浦島太郎の夢(あめ)
「
嘘をつくと老ける
嘘がないとわかがえる 」
(・・;)
「
わかい人 老けない人は
嘘をつかない人
でも
嘘つかないと
出世できない
世界では
だから
出世と引き換えに
若さを失う 」
(・・;)
「
うそつきは
若返るために
ピュアな人の気が欲しい 」(Pちゃんのことば)
あめを見ました
数十年以上昔
いやもっと昔から
世界の支配層たちの系譜が
いくつかの種族の人たちをターゲットに
セレブ運や 財運
有名運をのせているのが視えました
特に2000年から2020年の破壊の時期には
誕生日や骨型を目じるしに
徹底的に栄耀栄華の現実をのせこむ運をのせようとしていました
でも
支配層の末端の部下たちは
自分よりも序列の低い系譜に
様々な成功運が乗せられてることに気づくと
無意識的に
様々な技法を駆使し
強引に運を剥ぎ
現実を得ていきました
破壊の時期
栄華な暮らしを送るはずだった人々は
日の目を見ない状況に追い込まれていきました
「
快楽と 苦痛の量は
ほぼ同じ
何を快楽と感じるか
何を苦痛と感じるかは
存在によって違うが
終局的には
必ず 引き合うようになっている
息を吸って 吐くのと同じ
生き続ける限り
快楽と苦痛は
必ず
引き合うようになる
快楽を奪われ続けたものは
必ず 別な快楽を得ることになる
」
そんな言葉が聞こえた後
女性たちの姿を見ました
セレブになる運をのせられたのに
その現実を奪われ 心も踏みにじられ続けた女性たち
彼女らは
今 少しづつ若返っているようでした
逆に
セレブ運を運ばせ
現実にセレブになった女性たちは
座も権力も富や名誉も手に入れているのに
激しく
若さと寿命に執着してる様子も見えました
でも不思議なことが起こっていました
現実のセレブたちが
若さと寿命に執着すればするほど
セレブ運を奪われた女性たちに
若返りのような現象が起こっていくのです
下働きをしながら
ひきこもりながら
社会の底辺
枠外に追いやられた人たちほど
どんどん若返っていってるようでした
セレブたちが若返りを激しく望めば望むほど
セレブ運を奪われた女性たちが若返っている
一体どうして?
なぜなんだろう?
そう想っていると
こんな言葉が聞こえてきました
「
破壊の時期に
支配層の
セレブたちは
セレブ運を吸いとった女性たちから
より奪ってしまった
彼女らが
心から待ち望んでいたもの
心から欲していたものを運ばせた
楽しい気分
ささやかな幸せまでも
一極集中で集め
運ばせ
月はそれを照らし返してる
すると
セレブが心から望んだものが
欲したエネルギーが
他に運ばれるようになる
他人が望んだ現実を運ばせれば
自分が望んだ現実も他人に運ばれることになる
何かを得れば 何かを失う
誰かが望んだものを得れば
同じくらい自分が望んだものも失う
」(その時聞こえたイメージ)
あめでは
現代のセレブたちの無意識は
未来に
人類が若返り
寿命も劇的に伸びていく光景を見ているようでした
そして
若返った長寿の人類が
未来に指導的な役割を果たしていくことも
夢で見ているようでした
未来の情報を夢で見た
セレブたちは 無意識的に
若返りや寿命に 執着しはじめました
彼らのその想いが
現実の再生医療の研究拡大現象を引き起こし
再生医術や若返りの研究
様々な美容製品が急速に開発を生じさせてるようでした
でも
彼らが若さと寿命を望めば望むほど
わかがえりの気は
権力層が現実を奪った人たちに零れ落ちるようでした
なぜなら
彼らは破壊の時期
運を奪った人たちが望んでいたものも運ばせてしまったから
月はその緩衝を照らし返し
権力層が破壊の時期
意識で望んでいる若さや寿命のエネルギーを
奪われてる人達の一部に届けているようでした
近未来
人類は
ものすごく老化する集団と
ものすごく若返る集団が出現するイメージが見えました
勝ち組と負け組で二極化したように
生命力や若さでも
その二つに二極化していくようでした
そういえば
この間
こんなあめも見ました
それは
昔話
浦島太郎の夢
いじめられてる亀を助けたやさしい心の持ち主が
龍宮城に連れられて
乙姫様に歓待され
戻ってきた時に
故郷の村は様変わりしていて 知っている人は誰もいず
玉手箱をあけた途端
老人になってしまうというお話です
あれは
破壊の時期の緩衝をあらわした話なんだという事もあめで教えてもらいました
浦島太郎が
龍宮城から帰った時
戻っていたのは
実は故郷の村で
でも故郷の村に知ってる人がいなかったのは
浦島太郎が龍宮城で
呆けさせられたからというイメージも見えました
痴呆になった老人の人は
実の家族を見て
自分の家族じゃないという事があるようですが
浦島太郎がかけられていたのも
同じ症状であるイメージを見ました
浦島太郎は
同時に若さも吸いとられていました
破壊の時期
やさしい人たちを舞い上げて
栄耀栄華の現実をのせ 快楽漬けにすると
若さや 記憶 情報まで奪われてしまう
昔話には
とりわけ
浦島太郎には
その残酷な技法が描かれていて
だからこそあれは 人々の伝承に残ってるのだなっと感じました
ただ
それと同時にこんなイメージも見えました
現代
破壊の時期
おおいぬの系譜は たくさんの人を持ちあげ
龍宮城のように歓待し舞い上げている
でも
おおいぬの系譜は若さを得るどころか
逆に寿命を減らしているようでした
一体?
なぜ?
