「麻婆豆腐は、カレーですか?」
突然、そんなことを聞かれたら、どんな風に答えたらいいのだろうか? まず、質問の意味がわからず、キョトンとなるはずだ。
つい最近、とある人気長寿料理番組に出させていただいた。収録の前日、ディレクターからメールがあった。どうやら、アナウンサーの男性はカレーが大好きで、ものすごく盛り上がっているという。うれしいことである。メールの文面にはこう書いてあった。
「アナウンサーが張り切っていて、『僕は、麻婆豆腐はカレーだと思っている。そのことについて水野さんの意見を聞きたい』と言ってます。ま、ともかく、明日はよろしくお願いします!」
ま、ともかく……、ではない。そんなメールを受け取ったら、「ともかく」とか「さておき」とか言いながら、収録を頑張れるほど僕には余裕がない。前夜に困ってしまった。
ある料理がカレーなのかカレーじゃないのかを気にする人は、たまにいる。どこからどこまでがカレーなんですか?みたいな質問もたまに受ける。難しい問題だが、作った人がカレーだと言えばカレーであり、食べた人がカレーじゃないと言えばカレーではなくなる。これが僕の答えだ。ごめん、なんの答えにもなっていないね。
久しぶりにこの難問を頭に巡らせながらスパゲティ・ミートソースを作った。細かく切った香味野菜を油で炒め、ひき肉を加えて表面全体がこんがりと色づくまで炒めていく。油脂分が肉の表面に滲みでてきて、キラキラ、ツヤツヤとし始めてくるのを見て、ふと頭に浮かんだことがある。
これって、まるでキーマカレーみたいじゃないか。
おもむろに僕はクミンとコリアンダーのパウダーを手にし、まあまあドッサリと鍋に加えた。クミンとコリアンダーといえば、カレーをカレーたらしめている最重要スパイスのツートップと言っていい。どんな料理でもカレーに変身させてしまうコンビだと言い換えてもいい。俄然、調子が上がってきてしまった僕は、予定通りに赤ワインとトマトピューレを加えて煮詰め、ソースを完成させた。
鍋に鼻を突っ込むようにして香りを確かめる。が、不思議なことに、キーマカレーのような香りは漂ってこない。まあまあな量のスパイスを入れたはずなのに、ほんのりとカレーが香る程度なのだ。
スパゲティを茹でて絡め、パセリのみじん切りをどっさりと添える。お子様定食みたいなものに添えられたミートソースではなく、酒のつまみにでもできそうな、刺激的なミートソースができあがった。味見をしてみたところ、普通においしいスパゲッティ・ミートソースである。
おかしいな、あのクミンとコリアンダーはいったいどこへ行ってしまったのだろう。ちょっとスパークリングウォーターが飲みたくなってコンビニへ出かけ、再び戻ってきて僕は「おっ」と小さな声を上げてしまった。ミートソースを作ったはずのキッチンには立派にカレーの香りが立ち込めていたからだ。
作っている自分は鼻が慣れてしまって気づかないだけなのだろう。器に盛り、食べてくれる人に差し出せば、きっとこんな反応が待っているはず。
「お、いいねぇ、カレースパゲティですか!」
件の番組の収録がスタートする前に、アナウンサーと雑談する時間があった。とても感じがよくノリもいい方で、楽しくカレー話をしていると、ふと、あの質問が飛んできた。
「僕は麻婆豆腐はカレーだと思っているんですけれど、水野さんはどう思いますか?」
これまでの会話が、まるでこの質問をするための前菜であったかのような切り込み方だった。
「麻婆豆腐は、麻婆豆腐ですよ」
僕は、事前に準備しておいた“模範回答”を口にした。優しい口調で愛を持って、にこやかに。「ですよね」みたいな反応をして、ふたりで笑った。次に彼と会う機会があったら、僕の方から言ってみたいと思う。
「麻婆豆腐はやっぱり麻婆豆腐ですけどね、ミートソースはカレーかもしれません」
彼は「ですよね」と笑ってくれるだろうか。
◆大人のスパゲティ・ミートソース
【材料・4人分】
オリーブ油 大さじ3
ニンニク(みじん切り) 1片
セロリ(みじん切り) 1/2本(60g)
タマネギ(みじん切り) 1/2個(100g)
塩 小さじ1
牛ひき肉 400g
クミンパウダー 大さじ1
コリアンダーパウダー 大さじ1
赤ワイン 200ml
トマトピューレ 150ml(ホールトマトなら400g)
スパゲティ 人数分
パセリ(みじん切り) 適量
【作り方】
フライパンに油を熱し、にんにく、セロリ、玉ねぎを加えて中火で10分ほど炒める。牛ひき肉を加え火が通るまで炒める。塩、クミンとコリアンダーを加えてさっと炒め合わせる。赤ワインを注いで強火で煮立て、トマトピューレを加えて中火にし、ふたを開けたまま15分ほど煮詰める。スパゲティを茹でて絡め合わせ、器に盛ってパセリを添える。