たいと
Texted by 勝俣泰斗(@taito212)
5月13日。今日は母の日。
母の日ってなにをする日なんだろう。
日頃の感謝を伝える?プレゼントをあげる?
そんなこと久しくしてない。最後にちゃんとありがとうって言ったのいつだろうな。多分小学校とかで書かされた作文とかなのかも。
大人になると、改めて感謝を伝えるなんてことなくなって。いつの間にか「ありがとう」って言う機会もなくなってくる。
せっかくだから、母との思い出なんかについて書いてみようと思う。
母との思い出
僕は12の時から親元を離れて宮崎の山奥で6年間の寮生活をはじめて、高校を卒業してからはアメリカに行っちゃったから、母との思い出って言うと小学校より前のことが頭に浮かぶ。はて。何を書こうか。
僕がアパートの隣に住んでたの子のおもちゃを壊しちゃって夜中に一緒に謝りに行った話・・・
サッカーのリフティングが苦手だった僕の練習に日が暮れるまで付き合ってくれた話・・・
弟と一緒に作ったダンボールの船が翌日に母に捨てられてて大げんかした話・・・
思い返せばちっちゃなことが色々と思い浮かぶけど、小6の時に母と腕相撲をした話にしようと思う。
幼い頃の僕は特にわがままで自分勝手だった。些細なことで、しょっちゅう2歳年下の弟と取っ組み合いのケンカをしてたし、よく母に怒られた。
反抗期は、素直に言うことを聞こうとせず、言い訳をするからよく母とも口論になった。どんなに母親が正しいことを言っても、ケンカの論点を通り越して、僕が兄である故に押し付けられる責任とか、居心地の悪さとか、その時感じていたストレスみたいなのをぶつけて、泣いて喚いて駄々をこねた。
「母さんだって、悪いとこあるじゃん!」
子供にとっての親っていうのは絶対的な存在に見える。
母親だって”不完全で”、”正しく生きたい”一人の人間として捉えることができない。自分よりはるかに強くて、正しいはずの存在だと思っているから、その母親の中にアラを見つけると、自分の非を認めるより先に集中攻撃した。
腕相撲をした日
小6のある日も、僕と母は口論になった。理由は忘れたけど、その時の僕は自分の気持ちを爆発させるのに精一杯だった。自分の弱さを訴えるように母にぶつかり、ヒステリックに泣き叫ぶと、しまいには母も泣き出した。
しばらく経ち、僕が怒るのにも泣き叫ぶのにも疲れて嗚咽をあげていると、母は静かな声で「お外に散歩に行こう」と言った。
僕が泣いて気持ちが収まらない時は、母はよく僕を散歩に連れ出した。(このせいで僕は今でも気持ちが落ち着かないとよく散歩をする。)
母と僕は一度大きく深呼吸をしてから、立ち上がって散歩に出かけた。しばらく言葉を交わさないまま外を歩いていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきてた。僕たちは無言のまま家の周辺をぐるっと廻って、また部屋に戻った。
涙も止まって、平常心を取り戻した僕に母は「ごめんね。」と言った。僕も「ごめんね」と返す。
それから母は急にこんなことを言い出した。
「腕相撲をしよう。」
僕は戸惑った。
「腕相撲?なんで腕相撲なの?」と言うと、「いいから。いいから。本気でやってね。」と母。
小6の頃の僕の身長は母より15cmも小さかったし、母親に力で勝てるなんて思ったことがなかった。
部屋の床に寝そべって、手を組んだ。
「よーいどん」
合図と同時に僕は思いっきり力を入れた。ぎゅっと右手の甲を巻いて、全身の力を振り絞った。
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しかし、僕が思っていたよりも母からの手応えがない。
さては手加減してるなと思って「ねえ!ちゃんとやってよ。」と言って顔をあげたが、母の表情は本気だった。
「ち..ちゃんとやってるよ。」母は声を絞り出して言う。
僕が力を入れれば入れるほど、母の腕はプルプルと震え、少しずつ左に倒れていく。
もう一捻りすれば、僕は勝ってしまいそうだった。
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僕はその時、急に気づいた。
今まで自分より強い存在とばかり思い込んでいた母が、そんなに強くないってこと。
知らない間に僕の体は成長していて、母よりも力が強くなっていたこと。