なぜなんだろう?
そんな疑問を持っていると
こんなことばが聞こえてきました
「
それはね
亀を助けた人じゃなく
亀をいじめた人を龍宮城に招待したから
浦島太郎は亀を助けた
やさしい人だったから
寿命や若さが集まった
亀をいじめた人を歓待すれば
歓待した人側が具合を悪くするのは当然
若さや生命力は小狡いところには宿らない
だから
子犬達を支えている
大犬系譜は 次々と 命を落としてる
」(その時聞こえてきた言葉)
それから
こんな言葉も聞きました
「
スターやスポーツ選手
セレブや
財界人 有名人
その人たちの現実を見て
あの人みたいになりたいと想うと
セレブたちの表面の現実でなく
本性の気が運ばれる
どんなに可憐でやさしい雰囲気を纏っていても
どんなに人徳者に見せていても
現在のセレブの本性が残酷無情な性質なら
残酷な行動を無意識的にとる気が運ばれる
どんなに体力があるように見えても
その本性が自然で生きていけない性質なら
脆弱な気が運ばれる
人が
人に憧れると
憧れた人の雰囲気 現実でなく
憧れた人から湧いた本性の気が運ばれる
だって
運ぶ想念は
憧れた人から湧いた気を運ぶことが
その人のようになることと感じているから
大犬が最近死んでるのはそれが理由
あの人みたいな生命力を得たいと妬み
あの人のような能力が欲しいと想うと
つけかえた能力や生命力ではなく
あの人の本当の生命力や本当の能力が入ってくる
例え本当は自分よりも能力や生命力がない存在だったとしても
望めばその気が運ばれる
昔から
現実や雰囲気は
お祓いに利用されていた
かつてはおおいぬたちが
その錯覚を利用して座を得ていたけど
月の緩衝で
それが今 跳ね返りはじめてる 」(その時聞こえてきた言葉)
その言葉を聞いて
私は 色んな人に憧れるのはよそうと想いました
自分は
自分以外の何者にもなりたくない
自分が生き続けたいと想いました
それから
こんなこともありました
ここ最近
百人一首の本を買って暗記してるのですが
読んでいると
こんな事を教えてもらいました
「
百人一首は 宗教に似てる
宗教のエネルギーの集め方
清らかなイメージを見せ 礼賛しながら
苦しんでる人々 無念に感じてる人々の気を
崇めた者たちに運ぶ
そのエネルギーの流れは
現代では
靖国神社に似ている
靖国神社は
犠牲になり哀しい想いをもった無数の魂を崇め奉ることで
無念の想いに集まった運気を崇めてる人に運ばせる場所
崇めれば
無念の想いに集まる運気を得れるから
あの神社を
多くの政治家たちが
礼賛する
崇める儀式は死者の為に行ってるわけではない
運ぶ想念の目線に向けて行っている
だから
儀式は綺麗な見た目にする
イメージをきれいにし
崇めてる姿を
想念に見せて
運ばせる
死者が納得しようがしまいが関係なく
きれいになってあがめられれば
それを見て
よかったと想う想念がおり
その第三者の想いを利用して
無念の死者に集まる気を吸いとってる
死者の想いは見てはいない
死者の願いもくんではいない
見た目を綺麗に
崇める姿を見せ続けることで
犠牲者たちに集まる応援の気を 運ばせる 」(その時聞こえてきた言葉)
靖国神社のような宗教施設は犠牲者を英霊と言う形で崇めることで
英霊に集まる復活のエネルギーや
英霊の子孫や家族を守るエネルギーを
崇めた人々が序列順に横取りし 運ばせる仕組み
それを想念が教えてくれました
政治家たちがこぞって
あの神社を崇めるのは
無念の魂に集まる
復活の気や 守りの気をまとえ
座を保ちやすくなるから
そういえば
その昔
あめちゃん(太陽)にこう聞きました
あめちゃんにエネルギーを与えているのはどんな存在なのですか?
と
そしたら
あめちゃんは こんなことばを教えてくれました
「 みんなの想いよ だから みんな同格なの 」(あめちゃんのことば)
(過去記事リンク)
http://maboroshinosakura.blog.fc2.com/blog-entry-438.html
みんな同格
宇宙にはおおきいもちいさいもなく
優ってるも 劣ってるもなく
存在の大小
想念の大小にも関わらず
すべてが対等
すべてが同格と
あめちゃん(太陽)は言っていました
そういえば
私たちの今の想いも
細胞が集まって身体になってるのと同じく
多くの想いが集まり
多くの想いにたすけられることで
今の自分の想いが存在している
だから想いの優劣はなく
すべての想いは対等
それに対し
崇めるという行為は
誰かの上に誰かを置く行為で
その想いの関係は
対等や同格とは異なった概念
だからこそ
崇める行為は
崇めた相手の気を剥ぐ残酷な行いなんだという事も感じました
でも
ここでひとつ疑問もわきました
何かを得れば 何かを失う
もしも
崇める行為が崇めた存在の気を吸いとる行為だとすれば
そして
それをもしも
相手の同意なく
運ぶ想念目線だけにそれをして気を運ばせたら
崇められた人たちは 気を吸われ
崇めた人たちは 気を得るだろうけど
崇めた人たちは
代わりに
一体 何を失うんだろう?
そんなことを疑問に想っていると
こんな声が宇宙から
聞こえてきました
「
ピュアを失う
それが対価よ 」
「
崇めて気を奪った存在は
ピュアを失うの
魂がピュアさを失っていく
そしてね
寿命や若さは ピュアに宿るの
魂が寿命を減らすときは
ピュアさが失われたとき 」(その時聞こえてきた言葉)