磁場刺激による脳操作の歴史
頭に磁場を発生するコイルを当てて(冒頭の写真参照)脳内に磁場照射を繰り返し与えると、脳神経を刺激して様々な神経疾患に利用できることが明らかになっています。もともと、電流のような物理的刺激を使って脳の機能を変える治療は、いわゆる電気ショック療法と呼ばれて1930年代ぐらいから行われてきました。驚くことに、症例によってはこのような治療が現在も行われています。ただ、ショックとか電撃療法という名前から分かるように、患者さんへの負担は大きすぎます。
これを改善するために1980年代から開発されたのが今日話題にする磁場による刺激法、経頭蓋磁場刺激(Transcranial magnetic stimulation:TMS)法です。様々な間隔で磁場を脳内に照射するのですが、例えば運動領域への照射で手や足を動かすことができる、すなわち運動を支配している神経を刺激できることがわかりました。
このように神経を頭蓋の外から刺激できることがわかったこと、そして興奮だけでなく電波の当て方を変えると特定の脳機能を抑制することもできることがわかってきました。これと並行して、動物実験による基礎研究も進んで、今や様々な神経系の病気に利用できないか探る段階に入っています。中でも、うつ病の治療については特に期待が高く、医療機器として認可をうけ、治療に使われるようになっています。
TMSのメカニズム
磁場を照射して電流を発生させるといっても、特定の神経細胞を狙い撃ちできません。ただ、磁場を一定間隔で与え続けることで、特定の性質を持った神経細胞の集団を選択的に変化させられることが動物実験からわかってきました。すなわち、記憶として知られる長期的変化とよく似た状態をTMSは起こすことができるのです。これまでの研究でTMSは大きくわけて、1)神経同士の結合(シナプス)の伝達性を長期的に変化させる、2)神経増殖因子を分泌させる、3)神経細胞を増殖させる、の3種類の過程に働いていると考えられています。
この結果、海馬に照射することで記憶を高めたり、皮質に照射して運動能力を高める効果があることが人間でも示され、新しいドーピングにつながるのではないかと警告を発する人すら出てきています。
TMSによるうつ病の治療
以上紹介したように、TMSは比較的患者さんへの侵襲が少ないことから、脳卒中、パーキンソン病、アルツハイマー病、自閉症、耳鳴り、統合失調症、うつ病など様々な病気に試されています。これらの病気の中で最も早くから取り組みが始まり、大規模な臨床試験で効果が確認されているのがうつ病です。
2010年にArchives of General Psychiatryに発表された論文によると(George et al, Arch Gen Psychiatry. 2010;67(5):507-516)、毎日40分程度の照射で、15%の患者さんが治るようです。この結果を受け、FDAもうつ病に対する治療法としてTMSを認可しました。わが国でも健康保険ではカバーはされていないと思いますが、昨年に薬事承認が下りており、一部の医療機関ではうつ病の治療に利用し始めているようです。
普及のための問題
TMSにも、もちろん副作用はあります。頻度の高いのが、頭痛、頭皮の違和感、顔面筋の痙攣、立ちくらみなどですが、治療を中断するほどではないことがわかっています。現在利用できるうつ病の薬を使っても治療が簡単でないことを考えると、副作用の少ないこの治療をもっと普及させればいいのではと誰しも考えます。しかし、この方法には普及を妨げる、一人の治療時間が長いというハードルがあるのです。
現在認可されている10Hzの間隔で行う照射法では1日37.5分の照射時間が必要で、準備も入れると一人の患者さんに45分も照射装置が占有されることになります。しかも照射は毎日必要です。とすると、1台の機械で治療できる患者さんの数は10人がやっとだと思います。このため、効果が確認されていても、普及が阻まれてきました。
新しい照射法の臨床試験
照射時間の問題を解決するために開発されたのがθバースト照射(TBS)と呼ばれる方法で、高頻度のパルスを使うため照射が3分ですみます。すでに、小規模試験ではTMSと同じ効果が確認されており、あとは大規模な臨床試験が待たれていました。この臨床試験結果が、カナダ・トロントにあるCenter for Addiction and Mental Healthから4月28日発行の英国の医学雑誌The Lancetに発表されたので(Blumberger et al, Effectiveness of theta burst versus high frequency repetitive transcranial magnetic stimulation in patient with depression: a randomized non-inferiority trial(うつ病患者さんに対するtheta burst法と高頻度反復性経頭蓋磁気刺激法の比較:無作為化非劣勢試験)The Lancet, 396:1683, 2018)、是非紹介したいと思います。
今回対象に選ばれた患者さんたちはハミルトン尺度と呼ばれる自己申告に基づくうつ病診断スコアが18以上で、一般の抗うつ剤による治療の効果が見られなかった患者さん414名が選ばれています。患者さんは全くランダムに、FDAが認可したTMS法と、新しいTBSに振り分けられ、いずれも週5日照射を4週間続けて受けておられます。おわかりのように、この試験ではTBSの治療効果を確かめるというより、2種類の方法を比較するための試験と言えます。
詳細を全て省いて結論に行くと、いずれの治療法も驚くべき効果を示したと言えます。ともにほぼ半数に効果がみられ、なんと3割が治っています。ハミルトン指標も平均値で最初の24程度から、14程度に低下し、少なくとも効果は1週間続いているようです。これまで抗うつ病治療を続けていた患者さんであることを考えると、素晴らしい結果と言っていいでしょう。
さらにこの臨床試験の目的、従来のTMSとTBSの比較についても、期待通り効果に全く差がないという結果が出ています。これは大きな進歩で、TBSが3分の照射で済むことを考えると、一台の機械で治療を受けられる人数は10倍近くに増やすことができます。もちろんいいことづくめだけではありません。すでに紹介しましたように、頭痛が65%の人で起こるなど、副作用も間違いなくおこります。副作用についても両方の治療で大きな差はなく、4週間の治療期間でドロップアウトする患者さんはいなかったようです。この意味で、なんとか耐えられるレベルの副作用と考えていいように思います。
感想と展望
うつ病患者さんは我が国で100万人を超えたと言われていますが、治療は一筋縄ではいかず、しかも常に自殺の危険を伴う、21世紀の医学が取り組まなければならない重要な課題です。そのことを考えると、今回の臨床試験論文は重要だと思います。さらに長期の経過報告を是非発表してほしいと期待しています。
うつ病治療についての最近のもう一つのトピックスは、麻酔剤ケタミンの高い治療効果の発見です。基礎研究からケタミンとTMSには共通の標的過程があることがわかっており、共に新しい治療方向を示してくれているように思えます。私はこの分野の素人ですが、ケタミン、TMS、TBSが加わり、うつ病の治療がいま大きく変わろうとしている予感を感じ、この方向の臨床研究の進展に大きな期待を寄せています。