カメキチの目
『面白くて…』があまりにおもしろく、引き続き著者の稲垣さんのものを読みました。こんどのは『弱者の戦略』といいます。
「弱者」というのは生物の世界での「天敵」(「強者」)との関係において、弱い立場にあるということです。
どの項目もたいへんおもしろかったのですが、いちばん最後の章「強者の力を利用する」というのだけ書いてみます(ここも二つあります)。
一つは「共生関係」ということです。
人間は他の生物とも、お互い同士も仲よくしないといつまでも種として存続できないと思う。
人間の場合は「生物の頂点」といわれているので「天敵」は地球にはいないのかもしれないですが、「天敵」という生物はいなくても、何がそれに当たるかわかりません。
① 共生関係
アリとアリマキ(アブラムシ)のことはよく聞く。
聞くだけでなく自分の目で確かめたくて、道ばたで観察したことがあります。
(初夏のころ。道ばたの溝《川》の土手などに草むらがあると、葉っぱについたアリとアリマキの集団を見かけます。上図の灰色は道路、緑は草、水色は溝です)
・外からは(つまり表面だけみれば)アリがアリマキを飼っているようにみえる。アリが「支配者」のようにみえる。
・アリマキは天敵が多いので、アリに守ってもらい(アリはさしづめ「用心棒」)、代わりに(お礼に)蜜をあげている(さしづめ、密が「雇い銭」か)。
そこをみれば、アリマキがアリを利用しているようにもみえる。アリマキのほうが「主人」にみえる。
みる(観察する)立場が変われば、みかたも変わるのだ。
「アリとアリマキ」の場合は私たち人間には何の利害関係にないので、どっちでも構いませんが。
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「アリとアリマキ」の関係は、人間とペットや家畜との関係にも似ていると著者は書く。
私にはこの話は初めてで、驚きました(まさに「目から鱗」!)。
著者はあくまでも、「生物」としての人間と、「生物」としてのペットであるイヌ・ネコ…、家畜であるウシ・ウマ・ヒツジ・ヤギ・ブタ・ニワトリ…などの関係をいう。
つまり、生きもの次元の問題としてみれば…ということ。
‐生物の目的‐
地球上に多種多様な生き物がいるのは、「生き抜く」「生き続ける」のが目的(種の存続)である。
そのために、生物は「多種多様」なあり方をしています。
裏がえしていえば、「多種多様」であらざるをえない。
ここらのことが本には「弱者の戦略」(①逃げる②隠れる③ズレるという戦略)ということで具体的に述べられており、とてもおもしろかったです。
「強・弱」ということはあくまでも相対的な概念→天敵との関係で、彼らに食われるがゆえに「弱い」ということ。Bという生物はAという生きものに対しては天敵であるがゆえにAよりは「強い」ということ。
ペットのことではイヌのことが書かれていた。
「飼い犬の戦略」ということで、著者は述べる。
【引用】
「人に従順な犬は、もともとオオカミの仲間を飼い馴らしたものである。オオカミは群れを作って行動する。リーダーや順位の上位の強いオオカミは、攻撃的である。しかし、順位の低いオオカミは、従順でおとなしい。そんな弱いオオカミが、現在の飼い犬の祖先なのである」
「人間がオオカミを飼い馴らした」という話には謎が多い。…
最近の研究では、人間が犬を必要としたのではなく、犬の方から人間を求めて寄り添ってきたと考えられている。…
人間に近づき、食べ残しをあさるようになったのではないかと考えられているのである」
家畜のことでは、「人間を利用した家畜」ということで、
【引用】
「現在、人間が家畜として利用している動物の中には、自然界では弱い存在である生き物も少なくない。
ウマも犬と同じように群れを作る動物である。そのため、犬と同じように、コミュニケーションを取ったり、リーダーに従順に従う能力に長けている。その能力が家畜として適しているのである。
…弱いオスも子孫を残すことができる。弱いオスのウマにとって、人間は利用価値の高い存在なのだ。ウマは人間と暮らしていれば、肉食獣に襲われることは少ない。家畜になることは、身を守る上でも有効な手段なのである」
「ヤギやヒツジ…
まさかこんなにこき使われるとは思わなかっただろうが、今や世界中にどれだけの数の家畜がいるかを考えれば、分布を広げ、個体数を増やすという生物の目的から見て、彼らは間違いなく成功者であると言えるだろう」
と述べられる。
本のいちばんいちばん最後の「あとがき」には、西洋のことわざが書かれていた。
「一番強い者は、自分の弱さを忘れない者だ」
いま、人間は「自分の弱さ」を忘れようとしている。「自分の弱さ」を忘れ、
生物としての人間を超えようとしている。
「人間」は何に、どう、なろうとしているのでしょうか。
人類の夢、不老不死。
いつの日か、生きもの」だから「不死」は免れなくとも、大幅に延ばせられるかもしれない。「不老」は夢ではなくなるかもしれない。
(でも死なないとなると、もはや「生きもの」とはいわないでしょうね)