2007/10/14
今朝(10/14)の聖教新聞寸鉄欄を見て驚いた。
御聖訓『仏法は皆 師より習い伝へり』。
師匠の指導通りに戦い進む門下たれ。
この御文は『妙密上人御消息(P1240)』にありますが、意味するところがまったく逆です。
もしかして、お気の毒にも寸鉄氏は御文の意味が理解出来ないのでしょうか・・・
他宗の人師・論師は【師から習い伝えているが、日蓮は違う】
【御本仏の慈悲心が直接、日蓮の身に入ったからこそ唱題行を起こすことができたのだ】
【聖人とは師匠を持たずとも、胸中の仏を師匠として、なすべきことを行う人である】
賢人たらんとする者は【良き師を選んで、良き教えを伝えよ】
※以下、原文参照
当に知るべし。仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか。又それ他人の弘めさせ給ふ仏法は皆師より習ひ伝へ給へり。(中略)賢人と申すはよき師より伝へたる人。聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり。
仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり。所謂天台伝教の二人なり。此の二人をば聖人とも云うべし、又賢人とも云うべし。
天台大師は南岳に伝えたり。是は賢人なり。道場にして自解仏乗し給いぬ。又聖人なり。
伝教大師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたり。これは賢人なり。入唐已前に日本国にして真言・止観の二宗を師なくしてさとり極め、天台宗の智慧を以て六宗七宗に勝れたりと心得給いしは是れ聖人なり。(中略)
夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり。天台伝教の二人は聖賢に通ずべし。馬鳴竜樹無著天親等老子孔子等は或は小乗、或は権大乗、或は外典の聖賢なり。法華経の聖賢には非ず。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あっ、そうか。
池田仏法は『他人の弘めさせ給ふ仏法』であったか。
ならば、大聖人の血脈などあろう筈がないわな・・・納得
【蛇足】
この御書の文頭に
『如来世に出で給いては生をあわれむを本とす』とあります。
私共仏教徒は、生きることの苦楽を噛みしめねばなりません。
この御文を4面座談会の出席者と罵詈活諸氏に謹んで捧げます。
願わくば、諸氏・諸兄が正道に立ち戻られんことを祈る。
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