到底許される行為ではもちろんないが、家族を一方的に責め立てるだけでは問題の解決にはつながるまい。相次ぐ精神障害者の監禁事件は問うている。社会の偏見が家族を追い込んではいないか。
近代日本の精神医学の基礎を築いた呉秀三が、私宅の座敷牢(ざしきろう)に閉じ込められた精神障害者の悲惨さを告発したのは一九一八年。病気に加え、国の無為無策という“二重の不幸”に苦しめられていると痛烈に批判した。
それからちょうど百年。いまだに往時を連想させる事件が表面化する現実に愕然(がくぜん)とさせられる。
去る一月に兵庫県三田市で、精神疾患のある四十二歳の男性が自宅の檻(おり)の中に閉じ込められているのが見つかり、先週、父親が逮捕された。監禁はおよそ二十五年に及ぶ疑いがあるという。
昨年十二月には大阪府寝屋川市で、統合失調症と診断されていた三十三歳の女性が自宅の小部屋で衰弱の末に凍死した。両親は監禁と保護責任者遺棄致死の罪に問われている。およそ二十年間閉じ込めていたとの見方がある。
三田事件の父親は二十年以上前に三田市に相談していた。男性は障害者手帳を持っていた。寝屋川事件の両親は二〇〇一年に女性を受診させていた。それを元に障害年金を受け取ってもいた。
福祉であれ、医療であれ、接点はあった。にもかかわらず、なぜ途切れてしまったのか。
精神障害のある人の家族でつくる全国精神保健福祉会連合会の最新の調査では、信頼して相談できる専門家は「いない」との答えがほぼ三分の一に上っている。
暴れたり、叫んだりする症状に困り果て、近隣とのトラブルも心配する家族は多い。二つの事件の親もそう感じていたらしい。
手を差し伸べるべき側の待ちの姿勢が、結果として家族の不信と諦めを招いていないか。地域の差別的なまなざしが、家族を孤立させてしまう面もあるだろう。
気分障害や統合失調症、認知症といった精神疾患のある人は増える傾向にある。すでに四年前に三百九十二万人を上回っている。インターネットに依存したゲーム障害も問題化している。
患者と家族だけに負担と責任を押し付けるような仕組みでは、座敷牢事件は後を絶たないだろう。
支え合う社会へ向けて、例えば義務教育段階から病気の正しい知識と対処法を学ぶべきだ。そうしてこそ精神障害者への偏見、差別の解消にもつながるに違いない。
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