このところ釈尊、すなわちゴータマ・シッダールタの時代の仏教、原始仏教に関する本を何冊か読んだ。読みながら、ふと思うことがある。「なんで今のインドは仏教国じゃないの?」。これである。これに関しては、南伝仏教というか、釈尊の仏教そのままだよというテーラワーダ仏教(上座部仏教)の……スリランカの僧も触れていない。
むろん、釈尊の教えを説くことと、ある国家(地域)でその宗派が亡んだことに直接の関係はない。後者は仏教の話というより、政治や軍事の歴史に属することだろう。でも、疑問に思っちゃうよな。だって、釈尊が「おれ覚ったよ」ってなったら、都市近郊にサンガ(僧の集団)を作って、乞食(こつじき)をして食べ物を手に入れ、祇園精舎みたいなの寄進されたりして住むところもできて……。当時のインド社会と仏教は仲悪くないじゃないか、と。
というわけで、棚で見つけたのがこの本。まさにこのタイトル! と思った次第。まえがきを読んでみる。
はじめに
本書は、インド仏教の衰亡をメインテーマに据えたおそらく世界最初、少なくともわが国においては最初の書物である。ではなぜインドで仏教はインドの地で衰亡してしまったのであろうか。この問いは、不思議と日本はおろか、世界でも真剣に検討されてこなかった。本書はこの問いに真正面から取り組んだ著者十数年の苦闘の成果である。
まさにこの内容! そうか、なんか当たり前の疑問に思うけど、研究例が少ないのか。それでもって、世界最初とまで言うか。いいぞ!
……と、思ったのだけれど、いきなり読後感を書くと、それほどすっきりしない。ひょっとすると、いろいろの研究者が取り組んでみたけど、なんかすっきりしないから発表されてこなかったのかもしれない、などとも思う。
本書は、とりあえず、というか、いきなり「日本人の『宗教』とはなにか」というような話から始まり、「ええ、早く本題!」とか思ってると半分くらい過ぎる。だが、苦闘なのだ。ゆえに、『大唐西域記』と『チャチュ・ナーマ』(副題にある「イスラム史料」ね)について検討し……と。
で、結論っぽいものを書いてしまうと、こうなる。
つまり、インド仏教の衰亡のダイナミズムを簡単に整理すれば以下のようになろう。それはアショーカ王による仏教の国教化以来本格化した、仏教とヒンドゥー教というインド社会における宗教の対立構造(必ずしも暴力的な意味ではない)の均衡状態が、イスラムという第三勢力の侵入により崩れ、結果として仏教の果たしていた抗ヒンドゥー教という社会的な役割が、イスラムに取って代わられ、インドにおける仏教の政治的な役割が消滅した、という結論である。
つまりは、カースト制度を否定して(抗ヒンドゥー教)いたところに存在意義のあった仏教が、政教一致のイスラム(その内部においては平等主義)の侵攻によってその立場を失ったんだよ、というところだろうか。ふーむ。
さきにも書いたが、正直なところ、「そうだったのか!」という感じは薄い。が、そのあたりなのか、というところもある。ほかにも、原始仏教が在家信者の集団をうまく組織化出来なかったとか、そういうところもあるらしい(日本の場合はお上の作った檀家制度がアシストしたとかいうことになるのかしらん)。
ま、というわけで、「なんでインドで仏教が亡んだのかよくわからねえから眠れねえ」という人は、とりあえず本書でも読むか、Wikipediaでも読んでください、と。以上。