これは全国の地理が専門ではないのに地理を教えている社会科の教員に強くお薦めできる本。
構成としては、熱帯気候、乾燥・半乾燥気候、寒帯・冷帯気候、温帯気候の4章からなっていて、それぞれの自然、気候メカニズム、農業、住民生活を紹介する形になっているのですが、それぞれ教科書の記述等よりも少しずつ深掘りする形になっていて役に立つと思います。
また、狩猟採集民や遊牧民の生活などについても詳しくとり上げているので、世界史などを教える教員にも得るものが多いと思います。
と、とりあえず教員の立場からこの本の魅力を語ってしまいましたが、教員ではない人が読んでも面白い本になっていると思います。
カラー口絵のナミブ砂漠を移動する霧や、赤いパウダーを塗ったナミブ砂漠に住むヒンバの女性、チベット仏教ニンマ派の怪しげな曼荼羅などを見るだけで興味深いと思いますし、アフリカの邪術師の話やヒマラヤ地域のゾンビの話など、何か面白い話を求めている人にもお薦めできます。
そして、もちろん地理を学び直すこともできます。
網羅的に書かれていて要約していくことは難しいので、以下、面白かった点をいくつか書いていきたいと思います。
まず、熱帯を扱った第一章で興味深いのは類人猿の話です。人間に近い類人猿といてチンパンジーとボノボがいますが、ボノボの社会が平和的であるのに対して、チンパンジーはオスの序列などをめぐって激しい争いが起こるなど暴力的です。
この理由として、チンパンジーはゴリラと同じ地域に住み食べ物をめぐって競合しているが、ボノボはコンゴ川を挟んでゴリラのいない地域に住んでいるため食べ物を巡る争いに巻き込まれないからだという説が紹介されています。実際、ゴリラのいない地域のチンパンジーはそれほど凶暴ではないというのです(31-34p)。
そして、このゴリラの生息地域は約2万年前の最終氷期において熱帯林が生き残った地域と重なっています。最終氷期にアフリカの熱帯林はほぼ消滅しましたが、わずかに熱帯林が残った地域があり、ゴリラはそこで生き延び、そのあと生息地域を広げることはなかったのです(42p)。
熱帯地域の農業というと思い浮かぶのはプランテーションと焼畑農業です。
プランテーションに関しては50pに各作物に必要な気温と降水量をまとめた表があり、天然ゴムは高温多雨、サトウキビは高温だけどそれほど雨は必要がない、茶はそれほど気温は高くなくてもよいが多雨が必要など、それぞれの作物に必要な気候条件がわかるようになっています(米や小麦、ジャガイモなども載っていて便利)。
焼き畑に関しては、カメルーン南東部に住むバンガンドゥという農耕民の暮らしぶりが紹介されており、バナナの切らさないために時期をずらしながらバナナを植えるなどの工夫がわかります(63-64p)。
熱帯に住む狩猟採集民の生活についてもいろいろと紹介されています。
その一つとして、カメルーンの狩猟採集民バカ・ピグミーの人びとが乾季に行う狩猟採集行に同行した安岡宏和氏の研究が紹介されていますが、それによるとその期間中、一日あたり2390キロカロリーに相当する食物を獲得し、その内訳はカロリー換算で野生ヤムが全体の65%、野生動物が25%、蜂蜜8%、野生果実その他2%だったそうです(82p)。採集の占める大きさがわかります。
このバカ・ピグミーの人びとは近隣農耕民をゴリラの化身とみなしているそうで、「身振りや振る舞い、興奮したときのうるささ、危険性から農耕民とゴリラの類似性を指摘」するそうで、「ゴリラのシルバーバックが威嚇する際に見せる胸を張る格好は、農耕民がバカ・ピグミーを見下すときの姿勢にそっくり」だといいます(85p)。
他にもタンザニアで焼畑、狩猟採集などを行いながら暮らすトングヴェの調査をしていた女性研究者が体験した邪術師の話なども面白いです(93-96p)。
第2章の乾燥・反乾燥気候でまず興味深いのやはりナミブ砂漠についてですね。
海岸付近の白い砂が内陸にいくに従って赤くなっていく理由や、かつて水のあった時代の樹木が乾燥したまま残っている「死の谷」、ナミブ砂漠を横断する霧など、自然のダイナミズムを感じさせます(113-119p)。
乾燥地域では植物も独特の発展を見せています。乾燥地域では葉から水分が蒸発するのを防ぐために葉が退化しているケースが多く(サボテンはその代表例)、また、水分を吸収するために根が非常に長くなっていたりします。
