|
|
- 2018年05月11日12:00 / カテゴリ:海外の反応
- 「16世紀まで存在しなかったトマトがイタリア料理で不可欠になったのは何故なのか」海外の反応
Comment by TRHess
16世紀までヨーロッパではトマトを取り入れてなかったのにイタリア料理でトマトが不可欠な食材となったのは何故なのか?
僕が尋ねたいのはイタリア人はなぜこれほどトマトを強く取り入れたのかということ。
うちらがイタリア料理のことを考えるときレッドソースが人気のある料理に使われていることをすぐに連想するよね。
先日スパゲッティソースを作った時、そういえばトマトって南アメリカ原産だったなって思い出して、なぜそれが(比較的)短い期間でイタリア料理でこれほど重要なものになったのかを疑問に思ったんだ。
<トマトソース>
1554年、医者であるアンドレア・マッテイオーリがトマトを使ったソースを作る試みをした。17世紀末、料理人アントニオ・ラティーニのスペイン風トマトソースがきっかけとなり、パスタをトマトソースで食べる食べ方が普及した。
パスタ
reddit.com/r/history/comments/8euz2s/how_did_tomatos_become_such_an_integral_part_of/
Comment by aughlord 2 ポイント
ローマ帝国で人気のあった調味料の一つが「Garum(ガルム)」だった。
これは古代ギリシャから伝わった魚醤(おそらくGaros)で、ヒスパニアやルシタニア(スペインとポルトガル)を中心に作られてた。
https://www.nationalgeographic.com/archaeology-and-history/magazine/2018/01-02/what-is-garum-rome-fish-sauce/
最近のイタリアやスペイン、フランスのレストランではガルムを使った料理を取り込み始めてる。人気はかつて程ではないけど。
ガルム(garum)は、古代ローマの魚醤。当時のローマにおいて主な調味料として使われていた[1]。
ローマ世界で最もよく使われたが、発祥は古代ギリシアで、ギリシア語のガロス(garos)またはガーロン(gáron、γάρον)を語源とするが、その語源は不明である。
等級によってガルムはローマ庶民の日常の食品ともなり、富裕層向けの高級品ともなった。最高級のガルムはキャビアほどではないが、高級な香水と同程度の価格で取引されていたという。
ガルム (調味料)
ルシタニア(ラテン語: Lusitania)は、古代ローマの属州。現在のポルトガルおよびスペイン西部(現在のエストレマドゥーラ州)に該当する。
ルシタニア
Comment by MineDogger 2 ポイント
イタリア人は流行の奴隷として悪名高いからな。トマトはその頃大流行だったし。
Comment by Twig249 1 ポイント
このスレ読んでアイルランド人とジャガイモのことが思い浮かんだ。
アイルランド人とジャガイモはネットでネタにされてるけどアメリカ大陸からもたらされるまでアイルランドにジャガイモなんてなかったから。
Comment by muppethero80 1 ポイント
俺が教えられた限りではトマトソースってのはイタリア系移民が生み出したアメリカ的なもので、入手のしやすさと安さからそうなったってことだけど。
それに長い間トマトは農民の食べ物だと考えられてたって。
Comment by claireandleif 1 ポイント
↑それは違う。ナポレオンはトマトが大好きだったけどそれはアメリカ合衆国に移民が行くよりずっと前の話。
Comment by Itsoc 1 ポイント
僕はイタリア人だけど、うちらの(僕の)好きなトマトはイスラエル産の「pachino」ってトマト・・・
何でこのトマトがこんなに小さくて、美味しいのか分からない・・・
※関連画像
Comment by Eldramhor8 1 ポイント
そんなに一般的なものでもないよ。
ここローマでは古代からの料理と言えば代表的なのがよく羊飼いが作ってるカルボナーラとカチョエペペだけどどっちもトマトは使わない。
関連記事
イタリア人「カルボナーラの魔改造が酷すぎるから本当の作り方を教える」海外の反応
カルボナーラ (Carbonara) とは「炭焼のパスタ」(炭焼職人風)といわれるパスタソースの1種である。チーズ、黒コショウ、グアンチャーレ若しくはパンチェッタ(塩漬けの豚肉)、鶏卵 (卵黄又は全卵)を用いる。
カルボナーラ
カチョエペペ(cacio e pepe)とは、イタリアの首都ローマの名物パスタ料理である。料理名のカチョはチーズ、ペペは胡椒を意味するイタリア語であり、この料理の特徴を端的に表している。
