもので、その人の病気を調べることができ、更にMRAで健康に良い波動を水にプリント(転写)した“波動水”を作って病気を治すことができるという、医療紛いのことを行っていました。“ありがとう”という良い言葉(=波動)を水が理解して、綺麗な結晶を作るという“水からの伝言”は、江本氏の怪しいビジネスの宣伝本だったという訳です」
川端「“水からの伝言”の主張が、教育現場と親和性が高かったのも大きいんでしょうね」
左巻「そうです。教師って、基本的に真面目で善い人が多いですからね。シンプルな話にやられ易いのです」
…
川端「健康増進・環境浄化等、EMは様々な効果を謳っていますが、学校ではどんな風に使われているんですか?」
左巻「総合的な学習の時間や、課外活動で環境保全活動に使われています。例えば、プール掃除の時にEMを使うとプールが綺麗になると共に、EMが混じったプールの水が川に排水され、軈て海に辿り着き、環境を浄化すると言っています。EMは酸性なので、確かに汚れを取る効果はあります。ただ、これはトイレ掃除に使う酸性洗剤と同じようなものです。EMでなくとも、酸性洗剤を使えば汚れは落とせます」
川端「報道に依ると、『EMは逆に環境負荷を高めるかもしれないので、使わないようにしよう』と決定した自治体が出てきていますよね」
左巻「学校だけでなく、各地のボランティア団体にもEMは広まっています。そうした団体が自治体に助成を請求して、税金でEMを購入し、川や池に投げ込んだりするようになったんです。それで、彼らは『川や池が綺麗になる』と言っています」
川端「助成金を出すとなると、効果の評価をしなければいけません」
左巻「そうです。当然、『特定企業の商品に税金を使ってもいいのか?』という批判もある。そこで、自治体が調べてみると効果が無いということがわかって、助成を止めるところも出てくる訳です」
川端「なるほど。しかし、学校では未だ使われているんでしょうか?」
左巻「学校は未だ残っていますね。効率がいいんですよ。先ず、教師を狙い撃ちする。信じた教師は子供に教え、そして子供たちから保護者たちに拡散していく。EMには乳酸菌や酵母が入っていますから、何の効果も無い訳ではないんです。初めは有機農業で肥料として、土の状態を改良するのに使われていました。しかし、EMの開発者である比嘉照夫氏の主張が段々エスカレートし、『EMは神からのプレゼント』と言っていたのが、今では『EMは神様だ』と主張しています」
川端「『放射線を除去できる』と言い始めたのはいつ頃でしたか?」
左巻「チェルノブイリ原発事故の後からですね。その頃になると最早、土壌改良という当初の主張から外れ、『EMで発酵させた』という飲み物等、様々なEM商品が売られるようになっていました。福島原発事故の後は、更に大々的に放射線除去効果を押し出すようになりました」
川端「これまでの物理学・生物学の研究を根底からひっくり返すようなことを言っていますよね。今も、TOSSは“水からの伝言”やEMを薦めているんですか?」
左巻「“水からの伝言”は科学者から多くの批判を浴びたので、今はTOSSの公式サイトから削除されています。しかし、大手教育書出版社から出された道徳の資料集には、未だに“水からの伝言”の話が載っています。それに、既に全国に授業法がばら撤かれた後ですからね。今でも様々な場所で行われているようです」
…
川端「学校で教えられている“疑似科学”でいうと、僕が一番ショックを受けたのは“ゲーム脳”(生理学者の森昭雄氏が『ゲーム脳の恐怖』(生活人新書)で提示した造語。ゲームをしていると大脳の前頭前野の働きが低下し、この状態が長く続くとキレ易く、犯罪等を起こし易くなる“ゲーム脳人間”になるとされる)なんですよ。これも『ゲームをやり過ぎると自閉症になる』とか、段々主張が過激になっていきましたが、森氏の説に賛同する研究者は殆どいませんし、“ゲーム脳の恐怖”は、当時の日本神経科学学会会長の津本忠治氏に『こういった本は神経学に対する信頼を損なうことになる』と批判されています。今から10年近く前、小学3〜4年生の息子が、教育委員会とPTAの共催で開くという森昭雄氏の講演会のビラを持って帰ってきました。こんなものが堂々と学校で配られることもショックでしたし、教育委員会が大々的に動員までかけて森氏の講演会を開こうとしていることに驚きました。当時、僕はPTAの会員でしたので、『どうにか、この講演会を止められないか』と思い、区役所に連絡して教育委員会の人と話をしたんです。すると、僕の説明を聞いている内に、見る見る彼らの顔が青くなっていく訳ですよ。『そんな怪しい説だとは知らなかった』と言って。結局、講演会は行われたんですが、森氏の講演が終わった後に教育委員会の人が出てきて、『今日の講演は1つの意見ですので、皆さんもお家に帰ったらインターネット等で調べることをお勧めします』とアナウンスして終わりました」
左巻「ゲーム脳も“水からの伝言”と同じように、PTAや教育委員会の人たちに『子供たちがゲームをし過ぎるのを止めさせたいなあ』という気持ちが先にあった訳です。そう思っているところに、一見科学的な体裁の主張が出てきたので、信じてしまったんでしょうね」
