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コメント(24)
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仏教、儒教…
とある国学院(國學院とは書きません)卒で『神道宗教学会会員』という人の著書に『江戸時代の日本は仏教と儒教が猖獗を極めた』と書いてありました。
【猖獗を極める】
意義素
類語
病気や悪事が広い範囲に大きな影響を及ぼすこと 猛威を振るう ・ 猖獗を極める ・ 大暴れする ・ 勢いを増す ・ 拡大する ・ 強まる ・ 暴威を振るう ・ 流布する ・ 蔓延る ・ 広まる ・ 蔓る ・ 広がる ・ 蔓延する ・ 猛威をふるう ・ 横行する ・ 威力をふるう ・ 大流行する ・ 暴れ回る ・ しょうけつを極める ・ 大流行する
https://thesaurus.weblio.jp/content/%E7%8C%96%E7%8D%97%E3%82%92%E6%A5%B5%E3%82%81%E3%82%8B
『神道は多神教(正確には『多神“教”ではなく』多神崇拝ですが)で寛容』という自画自賛を神道家はよくしていますが、『猖獗を極める』などという言葉を持ち出す事に寛容さは感じられません。2018-02-13 22:47:59
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Re:Re:Re:何があったんだ天武朝
>りくにすさん
天皇が無姓で何もないゼロ点だから国の中心になるという考え方は、わかったようなわからないようなところがありますが、無姓だから多様な姓を臣下に与えることも可能だったのかも知れません。
無姓にしたから易姓革命を免れることが出来たとするのも結果論臭いのですが、承久の乱のときや南北朝のときに潰れていても不思議はなく、それが続いたのは無姓の特殊な家だから、無姓の同族以外には天皇の位に就くことができないと、世間が思い込まされていたのかも知れません。
北条義時も足利尊氏もその世間の思い込みを越えられなかったと思います。もしも織田信長があと5年生きていたら、天皇制を潰していたような気がします。
『孟子』は広く読まれていたのに、日本に運んでくる船は難破するという変な伝承もありましたが、天皇家にとっては『孟子』の民を顧みない君主を放伐しても、謀反でも不道徳でもないとする民本主義的な考え方が嫌だったのでしょうね。2018-02-13 16:42:56
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Re:Re:何があったんだ天武朝
>huyunohi1684さん
国内的には天皇は「ゼロ点」であり、王宮を中心とした都城が国の姿を象徴するように、氏姓制度もまた人民の秩序を可視化したものだ、といえば天皇が無姓であるのは納得してしまいます。NHKの「日本人のおなまえ」でも「古代の苗字は役職や出身地が元になっている、と言っています。(ネタ元は『平安京はいらなかった』)
ただ、外国に国書を出すときには困りますよね。どうしていたのでしょう。
易姓革命回避説は「藤原氏の悪知恵」などと言われたりしますが結果として天皇家と藤原氏が生き残っただけであって江戸時代の儒学や国学が盛んになった時代の産物かもしれません。多くの知識人が「孟子」を読んでいるにもかかわらず、「本朝に『孟子』を運んでくる船があれば難破する、と言われてきました。『孟子』の一体何がそんなに怖いんでしょうね。2018-02-13 16:18:06
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Re:何があったんだ天武朝
>りくにすさん
天皇家には姓はありませんね。最初からなかったわけではなく、任那王がやってきたとすれば、任那風の姓があって、天武朝のころに消した可能性が高いと思います。
古事記、日本書紀に天皇家の姓に関することは書かず、この時点で帝紀、旧辞、諸豪族の家の記録を抹殺していますから、消してしまうことは可能だと思います。
ただなんのために消す必要があったのか、それが疑問です。名家には先祖から伝えて来た姓があって、貧しい庶民には姓は無かったのですが、どうして天皇家が貧しい庶民と同じ無姓にならねばならなかったのか、それが分かりません。
儒教の価値観では、おっしゃるように姓がないのですから、易姓にはならず、天命を受ける主体を持たない偽物の王朝と言うことになります。
遣唐使は国書を持参した訳ですが、国書で天皇が自身の姓名をどう書いていたのか疑問になります。姓なしで国書に署名していたのでしょうか。2018-02-13 13:31:12
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何があったんだ天武朝
ところで天皇家は天武朝の時代から姓がありませんよね。
「易姓革命」を恐れてのことと言われています。
あの時代の為政者は天罰に相当する何かの罪を自覚していたのでしょうか。「うちの皇室は関係ない」と平気なふりをしているのでしょうか。
本当に恐れていないのであれば、民草がありがたがるような恐れ多くもかっこいい輝かしい名前を作っているはずですよね。
皇室が無姓を採用するということは、儒教圏における「天の裁き」を拒否することになり、その皇統が何百代続こうと「ルールにのっとらない野蛮国」であることを表明することになるからケント・ギルバートなどは儒教を攻撃するのだと思います。では国学者たちは「易姓革命」問題をどう処理したのか気になります。「公式には名乗らないけど姓がある」とかごまかしたのでしょうか。
日本人ならではの罪悪感の解消法が絡んでいると思います。知りたいけどこわいですね。2018-02-13 11:43:45
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Re:五月三日を、五月馬鹿と呼びましょうか?
