@kanduki_lily
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『リズと青い鳥』の暫定感想です。のぞみぞの感情について考え続けて、ようやくの超主観です。
ネタバレ有。
学校という舞台を経て、二人は次のステージへ。その先が違う場所であっても。
本当に平行線でないなら、いつか線は交差するはずだから。
考察等は他の方が素晴らしい記事を多々UPなさっているので、今回は二人の感情というものについて書きます。数回観に行ってようやくの超主観です。
※映画本編、アニメ二期、および原作小説『波乱の第二楽章』のネタバレを含みます。
みぞれさんの思いはとても分かりやすく、だからこそ重い「希美第一」。そんなに大好きなのに、OP以降ラスト前まで後ろからついていくしかない彼女は、希美さんとは対等ではないことを知っています。彼女にとっては全てである希美さんは、オーボエと出会えたきっかけで…というより、独りぼっちだった彼女の世界の扉を開けた存在です。言葉で気持ちを表すのが不得意ですが、希美さんの前では結構百面相しています。足でぎゅっとやったりとか。(ただし見られていない)本人の口よりオーボエの方が感情豊かじゃないの…。
本当に本当に大切な人がいて、世界が「私とあなた」になったとき、視界がぐぐーっと狭くなります。そうなると、本当に大切だからあなたが全てなのか、あなたが視界の全てだから本当に大切なのか、分けるのが難しいと思いませんか。どっちでもいいのかもしれない。あなたこそが私のすべてで、世界そのものなんだと。
希美さんが退部した時、みぞれさんは吹部に残りました。というかどうしていいか分からなかったのだろうし、生き方も趣味も何もかも違う中で、唯一これだけが届けられる何かだと思ったのかもしれない。個人的には退部した時について、希美さんが「頑張ってる人に声をかけて一緒にやめようとは言えなかった」と言っていますが、それでも何か一言やめるとか言ってやれよ友達だろと思ってしまう。みぞれさんの視界に広がる世界そのもの=希美さんはなかなかに厳しい。(後述の理由により、希美さんは黙って追いかけてほしかったのかもしれないし…)
一方、希美さんの気持ちについて考えてみると、結構人当たりよく器用に生きているようで(フルートに関すること以外はそこそこ上手くやっていけてそう)本当に譲れないもの(自分が大切に想っているもの)についてはめっちゃ頑固そう。「こうであるべき」みたいなのを自分の中にめっちゃ持ってそう。正義感が強いというより何で自分と同じように頑張れないんだって怒りそうです。そこにあるのは、「自分ならもっとやれる」「もっとうまくやれる」「どうしてやろうとしないの」という思いがあるのではないでしょうか。
とはいえ、希美さんの中で『みぞれさんのフルート』は確かな質量で存在しています。二期の途中、復帰前でも、「みぞれのオーボエが好き」と人に言うシーンがあります。二人のすれ違いが今作のポイントのひとつですが、希美さんはみぞれさんのフルートを主眼に置きがちで、みぞれさんは希美さんを世界そのものとしています。このすれ違いは、正直かなり重い。最後に影響する重さです。
ところで無意識(半分くらいは)に、希美さんは結構みぞれさんを試すようなことをしている気がします。例えば、お祭りに誘って、直後に目の前で他人を誘うとか。プールなんかもそうです。「プール行こうよ」と自分で振って、みぞれさんが誰か誘ってもいい?というとえ?となる。みぞれは私についてきてくれるよね?という希美さんの声が聞こえる気がする。振り返ればいつも後ろにいたあなただもの、今回もそうしてくれるよね?という。甘えに近いものがあります。存在に対する甘えです。
それが変わっていくのが進路のくだり、みぞれさんだけが新山先生に音大のパンフをもらった後。ここ受けてみたら、とパンフをもらったみぞれさんと、もらえなかった希美さん。もらいたかった希美さん。先生がどちらを推しているか、一目瞭然(と希美さんは感じた)。どうしてみぞれだけ…という、嫉妬の色が強まります。後ろにいるよね?って思った相手にこれはしんどい。希美さんは甘えを持ちながら、こうした感情を外に出すのは「そうするべきではない」と思っているのではないでしょうか。もちろんそんな簡単に制御できる感情じゃない。だからこそ揺れてしまう。無視しちゃったり当たったりする。
甘えが嫉妬に染まる、こんなにしんどいことはないですよ。
そして、あれ?っていう積み重ねを経て、みぞれさんの演奏の封印が解かれたシーンの後。
(この画面が二つに分かれて、まるでラリーするみたいに言葉が続くシーン最高でしたね)
みぞれさんは一皮むけた!というところ。しかし希美さんはもうそれどころじゃなかった。
