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公場対決

 投稿者:素朴な疑問  投稿日:2018年 5月11日(金)16時01分17秒
編集済
  多くの会員は、どっちが正しいのか?と思って見ている
原田学会は宗教団体
「裁判」ばかりしないで「公場対決」したらどうか?
大聖人も池田先生(小樽問答)もされた

是非、お願いします

 

和合を乱す【破和合】のヤツら★

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月11日(金)15時35分17秒
  それに従い【邪★眷属】に連なるは・・・

後退★敗北の信仰者人生~後悔★への道

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36719


正義への黒い策謀★邪智★呪い★毒は

我が身およびその眷属に降りかかる!?

【げんちゃく お ほんにん】

(かえって本人につきなん!)


http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

笑える忘れえぬ工作員たち~夜な夜な登場したおばあちゃん、実は本部職員の男子部

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2018年 5月11日(金)15時29分41秒
  出たよ~、変態オカマ工作員のおばあちゃん(-_-)  投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)
投稿日:2016年 6月14日(火)13時54分26秒   通報 編集済
『(無題)  投稿者:おばあちゃん
投稿日:2016年 6月14日(火)13時53分15秒
宿坊の掲示板に隠されていた謎がわかりました


相変わらず、化けの皮剥がされると出てきますね?
公務員並みに最高幹部様からボーナス貰って頑張り始めましたね。その金=財務=毒なんですよ。大丈夫?すぐそこに、中夭・横死が待ってマス(-_-)
 

京都の虎って人

 投稿者:トラ退治  投稿日:2018年 5月11日(金)15時22分24秒
編集済
  相変わらず成長がない人やな。単細胞かよw w w

あっ!この人ね→投稿者:宿坊内部告発者
投稿日:2018年 5月11日(金)15時15分52秒
 

ツイッターからです。ハタチ氏と関わりがあれば査問、会うな、話すな、連絡とるな。創価学会、人権侵害はじめました~♪

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 5月11日(金)15時19分27秒
  ハタチ氏と関わりがあれば、区幹部だろうが支部幹部だろうが地区幹部だろうが、果ては一般会員だろうが、査問して「会うな??話すな??連絡とるな??」と強制しているのは間違いなく学会側である。
これは、証拠もある間違いない事実だ!
 

ツイッターからです。創価新報記事を受けて男子部がレッテル貼り目的でSNS対策始めました~♪

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 5月11日(金)15時14分11秒
  どうも創価新報の志賀男子部長の記事を受けて、男子部でSNS対策を始めているようです。これが中央の指示か方面の先行かはわからないのですが、手法としては相手を論破することが目的ではなく印象操作のレッテル貼りをすることが目的のようです。詳しくはまたブログで書こうと思います。  

素朴な疑問

 投稿者:素朴な疑問  投稿日:2018年 5月11日(金)13時09分54秒
編集済
  なぜ
創立者の思いが込められた「ブロンズ像」が放置されたままになっているのだろう?

なぜ
創立者と学生の共同制作の「創大獅子像」がキャンパスから消えたのだろう?

なぜ
牧口の豪華さを不必要まで記載し、まるで
先生が贅沢三昧されているかのように
ネットに投稿し続けた人が処分されないのだろう?

なぜ
大学、学園の理事長に先生の息子さんではなく
他人であり、なんの貢献もしていないであろう人達が就任しているのだろう?

創価学会は「世襲しない」との先生の決断は立派だと思う
しかし、大学、学園は先生が私財で作られたも同然のもの
理事長は、どう考えても子息が就任するべきだと思う

そして
なぜ
秋谷氏が副会長に就任した事を聖教に発表しないのだろう

ついでに
なぜ
訪問団の団員名を発表しないのだろう

 

これでどや!あんさんも題目あげてみなはれ!

 投稿者:日蓮仏法3.1メール  投稿日:2018年 5月11日(金)12時56分19秒
  プレイイング ?投稿者:SaySaySay ?投稿日:2018年 5月11日(金)12時05分2秒

相変わらず素晴らしいセンスですね。楽しくなります。

それで、私たちも色々研究し勉強していくと、従来の唯物論的・物質中心主義的考え方を克服していくことが必要になりました。

例えば、脳が意識を作る、したがって脳が死ねば意識も亡くなるというのが従来の定説です。
が、仏法的な視点からもニューサイエンスの視点からも、考え方は逆ですね。
宇宙意識が顕在化するための座として脳が必要なのでばないでしょうか。

それから、遺伝子DNAはデータベースですが、環境や体験によって発現のオン・オフされることがエピジェネティクスで解明されています。
つまり、私たちは宿命・宿業の犠牲者ではありません。
宿命転換が可能です。
が、自我意識のレベルでは決して転換できません。
潜在意識にアクセルする必要があります。
題目がそれを成すことを脳波測定で検証しました。

こんな形で仏法対話をすると、これまで拒否反応してきた人でも興味を持ってくれますね。
実際、これは欧米のメンバーからのフィードバックです。
「これでどや! あんさんも信心してみまへんか? 題目あげてみなはれ! と、こんな折伏。仏法対話」
 

アセって貼り付けミスった

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月11日(金)12時54分45秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/37273

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

影★陰あるところ光あり☆

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月11日(金)12時53分12秒
  ここまで言われちゃもう~

なにも言うことはない!☆

http://6027.teacup.com/situation/bbs/19828

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

プレイイング

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 5月11日(金)12時05分2秒
  『「宿命」は変えられるのか?「脳は環境が作るか、遺伝子が作るか」問題』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180510-00055581-gendaibiz-bus_all
>『サイコパス』『シャーデンフロイデ』などのベストセラーの著者で、脳科学者の中野信子さんが「日本人の脳」について解説する連載第二回目では、この難問に迫ります――<