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川端「今日、是非お話ししたいと思っていたのが、小学校の“掛け算の順序問題”です。“1×2”も“2×1”も答えは同じですよね。しかし、(※)これを『問題文の順序通りの式で計算しないと不正解にする』という動きが小学校であるんです。例えば、『脚が2本の鶏が3羽いた時、脚の数は全部で何本でしょう?』という問題なら、(※)“2×3=6”は正解で、“3×2=6”を不正解にするという具合です。不正解とされた子供の保護者が驚いて、毎年必ず議論になるんです」
左巻「『どちらか一方の式しか正解にしない』というのは、数学的な思考とは言えないですね」
川端「掛け算を初めて習う小学生にわかり易いように、『2本の脚×3羽だから6本でしょう』と説明をするのはわかりますが、それを小学5〜6年生になっても『片方の式しか認めない』という教育が行われているのは変だと思うんです」
左巻「教師が使う指導書に、『こう教えるように』と書いてある場合があるんですよ。教科書は検定を通らないと使えませんが、指導書は検定を受けないので、何を書いても許されるんです」
川端「少なくとも、教科書会社は『小学生の間は順序を固定しなければいけない』と考えている訳ですね。これはもう、現場の教師レべルではどうしようもなくて、教材として使われるドリルやワーク等も、正解を一方に固定するものが使われている訳です。それくらい深く浸透している。わからないのは、『こうした非合理的な信念はどこから来るのか?』ということです。結局、中学生になればどっちでも正解になります。というか、そんなことは先生も気にしなくなる」
左巻「昔は、そんな教え方は無かったと思います。マイナーな指導法が、いつの間にか拡散していったのかもしれません。掛け算をイメージし易く教える導入場面はあってもいいと思いますが、順序をずっと固定化・強制して、逆に答えると『掛け算の意味を理解していない』と×にするのは、直ぐに止めてほしいですね」
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川端「教師が“疑似科学”にひっかからない為の方法としては、万全ではないけれど、少なくとも新たな指導法を試す時は、その前に必ずインターネットで調べてみてほしいです。“トンデモ”や“インチキ”といった言葉を付け足して検索すれば、怪しいものは直ぐにわかります。それから、保護者にできることは、若し学校で怪しげな授業や活動が行われていたら、教育委員会に伝えることです。僕は小学校を舞台にした小説を書いているので、保護者の事情も先生の事情も聞くのですが、保護者の間では『モンペ(モンスターペアレント)と思われたらどうしよう』という恐怖感があるんです。確かに、問題行動を起こす保護者も少数いますが、僕が見る限り、逆に『モンペと思われないだろうか?』と心配して、結局、学校に何も言えない方のほうが多いです」
左巻「私もそう思います。そうやって保護者を“モンペ”と一括りにしていれば、学校に対する真っ当な批判も撥ね付けられますからね」
川端「“疑似科学”を信じてしまうと、基礎的な理科教育の内容と整合性が取れなくなってしまいます。小学校の間にぶつかるかもしれないし、中学・高校では確実にバッティングします。先生方には、たとえ善意からでも、科学的根拠の無い不確かなことを吹き込むのは、子供の将来の為に良くないと認識してほしいですね」
(※) 混乱を招く言い方なので、深くお詫びします。書き直すとすれば、「文章題の計算をする時、決められた順序で式を立てないと不正解にするという動きが小学校であるんです」「うっかり出てきた順に“3×2=6”と書くと不正解。“2×3=6”が正解という具合です」。個人でとりいそぎできる訂正としてここに掲示しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/e/d3d063f9ae6b16474acbe3cc050648dc
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左巻健男(さまき・たけお) 法政大学教職課程センター教授・『理科の探検 RikaTan』編集長。1949年、栃木県生まれ。千葉大学教育学部卒。東京学芸大学大学院修士課程修了(物理化学・科学教育)。検定中学校理科教科書『新しい科学』編集委員・執筆者。『中学3年分の物理・化学が面白いほど解ける65のルール』(アスカビジネス)・『水の常識ウソホント77』(平凡社新書)・『2時間でおさらいできる物理』(だいわ文庫)等著書多数。近著に『ニセ科学を見抜くセンス』(新日本出版社)。
川端裕人(かわばた・ひろと) 小説家・ノンフィクション作家。1964年、兵庫県生まれ。東京大学教養学部卒業後、日本テレビに入社。報道局記者として科学技術庁・気象庁を担当。1997年に日本テレビを退社後、コロンビア大学ジャーナリズムスクールにモービルコロンビアフェローとして在籍。1998年に『夏のロケット』(文春文庫)で小説家デビュー。メールマガジン『秘密基地からハッシン!』を配信中。他に『真夜中の学校で』(小学館)・『天空の約束』(集英社)等。ノンフィクション作品として『クジラを捕って、考えた』(徳間文庫)・『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP社)等。