>monkeyさん
今の憲法の成立に占領軍が深く関与しているのは間違いのないところですが、アメリカからのものとするとアメポチとしては変え辛いので、ソビエトのスパイが占領軍に紛れ込んでいて現憲法を作ったとネトウヨは言い出しています。
満州事変もシナ事変もコミンテルンの陰謀で始まった、真珠湾攻撃もアメリカ政府の中に潜り込んでいたソビエトのスパイによって行なうように仕向けられた、憲法もソビエトのスパイによって作られた、都合の悪いことは全て社会主義勢力の陰謀にしてしまう、とても悪質な歴史修正主義ですが、これが真顔に語られるのが今の日本の姿でする2018-02-12 17:42:17
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五月三日を、五月馬鹿と呼びましょうか?
アメポチ(正確にはユダポチですが)が、反米を叫ぶ事が義務づけられている日が有ります。
それが、五月三日の憲法記念日です。
害を及ぼさない程度ならウソを吐いても許される四月馬鹿となぞらえて、五月馬鹿と呼びましょうか?
しかしながら、今の日本人の民度なら、壊憲が成就してしまいそうです。
壊憲後は五月三日は祝日になるのでしょうか(゜〇゜;)?????
今年で平成が終わり、来年には新しい天皇陛下が即位されます。
新天皇陛下の誕生日は、祝日にしないそうなので、その代替えとして五月三日は祝日として継続されそうですが、何の日に成るんでしょうね?
敵憲法がもさるもの、引っ掻くもので、現行アメリカの押し付けという、今までの理由が通じなくなり、アメリカ(ユダリカ)から壊憲の命令が下っていることが隠せなくなるや、現行憲法はコミンテルン、つまり旧ソ連の押し付けという珍説が流布され、そちらが通説になりつつあるようです。2018-02-12 16:15:04
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Re:「任那は応神系の天皇家の故地」これ正解です
>hukinokenさん
倭が任那を植民地支配していたのではなく、任那王が倭に移って王朝を開いたのでしょうね、未開国の倭が文明国に植民地が持てるはずがありません。
一般用のパスポートが菊、外交官用が桐になっていますが、両方とも天皇家の家紋です。言われてみれば日の丸はないですね、パスポートはそれを改める人が英語が読めることを前提にしていますから、英語でジャパンと書いてあれは分かるということで日の丸は不要とされたのでしょうか。
菊や桐を用いるというのは、日本にたまたま生まれた人を天皇のもとに組み込もうとするようで、なにかとても嫌な感じがします。天皇がそんなに大事なら、天皇に歯向かった奥羽越列藩同盟議政府の国旗をどうして後生大事に学校や官公庁に掲げているのか、ヤメテしまえば良いのにと思います。2018-02-12 11:48:10
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Re:Re:神功皇后の三韓征伐
>りくにすさん
韓国時代劇『近肖古王』は娯楽物語ですから、史実はどちらでも良いわけですが、神功皇后の三韓征伐も白村江で負けた倭人にとっては、屈辱を癒す娯楽物語だったのでしょう。
現代の日本人が大逆転の太平洋戦争などという、日本がアメリカに勝つ架空戦記を喜んで読んでいるのと同じことです。
娯楽物語の架空戦記を史実に仕立て上げてしまった、近代の日本人が愚劣すぎるのです。2018-02-12 11:32:47
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Re:無題
>今の時代は気軽にネットで情報をつかめますからさん
日本書紀の編纂時に、天皇家が持っていた帝紀、旧辞に加えて、諸豪族の家の記録を資料として朝廷に提出させたとあります。日本書紀の資料になった帝紀や旧辞、諸豪族の家の記録は後世の人間は目にすることができません。
日本書紀に天皇家にとって都合の良い記事のみを載せて、都合の悪い記録も載っている、帝紀、旧辞、諸豪族の家の記録は焼いてしまったものと思われます。