結論すると……『脳波シフトで宿命転換 日蓮仏法3.1』

>唱題するとなぜ宿業(カルマ)を転換し、諸願満足の人生を実現することができるのでしょうか?
そのメカニズムの解明が本書の主題です。
カルマは私たちの潜在意識に深く根付いていて、日常生活で強力な影響を与えています。
それは個人的な性質に留まらず、家族や家系の集合的な行動パターンも含まれます。
そのため、深層心理学的にカルマの重層構造を理解する必要があります。
と同時に、潜在意識は特定の脳波にも対応するので、脳神経科学的な観点も重要です。
著者は唱題中の脳波を実際に測定し、題目が脳の同期化を促すと共に、「カルマのパターンブレーカー」であることを確認しました。
本書では、題目の効果を意識・深層心理・細胞・遺伝子・脳などに関する最新の研究成果を駆使して解明します。
題目は脳波を変えて、行動・実践へと昇華し、宿命転換に繋がります。
このメカニズムを理解することで、あなたの唱題実践に対する確信がより深まり、パワフルになります。
人生のあらゆる分野において新しい次元を開き、境涯革命・宿命転換・諸願満足の人生を謳歌してくださることを願っています。<
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094353

これでどや! あんさんも信心してみまへんか? 題目あげてみなはれ! と、こんな折伏。仏法対話。

“私は願うの、あなたがどこかで祈っている事を 祈っている事を・・・・”
“私は願うの、あなたの心の魂が変っている事を 変わっている事を・・・・”
“私は願うの、あなたにとっての安らぎが見つかるようにと”
“私が私であることを誇りに思う もはや鬼畜な奴らはいない、私は復活したの”
“あなたは言ったわ、私は人生が終わってると まぁ結局それはあなたが間違ってたわ”
“今が、そしてこれからも最高の時がやってくるの”
“自分自身で作り上げることができるから”
“あなたは必要ないの、私は強さを見つけ出したわ、未知の強さを”
『プレイイング』ケシャ
https://www.youtube.com/watch?v=v-Dur3uXXCQ
 

NEW TYPE

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 5月11日(金)11時48分36秒
  寝たきりオジサンさん、本当ですか!? 河合さんのCDがある!?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84054
聞きたい! 聞きたい! 聞きたい! 聞きたい! 聞きたい!

赤胴鈴之助さんの「想像」は当たっていると私も思います。アメリカの大統領だけが池田先生と対談されていません。暗殺されたケネディだけが可能性がありましたが。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84080
アメリカという国は(あらゆる意味での)勝利に対する執念が凄い。この衆生世間が持つ修羅界(勝他の念)の強度は淡白な草食動物ニッポンジンを主とする衆生世間のそれとは大きく違うでしょう。

強暴な肉食動物に喰われず生き残るため、草食動物は「群れ」で暮らす。肉食動物は「動くモノ」を見るとそれに反応、狙われるので、草食動物は群れの中でじっと「フリーズ」した状態でいる。その群れの中で「異色」なモノがいると目立つので、「群れ」は嫌う。

草食動物ニッポンジンは、燃費の良い肉体を持っていて、短距離走では肉食動物には敵わないが、長距離走になれば強みを発揮する(日本人のスプリンターは少ないがマラソンマンは多い)。その燃費の良さは、アメリカ人よりも1.5倍長いと言われる「腸」が、少量の食事からも沢山の栄養分を取ることが出来る(が、近年これがアダに、少量で良いのに、文明が進んでたくさん食べることが経済的に可能となり、設計燃費上、食べ過ぎることから肥満、健康問題が増える、皮肉な現象が起きている)ことによって実現している。

この「腸」は「第二の脳」と言われ、近年、「腸内フローラ」などと呼ばれ、腸内の様相がなんと性格・人格にも影響を及ぼすことが分かって来た。

そんな草食動物ニッポンジンには身を守るための「群れ」を第一優先とする「集団主義」が「遺伝子」として在り、千年の単位で受け継がれて来ている。
草食動物ニッポンジンには「個人主義」というDNAは存在しない。「一人ひとりを大切にする」という、「一人」にスポットライトを当てるDNAは存在しない。

そんな草食動物ニッポンジンの集団の中に「突然変異」として現れたダイサク・イケダなる細胞を「異物」として倒そうとする働きが起きるのは、生命の《法則》でしょう。
しかし、この「人間主義」の遺伝子を持つ細胞が増殖した時、この生命体ニッポンジン、またソウカガッカイはその「宿命転換」をすることになる。
生まれる前から決まっている「遺伝子」……これほど「宿命」的なものはない。一念三千・因果ぐ時、九識論……ダーウィンらは進化論と言ったが、生命の本質から言えば種々の宿命転換こそが宇宙の歴史と言えるでしょう。

そんな草食動物ニッポンジンの「群れ」を守るため、昭和54年/1979年以降、ムラの執行部は異物を切った……そう、波田地さんの見解を私も正しいと思います。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84062
問題は何度も言いますが《基準》なのだと思います。基本的におとなしくてイイひとのニッポンジンは「良かれ」と思って考えます。ですが、問題はその《基準》が何か???

突然変異から増殖したイケディアンを旧来の日本的人物は「新しい種類」と蔑みました。が、『機動戦士ガンダム』(放送開始=昭和54年/1979年)の予言通りなのか、『NEW TYPE』が現れ、増えて来ました。シャア・アズナブルが言ったように、それを認めれば良かったのに。
 

初打席初ホームラン☆ならぬ初投稿大爆発☆

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 5月11日(金)10時35分50秒
  エセ★プロ?の文章など不要~!!

思い(想い)あふれる素朴なコトバ

訴えに知恵の光☆輝く夜空の彗星~☆

http://6027.teacup.com/situation/bbs/19828



「げんちゃく お ほんにん」はお経のおしえ

毒も呪いも「かえって本人につきなん」

報いは結局本人の元へ返って来る!?










http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

(無題)

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月11日(金)10時18分11秒
  現在私の関心事は、北朝鮮情勢と独裁寸前の自公政治。

こういう時期にイラク戦争の検証などをする事は、現実逃避して象牙の塔に籠るのとほぼ同じ意味。

逆に目くらましになって、ダーハラ一味だけが喜ぶと思う。
 

寝たきりオジサンさま、ありがとう!!