ナミブ砂漠にもナラメロンという果実をつけるナラという植物が生えていますが、その根は数十メートルもあるそうです(129-130p)。
季節河川の周囲には森林も形成されますが、そこに生えるアカキア・エリオロバも根が発達していて、背丈10センチほどの稚樹の根が230センチ以上あったそうです(136p)。
このように乾燥地域において植物が生き残っていくのは大変ですが、一方、半乾燥地域のステップは穀倉地帯となっています。これは枯れた草の根が分解されてできた腐食が、夏の乾燥や秋と冬の寒さによってさらに分解されずに腐食が蓄積されるためです。これが肥沃な土地を生み出すのです(148-149p)。
乾燥地域に住むさまざまな人びとの生活も紹介されています。
ボツアナの狩猟民族サンは、10家族50人位のキャンプで行動し、獲物の所有権は射止めた人ではなく、狩猟具の提供者に帰属するというルールをもっています。これは優秀なハンターに獲物が集中しないようにするための知恵だと考えられます。そして、こうした獲物は平等に分配されるのです(160p)。
ただし、大型のレイヨウなどの獲物を仕留められるのは月に一度あるかどうかで、普段の生活は女性たちの採集に支えられています(162p)。
牧畜民ヒンバの女性は、鉄分を含む赤い石を砕いたパウダーを髪や肌に塗っています。これは強い日差しや乾燥、虫などから肌を守るためですが、一種の化粧にもなっているそうです。また、ヒンバの女性は水浴びをせず、体臭を消すために家の中で香木をたき、エプロンにその匂いを染み込ませています(171-172p)。
寒帯・冷帯を扱った第3章では、まずは氷河が作り出した地形を、ストックホルムの急坂、ベルリン郊外の氷河湖やドラムリンと呼ばれる丘、ニューヨーク・マンハッタンの岩盤などを通して紹介しています。
また、日本におけるカールとモレーンの例として野口五郎岳(こんな名前の山があり、しかもこれが野口五郎の芸名の由来だと初めて知りました!)がとり上げられています。
人びとの生活としてはイヌイットの生活などがとり上げられていますが、カナダのイヌイットの60%が未成年という数字には驚きました。出生率が高い割に平均寿命が短く、若者中心の社会になっているそうです。そしてこの背後にはアルコール依存症の問題もあります(212ー213p)。
また、この第3章では山岳地域の暮らしも取り扱っています。ここではインドのチベットに近い地域に住むモンパ民族の様子が興味深いです。
モンパ民族の住居では入り口を小さくし、さらに段差を設けていますが、これはロランゲと呼ばれるゾンビを恐れているからです。ゾンビは背筋を伸ばしていて、また下を向くことができないため、小さな入口や段差はゾンビを防ぐ手段として有効なのです(243−244p)。
他にも新築の家は妬まれるために、ピカピカの屋根の下に男根を模したものをぶら下げ、たいした家ではないとアピールするそうです(245p)。
このわざと汚くして、たいしたものではないと思わせるやり方は、アイヌにもあって、アイヌの赤ん坊はテーネプ・テンネプ(汚物まみれ)、2〜3歳はポンション(小さなうんこ)、4〜5歳はションタク(うんこのかたまり)と呼ばれるといいます(302p)。
第4章では温帯をとり上げています。
ここでまず「なるほど」と思うのは、ヨーロッパの植生の単調さの理由。イギリスの植物の種数は約1500ですが、これは高尾山の種数とほぼ同じです(日本全体では約5000)。なぜ、こうなっているかというと、氷河期に植物は種を南に飛ばして生き延びようとしましたが、ヨーロッパではアルプス山脈やピレネー山脈が壁となってそれを阻んだからです。結果、わずかな植物しか残りませんでした(261ー262p)。
その他、きわめて狭い地域に固有種が集中するケープ植物区系とケープ周辺の海域の説明や、先進国の都市問題、日本の地形の解説など、いろいろと読みどころがあります。
以上、気になった部分をあげてみました、この本がいかに広い話題を取り扱っているかということがわかっていただけたのではないかと思います。
もちろん、ここにはあげなかったオーソドックスな地理の説明(気候の違いをもたらす要因など)もなされており、地理学の基本的な部分を押さえることもできます。
最初にも述べたように地理を担当している社会科の教員には非常に役に立つ内容ですし、それ以外の人にも楽しめる内容になっていると思います。
世界がわかる地理学入門――気候・地形・動植物と人間生活 (ちくま新書)