日本人は古事記、日本書紀という天皇家にとって都合の良い記録しか読むことができないように、古代の段階でされてしまっているのです。
朝鮮総督府がやったことも同じです、天皇家にとって都合の悪い記録は残しておかない方針であり、もしも日本が中国大陸を支配していたら、日本書紀とあわない魏志倭人伝なども抹殺していたに違いないと思います。2018-02-12 10:43:20
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「任那は応神系の天皇家の故地」これ正解です
近所に「和気」という苗字の方がいて、皇族の縁戚であることを誇示していたので、あら、ルーツは朝鮮半島ね、といったら嫌な顔されました。
天皇だか美智子だか、「先祖は朝鮮半島とゆかりがあり」的な発言をされ、極右から陰湿なバッシングされました。
1910年、日本が朝鮮半島を植民地にしてから、国定教科書で神功皇后の「三韓征伐」を讃える教育が浸透し、歴史改ざんは成功したかのようです。が、埼玉県稲荷山古墳などからの出土品をみると、どうもそうは言いつのれなくなってきていると思うのですが。
パスポートには「日の丸」が一切出てきていません。菊の紋章です。
これ、案外困るんです。40数年前、内戦下のグァテマラに行った際、戒厳令が敷かれていること知らずに夜間、タバコ(これ健康に悪いことなので人には勧めません)を買いに行ったら、二人の兵士に拳銃を突き付けられ「チーノ?」「コレア?」と聞かれました。ニッポン・ジャパンといっても通じない。「チャイルド?」いやー大人なんですが、これも通じない。「パサポルテ」と言われ、ホテルまで同行して、拳銃突き付けられながら「パスポート」を見せました。
「菊の紋章」なんです。
ホテルの従業員まで出てきて、首をかしげています。ようやく、英語の分かる従業員が出てきて、ジャパンということで納得してもらいました。日本は知名度ナシ。
兵士の方は、各国国旗表みたいなものをもっていて、最後まで「日の丸」がないから「チーノ」説を取っていました。(結論は、戒厳令だから夜間外出禁止・殺害自由・こどもはタバコ吸っちゃだめ)
その時から、「日の丸」にはご利益ないと確信しています。まったく危なく殺されるとこだった。
なにゆえ、パスポートの表紙が「菊の紋章」で「日の丸」が一切ないのか不思議。学校からもついでに「日の丸」なくしたらいいと思う。菊もいらない。
2018-02-12 06:40:45
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Re:神功皇后の三韓征伐
>ふーくんさん
横から失礼します。
韓国時代劇『近肖古王』が百済の絶頂期を描いているのですが、ドラマの中ほどで「ヤマタイの王女チング」(桜柄の服を着てたりするがつっこむのはよそう)が「勉強のため」にやってきて、王子の一人と親密になり、半島南部の「馬韓52国弁韓9国辰韓5国」(うろ覚え)を攻略する話があります。
「三韓征伐」は実際はこんなところだったのではないかと思っております。
このドラマはオープニングに日本に現存する七支刀(百済で制作して同盟国に配ったことにしている)を出していたりするので、ある程度日本側の記録に合わせているのかもしれません。りくにす
2018-02-11 22:58:59
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無題
日本で一番古い書物は古事記と日本書記ですね。天武天皇の時代に編集が始まったそうです。
天武天皇より前の日本史は ほとんど作り話か捏造だと思います。
なので建国記念日の神武天皇は実在しなかったんじゃないかなと思うのです。
あと1925年に朝鮮総督府が修史委員会を発足させ、朝鮮半島と対馬の古文献を大量に収集して そのすべての古文献を破棄処分にしたそうです。
「教科書が教えない日韓関係2000年」より。
おそらく日本に都合が悪い歴史が朝鮮の古文献に書かれていたのだと思われます。日本は歴史の真相を闇に葬り去ってしまった。今の時代は気軽にネットで情報をつかめますから