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月11日(金)10時02分43秒
編集済
  寝たきりオジサンさま、あなたは勇気ある広布の勇者です。

私は決して口には出さないと決めていました、まして、この板で表明しますか・・・。

四条金吾殿御返事(P1192)
に臨兵闘者皆陣列在前とありますが、その前の段には「さてもさても敵人にねらはれさせ給いしか、
前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし、
夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず果報つきぬれば所従もしたがはず、所詮運ものこり果報もひかゆ
る故なり、」と。


空虚な整体師さんの書き込みには、???な点が多くあります。
引用失礼します。
>戸田会長と  岸信介総理の交流など 元は  右翼思想が  根底にあると言える<

友達=思想が同じという、方程式は成り立ちませんよ。

私の友達で、総評系の組合で書記をしていた友人ですが、共産主義ではありませんでした。
唯物論者で決してSGには入りませんでした。

共産党に査問されて処分されたことを私に話してくれました。

空虚な整体師さんこれも???です。
「執行部は安藤しただろ」、「 庶民の自出」、「先生は女性を重宝された」

愚人の私には意味が分かりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2 日顕宗を破す

創価学会は、創立以来、日蓮大聖人直結の信心に立ち、仏法を広め、万人の幸福と立正安国、
世界の平和のために活動してきました。

広宣流布を破壊しようとして、魔性を現したのが「日顕宗」です。

日顕宗とは、法主(管長)に絶対的な権威・権力があるとし、日蓮正宗第67世の法主を名乗る
阿部日顕が支配してきた日蓮正宗宗門のことです。

日顕宗は、第2次宗門事件が勃発してより、この20年以上の問、日蓮大聖人の仏法の教義と御精
神にことごとく違背し、謗法の教団と化しました。

法主が日顕から次の代に代わっても、日顕の謗法の濁流をそのまま受け継いでいるので、私た
ちは日顕宗と呼びます。

悪と戦う

日蓮大聖人は、「立正安国論」のなかで「しかず、かの万祈を修せんよりは、この一凶を禁ぜんに
は」(24頁)、「すべからく凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截つべし」(25頁)と仰せです。
仏法を正しく実践していく上で決して忘れてはならない一点は、人々の心を惑わす根本の悪縁
である「一凶」と戦い抜くことです。

「法華経の敵」を責めてこそ成仏日蓮大聖人の仏法では「悪を責める」「悪と戦う」信心を強
調されています。

「信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず。
いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法
華経の敵をだにもせめざれば、得道ありがたし」(1494頁)

どんなに大善をつくって、仏法の修行を重ねても、「法華経の敵」を責めなければ成仏は叶わ
ないと仰せです。

「法華経の敵」とは、人々に法華経を捨てさせ、万人の成仏の道を塞ぐ者をいいます。

法華経は、誰人の生命にも仏性があると説く、最も普遍的な「人間尊敬」の思想です。

この法華経を否定したり、法華経の流布を阻んだり、法華経の実践者を迫害することは、「生
命尊厳」「万人平等」「民衆根本」の思想に逆行する「法華経の敵」にあたります。

この趣旨の上から、日蓮大聖人の御在世当時において「法華経の敵」の姿を現した人間を一人
、挙げるならば、極楽寺良観が、その代表格といえるでしょう。

世間的には"生き仏"のように人々の尊敬を集めながら、裏では法華経の真髄である南無妙法蓮
華経を広宣流布しようとされる大聖人を迫害した僧聖増上慢であったのです。

そして、現代であれば、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を現実に展開している創価学会を
破壊しようと企てた日顕が「法華経の敵」に当たります。


宗門事件の経過

日蓮大聖人の広宣流布の精神と実践は、日興上人に正しく継承されました。

しかし、時代を経るごとに、日蓮正宗宗門では、そうした精神と実践が形骸化して、「葬式仏
教」と化し、僧侶の権威化が進み、僧俗の差別が行われるようになってしまいました。

創価学会が創立されるころには、まさに法滅という状況でした。
創立以来、広宣流布の実現を目指す大願を貫いてきた創価学会は、宗門に対して正すべきは正
しながら、宗門を支えてきました。

戦後、宗門が経済的に疲弊していた時から赤誠の真心で宗門を守`り、350以上もの寺院を建立
して寄進してきました。

広布の大願に生きる創価学会と、僧侶の権威を保とうとする宗門との間には摩擦が生ずること
もありました。
しかし、学会は紛糾した事態の収拾に、忍耐強く努力してきました。

日顕が法主になると、広宣流布のために宗門を支えていこうとする学会の誠意を踏みにじり、
僧侶が宗教的権威をふるう信徒蔑視の体質が一層強まりました。

世界宗教へと飛躍する創価学会と、その指導者であり、各界から賞讃される池田先生を敵視す
るようになった日顕は、学会を破壊しようと画策。平成2年(1990年)、日顕は、学会を切り捨て
て、会員信徒を宗門に隷属させるために、「創価学会分離作戦」(C作戦)という陰謀を企て、実
行に移しました。

すなわち、同年12月、宗門は宗規(宗門の規約)を一方的に変更し、池田先生に対して、法華講(
宗門の信徒団体)総講頭の役職罷免を通告してきたのです。

学会は話し合いによる解決を求めましたが、宗門はこれを拒否しました。

そして、平成3年(1991年)11月には、全く根拠のない「解散勧告書」(7日)を学会に送りつけ、
さらには「破門通告書」(28日)を送付。

一方的に学会を「破門」するに至ったのです。

また、宗門は、非道にも学会員に対して、時の法主が書写した御本尊の下付を停止しました。
これは、御本尊を受持したければ宗門に従えという、信仰の根本である御本尊を"人質"とした
、卑劣な宗教的弾圧であり、脅迫でした。

