マスキュリズムの限界
【著者:大河】
過去の記事、「男性差別」は存在しない、や「男性学」「マスキュリズム」に対する考察 Ⅱにおいて、マスキュリストの久米泰介氏を紹介した。
その時はマスキュリズムに対して、根本部分では違うけどフェミニズムへの対抗馬という眼前の目標においては同じ方向を向いている人々だと思っていた。しかし、正直、学者である久米氏に対して素人の私が言うのも何だが、久米氏は男と女の本質について間違った理解をしていることがわかった。しかもフェミニズムと同じ思考の間違いである。
「男性に対する性の商品化の学問上の批判」(久米氏のHPより)
https://sites.google.com/site/jiumitaijie/classroom-pictures/nan-xingheno-xingno-shang-pin-hua-pi-pan
日本(日本以外でも当然)で放置されているもう一つの学問上の男性差別は
性の商品化や性的搾取である。少年や男性に対しての。
具体的に言えば、少年(論外だが)や男性を登場させているポルノ。(二次元も当然含む)
ジャニーズなどの実際の人間を性の商品化したもの、悪質なもので有名なのはこの二つだが、
派生はいくらでもあると考えてほしい。
出だしからこれである。
男性の性的価値の搾取という、論点ズレした所で憤っている。
前回の記事、男女平等はもう古いで言及したように、「男性の性的価値」などない。
自分はフェミニズムのマッキノンたちの性の商品化理論は別に正しいと思っている。性の商品化や性的搾取がそれをやられている性別にとっては不快なのは当たり前だし、それらが差別として糾弾されていくのはやむをえんだろうと思う。(対象にする側のセクシュアリティにおいては必要であっても。)
そして、ポルノや売春を女性に対する性的搾取と位置づけ、「(女性)差別として糾弾されていくのはやむをえんだろうと思う」とのこと。フェミニストと見紛うような発言だ。
そしてその後の
ただし男性の性の商品化や性的搾取も同じように人権侵害と扱うのならば。
それならば男女平等である。
という発言で、久米氏は男女の本質を完全に見間違えているという確信を得た。
前回の記事で取り上げた、
> 「男性は性的価値を守る必要があるから、女性を排除する。男性専用にする。」が正しいのではないでしょうか
という、コメントと全く同じことを言っているのだ。
男の価値は女子供を養う甲斐性(経済力など)で、女の価値は妊娠する能力、ひいてはそこから生じる性的魅力である。
もともと無いものを守りようがないので「男性の性的価値を守る」主張など殆ど意味がない。
極めつけには、
さらに日本ではやっと今年とうとう男性へのレイプが認められるように法律が変わり、男性への性犯罪
や性犯罪被害者に対する認識やケアができるようになっていく向かうべきだが、
という発言。
今までの強姦罪は女性しか被害者になれなかった、男性が強姦被害者として法的に扱われるようになった、だから男女平等になった!ということだろう。
何でそうなるのだろうか。法律を改正すれば男女の性質が変わると信じているのだろうか。
法律上、強姦罪において男も女も被害者として扱われるようになったところで、相変わらず被害者の99%以上は女性であろうし、加害者の100%は男性であろう。
法律で男女平等にしたからといって、女が男をレイプするようになって性犯罪の被害者の男女比も50:50になることなどあり得ない。
例えば「強盗罪」が、貧乏人が金持ちの家に強盗に入った場合のみ強盗罪として罰せられ、逆に、金持ちが貧乏人の家に強盗に入った場合は罪にならない、という法律になっていたとしよう。
これに対して身分差別だ!と声を上げ、「金持ちが貧乏人の家に強盗に入った場合も強盗の罪に問える」と法律が改正されたとしよう。
これで金持ちと貧乏人は待遇の差はなくなり平等になりました。めでたしめでたし、とはならない。
そもそも金持ちが貧乏人の家に強盗に入ることなどないのだ。法律上で平等になろうと、相変わらず強盗の被害者は金持ちであり続けるだろう。
法律を変えたところで金持ちと貧乏人の貧富の差は縮まらない。金持ちはお金と言う価値を持っていて、貧乏人はその価値を持っていないからお金という価値を欲して、ときに違法な手段に手を染めるということである。
法律を変えたところで、男女の性的価値の格差は埋まらない。女は性的価値を持っていて、男は持っていないのだから、男が女の性を欲してしまう関係は変わらないのだ。
だから、「女の性的価値を守れ!」に対するカウンターは「男の経済、社会的価値を守れ!」であるべきなのだ。
そこで「男の性的価値を守れ!」は何の意味もないのだ。むしろフェミニストは「え?そんなことでいいの?」と喜んで賛成してくれるだろう。別に男性を被害者として認めたところで何も変わらないのだから。
いずれにせよ、学問的にジェンダーの領域で男性の性の商品化、性的搾取は批判していなくてはならない。
男性側はその視点を身に着けてほしい。
ポルノや性の商品化が性差別であるならば、目指すべきは男性も女性もポルノやアイドルで性の商品化をされたり、搾取されない世界だ。
ポルノや売春をすべて根絶したとして困るのは男だ。イスラム教のように、一生女の肌に触れることも、ポルノで女の裸を見ることすらできなずに死んでいく男が表れるだろう。(逆に一部のモテ男は複数の女を囲い、モテ男と非モテ男の二極化はさらに深まるだろう)
そして、それらを根絶した結果、行き場のなくなった男の欲望は女に向かい、性犯罪は増加するので結局女にもそのしわ寄せが来る。
久米氏はこんなカオスな社会を望んでいるのだろうか。
正直、「フェミニストと大差ない」と思ってしまった。
一時期は反フェミ勢力の希望とすら思っていたのだが、非情に残念である。