演奏は何よりも説得力を持っていたから。
すごい。こんな音が出せるなんて。裏切ったのか。陰で私を笑っていたんじゃないか。実力も及ばないのに、後ろを歩くあなたを先導して進んでいたつもりの自分はどんなに滑稽だっただろう。この演奏が、どうして自分じゃなかったんだろう。才能というものは、自分じゃなくあなたにあったんだ。私が誘った、あなたに。どうして。どうして私になかったの。この才能が。人に認められる、この才能が。どうして。どうして。
……どうして私はみぞれを責めるの。…そんなことしたって、意味、ないのに。
本作の白眉、理科室のシーンで、大好きのハグをされた希美さんがみぞれさんに「○○が好き」と言われてるあいだ、期待に満ちた顔つきになり、きょろきょろと瞳を落ち着かなく動かしているシーンがあります。「希美のフルートが好き」と言われたい。そんな気持ちが伝わってきます。だってみぞれさんは希美さんのすべてが好きだから。みぞれさんの全ては希美さんだから。だからホントは、全ての中にフルートも含まれているはず。でも。
”だから私が言われたいことを分かるでしょう?ねえ、言って。ねえ、好きって言ってよ ”
「みぞれのオーボエが好き」
このシーンで希美さんが笑いだして、ありがとうと言った時、ああ気持ち全然通じてない、と思いました。みぞれさんが「どれだけあなたが好きか」を伝えたくても、そもそも、今そこに興味はない。希美さんが「聞きたいこと」はそこにない。だから、みぞれさんが過去最高に思いを口に出した(おそらく希美さんが聞いた最長のセリフに違いない)のに伝わってない。必死さは伝わったかもしれないけど……。
二人の関係性を象徴する『すれ違い』で『断絶』だと思います。言葉以上のものを音色に乗せられる人たちでも、言葉を尽くさなければ分かり合えないことはめちゃくちゃ多くて。希美さんの退部後復帰によってつながっていた二人の感情は、しかし肝心のことが伝えられていない。裏切ったのか、と書きましたが、それはみぞれさんだって思ったはずでは?1~2年前ってそんな昔のはなしじゃないですよね。
けれど…正直祈りに近いものがあるんですが、これは一つの大きな一歩になるはずです。みぞれさんにとっては言いたいことは言った方がいい、そうしたら気持ちは帰ってくるんじゃないか。希美さんにとっては、みぞれさんと対話できるということは、なんだかんだで今まで思いつかなかったことかもしれない。(今までの会話は対話ではなかった。)そう、人の優劣を決めるのは才能ではなくて、関係性です。後ろを歩く存在ではなくて、並ぶために。でも才能に嫉妬する気持ちはすぐにはなくならない。当然ですよね。だからこそ希美さんは言うんだと思います。
「みぞれのソロ、支えるから」
個人的に、これから希美さんはみぞれさんの存在そのものと向き合うことになると思います。そして、その行為は間違いなく、希美さん自身の心と向き合うことでもあります。曖昧にしてきたこと。くだかれた自分への自信と将来のありかた。勉強資料をわざわざ学校の図書館で借りて(それ最新のものかい?大丈夫かい?)図書館で勉強するのは形から入ることで、こういう向き合い方をするんだという表れにも見えます。(というか貸し出しのシーンまで一般大学に行くってちゃんとお話ししたんでしょうか。やっててほしいけどしてなさそうな気もします)楽器もまずは構え方から、ということですし…。
その中で、希美さんがみぞれさんそのものをもっと分かっていくことがあると信じたい。
みぞれさんも。世界の中心は変わらなくていいから、自分が何をどう好きなのか、もっとわかるといいですよね。
そうであってほしい。
本作にコンクールの結果は出てきません。二人の物語という点において、コンクールの結果より、このような過程が大事だった、というのは分かる気がします。コンクールは団体でやるものですもんね。原作『第二楽章』にはコンサートの結果もありますがまあ、気になる方はぜひ。
先日観た映画で、本作を思い出すなというセリフがあったのでのっけておきます。
「(人が)2人いれば関係性は一つしかない。花か庭師かだ。私は花になりたかった庭師だ」
(アイ・トーニャ)
花になりたかった庭師はどんな気持ちで花を愛するのでしょう。自分を置いて輝く花を妬ましく思うこともあるでしょう。でも、花だって庭師がいなければ咲かなかったかもしれない。分からない。花の咲く向こう側、庭師はどんな顔をしているんでしょう。それは、庭師の心にかかっていると思うのです。
最後に。
ラスト、希美さんが振り返ってみぞれさんに言うセリフ。見るたびに何だろうなと思っていました。今回、なんとなく聞こえた気がしました。
「大好き」
では、ないでしょうか。
つらつらと書きましたが本当に素敵な作品だと思います。
できればもう何回か観に行きたいと思いますが、頼むよ映画館。