しかし、学会は、平成5年(1993年)に日寛上人書写の御本尊を全世界の会員に授与していくこと
を決定。

日蓮大聖人直結の広宣流布の教団である学会こそ、「法華弘通のはたじるし」(1243頁)と仰せ
の御本尊を授与する権能があると宣言し、仏意仏勅の世界広布の実現へ、前進していくことに
なりました。

創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち
、その責任において広宣流布のための御本尊を認定しており、世界宗教として大きく飛翔する
時代を迎えたのです。

日顕宗は、ますます魔性の正体をあらわにし、平成10年(1998年)には、800万人の信心の結晶で
建立された正本堂を破壊するという暴挙に出ました。

正本堂は耐用年数は千年ともいわれ、20世紀最大最高の宗教建築とうたわれていました。
しかし、日顕は、建立からわずか26年にして無残にも破壊。800万人の、信心の赤誠を、いとも
簡単に踏みにじったのです。

平成17年(2005年)12月、日顕は退座し、日如が法主となりましたが、天魔・日顕の毒に染めら
れた濁流は、元にば戻りません。

日顕宗は、完全に日蓮大聖人の仏法に違背した邪宗門と化したのです。

日顕宗の大罪と邪義

日顕宗では、法主を絶対として崇める「法主信仰」ともいうべき誤った信仰を根幹とし、てい
ます。

その前提として、法主だけに流れ通う"神秘的"な血脈があるなどとします。
そうした考えを根本にして、信徒蔑視の体質がつくられていったのです。

これらは、御書のどこにも一切書かれていない、日蓮大聖人の仏法とは正反対の邪義です。
ここでは、日顕宗の邪義の破折を通し、日蓮仏法の本義を学びます。


①広布破壊の謗法



広宣流布の団体である創価学会を破壊しようと、C作戦を推進していた日顕宗は、平成3年(19
91年)11月、学会に「破門通告書」を送ってきました。

そこには御書の引用もなく、学会を破門する教義上の根拠も全く示されていませんでした。
単に"学会が宗門に服従しないから"という権威的・感情的な主張が繰り返されていたにすぎま
せん。

「大願とは法華弘通なり」(736頁)、「広宣流布の大願」(1337頁)と仰せのように、広宣流布は
日蓮大聖人の御遺命です。

だからこそ、創価学会は、創立以来、広宣流布を目指して、折伏・弘教の実践に努め、日本の
みならず、全世界に大聖人の仏法を弘通してきたのです。

その創価学会の破壊を企てるということは、広宣流布破壊の大謗法であり、一切衆生の救済を
目指された日蓮大聖人のお心に背く大罪です。

日顕の「破和合僧」の大罪

仏法上の大罪に「五逆罪」があります。

五逆とは、
①父を殺す、
②母を殺す、
③阿羅漢を殺す、
④仏身より血を出す、
⑤和合僧を破る(破和合僧)、の五つです。

このうち、仏の教団を分裂混乱させる行為である「破和合僧」は、仏の教えを破壊し、人々を
迷わせ不幸へと堕とす重罪です。
日顕が犯した最大の罪は、この「破和合僧」の罪です。

広布を推進してきた創価学会の組織破壊を企てたことは、日蓮大聖人の御遺命に違背する謗法
以外の何ものでもありません。


②法主信仰の邪義

現日蓮正宗を、なぜ「日顕宗」と呼ぶのか。
それは、日顕宗の教義が、法主を信仰の対象としているからです。

本来、法主とは、法を護持し、教え広める主体者という意味です。

信行学の範となり、正法を護持する存在でなければなりません。

ところが、第2次宗門事件が起こって以来、宗門の法主であった阿部日顕とその一派が終始、主
張しているのは"法主”は絶対であるから、ともかく法主に従えという、一切の対話を拒絶して
独善化を進める「法主絶対論」「法主、信仰」です。

法主(日顕)を絶対とするゆえに日顕宗というのです。
法主、信仰は、日蓮大聖人の仏法の三宝(仏宝・法宝・僧宝)を破壊する大慢心の教義であり、
日顕宗が邪教と化した根幹の要因です。

たとえば、宗門の公式文書には次のようにあります(宗門の機関誌に掲載された、いわゆる「
能化文書」)。

「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体にまします」
「この根本の二つ(大御本尊と法主)に対する、信心は、絶対でなければなりません」

法主が大御本尊と不二の尊体であるとは、法主を絶対なるものとして礼拝し、信仰せよという
ことです。

御本尊をお守りする役割の法主が、いわば、尊極の法そのものの体である御本尊と同等の地位
にまでのし上がった教義です。
これほどの前代未聞の邪義はありません。

「御本尊根本」こそ正しい信心日蓮大聖人は「この曼茶羅、よくよく信ぜさせ給うべし」
(1124頁)、
「無二に信ずる故によって、この御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」
(1244頁)

等と仰せです。

また、日興上人も「ただ御書の意に任せて、妙法蓮華経の五字をもって本尊と為すべしと。

即ち御自筆の本尊(大聖人御自身が認められた御本尊)これなり」
(1606頁)と述べられています。

「御本尊根本の信心」こそが、大聖人・日興上人以来の正しい信心です。


法主の絶対視は大聖人・日興上人に違背

ところが日顕宗は、唯一無二であるべき御本尊に法主を加えて「根本の二つ」とし、大聖人・
日興上人のお心に背く正法破壊の邪義を唱えています。

「日興遺誠置文」には、次のようにあります。

「時の貫首たりといえども、仏法に相違して己義を構えば、これを用うべからざること」
(1618頁)