2018-02-11 22:54:10
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Re:神功皇后の三韓征伐
>ふーくんさん
当時の新興国だった日本が、というよりも実態は未開国だった日本が、といった方が正しいでしょうね。
仏教伝来は欽明朝、儒教の伝来は継体朝、暦の伝来は推古朝ですから、神功皇后の時代は、仏教も儒教も暦も持たない未開国でした、とても新興国とはいえない状態だったと思います。
そんな未開国が文明国の百済や新羅、軍事強国の高句麗に勝てるはずがありません。戦闘もなしで行っただけで向こうが降参するという話も荒唐無稽でありすぎます。
白村江で大負けしたあと、悔し紛れに作った嘘であることはあきらかです。
任那日本府は、日本の出先機関ではなく、任那王が日本にやってきて応神天皇になったのであり、任那は応神系の天皇家の故地と考えるのが適切だと思います。
任那地方の出土品と日本の出土品類似性が見られるのは、任那の文明が応神天皇となった任那王によって倭にもたらされたと考えるべきでしょうね。
その歴史が日本書紀の編纂時に偽造され、それを帝国政府が朝鮮支配を正当化するために使ったわけです。2018-02-11 21:56:15
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Re:それって
>&ohさん
同じころに日本政府は朝鮮で任那日本府跡を見つけるためにあちこちを掘っています、もちろんそんなもの見つかるはずがありません。
橿原神宮が町興しで建てられた、だったら橿原神宮を有り難がっている人間は大バカということになりますから、その点では合っていないこともありませんが。
橿原神宮なんて、町興しで建てられた道の駅と似たようなものかも知れません。2018-02-11 18:15:16
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Re:皇紀なんて
>&ohさん
『日本の国章は菊家紋。日章旗は江戸幕府旗』
戊辰戦争では間違いなくそうだったわけで、日章旗は奥羽越列藩同盟議政府の国旗でした。
紀元2600年祭に正当性を持たせるために、なんとか神武天皇の遺跡を見つけようと橿原周辺を掘りまくったのですが何も出ず、樫原神宮の一角から井戸が出たので探している神武天皇の遺跡の一部かと思ったら、部落の井戸だったという話を聞いたことがあります。
部落だからどういうことはないのですが、建国の聖地として扱われると、昔はそういう集落があったのだよと言ってやりたくなってきます。2018-02-11 17:15:52
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Re:現実の物事をネットに残すべき
>ふーくんさん
明治や大正に生まれた人が皇紀で過去を語るところなど見たことがなかったので、2600年祭の前後に政府が一時的に言っていたものだと考えています。
ネットの中で戦前は国民がふつうに皇紀を使っていて、占領軍に不当に排除された、なんてことが常識になってしまったら、これもまたネットによる歴史の捏造ということになりますね。2018-02-11 17:06:27
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Re:仏教、儒教…
江戸時代の神道は神仏混交で寺に付随するものでした、本地垂迹説が日本の神の説明に用いられていた時代であり、定まった教義のない原始的な宗教である神道は仏教に取り込まれていて、それが長期に渡る日本の姿でした。
神道が無内容でキリスト教が禁止であれば、当然のこととして仏教か儒教になるわけで、それを猖獗を極めるなどというのは、よほどいかれた国家神道の信者なんでしょうね。
huyunohi1684
2018-02-14 10:26:36
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