三審制の裁判で確定した判決の重みは言うまでもありませんが、歴史はまた、その判決に誤りがありうることを教えています。冤罪(えんざい)なら速やかな救済を。
大阪高裁が昨年十二月に再審開始を決定した滋賀県の「呼吸器事件」について、日弁連は先月、冤罪と判断して再審請求支援事件に指定しました。
殺人犯として服役していた当時から、いわば孤立無援の状態で冤罪を訴えてきた元看護助手、西山美香さんに、ようやく法曹界の一極から組織的な支援が行われることになったわけです。
◆重すぎる再審の扉
人工呼吸器のチューブを外し、植物状態で入院していた七十二歳の患者を殺害した、として懲役十二年の判決が確定した裁判のやり直しを求めている事件です。
二度目の再審請求が大津地裁で退けられた後、大阪高裁は、医師の意見書を新証拠として死因を再検討し、確定判決が認定した低酸素状態ではなく致死性不整脈、つまり自然死だった可能性が強まったとして再審を認めました。
要するに、自分たちの判断に誤りがあったかもしれない、と裁判所が言いだしたのです。よほどのことと考えるのが普通でしょう。
ところが、裁判のやり直しを検察側が拒み、最高裁に特別抗告してしまいました。
そもそも殺人事件ではなかったのではないか、とまで裁判所は言っているのです。そこまで冤罪の疑いが強まっても、なお、再審の扉は開かぬよう国の機関に抑え付けられる。なるほど、日弁連の支援も必要になるわけです。
理不尽とも言いたくなる扉の重さは、呼吸器事件ばかりではありません。
福岡高裁宮崎支部は先月、鹿児島県大崎町で一九七九年、男性の遺体が見つかった「大崎事件」の再審を認める決定をしました。
◆相次ぐ検察官抗告
殺人罪に問われた義理の姉、原口アヤ子さんは一貫して無実を訴えてきましたが、懲役十年が確定し、服役しました。客観証拠はほとんどなく、共犯者とされた知的障害のある親族の自白が有罪の決め手とされました。
その後、二〇〇二年に鹿児島地裁が再審開始を決定。その決定は〇四年に高裁宮崎支部で取り消されましたが、昨年六月、地裁が再度、再審開始を決定。高裁支部が検察の即時抗告を退け、都合三度目の再審決定となったのです。
三度です。確定判決は崩壊したというほかありません。それでも検察は再審を拒み、最高裁に特別抗告しました。
熊本県松橋(まつばせ)町(現在は宇城市)で八五年、男性が殺害された「松橋事件」でも昨年十一月、熊本地裁に続いて福岡高裁も再審を認める決定をしました。
犯行を“自白”した宮田浩喜さんは懲役十三年の判決が確定し、服役。再審決定の決め手となった新証拠は、熊本地検の倉庫に眠っていた未開示証拠の中から見つかりました。例えば、自白では、犯行後に焼き捨てたことになっているシャツの左袖部分が出てきて、開示されていた残りの部分とぴたりとつながったのです。つまり、検察側の「証拠隠し」さえ疑われる展開となっているのです。
それでも検察は二度目の再審決定も受け入れず、やはり、最高裁に特別抗告したのです。
検察には検察の考え方があることも、確定判決の重さも分かります。でも、冤罪の疑いが浮上しても検察官抗告を重ねることが法の正義なのでしょうか。
裁判は三審制が大原則であり、再審への道は「ラクダが針の穴を通るより難しい」といわれてきました。聖書に由来する言葉です。
公開の法廷で審理される通常の裁判とは違い、再審請求審は非公開で進められます。その進め方も裁判官の裁量に委ねられ、ばらつきも大きいのが実情です。
法治国家が、冤罪という究極の人権侵害の救済を現場の運用や裁量に任せたままでよいはずがありません。法律を整備してルールを明確にする必要があります。例えば、検察官の抗告を認めるか、否か。あるいは、確定判決までの審理では開示されなかった検察側の手持ち証拠の扱い。
◆市民の目を生かせ
裁判員裁判の時代を迎え、通常の裁判では証拠リストが弁護側に開示されることになりました。
公権力が公費を使って集めた証拠です。再審請求審でも、全面的に開示されてしかるべきです。
密室審理も、そのままでいいはずがありません。殺人罪など、現在であれば裁判員裁判の対象となる重大事件なら、再審請求審にも市民の目を生かす裁判員方式を採用すべきではないでしょうか。
冤罪なら、救済の躊躇(ちゅうちょ)は許されません。「針の穴」のままにしておくわけにはいきません。
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