アルデンテに茹で上げたスパゲッティをペコリーノチーズとからませ、胡椒を多めに加える。このときチーズの脂肪分が分離しないように、スパゲッティの茹で汁をいくらか加えるとよい。
カチョエペペ
Comment by Marky_Marco 1 ポイント
それ約500年くらい前の話で、それから今に至るまで色んなこと起きてるから。
Comment by TonyMatter 1 ポイント
仮説:その地域は乾燥した赤トウガラシが主要品で、これは乾燥させるために建物でぶらさげておく。トマトは調理すると見た目が似たような感じになるし、しかも甘い。
Comment by DiggV4Sucks 598 ポイント
イタリア南部以外だと料理にトマトって全然使われてないよ。
Comment by cosmic_chimaera 104 ポイント
↑それ。この質問はイタリア料理についてではなくてイタリア系「アメリカ」料理について尋ねてるんじゃないかと思った。
Comment by RazorRansom 179 ポイント
↑その通り。イタリア北部の料理じゃトマトはあまり見かけない。
Comment by fanofmx 53 ポイント
↑じゃあどういう食べ物使ってるの?
Comment by thatguyfromb4 221 ポイント
↑色々!例えばうちの地方(リグーリア州)じゃ、基本的にトマトは副菜として生で食べるもので夏の期間だけ(それがトマトのシーズンだから)
うちらは魚やシーフードをよく食べて、パスタだとペスト・ジェノヴェーゼ(メインの材料がバジル)、特別なパン・・・フォカッチャを作ってる!
トスカーナ州とかエミリア=ロマーニャ州みたいな他の州だとよく使うのは肉だね。
イタリアで最も人気のある塩漬肉はこの二地方産のもの。まあ、ピエモンテ州にも色んなタイプのサラミがあるけど。
もっと詳しいことを後で説明することもできる。今は携帯で打ち込んでるから。
ただ、このサイトに来るまでうちらがトマト大好きというステレオタイプがあるってこと知らなかった・・・
代表的なペストである「ペスト・ジェノヴェーゼ」(ジェノヴァのペスト)の名称はDOPの議定書案に従っている。「ペスト・アッラ・ジェノヴェーゼ」(ジェノヴァ風のペスト)など類似の名称で本来の調理法に従っていない物との混同を避けるためである。
リグーリア地方以外では、基本的な成分であるエクストラ・バージン・オリーブ・オイルが他の植物油(何か明記されていないことが多い)に替えられたり、本来入れるべきでない砂糖やクエン酸が入ったり、本来は松の実を使う所を他のナッツ類(カシューナッツなど)で代えることがしばしばあり、そのような場合、風味が大きく変わることとなる。
ペスト・ジェノヴェーゼ
Comment by Onetap1 625 ポイント
>>「僕が尋ねたいのはイタリア人はなぜこれほどトマトを強く取り入れたのかということ」
おそらくだけどイタリアはトマト栽培に理想的な気候だったからちょっとの努力で沢山育てられたからじゃないかな。
同じことがアイルランドとジャガイモについても言える。
Comment by CrazyCoKids 151 ポイント
↑パイナップルがハワイ諸島やカリブ海で主要になった理由もこれ。
なぜなら育つには最高の場所だったから。
Comment by the_falkinator 134 ポイント
これがスレの趣旨からずれることは分かってるけどうちの教授が今研究しているのが如何にしてチリペッパーが中国料理に取り入れられたかについて。
四川、湖南料理を食べたことがある人ならそこじゃチリペッパーが大人気だってことやその地域の人がチリペッパーを食べるのが重要な地域性になっていることが分かるはず。
けどチリペッパーは新世界の作物で、人気を博したのは伝統医療に取り込まれたから。
うちの教授によれば階級によっていろんな考えがあって、富裕層(ここが大半の歴史を生み出している)はチリペッパーはおぞましく不要なものであると考えていた一方で、下層階級では沢山育てられていたようだとのこと。
あと毛沢東の有名な言葉に「チリペッパーがなければ革命もない!」ってのがある。何故なら彼は大のチリペッパー愛好家だったから。
Comment by superfebs 12 ポイント
イタリア人だけど南部の人間はそれまで何を食べていたのかってよく不思議に思う。
イタリア北部だと伝統料理でトマトを使ったりはしない。北部じゃ育たないからだけど。
Comment by superunclever 1 ポイント
↑イタリア北部ってそんなに寒いの?トマトはアメリカ合衆国北部じゃモリモリ育つ。
Comment by superfebs 3 ポイント
↑寒いよ。イタリア北部はアルプスのちょっと南だからね。
スイスからミラノまで自動車で40分って言えばわかるかな?
