この記事は、出産後のパートナーが鬱(うつ)と診断された、もしくはそのように見える、そして子どものことは大好きだけれどそんなパートナーとの生活を今後続けていけるだろうかと悩んでいる男性に向けたものです。それ以外のかたにとっては不快な内容を含む恐れがありますので閲覧をお勧めしません。あと、私の妻の監修を受けた上で公開していることを申し添えておきます。
前段をご了承いただいた上で読み進めようとしているみなさんにまず伝えたいことは、私が言うのもおこがましいですが、あなたはすでに十分にがんばっているということです。もしかするとうまくいかないことだらけの日々で疲弊しているかもしれません。でもそのことで自分自身を責めないでください。もちろんパートナーのことも。あなたがいま直面している問題には明確な原因がなかったり、逆に原因が多すぎてそれが複合的にからみ合っていて、とても特定できるような代物ではないと思われます。どうしてうまくいかないのか、どうしたらうまくいくのか、そういう考えを捨てることが、まずはとても大切なことだと私は思っています。
私自身、妻と離婚する夢を見て何度もうなされてきました。そんな私ですが、いまはほぼ出産前の状態に戻った妻と協力して育児に取り組み、毎日を楽しく過ごしています。だからあまり悲観的にならないでもらいたいと願っています。以下の文章がみなさんの気持ちを少しでも軽くするための一助となれば嬉しいです。また、以下については私自身の書きやすさのため「である」の文体で書くことをご了承ください。
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我が家には3人の子どもがいる。
7歳と4歳と1歳。
出産のたびに、妻は心身の調子を崩し、夫婦間のトラブルも多発した。そんな状況下でよくもまあ、3人も子どもを設けたなとあらためて振り返っている。
第一子が誕生したとき、ぼくはロマンチストだった。出産というものに対して過度な理想を描き、家族をこの上なく幸せな状態に導くものだと思っていた。育児は大変なものだという認識は多少持っていたけれど、それまでの人生をおおむね順風満帆に過ごしてきたぼくはがんばればきっと乗り越えられると思っていたし、乗り越えた先にはいまだかつて見たことのない鮮やかな景色が広がっていると思っていた。
そんなぼくの理想は出産翌日からことごとく崩れていく。その様はこのブログでいろいろ綴ってきたので、そちらを参考にされたい。とにかく驚くほどの音を立てて崩れていった。それを機にぼくは自分の認識の甘さを反省し、働き方を見直し、定時退社を徹底し、家庭での料理をすべて引き受け、保育園の送迎、小児科受診など、可能な限り家事と育児を優先した。そうこうしているうちに、妻の心身も落ち着き、第二子を設けようかという話になっていく。
ありがたいことに妻は第二子を妊娠し無事に出産するが、その後も大きく心身を崩した。ただ、第一子のときの経験が夫婦ともにあったので、以前よりはスムーズに(それでも大変だったことに違いはないが)乗り越えられたように思う。長男のときほどに、長女は体調を崩さなかったことも大きいかもしれない。長男は3歳までに5回の入院を経験したが、長女は1回だけだった。また当時、妻が仕事において充実感を持っていたのも大きかったように思われる。
そして私たちは第三子を設ける。やはり妻は心身を崩した。三番目なので夫婦ともに経験はかなり積んでいるはずだったが、今回は育休が1年以上に伸びたこと、そして長男の小学校入学が重なったこと、他にも理由はあっただろうが、ぼくの目から見るとこの2点がとても強く妻に影響を及ぼしたように見えた。
そのころの妻は、顔色が悪くげっそりしていて、なにをするのもおっくうというか、しんどそうに見えた。何かを話しても私の声が届いていないような感じがあり、頭が回転していないように見えた。そのときのぼくは正直なところやれることは最大限やっている感があって、これはもう、専門の病院を受診したほうがいいように思えて妻に提案した。
心療内科の受診を勧めるというのは「うつ」という病気に関して理解が乏しいと、ハードルが高いことかもしれない。大事なことは、現代において、うつ病はまったく特別な病気ではなく、だれでもなり得るのだということを夫婦ともに理解することだろうと思う。ちなみにぼくは妻に「心の風邪みたいなものだよ」と声をかけた。