たとえ法主であろうとも、仏法から逸脱して、自分勝手な主張をする場合は、それを用いては
ならないと断言されています。

日興上人は、貫首すなわち後代の法主が誤りを犯すこともありうると想定されていたのです。

同じく「遺誠置文」には、「時の貫首あるいは習学の仁においては、たとい一旦の揺犯有りと
いえども、衆徒に差し置くべきこと」(1619頁)とも言われています。

時の法主や、しかるべき学を積んだ僧が、僧侶としてあってはならない間違いを犯すことがあ
ったとすれば、本来は即刻破門にすべきだが、むしろ、一般の僧(衆徒)として修行を再びやり
直させて、根本的に謝罪する道をとらせるべきであるとの御指南です。

「遺誠置文」に照らしても、法主を絶対視することは、日蓮大聖人・日興上人に完全に違背し
た邪義であることは明白です。


③誤った血脈観

神秘的な血脈の嘘

日顕宗で法主が絶対であるとする考えが生じているのは、前提となる血脈観が誤っているからです。

前の法主から「血脈相承」を受けるだけで、仏の内証(心の中の覚り)、法体(覚りの法そのもの
)が、次の法主へ伝えられるとする"神秘的"な血脈観のことです。

日顕宗の「能化文書」には、「唯授一人の血脈法水は、まさに人法一箇の御法体です」などと
記されています。

このような"神秘的"な血脈観は、日蓮大聖人、日興上人の教えとは無縁の邪義であり、のちの
時代の者が、法主の権威を主張するためにつくった嘘なのです。

日蓮大聖人の仏法における血脈とは、本来、一切衆生に開かれたものであり、一部の者が独占
するものではありません。


「血脈」という言葉は、真言密教や日本天台宗や禅宗で盛んに用いられ、師匠から弟子へ法門が受け
継がれることを、親から子へ血筋が受け継がれることに例えたものです。

「血脈」の本義は万人に開かれた「信心」

日蓮大聖人御在世当時の日本仏教界では、「血脈」の名のもとに、ごく一部の閉ざされた人間
だけに仏法の奥義なるものが伝わるとする「秘伝主義」が横行していました。

日蓮大聖人は、成仏の血脈は特定の人間のみが所持するものではなく、万人に開かれるもので
あることを明確に示されています。

「生死一大事血脈抄」に「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて、仏に成る血脈を継がしめ
ん」(1337頁)と仰せです。

日蓮大聖人の仏法においては、「血脈」といっても、結論は「信心の血脈」(1338頁)という表
現にあるように「信心」のことです。

これに対して、信心、実践と関係なく、相承されれば、そのまま仏であるとする日顕宗の特権
的・神秘的相承観は、「信心の血脈」という血脈の本義から大きく外れた邪義なのです。


④僧俗差別

「僧俗差別義」の時代錯誤

日顕および日顕宗の僧侶に共通しているのは、"僧が上で信者は下"という、信徒に対する「差
別思想」が染みついていることです。

例えば、日顕が平成2年(1990年)に学会を切ろうとした際に「20万、こっちにつけばいい」
と語っていたことは有名です。

「20万」というのは、自分たちが贅沢三昧の生活を続けるための人数です。
こうした発言自体、信徒の幸福を全く考えていないことを物語っています。

信徒蔑視の思想は、日蓮大聖人の仏法には存在しません。
日蓮大聖人は「この世の中の男女僧尼は嫌うべからず。法華経を持たせ給う人は、一切衆生の
しうとこそ、仏は御らん候らめ」(1134頁)、

「僧も俗も尼も女も、一句をも人にかたらん人は、如来つかいの使と見えたり」(1448頁)と、
明確に僧俗の平等を説かれています。

日顕宗が、僧俗の平等を真っ向から否定する背景には、江戸時代を中心に日本の仏教が葬式仏
教化し、檀家制度が普及したことがあげられます。

僧侶は信者を支配し、隷属させ、信徒も僧侶に依存し、自身の仏道修行を完全になおざりにし
てしまったのです。


檀家制度の弊害を体質として深く残している時代錯誤の集団が日顕宗です。
僧俗差別義は、その象徴です。


⑤化儀の悪用

日顕宗の大罪の一つとして、葬儀、法要、戒名、塔婆などの化儀を悪用し、仏法を金儲けの道
具にしてきたことが挙げられます。

現在、宗門が行っているような僧侶による葬儀、法要、戒名などの化儀は、大聖人御自身が定
められたものではなく、のちの時代につくられたものにすぎません。

宗門は、僧侶による葬儀が成仏のために不可欠であるなどと主張していますが、そのようなこ
とを大聖人は一切言われていません。

むしろ、「過去の慈父尊霊は、存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば、即身成仏の人なり」(1423
頁、
通解・・・亡くなった御尊父は、存命中に南無妙法蓮華経と唱えたのですから、即身成仏の人なので
す)等と仰せのように、各人の成仏は、生前の信心・実践によることを強調されてい
ます。

大聖人の御教示を無視して、僧侶による葬儀が成仏のために不可欠である、などと言うこと自
体、大聖人の仏法を歪める大罪です。


⑥腐敗堕落

大聖人は、僧侶の在り方について、「ただ正直にして、少欲知足たらん僧こそ、真実の僧なる
べけれ」(1056頁、
通解・・・ただ正法に対して素直で、少欲知足である僧こそが、真実の僧である)と、欲望が少
なく、わずかで満足する質素な態度であるべきことを示されています。

しかし、日顕をはじめ、日顕宗の悪僧の実態は、腐敗堕落を極め、大聖人の御教示とは、全く
逆のものになっています。

大聖人は、こうした仏法利用の悪僧について、「法師の皮を著たる畜生」(1386頁)、「食法が
き(餓鬼)」(1111頁)と厳しく破折されています。

創価学会は、邪宗門の黒い鉄鎖を断ち切り、いわば「魂の独立」を果たしました。
以来、年を重ねるごとに、地球上のあの地この地でメンバーが誕生し、同志が増えていきまし
た。
今やSGIの連帯は世界192力国・地域にまで広がるに至りました。