Comment by superfebs 2 ポイント
↑シベリアではないけどトマトが育つほど十分な暖かさはない。米やトウモロコシはここじゃよく育つ。
Comment by pinniped1 2 ポイント
今週イタリアにいるんだけどトマトの質の良さには毎回感嘆してしまう。
匂いがあるし、あってもなくても良いってものじゃない。生でも調理されていても好き。
Comment by SeredW 150 ポイント
1980年代初期ではブロッコリーはオランダじゃあまり知られてなかった。
うちらがそれを知っていたのは休暇でオーストリアに行ったときに高級レストランでそれが出てきたから。
高級料理の添え物としてブロッコリーがちょこんと乗ってた。
それから20年経ってオランダではよく知られる野菜になって、最近では一年を通してどのスーパーでも見られるものになってる。
Comment by maison-allumette 2 ポイント
僕は専門家ではないけどトマトが人気あるのはかつてナポリ王国だったイタリア南部だけの話。
南部以外じゃ伝統料理にトマトを使うことはほとんど無い。
南部はかつてスペインの支配下で、その頃のスペインはアメリカ大陸やトマトのような新しい農作物を発見していた。
だからスペイン人はそのトマトを今のイタリア南部に持ち込んで、イタリア系アメリカ人の先祖の大半はそこからやってきた。
その人たちが色んなトマト料理のレシピを北アメリカ人にもたらしたからイタリア料理では何でもかんでもトマトを使うという印象が出来たけど実際はそれ全く違う。
ナポリ王国(ナポリおうこく、伊: Regno di Napoli)は、イタリアが統一される前の国家の一つで、13世紀から19世紀にかけて存在した。カンパニア州、カラブリア州、プッリャ州、アブルッツォ州、モリーゼ州、バジリカータ州及び、現在のラツィオ州の一部(ガエータ、カッシーノ)を含んでいた。
ナポリ王国
Comment by thinkscout 1 ポイント
食文化ってのは動きが結構早いし、400年以上ってのはかなり長いよ。
そもそも最近までイタリアって国は存在してなかったし。
Comment by coppergato 1 ポイント
ジャガイモや香辛料だって新世界の食べ物だけど、これが含まれていないアイルランド料理やインド料理って想像するのが難しい。
多分比較的容易に入手できる新しい美味を見つけると人はあっというまにそれを新しい料理に取り込んだんだろう。
Comment by geok1 1 ポイント
今日の僕らが食べている人気のある食べ物の大半は比較的最近になるまでその大半が知られていないものだったし。
Comment by gojaejin 1 ポイント
チリペッパーにジャガイモ、ピーナッツ、チョコレート、カボチャ、色んな豆・・・
南アメリカから手に入れた作物は世界中の料理の中にあっという間に取り入れられてる。
イタリアにおけるトマトだけの話じゃない。
Comment by FN-guy 1 ポイント
それと同じことがパスタについても言える。
これは9世紀にアラブの影響で取り入れられたものだから。
イタリア半島におけるパスタの歴史は大変古い。チェルヴェーテリにある紀元前4世紀のエトルリア人の遺跡からは現在のものとほぼ同じ形態のパスタを作る道具が出土している。古代ローマ時代にはラガーナ (lagana) というパスタがあったが、現在のように茹でて食べるものではなく、焼いたり揚げたりして食べた。
パスタ
Comment by RebeccaETripp 1 ポイント
スレ主と全く同じ事を僕も昔からよく疑問に思ってた!
