大相撲の「土俵に女性は上がれない」というしきたりを巡り、女性差別ではないかという出来事が続いた。この問題は以前から角界にくすぶっている。どうすべきか、よく考えてほしい問題である。
男女平等は、今や社会全体で共有する揺るぎない価値観である。日本相撲協会は、大相撲が「神事であり伝統」と言うのなら、それを後世に受け継ぐためにも社会に迎えられるあり方を検討する勇気がほしい。
今月四日、京都府舞鶴市の大相撲春巡業で、倒れた市長を助けようとした女性に土俵から下りるよう求める場内放送があった。土俵は「女人禁制」とのしきたりがあるからだ。
協会は不適切な対応だったことを認め謝罪した。人命が大切との判断は当然である。
二日後の巡業地、兵庫県宝塚市で女性市長があいさつで土俵に立ちたいと要望したが、協会は認めなかった。
理解に苦しむのは、八日に静岡市で開催された巡業で、力士が小学生たちに稽古をつける「ちびっこ相撲」で女子児童の参加が認められなかったことだ。協会は「女子の安全面を考慮した」というが、開催直前になって不参加とした理由としては違和感がある。
参加予定だった女子児童にも憧れの力士に稽古をつけてもらう夢があったろう。「私もやりたかった」との思いは切ない。ファンを大切にする姿勢からも離れる。
大相撲は神事につながる独特な世界観を持つ。それに魅力を感じるファンもいる。「女人禁制」も「女性は不浄」といった神事に関連する考え方があるようだ。
これらを理由に、一九九〇年には女性初の官房長官となった森山真弓氏が、二〇〇〇年には大阪府知事となった太田房江氏が表彰式で土俵に上がることを拒まれた。
伝統、慣例をはなから否定はしない。だが、時代が変わりゆくことも事実である。
スポーツとしてのアマチュア相撲は女子選手も参加できる。東京五輪・パラリンピックのゴルフ競技会場に決まったゴルフ場が女性会員を認めていないことを国際オリンピック委員会(IOC)の指摘で、受け入れを決めた例もある。
社会に目を転じれば、女性の社会進出は確実に進んでいる。
協会は、まず伝統の意義を積極的に語る責任がある。伝統を守るためだと言って伝統に縛られてしまっていては、かえって守ることにつながらないのではないか。
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