これに対して、日顕宗は衰退の一途をたどっており、信者数は学会を破門する前のわずか2%に
まで激減しています。

現実の姿の上からも、また、仏法の上からも、その正邪はあまりにも明らかです。

大聖人の御遺命である広宣流布を実践する学会にこそ、日蓮仏法の本義は脈々と受け継がれて
いるのです。

私たちは、日顕宗の悪を断固、打ち破り、さらに世界広布の大きな流れを開いていきましょう。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、中国・李首相を歓迎とのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 5月11日(金)09時17分13秒
  おはようございます。原田怪鳥様、会員への「励まし」の記事ではなく、単に偉い人と会って話したダケのコトかもしれませんが、

久しぶりの一面登場、李首相を歓迎とのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、『歓迎』という大見出しには少し違和感がありまぁ~す(大笑)

なぜならば、李首相はレセプションに出席されたワケですから、問題は、原田怪鳥様が主催者側で開催されたものかどうかというコトでぇ~す(笑)

政教珍聞には、主催者として日中交流促進実行委員会となってマスが、原田怪鳥様はこの委員会の一員なんでしょうかぁ~?(笑)

もしかしたら、原田怪鳥様は、レセプションに招待されたダケで、その招待された場で李首相と会われたのであれば、ど~デスかねぇ~(笑)

原田怪鳥様は主催者側として「歓迎」したのではなく、イチ招待客として、個人的に「歓迎」されたというコトになりマスので、

いかにも、創価学会が主催したのかと誤解されるような大見出しであるとするならば、「盛り盛り」も極まっているんじゃないデスかぁ~(笑)

小生は市政の一員デスので、原田怪鳥様が日中交流促進実行委員会の一員かどうかはサッパリわかりませんが、明日の政教珍聞には、

李首相、創価学会総本部を表敬訪問との記事が掲載されマスように祈ってまぁ~す(大爆)


まあ、個人的に「歓迎」されたのか? 主催者側として「歓迎」されたのか? 細かいコトはどうでもいいデスから、

原田怪鳥様、ナニやら? 李首相から先生への伝言を受け取られたそうデスので、先生に必ず伝えて頂きマスように、お願いしまぁ~す(笑)

巷の噂では、ナニやら? 原田怪鳥様は先生に「お目通りかなわぬ身」だそうデスが、大丈夫デスかぁ~(大爆)


まあ、「珍・人間革命」誓願も、宗門と学会、山本伸一と弟子、という背景なり、心情なりを描いてほしいのに、

世界情勢の背景でお茶を濁すようでは、ホントに終わってまぁ~す(大爆)

原田怪鳥様、「正史」を学びましょうっ! って、明言されてるんデスから、「正史」にふさわしく、宗門と学会とでナニがあったのか?

山本伸一と弟子との間でナニがあったのか? 山本伸一でなければ描けない心情をしっかりと描いて頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

ミネルヴァの梟様へ【イラク戦争の検証について】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月11日(金)08時46分37秒
編集済
  おはようございます。
いつも見識あるご投稿に学ばせて頂いています。

さて、イラク戦争についてですが、自分はリテラシーが低く、お恥ずかしながら昔は何も考えない学会員でありました。
当時の自分は「学会本部で支援決定した議員を当選させればよい。それが広宣流布だ!世界平和に繋がる!」と思っていたのです。
そのため政策については二の次だったのです。
安保法制の時に声を上げてから、真剣に政治を考えるようになり、イラク戦争について向き合うようになりました。

事実として自衛隊が派遣され、後方支援という形で、日本はイラク戦争に関わりました。
書籍やネットの情報から知ったイラク戦争は『悲惨』そのものでした。
子どもや女性、非戦闘員が、無差別に惨殺されました。
結果的には、イラク戦争によって50万人以上もの命が失われたのです。

その惨状を知った時、公明党に投票したことを大変後悔しました。
「何も考えず支援活動をすることは恐ろしい事だ。公明党に投票したからといって、世界平和には繋がらない。」と。
「自分の一票で、もしかしたら自衛隊は派遣されなかったのではないか」とも・・・。

組織内でイラク戦争について質問しましたが、どの方も答える事は出来ない状態です。
多くの幹部が、イラク戦争を他人事として見ているのが自分の感触でした。
きっと、原田会長にしても、山口代表にしても、この先イラク戦争の検証をすることはないと思います。

イラク戦争の検証は、創価学会としても、また公明党としても必要だと思います。
理由は、『何も考えず、公明党の支援をすることは危険』だと言うことです。
事実として起きたイラク戦争を検証し、その史実から今後の政治のあり方や、政策について支援者が考えるのは大切だと思うのです。

個人的には、原田会長(創価学会)と山口代表(公明党)の総括をもとに、本来なら安保法制の是非も考えるべきだったと思っています。

お忙しい中、大変恐縮ではございますが、ミネルヴァの梟様の智慧を拝借し、イラク戦争の検証についてご検討頂ければ幸いです。
何卒宜しくお願い致します。

 

宮川さんのFacebookの投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 5月11日(金)08時12分33秒
  「 蔵の財( たから )よりも身の財すぐれたり。

身の財より心の財第一なり。

此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし  」

( 崇峻天皇御書 1173頁 )

余りにも有名な御指南であり、誰もが一度は耳にした御書の一節ではなかろうか。

御書の一節で、好きな御文は?と
聞いて一番多かった御文が、私の周りでは、次の御指南であった。

「 冬は必ず春となる」であった。

意味を聞くと、一様に、

「 今が、どんなにツラく、
苦しくても、信心に頑張れば、

寒い冬が、暖かい春になるように、全部解決すること 」

と言う答えが返って来る。

勿論、正しいお答えであるが、大聖人は、

この御文で「凡夫即極 」( 凡夫と極果・仏界が一体不二
であること )を、

教え示そうと為されたのである。

御書を拝したい。

「 法華経を信ずる人は冬の如し、

冬は必ず春となる、

いまだ昔より聞かず・見ず.

