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韓国・金容雲教授『日本語の正体』を読んで 韓国・金容雲教授『日本語の正体』(*1)によると、朝鮮韓国語(以下、金教授に従い「韓国語」と略称する)と日本語とは元々は同源の言葉であったが、その後の漢字・漢文に対する両者の対応の違いから、現在のように「完全に異なる」言葉になったという。両者は印欧語の研究から始まった西欧の比較言語学では「とうてい御しえない、特殊な関係」であり、「なまじ近代言語学が日韓語を遠いものに思わせている」という。 少し、金容雲教授の所説を紹介すると、現在の韓国語は新羅語がベースとなっており、その新羅語と百済語とは方言程度の違いしかない言語であり、一方、古代大和朝廷(倭国)は百済の列島における「分国」(王族を首領とした植民国家)であり、その宮廷言語は百済語であったという。 多くの日本の読者は、「大和朝廷は百済の分国」という主張に抵抗を覚えるだろうが、筆者は白村江の戦いにおける大和朝廷の異常なまでの百済に対する肩入れ、その後の亡命百済人の重用などを見ると、あながち「トンデモ」と言えず、十分あり得たことではないかと思う。 金教授の所説に戻るが、白村江の戦いの後、新羅は朝鮮半島を統一し、漢化政策を推し進める。漢文を中国式に直読し、漢字の読みも音読み(それも日本と違って一種類)だけとし、人名・地名などの固有名詞までも唐風に改めた。多くの漢語が流入し、その発音をそのまま採用した結果、音韻範囲は膨れあがり(ちなみに今日の韓国語では2000以上の音韻を用いているという)、現在につながる韓国語が形成されていった。 一方、列島は地理的条件もあり、半島のような漢文直読も定着せず、むしろ漢文訓読を採用し、漢字も音読み(それも呉音・漢音等複数併存)と共に訓読みを行い、大量の漢語の流入に際しても、従来の音韻(日本語の音韻は70程度)を変えずに対応した。これが現在につながる日本語となる。 なお、石川九楊氏(*2)を元に、金教授の所説を補足すれば、列島では漢字・漢文の訓読の過程で、多数の新生和語が形成されたことを付け加えねばならないだろう。つまり、当時の大陸と列島の文明差は圧倒的であり、流入した漢語・漢字のすべてに対応する倭語(百済語)が必ずしも存在するわけではなかった。結果、訓読みに際して、従来の倭語に新たな意味が付与されたり、倭語(百済語)だけでは足りない場合は、当時、列島に行われていた新羅語その他の語彙も採用されたのである。 思うに、現在の韓国語・日本語の関係(文法の共通性、語彙・音韻の相当な懸隔)は、基本的には金教授の所説によって説明できると思う。列島も半島も、言語的には余り変わらない地域であったのが、漢字・漢文への対応の違いによって、現在に至る日本語・韓国語が形成されたのであろう。 なお、金教授は韓国語・日本語の同源性を強調されたいようだが、石川九楊氏的には、むしろ日韓語共に(ベトナム語もそうだが)漢文・漢字によって形成された言語であることを強調すべきだろう。このような漢文・漢字の介入によって形成された日韓語は、共にそれ以前の新羅語、倭語(百済語)とは、似ても似つかぬ言語であったことだろう。 もっとも、ついでに補足すれば、現代中国語もまた漢文・漢字によって形成された言語なのであり、古典漢文との間には相当な違いがあるのだが。 (*1) 金容雲『日本語の正体』(三五館 2009年) (*2) 石川九楊『日本語とはどういう言語か』(中央公論新社 2006年) |
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