イタリアの山の上にある、人のいなくなった集落ログーディ・ベッキオ。そこはある意味、ギリシャの遺跡と言っていいかもしれない。
ただし、そこにアポロ神殿や人物の描かれた壺はない。アスプロモンテ山地に抱かれたログーディ・ベッキオは、11世紀に建設された集落で、元住民たちのルーツは古代までさかのぼることができる。(参考記事:「40年間、時が止まったままのゴーストタウン キプロス島バローシャ」)
ログーディ・ベッキオのあるカラブリア州は、ブーツのような形をしたイタリアのつま先に位置する。紀元前8世紀、ギリシャ人が入植し始めたとき、カラブリアはその足がかりとなった。ギリシャ人たちはカラブリアをイタロイと呼び、これがイタリアの語源となった。
それから数世紀の間、ギリシャの移民たちが南イタリアに押し寄せた。そのたびに、ギリシャ語を話す少数民族が復活し、すでに消滅していた言語が再びもたらされた。カラブリア州には今でも、ギリシャ語を話す人が数千人暮らしている。
新ログーディと旧ログーディ
イタリアのギリシャ語方言はグリコと呼ばれる。この方言を聞くことができる村のひとつが、ログーディ・ヌオーボだ。ログーディ・ヌオーボは、「新ログーディ」という意味で、カラブリア州最大の都市レッジョ・ディ・カラブリアから、イオニア海沿いを南下した平野部にある。
ログーディ・ヌオーボは、「旧ログーディ」を意味するログーディ・ベッキオの人々が建設した町だ。両者の違いは明白。「ログーディ・ヌオーボ(新ログーディ)には人が住んでいて、「ログーディ・ベッキオ(旧ログーディ)はゴーストタウンだ。(参考記事:「【動画】湖底に沈んだゴーストタウンが出現」)
2つの町は20キロも離れていないが、両者をつなぐのはアスプロモンテ国立公園の荒野を貫く悪路のみ。一帯はカラブリア州で暗躍する犯罪組織ンドランゲタ(語源はギリシャ語で「男らしさ」を意味するアンドラガチア)の活動拠点と考えられている。その影響もあり、アスプロモンテは観光地としての開発が進んでいない。
メッツォジョールノ(イタリア語で「正午」の意味)の俗称を持つ南イタリアの大部分がそうであるように、カラブリアの経済は北イタリアに遅れを取っており、住民の流出が止まらない状況だ。ログーディ・ベッキオは極端な例だが、ほかのコミュニティーでも人口が減少している。
アスプロモンテの一部では、過剰な伐採の影響で、斜面の浸食が進んでいる。さらに、カラブリアの気候が追い打ちをかけている。夏は非常に乾燥し、冬はたびたび豪雨に見舞われ、大洪水が起きることもある。1970年代前半には、壊滅的な洪水が発生し、ログーディ・ベッキオは居住不能となった。ほぼすべての住民が村を離れ、1000年の歴史を持つ集落の抜け殻が残された。(参考記事:「ミシシッピ文化、カホキアは洪水で衰退」)
ヨーロッパ大陸が地中海にせり出しているカラブリアは、今も移民たちの玄関口であり、観光が主要産業のひとつになっている。