冬の秋と還れる事を、

いまだ聞かず、

法華経を信ずる人の

凡夫となる事を、」

( 妙一尼御前御返事 1253頁 )

大聖人は、「 冬から秋に戻る事 」が、絶対に有り得ないように、

「 法華経を信ずる人の 」

「 仏と成らざる事を 」ではなく、

「 法華経を信ずる人の 」
「 凡夫となる事を、」
と、仰せである。

大聖人の御言葉の一つ一つには、甚深の意味がある。

法華経を信ずる人は、既に、
その時点で、仏なのである。

従って、「 法華経を信じた時点で仏であり、そのあとは、

冬が秋に絶対に戻らない様に、二度と再び、仏の境涯から「 凡夫となる事 」は無い、との御指南であり、

「 凡夫即極 」、そして、
「 受持即観心 」と言う、

仏の絶対の慈悲をお示し下さっているのである。

冬の寒さに凍えながら、我慢して、苦しんで、頑張って、
その先に春があるのではない。

冬は寒いけど、楽しくスキーなどを楽しみながら、

仏の悠々とした境涯で、

喜びでワクワクしながら、春の到来を待つのです。

でも、そう感じられない人のために、最初の御指南、

「 心の財 」

を知ることの重要性があるのです。

「 因果は倶時 」
( 原因があれば絶対に結果は既に出ている )

で、あるけれども

「 因果は異時 」
( 原因があり、必ず結果は、決まっていても、

3次元世界に、目に見える形として現れる迄には、時間差タイムラグがある )

その法則が分かると、何があろうが起きようが、

全く、環境に左右されない大歓喜の世界が拡がるのであり、歓喜の中の大歓喜の世界に生きていけるのである。

この偉大なる仏法、
日蓮仏法の溢れる法味を、
味わって頂きたいし、

「 かかる者の弟子檀那とならん人人は、宿縁ふかしと思うて、

日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、

法華経の行者と言われぬる事、はや不祥なり、
免れ難き身なり 」
( 寂日坊御書 903頁 )

何という、師匠の大慈悲であろうか。

「 弟子たちよ、ひと度なりとも、南無妙法蓮華経を受持した以上は、仏であって、

冬が秋に戻る事が出来ないように、
二度と迷いの凡夫に戻らないのだから、

大聖人に出会った事、
池田先生の弟子になった事は、久遠以来の約束なんだから

忘れてしまったかもしれないが、諦めて仏法に殉じなさい。

どうせ、成仏は決まっている道なのに、何故、苦しい苦しい、ツライツライと、歩くんだ?

君の行く手には、幸せしかないではないか。

何故、心の世界を開かないんだ。
妙法の眼( まなこ )を開かないんだ 」

と言う御本仏のお声が聞こえて来るようである。

戸田会長がおっしゃった、

「 私の得た功徳が、この会場いっぱいとするならば、

皆さんがたが、有難がっている功徳は、この小指の先程の功徳なんです 」と。

大宇宙に遍満する大功徳を感じる為に、ほんの少しだけ
その功徳を知った私や天野さん、他の同志と共に、

偉大な日蓮仏法、崇高な池田思想を教え通りに学んで参ろうではありませんか。

未だ未だ、お伝えしなければならない、ヨダレが出るような法味、法悦境のお話があります。

この、フェイスブックに投稿して参ります( 急に、「である口調 」から「 です、ます口調 」に、なってしまったのは、

お伝え出来る喜びに、口元が緩んだ故です。

乞うご期待!
 

わが友に贈る 2018年5月11日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 5月11日(金)07時15分22秒
  仏法は最高の道理だ。
「良質な睡眠」
「適度な運動」
「賢明な食生活」で
心身共に生き生きと!
 

なんのため〟の信仰か

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 5月11日(金)05時47分0秒
編集済
  小説 新・人間革命 5巻 281~2頁

私の念願

 その(創価学会の)目的は何か。学会という教団が勢力を
拡大することでもなければ、議員を増やすことでもありません。
この戸田先生が示された三指針を、一人ひとりが現実のもの
として、一家の和楽を、人生の幸福を、何ものにも負けない
自己自身を築き上げていくことこそ、私どもの目的であります。
(中略)この"なんのため〟の信仰かを銘記し、同志を一人も
退転させることなく、全員に大功徳を受けさせていただきたいの
であります。それが、私の念願であります
---------------------------------
おはようございます。きのうからYoutubeにある
戸田先生のスピーチを聴くことをはじめました。
お題目を心の中で唱えながら聴いています。
私にとってむずかしい内容を、戸田先生は
わかりやすく、冗談をまじえて楽しく、そして
力強く話されています。みなさんもお時間が
あったら、聴いてみたらいかがでしょうか。



この動画で釈迦仏法と日蓮大聖人様の仏法の
ちがいがよくわかりました。
 

赤胴鈴之助さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月11日(金)05時46分12秒
  面白い妄想ですね!私はこれにCIAがからんでると妄想しています(笑)  

ヨーロッパの方の言葉。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 5月11日(金)05時40分36秒
編集済
  朝のラジオで、数ヶ月前だろうか、あの佐藤優さんが、トランプ大統領支持者の岩盤支持者の心理をあるヨーロッパの方の言葉を紹介しながら評していた。
うる覚えですが…こんな言葉だったと思う。

「信じていたものが、間違っているとわかると惨めだから信じ続ける。」

おかしいとわかっているのに、それでもと、信じている人たち。

先生の陣頭指揮が無くなり、あまりに変質した今の創価学会。その会員にぴったりとあてはまるような言葉だ。笑

先生が、お元気なら。

「〇〇!おまえは、私のつくった創価学会をめちゃくちゃにした。」と言われるだろう。
 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2018年 5月11日(金)04時55分47秒
  脳波シフトで宿命転換支援いたします。