その時の感情を説明しろって言われても難しい。頼ってきた母が弱くなってしまった虚しさとか、自分がもう甘える立場じゃないってことに気づかされた驚きとか。
そんな複雑な気持ちが絡み合って、さっき枯れるほど泣いたはずの僕の眼から大粒の涙が溢れてきた。目をつむるとその涙は両頰を伝わり、床にぽとぽと落ちた。
僕は力が抜けてしまった。気がつくと母も力をなくしていて、震える声でこう言った。
「たいとはもう弱くなんかないんだよ。もう母さんより強いんだよ。」
涙が止まらなくなった。でも左手でなんども顔を拭って歯を食いしばった。泣いてちゃダメだ。
「強くならなきゃいけないんだ。」はじめてそう思った。
母がくれた言葉
母はいつも僕の人生の重要なタイミングで大事な言葉をくれる。
さっきも言った通り、僕が12の時から親元を離れて宮崎の中学校に入ってからは、家が広島に引っ越したので、ほとんど母親と過ごす時間がなかった。
参観日にも来なかったし、夏休みだって県内の友達の家に何度もお世話になった。
自由放任主義で、お互いに干渉しない関係なんだけど、親っていうのは不思議なもんで僕のことをよく分かってくれていたように思う。
中学3年のある時期、僕は寮生活での人間関係が上手くいかなくて本当に嫌になった。そいつのせいで、学校生活も寮生活も全部が耐えられなくて、本当にどこにも逃げ場がなかった。先生とかに相談なんてしたら負けだと思ってたし、親なんてもってのほかだった。
そんな時、母親から手紙が届いた。
お世辞にも綺麗とは言えない母の字には、僕と同じように人間関係に悩んで、それと向き合う母の強さと優しさが滲み出ていた。
人間の不完全さを受け入れて、前向きに生きなきゃいけない。そんな母の想いが伝わってきて、僕はこの手紙を読んだ時、人影に隠れて、また泣いた。
人は「許す」ことができた時に成長すると思うよ
本当にそうだと思う。母は人を許す天才だった。
そういえば、いつだって母は先に「ごめんね」が言えたし、許すことができた。
許すことも強さなんだ。
そんなことを教えてもらった。
人間関係で辛くなった時、人に裏切られた時、僕はこの手紙を見返す。忘れてはいけないことがある気がするから。たぶん、これからどんなことがあっても、僕は人を許そうとするし、許すと思う。
今、改めて読み返してみると、当時流行ってた小島よしおのセリフが混ざっているところも母らしいと思った。
母は綺麗ごとに聞こえてしまいそうな大事なことを伝える時に、ちょっとふざけてバランスを取ろうとする。思えば僕もよくやってしまう手法だ。親子っていうのは本当に不思議なもんで。
僕は強くなれているのかな
僕が2度目のアメリカ留学を始める前、実家に帰って母と話す機会があった。
今まで話して来なかったいろんな話をした。当時は小っ恥ずかしくて話せなかった恋愛の話、友達の話、旅の話、夢の話。
正直、不安定でガタガタ道の人生を歩む自分が、母にどう映っていたのか分からない。23歳にもなってまともに親孝行なんてできてない。
「自由に生きさせてもらった分、必ず恩返しする。」
僕はそう母に誓った。すると母は、
「親は子供に与えるもんだよ。あなたはあなたの周りに与えなさい。」
と言った。
母にはいつまでたっても敵わない。
でも僕は絶対に恩返ししてやると決めた。そして、また「強くならなきゃいけないんだ」と思った。
母の日なので、母との思い出を振り返ってみた。
もし最近母親と連絡してないなぁっていう人がいたら、自分のお母さんに「ありがとう」って言ってみて欲しい。恥ずかしかったら、LINEのスタンプ「ぽん!」でも何でもいんじゃないかな。なんて言われるか分かんないけど、そこでまた新しいコミュニケーションが生まれると思うし。
そう言えば、まだ言ってなかったや。
母さん、いつもありがとう。
〜母の日によせて〜 勝俣泰斗
追記
久々に実家に帰った時にこんなことがあった。母は実家の猫に囲まれてパソコンの前にいた。
僕「母さんパソコン買ったんだ。なにしてんの?」
母「ブログ書いてる」
僕「え!?ブログ?」
母「そう。うちの猫たちとの生活をブログにしてるの。」
僕「母さん。ブロガーなの?笑」
母「そうよ。」
ってことで、母もブログやってるみたいです。仲間だったとは! いや、ライバルか!?
それにしても親子って不思議なもんだよ笑
ってことで紹介しときます。
▼母のゆるすぎるブログはこちら
▼この記事を書いたのは