他の有名な料理でも似たような事は感じるよね。
例えばイギリス人とアジアの茶の組合せとか。
Comment by niado 1 ポイント
極めて簡潔に回答すると、トマトは保存するのが簡単でそれがためにイタリア人ディアスポラの間で人気になったから。
より詳しい回答が「歴史家に色々質問する板」でされてる。
https://www.reddit.com/r/AskHistorians/comments/6z42la/what_was_the_italian_cuisine_before_the_tomato/
ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora、ヘブライ語: גלות)とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。
ディアスポラ
Comment by 1017whywhywhy 1 ポイント
トマトは元々イタリアでは毒があると思われてた。なぜかというとそれまでイタリア人が慣れ親しんでいた有毒植物とトマトの見た目が似ていたから。
大半の人はトマトを避けていたんだけど貧しい人がリスクを犯してそれを食べてみてトマトに親しみ始めた。
トマトは安い食べもののソースとして人気が出て、広まった。
あとでこれのソース探してみるよ、確かこのほとんどがドキュメンタリーにあったやつ。
16世紀以前、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めた。新大陸の中でもトマトを栽培植物として育てていたのは、この地域に限られる。16世紀にアステカに入ったサアグン修道士の記録から、当時から複数種類の栽培種が開発されていたと見られる。
ヨーロッパへは、1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。当時トマトは「poison apple」(毒リンゴ)とも呼ばれていた。なぜなら裕福な貴族達が使用していたピューター(錫合金)食器には鉛が多く含まれ、トマトの酸味で漏出して鉛中毒になっていたためである。鉛中毒の誤解が解けた後も、有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く、最初は観賞用とされた。
しかし、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは18世紀のことである。
トマト
※ベラドンナの果実
Comment by mrglass8 1 ポイント
トマトのことを考えると世界の料理の歴史に魅了されてしまう。
単にイタリア料理ってだけではなくて世界のほとんど全ての料理文化で不可欠なものになってるのがトマト(ひょっとしたら東アジアではそうではないかもしれないけど)
Comment by Gromit801 1 ポイント
アメリカ大陸から取り入れたトマトや中国に由来するパスタを取り除いてしまったら、うちらがイタリア料理って呼ぶものも全く別のものになってると思う。
Comment by moeq87 1 ポイント
このスレ読んでたらアダム・シェル著の『Tomato Rhapsody: A Fable of Love, Lust & Forbidden Fruit』のことを思い出した。
※関連
https://www.amazon.com/Tomato-Rhapsody-Fable-Forbidden-Fruit/dp/0385343337
Comment by ramzvkumar 1639 ポイント
このスレ読んでたらインド人がチリペッパーをどう取り入れたのかって疑問に思った。
15世紀の終わりにポルトガル人によってインドにもたらされたものだけど、スパイシーフードと同義語になったインド料理には不可欠のものになったんだから。
Comment by TRHess[S] 881 ポイント
↑世界中の「伝統料理」は新世界発見によって一変したんじゃないかって思う。
Comment by TheShadyGuy 436 ポイント
↑料理というのは言語みたいなもので常に進化し続ける。
Comment by Bunsky 18 ポイント
ローマ時代の料理本はいくつか現存していて、そのうちの一つ(原文はラテン語で翻訳されたもの)を持ってる。
そこに書かれてる料理は・・・予想もつかないものだよ。
例のガルム魚醤以外だと、クミン、ミント、ワイン、ビネガー、色んな肉、蜂蜜、シルフィウム(今では絶滅したハーブ)によって現代じゃ馴染みのない味を出してた。