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過去の記事、「男性差別」は存在しない、や「男性学」「マスキュリズム」に対する考察 Ⅱにおいて、マスキュリストの久米泰介氏を紹介した。
その時はマスキュリズムに対して、根本部分では違うけどフェミニズムへの対抗馬という眼前の目標においては同じ方向を向いている人々だと思っていた。しかし、正直、学者である久米氏に対して素人の私が言うのも何だが、久米氏は男と女の本質について間違った理解をしていることがわかった。しかもフェミニズムと同じ思考の間違いである。
「男性に対する性の商品化の学問上の批判」(久米氏のHPより)
https://sites.google.com/site/jiumitaijie/classroom-pictures/nan-xingheno-xingno-shang-pin-hua-pi-pan
日本(日本以外でも当然)で放置されているもう一つの学問上の男性差別は
性の商品化や性的搾取である。少年や男性に対しての。
具体的に言えば、少年(論外だが)や男性を登場させているポルノ。(二次元も当然含む)
ジャニーズなどの実際の人間を性の商品化したもの、悪質なもので有名なのはこの二つだが、
派生はいくらでもあると考えてほしい。
出だしからこれである。
男性の性的価値の搾取という、論点ズレした所で憤っている。
前回の記事、男女平等はもう古いで言及したように、「男性の性的価値」などない。
自分はフェミニズムのマッキノンたちの性の商品化理論は別に正しいと思っている。性の商品化や性的搾取がそれをやられている性別にとっては不快なのは当たり前だし、それらが差別として糾弾されていくのはやむをえんだろうと思う。(対象にする側のセクシュアリティにおいては必要であっても。)
そして、ポルノや売春を女性に対する性的搾取と位置づけ、「(女性)差別として糾弾されていくのはやむをえんだろうと思う」とのこと。フェミニストと見紛うような発言だ。
そしてその後の
ただし男性の性の商品化や性的搾取も同じように人権侵害と扱うのならば。
それならば男女平等である。
という発言で、久米氏は男女の本質を完全に見間違えているという確信を得た。
前回の記事で取り上げた、
> 「男性は性的価値を守る必要があるから、女性を排除する。男性専用にする。」が正しいのではないでしょうか
という、コメントと全く同じことを言っているのだ。
男の価値は女子供を養う甲斐性(経済力など)で、女の価値は妊娠する能力、ひいてはそこから生じる性的魅力である。
もともと無いものを守りようがないので「男性の性的価値を守る」主張など殆ど意味がない。
極めつけには、
さらに日本ではやっと今年とうとう男性へのレイプが認められるように法律が変わり、男性への性犯罪
や性犯罪被害者に対する認識やケアができるようになっていく向かうべきだが、
という発言。
今までの強姦罪は女性しか被害者になれなかった、男性が強姦被害者として法的に扱われるようになった、だから男女平等になった!ということだろう。
何でそうなるのだろうか。法律を改正すれば男女の性質が変わると信じているのだろうか。
法律上、強姦罪において男も女も被害者として扱われるようになったところで、相変わらず被害者の99%以上は女性であろうし、加害者の100%は男性であろう。
法律で男女平等にしたからといって、女が男をレイプするようになって性犯罪の被害者の男女比も50:50になることなどあり得ない。
例えば「強盗罪」が、貧乏人が金持ちの家に強盗に入った場合のみ強盗罪として罰せられ、逆に、金持ちが貧乏人の家に強盗に入った場合は罪にならない、という法律になっていたとしよう。
これに対して身分差別だ!と声を上げ、「金持ちが貧乏人の家に強盗に入った場合も強盗の罪に問える」と法律が改正されたとしよう。
これで金持ちと貧乏人は待遇の差はなくなり平等になりました。めでたしめでたし、とはならない。
そもそも金持ちが貧乏人の家に強盗に入ることなどないのだ。法律上で平等になろうと、相変わらず強盗の被害者は金持ちであり続けるだろう。
法律を変えたところで金持ちと貧乏人の貧富の差は縮まらない。金持ちはお金と言う価値を持っていて、貧乏人はその価値を持っていないからお金という価値を欲して、ときに違法な手段に手を染めるということである。
法律を変えたところで、男女の性的価値の格差は埋まらない。女は性的価値を持っていて、男は持っていないのだから、男が女の性を欲してしまう関係は変わらないのだ。
だから、「女の性的価値を守れ!」に対するカウンターは「男の経済、社会的価値を守れ!」であるべきなのだ。
そこで「男の性的価値を守れ!」は何の意味もないのだ。むしろフェミニストは「え?そんなことでいいの?」と喜んで賛成してくれるだろう。別に男性を被害者として認めたところで何も変わらないのだから。
いずれにせよ、学問的にジェンダーの領域で男性の性の商品化、性的搾取は批判していなくてはならない。
男性側はその視点を身に着けてほしい。
ポルノや性の商品化が性差別であるならば、目指すべきは男性も女性もポルノやアイドルで性の商品化をされたり、搾取されない世界だ。
ポルノや売春をすべて根絶したとして困るのは男だ。イスラム教のように、一生女の肌に触れることも、ポルノで女の裸を見ることすらできなずに死んでいく男が表れるだろう。(逆に一部のモテ男は複数の女を囲い、モテ男と非モテ男の二極化はさらに深まるだろう)
そして、それらを根絶した結果、行き場のなくなった男の欲望は女に向かい、性犯罪は増加するので結局女にもそのしわ寄せが来る。
久米氏はこんなカオスな社会を望んでいるのだろうか。
正直、「フェミニストと大差ない」と思ってしまった。
一時期は反フェミ勢力の希望とすら思っていたのだが、非情に残念である。
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