いざ受診をするとなるとどこの病院にしようかと迷うと思うが、とりあえずどこかを受診してみて、合わなければ別の病院という感じで気軽に構えておくとよいと思う。例えば髪を切るとき、美容室がたくさんあって迷うと思うが、とりあえずどこかで切るでしょう? そして合わなければ次は別のお店にするでしょう? それと似ている。ただ、たとえ評判がよくとも、あまり遠い病院はお勧めしない。通院しやすい距離というのは、うつの患者にとっては結構大事なことだと思われる。
心療内科を受診したあとの妻はいくぶん調子を取り戻した。薬は漢方のみだった。薬の効果もあったとは思うが、先生といろいろ話せたことがよかったように思われる。育児の悩みを打ち明けられる相手が、パートナー以外にもいるということはとても大事なことだ。
しかしながら、心療内科に過度な期待を寄せるのもあまりよくないだろう。うつは、インフルエンザのように特効薬があるわけではない。いったんよくなったと思ってもすぐに悪化する。肩こりや腰痛に似ている。一度発症すると、日によって調子がよかったり悪かったりということがあってその症状と上手に付き合っていかなくてはならない。
さてここからはぼくたち夫側が気をつけるべきことについて触れたい。
まず、妻がうつになった原因を探ろうとしないこと。ぼく自身がそうだったのだが、きつそうな妻を見ているとその原因を探り解消してしまいたくなる。ただ、うつについては、これは語弊があるかもしれないが、基本的に原因はないと思ったほうがいい。もちろん、育児のストレスだったり睡眠不足だったりそれらしい原因はたくさんあるのだけど、まず、パートナーに「なにがつらい? どうしてほしい?」と聞くこと自体がパートナーのストレスになりかねない。そして聞いたところで、おそらくパートナーは的確に答えきれないだろう。ぼくの妻も「これといって理由はないの。あなたも本当に助けてくれてるし」みたいなことをよく口にした。
パートナーがきつそうにしていると、なんとかしてあげたいという気持ちになるが、まずその気持ちを捨てよう。パートナーのうつに悩み、わざわざこの記事を見てくれているみなさんは、たぶんすでに十分育児や家事にかかわっているはずだ。だから、いまさら「もっと育児や家事に積極的に関わってパートナーの負担を減らしましょう」なんて安っぽい言葉はかけない。そこから解決につながることは、おそらくない。
ではどうするのか。
まずは「きみのことが好きだよ、誰よりも大事だよ、いつでもそばにいるよ」こういった言葉をかけてみよう。もしくはハグをするのもいいかもしれない(嫌がられなければ)とにかくあなたのパートナーのしぼみきってしまった自尊心をもう一度ふくらませなければならない。それには我々夫の、しらふでいうには恥ずかしいようなセリフをハリウッド映画顔負けで語り続けることが必要だ。上にあげた言葉はなんかうそくさい、わざとらしいと思うかもしれないが、そんなことはないはずだ。この記事を見ているあなたは、きっとパートナーに対してそういう気持ちでいるはずだ。普段なら恥ずかしくて口をつぐんでしまうような言葉をパートナーに語りかけよう。もちろん、あなた用にアレンジしてもらってかまわない。
あなた自身、ひとりになりたいと思うことがあるかもしれない。大いにけっこう。それは自然なことだ。ぼくらが心身ともに元気でいることはかなり大事なことだ。おろそかにしてはいけない。仮にぼくらが体調を崩すと、そのしわ寄せがパートナーへといきがちだ。そうならないためにも息抜きは大切。自分がひとりになる時間を持つことによるパートナーへの負担が気になるのであれば、子どもたちが寝付いてから外出してもいいし、場合によっては有給休暇を取得してもいいだろう。第三者に子どもたちをあずけられるのであればそれもいい。
もしパートナーから「○○したい、○○してほしい」という要望があったときには、可能な限り少々無理をしても実現させよう。例えば我が家の場合、第三子が待機児童だったのだが、待機児童のあいだ、パートナーがとある保育園に預けたいと言い出した。その保育園は月極の制度がなく、かなり高額な費用を要したので、ぼく自身は別の保育園のほうがいいのではないかと思っていたのだが、そのときは妻の希望を優先させた。もちろんなんでもかんでもパートナーの希望通りというわけにはいかないのだが、例え費用がかかるようなことであっても、その費用は妻の心身回復のために使われるのだという認識を持つことで抵抗感が減るかもしれない。