個人的にお気に入りのレシピだと仔牛肉にレーズン、オニオン、クミンを使用した葡萄カレーとでもいうべきもので、これはマリナーラソースとは随分違ってる。
マリナーラソース、またはマリナラソース(英: marinara sauce)は、トマトソースの一種で、ピザ、パスタ、ラビオリなどのイタリア料理に使用される。その名称のマリナーラ(marinara)は、イタリア語で「船乗りの」を意味する形容詞で、イタリアの都市ナポリの船乗りがよく食べていたことに由来している。
マリナーラソース
Comment by LaphroaigianSlip 315 ポイント
料理の伝統というものは思っている以上にあっという間に変化するものだからなぁ。
Comment by delibaltas 56 ポイント
↑これ。「ムサカ」は伝統的なギリシャ料理だと思われてるけどこれ実は王室料理人のツェレメンテスが生み出したものでそれから100年も経ってない。
Comment by CrazyCoKids 147 ポイント
↑「伝統」料理になるために数千年の時間は必要ないもんね。
ムサカ (アラビア語:مسقعة musaqqaʿa; ギリシア語:μουσακάς; トルコ語:musakka) はギリシャ、バルカン半島とマシュリク、エジプトなど東地中海沿岸の伝統的な野菜料理。これらの地域以外ではギリシア料理のムサカが最もよく知られている。
ムサカ
高速まとめブログリーダー決定版【無料】
前後の記事をスワイプでサクサク読める!iPhone/Androidアプリ
<お知らせ>
「暇は無味無臭の劇薬」の同人誌が完成しました。
<お願い>
コメント欄において記事内容と全く関係ない署名活動、政治活動をすることはお控え下さるようお願いいたします。
<記事について>
・このサイトではすぐ記事にするという事はせずしばらく時間が経って十分にコメントがたまってから記事にするようにしています
そのため速報性のようなものはなく、意図せず他サイトさんとネタが被る場合があります。
・記事が長すぎるという指摘を受けて以来注意するようにしていますが時々長くなりすぎることがあります。
<コメント欄の規制について>
コメント欄がライブドア側によって規制されています。
問題があると判定されたコメントは「このコメントは削除されました」と表示されます。
柊りんのイラスト一覧
柊りんのイラストのリクエスト
暇劇あぷろだ
柊りん&オコジョMMDモデルのダウンロードはこちらから
2012年に更新した記事まとめ
2013年に更新した記事まとめ
2014年に更新した記事まとめ
2015年に更新した記事まとめ
2016年に更新した記事まとめ
このサイトについて(アクセス禁止基準など)
翻訳担当:オコジョ
感想担当:柊りん
歴史しかないらしい(原型となった料理というなら数百年、千年前からあるものも多いが)。
ほんで、関西で薄口醤油が、関東(江戸近辺)で濃口醤油が生産されていたため、関西、関東の味の違いは、これで起きたとか。
http://drazuli.com/upimg/file14980.jpg
失恋でやけになったイタリア人が食って見たら
美味くて感動したとかいう うろ覚え
ほんで、熱々のスパゲティを手でつまんで、自分のヒゲにつけないようにして、食う(上を向いて口を開け入れる)のが、粋とされたとか。
日本でいうと、江戸のソバみたいな扱いかと思う。食い方が粋かどうかとか、屋台物だったもの含めて。
事情を知らない人に毒と思われても仕方ない
ナスカのじじょうえ精通してない人には仕方ない
よく生き延びたよな
前に新大陸発見まで何喰ってたんだ?って、ここの米欄で聞いたら、カブとは教えられたけど、
ほんと、よく生き延びて、今の人類って軌跡の連続よな
これ、たぶんベラドンナのこと。
トマトはナス科なんだけど、ナス科の植物は、全般的にアルカロイド系の毒がある。
花岡青洲が、麻酔に使ったというチョウセンアサガオもナス科。
ベラドンナもナス科。
カレー粉入れたら鉄板インディアンになります、、
一度味覚えたらそりゃやめられんだろう。
でもってそういう煮込み料理は、イタリアよりもトルコや中東の方がメインだと思うよ
そもそもおかずは余り無くてとにかく米ばっかり食べてたみたいだから今とはまるで違うんだよな
あとトマトお好み焼き(広島風)も
グルタミン酸の魔力よね。
日本で何でもかんでも醤油使うようになったのはグルタミン酸の魔力のせいだし。
醤油という最強の旨味調味料があるから日本料理にトマトが入り込めなかったとも言えるんじゃない?