水野 一晴
構成としては、熱帯気候、乾燥・半乾燥気候、寒帯・冷帯気候、温帯気候の4章からなっていて、それぞれの自然、気候メカニズム、農業、住民生活を紹介する形になっているのですが、それぞれ教科書の記述等よりも少しずつ深掘りする形になっていて役に立つと思います。
また、狩猟採集民や遊牧民の生活などについても詳しくとり上げているので、世界史などを教える教員にも得るものが多いと思います。
と、とりあえず教員の立場からこの本の魅力を語ってしまいましたが、教員ではない人が読んでも面白い本になっていると思います。
カラー口絵のナミブ砂漠を移動する霧や、赤いパウダーを塗ったナミブ砂漠に住むヒンバの女性、チベット仏教ニンマ派の怪しげな曼荼羅などを見るだけで興味深いと思いますし、アフリカの邪術師の話やヒマラヤ地域のゾンビの話など、何か面白い話を求めている人にもお薦めできます。
そして、もちろん地理を学び直すこともできます。
網羅的に書かれていて要約していくことは難しいので、以下、面白かった点をいくつか書いていきたいと思います。
まず、熱帯を扱った第一章で興味深いのは類人猿の話です。人間に近い類人猿といてチンパンジーとボノボがいますが、ボノボの社会が平和的であるのに対して、チンパンジーはオスの序列などをめぐって激しい争いが起こるなど暴力的です。
この理由として、チンパンジーはゴリラと同じ地域に住み食べ物をめぐって競合しているが、ボノボはコンゴ川を挟んでゴリラのいない地域に住んでいるため食べ物を巡る争いに巻き込まれないからだという説が紹介されています。実際、ゴリラのいない地域のチンパンジーはそれほど凶暴ではないというのです(31-34p)。
そして、このゴリラの生息地域は約2万年前の最終氷期において熱帯林が生き残った地域と重なっています。最終氷期にアフリカの熱帯林はほぼ消滅しましたが、わずかに熱帯林が残った地域があり、ゴリラはそこで生き延び、そのあと生息地域を広げることはなかったのです(42p)。
熱帯地域の農業というと思い浮かぶのはプランテーションと焼畑農業です。
プランテーションに関しては50pに各作物に必要な気温と降水量をまとめた表があり、天然ゴムは高温多雨、サトウキビは高温だけどそれほど雨は必要がない、茶はそれほど気温は高くなくてもよいが多雨が必要など、それぞれの作物に必要な気候条件がわかるようになっています(米や小麦、ジャガイモなども載っていて便利)。
焼き畑に関しては、カメルーン南東部に住むバンガンドゥという農耕民の暮らしぶりが紹介されており、バナナの切らさないために時期をずらしながらバナナを植えるなどの工夫がわかります(63-64p)。
熱帯に住む狩猟採集民の生活についてもいろいろと紹介されています。
その一つとして、カメルーンの狩猟採集民バカ・ピグミーの人びとが乾季に行う狩猟採集行に同行した安岡宏和氏の研究が紹介されていますが、それによるとその期間中、一日あたり2390キロカロリーに相当する食物を獲得し、その内訳はカロリー換算で野生ヤムが全体の65%、野生動物が25%、蜂蜜8%、野生果実その他2%だったそうです(82p)。採集の占める大きさがわかります。
このバカ・ピグミーの人びとは近隣農耕民をゴリラの化身とみなしているそうで、「身振りや振る舞い、興奮したときのうるささ、危険性から農耕民とゴリラの類似性を指摘」するそうで、「ゴリラのシルバーバックが威嚇する際に見せる胸を張る格好は、農耕民がバカ・ピグミーを見下すときの姿勢にそっくり」だといいます(85p)。
他にもタンザニアで焼畑、狩猟採集などを行いながら暮らすトングヴェの調査をしていた女性研究者が体験した邪術師の話なども面白いです(93-96p)。
第2章の乾燥・反乾燥気候でまず興味深いのやはりナミブ砂漠についてですね。
海岸付近の白い砂が内陸にいくに従って赤くなっていく理由や、かつて水のあった時代の樹木が乾燥したまま残っている「死の谷」、ナミブ砂漠を横断する霧など、自然のダイナミズムを感じさせます(113-119p)。
乾燥地域では植物も独特の発展を見せています。乾燥地域では葉から水分が蒸発するのを防ぐために葉が退化しているケースが多く(サボテンはその代表例)、また、水分を吸収するために根が非常に長くなっていたりします。
ナミブ砂漠にもナラメロンという果実をつけるナラという植物が生えていますが、その根は数十メートルもあるそうです(129-130p)。