上の話とも関係するのだが、妻は運命だとか前世だとかに興味を持っている。(これは第三子を出産したあとにぼくも気がついた)そして同じように興味を持っている友人とちょくちょく会っていた。ある日妻が、そのグループのメンバーにぼくを会わせたいと言ってきた。正直に言って、ぼくはそのグループについてうさんくさいイメージを持っていたのでそれほど乗り気ではなかったのだが、なかなか外に出たがらない妻が会ってほしいと言っているのだからと思いきって会いに行った。
そのグループでの会話は、ぼくからすると突っ込み所満載でなかなか共感できるような内容ではなかったのだけど、ぼくはその会に参加してよかったと思っている。なぜなら、普段なら妻に言いたくても言えないようなことを、その会の中でたくさん話すことができたからだ。その会の趣旨は、アプローチこそぼくのそれとは違えど、夫婦の関係性をよりよくしていこうというもので、とても親身にぼくの話も聞いてくれた。そして妻が信頼している仲間を介していることで、普通に話せば角が立つような内容であっても、時には笑いを交えながら打ち明けることができた。このグループに対して、ぼくはとても感謝している。先入観を持たずいろんな人に会って話を聞くことはとても大切。特にパートナーが大切に思っている人ならばなおさらだ。
それからあなたの性的な欲求について。
この問題も非常に深刻だ。というのも、うつ病を患ったパートナーとはそういう機会を持ちにくくなるからだ。これについては、日を改めて書きたいと思っているが、簡単に触れておくとタブー視しないこと。そんなこと考えちゃいけないとか、パートナーにこの手の話題を振っちゃいけないとか、制約を設けず、大らかな態度で臨むことがよいと思う。もちろん、浮気に走るとかそういうことではなく、パートナーとのあいだで性に関する問題意識を共有して、いずれは解決していきたい(でも急がない)ということを念頭において、フランクに話し合える空気を醸成することが大事だと思う。ぼくの妻はこの点、かなりオープンというか進歩的だったので、そういった意味では苦労はあまりなかったが、この問題がかなり大きくなる夫婦もたくさんいると思われる。
ところであなたは、パートナーの前で号泣したことがあるだろうか? ぼくは二度号泣した。長男が生まれたあと、妻の変化にまったく追いつけなくて家に帰るのも嫌になったとき。そしてもう1回は第三子が生まれて1年以上が経過して心身ともに疲れはてたとき。妻に対してもう自分は限界だということを話していたら、なんかとめどなく涙があふれてきた。1回目のことはかなりの年数が経ってしまったので記憶が曖昧だが、2回目のとき、妻に洗いざらいぶちまけたら、意外なことに妻は少し喜んでくれた。
おそらく普段は理路整然としているぼくが、感情的になって弱い部分を隠すことなくさらけ出したことが、かえって妻には信頼の証として映ったようだった。これは狙ってやったことではないけれど、ときには弱みを見せるのもいいのだと気づかされた。自分の気持ちを飾らず、ありのままでパートナーに接することが功を奏することもあるので、心の片隅にでも残しておいてもらえればと思う。
ずいぶんと長くなってしまって、それなのに十分に書けていないこともあるように思うが、同じように悩んでいる人たちの参考になれば幸いだ。この話題については、機会があれば少しずつ書きためていきたいと思う。
それと同じように悩んでいる男性(もちろん女性でも構わないのだが)で相談の相手がおらず悩んでいるときは、ぼくにツイッターで話しかけてもらっても構わない。ぼくは専門家でもなんでもなく、ただ経験者というだけで大して力になれないと思うが、お話しくらいは聞けるので。ぼくもこの件については助けられた人間のひとりなので、同じく悩んでいる人を助けることで、少しでも恩返しができればと思っている。
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