原型のパスタ+ケチャップとゆう食べ方は進駐軍時代のアメリカ軍が持ちこんだもの。
軍関係で外国に行くアメリカ人はこれが大好きで招かれたホームパーティでも定番でした。
本当にデロデロになる寸前まで茹でたパスタにケチャップをからめるだけw
随分前に小錦関がハワイの実家に帰郷するドキュメンタリーをテレビで放送してたけど、この時もこれをモリモリ食ってたし、
アメリカ軍文化が日本以上に取り込まれてるフィリピンでもマクドナルドやピザ屋の再度メニューとして定番になってるよ。
アラブのえらいお坊さんにオススメされたんだね
毛沢東「チリペッパーがなければ革命もない!」
クッキーモンスター「クッキー!!!」
昔は金属製のフォークは高価な代物だった上、イタリア庶民は貧しかったので、
イタリア庶民はパスタ料理を食べる時に手掴みで食べていた。
熱々で麺の長いスパゲティーを素手で食べるのはさぞかし不便で食べ難かっただろう。
一方の日本人は箸を使った。
トマトケチャップを使ったナポリタンと言う料理は、マリナーラソースが手に入らない貧乏人が代用品として食べた格下の料理なのだよ。
戦後の食糧難の時代や経済的に貧しかった時代ならともかく、今の時代にケチャップパスタ料理を食べるのはイタリア料理を知らない田舎者だけ。
魔界では生き血の代わりとして栽培されていたんだ
微妙に間違ってるような気がする
元々たまりは近畿では広く使われていたけど
江戸幕府が出来て消費量が爆発的に増えたので大量生産できるようにしたのが濃い口醤油
あと、関西と関東の味の違いの根本は水だよ
関東の水の硬度が関西より高くて出汁を取ろうとすると旨味の抽出量が少なく不味くなるので
濃い口醤油の旨味で補填したのが関東の味付けの基礎
原材料:中国
生産者:中国人
そんなトマトの水煮の缶詰
そしてそのまま醤油の醸造元がソースを作るようになり、味の違いも引き継がれる
四川料理で唐辛子などを多用するのはビルマ、雲南経由で影響があった証左じゃなかろうか?
いや~高度経済成長期にもバブル期にもその後にも普通に食べられてたんご存じあらしまへんの?
まあ、ぶぶ漬けでも食べていきなはれ。
・スペイン王
・ナポリ・シチリア王
・ネーデルランド所地域君主
その他 君主
しょうがないから大手メーカーの
イタリアで育ったとかイタリア産トマトって表示してあるトマト缶買ってる
気候に適した物だったってのがでかいんじゃないか?
後は各家庭の秘伝のレシピと受け継がれる物として安価なトマトソースは普及しやすかったとかじゃないかと
何でもかんでも唐辛子を料理に利用するようになった現象と似てるね。
ちなみに、朝鮮唐辛子はそんなに辛くない。
辛さレベルは
朝鮮唐辛子<ハラペーニョ<日本唐辛子<プリッキーヌ(タイ)<ハバネロ
肉や魚など動物質のイノシン酸やコハク酸と合わせると旨味がさらに増す
日本においては昆布、南ヨーロッパにおいてはトマト
これ、歴史的には、こういう順番。
13世紀半ば、みそ製造の副産物でたまり醤油が作られる。
16世紀後期に関西で濃口醤油が作られる。
17世紀前期に関西(紀州)から、関東に醤油醸造技術(濃口)が伝えられる。
17世紀後期に関西(播磨の龍野)で、薄口醤油(当時は淡口といったが)が作られる。これ以降、薄口醤油が関西に広がる。
たまり醤油は、生産量があまりなくて、広く使えるような量がない。庶民の口には早々入らんかった。
このころの上級の公家(権大納言の山科言継)の日記で、醤油が贈答品となっていたという記録がある。
濃口醤油が、記録に登場するのは、戦国時代から織豊期にかけて(16世紀後期)。
これが工業化して全国に広がったのが、江戸時代中期。ほんで、東西で、食の味の分化がおきるのがまさしくここ。さらに、ここらで調味料での煎り酒が減っていく。
幕末になると、完全に関東濃口、関西薄口になる。そして、醤油の需要が10倍くらい増加している。
まぁ考えてみりゃ、魚を塩につけるだけで旨味のある汁が出るもんな
魚食うとこならどこでもあるか
江戸時代までみんな着物着てたのに明治になってどんどん洋服が浸透して着物文化はみるみる駆逐された訳じゃん
アイデンティティに直結するものですら利便性の前に見る間に変わるくらいだ
その人達にとって美味い食材があったらあっという間に浸透するだろそりゃ
肉や魚使わない料理でうまみ出すのに最適だからな
昆布とか干ししいたけない国じゃとくに
レモンもだけどトマトの方が使いやすい
違う。「イタリア産」と表記してるトマト缶の中身が、実は中国産という話。
イタリアは世界最大のトマト生産国である中国から大量のトマトを輸入している。
バカな日本人はイタリア産のトマト缶を購入しているつもりでも、迂回貿易の餌食になっている。
持ち込まれたものをどこの土地での栽培に合うか調べ、改良もし、特産品、貿易品として民衆に作らせて、民衆にもそれを使うことが許可されて広まっていったから
欧州におけるじゃがいもの普及も一緒よ?
