■映像使用をテコにした圧力
2002年に北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致を認めて以降、日本のテレビメディアでは朝鮮中央テレビの映像が頻繁に放映されるようになった。しかし北朝鮮が著作物保護協定(ベルヌ条約)に加入していなかったこともあり、日本のテレビ各局は北朝鮮に対して著作権料を支払っていなかった。
しかし北朝鮮が、2003年4月に著作物保護協定(ベルヌ条約)に加入したことから事情は変わった。同年末には、朝鮮中央テレビ(KRT)と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部が平壌で協議し、「映像が反共和国宣伝に悪用されている」として、朝鮮総連を通じて権利保護を求めることになったという。
この協議後、朝鮮総連は、小泉首相再訪朝直前の5月中旬、NHKなど日本の主要放送局の担当者を集め、彼らが任意に編集・放送している朝鮮中央テレビ(KRT)の映像について、使用料を徴収すると通告。 朝鮮総連国際局のムン副局長(当時)は「KRTから権限を委任され、使用料を徴収することにした」とし「世界的に使われている1分未満の報道引用画面を除いたすべての映像について、1分あたり500ドルを課金する予定で、現在各放送局と協議中だ」と話した。
これについて、TBSは6月1日付で著作権料支払いの確認書を提出。NHKとテレビ東京も著作権を尊重するという意思を明らかにした。テレビ朝日は、平壌支局への野望もあって、既に数年前から別ルートで使用料を支払っていた。
一方、フジテレビと日本テレビは、朝日間に国交がない点を理由に、否定的な立場を示していた。フジテレビと日本テレビは、文化庁が(ベルヌ条約に北朝鮮が加入したとしても)「国交がない以上、権利義務関係は発生しない」との見解を示したことから映像使用料の支払いを拒否。
これに対し、朝鮮中央テレビ作品に関する交渉窓口となっている朝鮮映画輸出入社(北朝鮮文化省傘下の行政機関)とその委託を受けたカナリオ企画は、著作権侵害に対する損害賠償支払いと無断放映差し止めを求めて、フジテレビと日本テレビを提訴した。
これに対し東京地裁は、「北朝鮮がベルヌ条約に加盟していたにせよ、日本が未承認の国家である以上、国際法上の権利義務関係が発生せず、北朝鮮の著作物は著作権法6条3項の対象とはならない」との判決を下した。
原告(北朝鮮側)は2008年に知財高裁に控訴した。そこでは「一般不法行為の成立を肯定し、放送局(一審被告)側に12万円の支払いを命じた」部分はあったが、一審同様の理由で提訴は棄却された。2009年に原告は最高裁に上告したが2011年12月、知財高裁が認めた12万円の支払いも含めて全面棄却された(最一小判平成23年12月8日(H21(受)第602号、裁判官の意見は全員一致)。
判決は、ベルヌ条約は普遍的価値を有する一般国際法上の義務を締約国に負担させるものではなく、日本が承認していない国家である北朝鮮の著作物はこれにより著作権法6条3号所定の著作物には当たらないとし、特段の事情がない限り無断放映による不法行為は発生しないと結論付けた。映像使用料は払わなくてもよいとの結論が出たのだ。
この判決後、フジテレビとNHKは放映料を支払っていない。国民の税金で運用するNHKが最高裁判決を無視できないのは当然だ。しかし北朝鮮はNHKのネームバリューを利用するために北朝鮮取材を許可し続けている。フジテレビには気に食わないコメンテーターの排除との交換で、2014年以後北朝鮮取材を許可した(フジテレビが映像料を支払うようになったかどうかは不明)。
その他のテレビ局は、払わなくてもよい著作料を判決後もせっせと払っている。
■北朝鮮取材をエサにしたテレビ統制
2011年12月に金正日総書記が死亡し金正恩時代に入った後、日本のテレビ各局に対する朝鮮総連を通じた統制が新たな局面を迎えることになる。金正恩政権のメディア戦略が強化され、各国メデイアに対して「見せたいところを積極的に見せる」方向に転換されたからである。
金正日時代には一時朝鮮総連を通じたメディア統制が弱まっていた。その背景には朝銀破綻や拉致問題の影響などによる朝鮮総連の影響力低下と、韓国における宥和政権誕生があった。金正日政権は宣伝面で以前ほど、朝鮮総連を重要視しなくなっていたのだ。
しかし、2012年4月に金正恩氏が第一書記になった時から事態は変化した。韓国の保守政権が宥和的でなくなり、もう一度、朝鮮総連の日本におけるプロパガンダ遂行の位置付けを重視し始めた。こうして朝鮮総連は以前にはなかった映像使用と北朝鮮取材という武器を手にしてテレビメディアへの圧力を強めていくことになる。
その第一弾が2012年4月の金日成誕生100周年行事であった。金正恩はこの行事の目玉であった光明星3号1号機発射をメデイアに公開するとした。発射失敗で所期の宣伝効果を得ることができなかったが、今後のメデイア戦略を予告するものであった。
この時に日本のテレビ各社も招待されたが、それまでにはない取材格付けがなされたのである。すなわちテレビ各社の「忠誠度(北朝鮮に都合のよい報道を行う度数)」によって差別化されることになる。
北朝鮮は長距離弾道ミサイル発射施設を、発射前にAP通信などのアメリカメディアと日本の一部のメディアに公開したのだが、日本のテレビ局で取材することができたのは、平壌に支局がある共同通信やNHKなどだった。また北京の北朝鮮大使館でのビザ発給でも差別化を図り、「忠誠度」の高いテレビ局から順番にビザが発給された。
なぜこのような変化が起こったのか? そこには日本のメデイアに対する管括権の移動が関係していたのだ。
金正恩時代以前までは北朝鮮取材の強化は北朝鮮本国と朝鮮総連の二本立てであった。そのために朝鮮総連はテレビメディアを効果的にコントロールできなかった。
そこで朝鮮総連は金正恩時代に入ってのメデイア戦略の変更に合わせて本国担当者に対し、「日本のメディアなら、なぜ、大使館業務を行う窓口である朝鮮総連を通さないのか」と訴えたのだ。そして朝鮮総連に窓口が一本化され、そこからの収入は一部本国に上納されるものの大部分が朝鮮総連の財源となった。
こうしたなかで、日本テレビメディアの北朝鮮取材は大幅に増やされた。各種記念行事の取材だけでなく、拉致問題交渉過程での取材、北朝鮮に残された遺骨収集に対する取材など北朝鮮は取材の門戸を広げ、日本のテレビ各社を競わせた。
この過程で朝鮮総連のテレビ各社に対する干渉は、強化拡大。報道の方向だけでなく、コメンテーターの人選や外信部の人事にまで口を挟むようになった。この時に使われた殺し文句は、「映像の使用許可と北朝鮮取材を止めるぞ」だった。
北朝鮮報道は情報番組などでは比較的高い視聴率を得ていたので、テレビ各社は朝鮮総連の圧力に次々と屈していった。最後まで抵抗していたフジテレビまでも北朝鮮取材から外される圧力に抗しきれずついに屈した。朝鮮総連が排除を求めるコメンテーターを排除することで北朝鮮取材にありついたのである。
(下に続く。全2回)