季節河川の周囲には森林も形成されますが、そこに生えるアカキア・エリオロバも根が発達していて、背丈10センチほどの稚樹の根が230センチ以上あったそうです(136p)。
このように乾燥地域において植物が生き残っていくのは大変ですが、一方、半乾燥地域のステップは穀倉地帯となっています。これは枯れた草の根が分解されてできた腐食が、夏の乾燥や秋と冬の寒さによってさらに分解されずに腐食が蓄積されるためです。これが肥沃な土地を生み出すのです(148-149p)。
乾燥地域に住むさまざまな人びとの生活も紹介されています。
ボツアナの狩猟民族サンは、10家族50人位のキャンプで行動し、獲物の所有権は射止めた人ではなく、狩猟具の提供者に帰属するというルールをもっています。これは優秀なハンターに獲物が集中しないようにするための知恵だと考えられます。そして、こうした獲物は平等に分配されるのです(160p)。
ただし、大型のレイヨウなどの獲物を仕留められるのは月に一度あるかどうかで、普段の生活は女性たちの採集に支えられています(162p)。
牧畜民ヒンバの女性は、鉄分を含む赤い石を砕いたパウダーを髪や肌に塗っています。これは強い日差しや乾燥、虫などから肌を守るためですが、一種の化粧にもなっているそうです。また、ヒンバの女性は水浴びをせず、体臭を消すために家の中で香木をたき、エプロンにその匂いを染み込ませています(171-172p)。
寒帯・冷帯を扱った第3章では、まずは氷河が作り出した地形を、ストックホルムの急坂、ベルリン郊外の氷河湖やドラムリンと呼ばれる丘、ニューヨーク・マンハッタンの岩盤などを通して紹介しています。
また、日本におけるカールとモレーンの例として野口五郎岳(こんな名前の山があり、しかもこれが野口五郎の芸名の由来だと初めて知りました!)がとり上げられています。
人びとの生活としてはイヌイットの生活などがとり上げられていますが、カナダのイヌイットの60%が未成年という数字には驚きました。出生率が高い割に平均寿命が短く、若者中心の社会になっているそうです。そしてこの背後にはアルコール依存症の問題もあります(212ー213p)。
また、この第3章では山岳地域の暮らしも取り扱っています。ここではインドのチベットに近い地域に住むモンパ民族の様子が興味深いです。
モンパ民族の住居では入り口を小さくし、さらに段差を設けていますが、これはロランゲと呼ばれるゾンビを恐れているからです。ゾンビは背筋を伸ばしていて、また下を向くことができないため、小さな入口や段差はゾンビを防ぐ手段として有効なのです(243−244p)。
他にも新築の家は妬まれるために、ピカピカの屋根の下に男根を模したものをぶら下げ、たいした家ではないとアピールするそうです(245p)。
このわざと汚くして、たいしたものではないと思わせるやり方は、アイヌにもあって、アイヌの赤ん坊はテーネプ・テンネプ(汚物まみれ)、2〜3歳はポンション(小さなうんこ)、4〜5歳はションタク(うんこのかたまり)と呼ばれるといいます(302p)。
第4章では温帯をとり上げています。
ここでまず「なるほど」と思うのは、ヨーロッパの植生の単調さの理由。イギリスの植物の種数は約1500ですが、これは高尾山の種数とほぼ同じです(日本全体では約5000)。なぜ、こうなっているかというと、氷河期に植物は種を南に飛ばして生き延びようとしましたが、ヨーロッパではアルプス山脈やピレネー山脈が壁となってそれを阻んだからです。結果、わずかな植物しか残りませんでした(261ー262p)。
その他、きわめて狭い地域に固有種が集中するケープ植物区系とケープ周辺の海域の説明や、先進国の都市問題、日本の地形の解説など、いろいろと読みどころがあります。
以上、気になった部分をあげてみました、この本がいかに広い話題を取り扱っているかということがわかっていただけたのではないかと思います。
もちろん、ここにはあげなかったオーソドックスな地理の説明(気候の違いをもたらす要因など)もなされており、地理学の基本的な部分を押さえることもできます。
最初にも述べたように地理を担当している社会科の教員には非常に役に立つ内容ですし、それ以外の人にも楽しめる内容になっていると思います。
世界がわかる地理学入門――気候・地形・動植物と人間生活 (ちくま新書)
水野 一晴