日本における薩摩藩のさつまいもや、 醤油、味噌、豆腐といったものの普及も
時代や物によっては、一般庶民は入手困難な高級品だったり、庶民が作ることも口にすること、使用することさえ禁止されていたものもある
原材料は中国だけどイタリアで調理加工された缶詰 (´・ω・`)
「新潟仕込み」のせんべい(アメリカ米)みたいなものか。
それはコーヒー
南米の話ですからね。>ナスカの地上絵
先日大統領に就任しました
ラードを絡めて塩気をつけたスパゲティを親指と人差し指と中指の三指でつまんで高く掲げ、それを上向きに口を開けて落とし込む
腹が満たされたらレモン汁を入れた水を飲んで芝生の上に寝転がる
麺汁が垂れないからできる芸当だが、これはこれでなかなか美味そうだと思う俺
広島風は許してやるが広島焼きとか言うとったら命(タマ)は無かったところだな
人類の食への飽くなき探究心には本当に驚くな。
日本の稲作も、ルートは諸説あるものの伝来したものとされているし、
味もさることながら気候風土に適すると時間をかけて主食(級)になったりするんだな。
イタリアも北の方は繊維工業とか盛んだけどね 南部の方はさほどでもなくシチリアとか…
ということでゴッドファーザーとかにつながるんだな
北朝鮮産のアサリを国内で養生させて国産として売ったり、そのままで中国産と偽ったり
結構闇が深そうだよ
あんたなんか特になくても平気なんだからねッ!
で、最初は観賞用だったとしても「これ食えねえかなあ」と思ってしまうのは人の常。
食ってみたら毒は無さそうだし、非加熱でも手軽に食べられるし貯蔵性もいい。貯蔵が利けばレシピをあれこれ工夫する機会も増える。
一旦そういう流れになれば、栽培法から貯蔵法から利用法まで、かなりのスピードで発展しても不思議はない。
→イタリア国旗の色に合わせたマルゲリータピザを作るのに赤い色のトマトが丁度良かったから
こんな事も判らないなんてウマシカだなイタリアンはwww
http://drazuli.com/upimg/file14981.png
一方、マウンテンにトマトは必要なかった。
海外にはチャイニーズレストランシンドロームというグルタミン酸に対する深刻な風評被害があるから。
当時の中国人が飢えずに生存する為には(特に冬期)必要不可欠だった《自家製保存食》
其の作製に必要な塩、此れに各王朝がアホみたいな税金を掛けた事も一因と思われる。
塩漬け⇒高価な塩、減量の為唐辛子漬け等出現⇒調味に唐辛子他香辛料多用
お前バカ?
田舎者はバカ舌な上に文化水準も低いから、経済状況関係無しにナポリタン()の様な格下の料理を喜んで食べるでしょう。
そこそこ経済発展した韓国が未だに貧しい料理を好んで食べているのと同じ。
流石韓国の方は韓国事情にお詳しいですねw
その差別的な物言いも全くもって同国の人の特徴ですねぇwww
栽培に適した環境なら他所から来ても他の食材とマッチする。
中には北日本から運ばれて琉球料理の食材になった昆布のような例もあるけど。
それに、外来を除いたら日本でもイタリアでも汎用性が高くて使える食材がなくなってしまう(米や小麦など)。