皆様ご存じでいらっしゃる方もおられると思いますが、恥ずかしながら私は全然知りませんでした。

コスタリカの奇跡。

全ての国家予算、軍事費ゼロにしたい(>_<)

是非とも観てみたい映画です。

https://cinemarine.co.jp/costarica/
 

池創相対に関心

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月11日(金)03時56分42秒
  静かな大人のカフェさんの、『八重の相対』については面白かったです。

『八重の相対』は波田地氏の論だと聞いたことはありましたが、興味が無く過ごしてきましたが、
最近になって知りたいと思うようになりました。

特に、池創相対に関心があります。
それと、波田地氏は、共戦の指揮を執った人だと、理解しています。
河合師範が、波田地氏を教学指導していたのではないかと、私は思っているのですが・・・。
妄想で済みません。

引用失礼します。

>問題はなぜ、秋谷前会長や矢野がこんなこと(=池田先生をマスコミに売ったこと)をしたか、
です。私は、創価学会、公明党をる守ためであったと思います。<


池田先生を潰そうとした、悪人は他にもいると私は思っています。
ソ連(ロシア)、中国との仲介をアメリカがどう見ていたか・・・。

アメリカとしたら、属国としか見ていない、日本の宗教界の池田大作氏が、中ソの仲介をした
ことが、喜ばしいことは無かったのであろうと、推測しているのですが・・・・。
そして、秘密裏に矢野、秋谷氏へ圧力を掛けたのではなかろうか・・・。

田中元首相が中国に飛んで国交回復をしたことも、アメリカは嬉しくはなかったと私は思って
います。

それと、創共協定も絡んでいそうです・・・。

当然というか、何の証拠もない私人の妄想ですのでお許しください。

池田先生は、桜花爛漫、前人未踏の実績を残されました。

先生の講義です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三世間について・・・御義口伝講義下 第15 衆生見劫尽(しゅじょうけんこうじん)・・・

 三世間を述べるまえに、世間ということの意味を述べることにする。

 世間とは差別と訳すのである。世の中の一切の事象は差別である。

ここにいう差別とは、決して人間生活、また社会における、つくられた、不合理な差別をいう
のではなく、本来、そのものの特質によって生ずる差別である。

 ある事象とある事象とを判別できるのは、その間に差別があるからであり、いいかえれば、
そのもの固有の特質があるからである。

 これらの差別は、そのまま生かされて当然であり、これをおしなべて等しくする必要はない。
 人間の生命に本来そなわった差別も、そのまま生かされるべきである。

 人間一人一人、かけがえのない、尊厳なる生命の当体であり、その個性が最高に生かされる
ところに、真の自由があり、平等があるのではあるまいか。

 桜の花は桜の花として立派に咲き栄えていけばよい。椿の花は椿の花として咲き誇ればそれで
よい。

 みんな同じ桜になってしまったなら、かえってその価値を失うのである。


 

任用試験範囲 1 創価学会の歴史

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 5月11日(金)03時42分25秒
  1 創価学会の歴史

ここでは、広宣流布に生き抜いた三代会長の足跡、並びに、師弟の精神を通して、創価学会の歴史を
学びます。

法華経は、仏意(釈尊が教えを説く真意)を明らかにした経典です。
仏意とは、万人が自身の生命に本来具わる仏の智慧を現し、自他共の揺るがぬ幸福と平和な世
界を実現していくことです。

法華経では、この仏意を実現するために、あらゆる障害と戦って自他の生命変革を成し遂げて
いくのが真実の大乗の菩薩であることを明らかにしました。
そして、この菩薩が釈尊滅後の末法に出現して、全世界に法華経を広め、仏意を実現していく
すなわち広宣流布することを説いています。
その使命を担った菩薩こそ、「地涌の菩薩」です。

この地涌の菩薩の棟梁である上行菩薩の使命を自覚し、法華経に示された広宣流布の仏意仏勅
を自身の大願として、その実現のために立ち上がり、末法の衆生と時代を救済していく根本法
と実践を確立された末法の御本仏が、日蓮大聖人です。

現代において、大聖人の御精神を継承して、世界広宣流布の使命を深く自覚し、その実現のた
めに真剣な実践を貫いてきた教団が創価学会です。

また、現代における広宣流布の自覚と実践を確立してきた指導者が、初代会長・牧ロ常三郎先
生、第2代会長・戸田城聖先生、第3代会長・池田大作先生(SGー会長、名誉会長)の「三代会長
」です。

牧口常三郎

初代会長の時代

創価学会の淵源は、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の師弟に求められま
す。
牧口先生と戸田先生は、ともに教育者でした。
牧ロ先生は、明治4年(1871年)の旧暦6月6日、新潟県柏崎市荒浜で生まれました。
少年期に北海道にわたり、働きながら読書と勉強に励み、北海道尋常師範学校(のちの北海道教
育大学)入学。卒業後は、教員になりました。

数年の教員生活の後に上京し、明治36年(1903年)に最初の著書である『人生地理学』を発刊し
ました。
その後、東京各地の尋常小学校の校長を歴任しました。
一方、戸田先生は、明治33年(1900年)2月11日、石川県加賀市塩屋町で生まれました。
明治35年ごろ、一家で北海道厚田郡厚田村(石狩市厚田区)に移住。
尋常高等小学校を卒業後、働きながら独学で教員の資格を取得し、夕張で教育者の道を歩み始
めました。

牧□先生・戸田先生の

師弟の出会い
その頃から真剣に人生の師を求めていた戸田先生は、東京に出た折に、既に小学校校長として
活躍していた牧口先生と出会い、意気投合します。
牧口先生48歳、戸田先生19歳の時でした。

間もなく、戸田先生は、牧口先生のもとで教員として働き始め、師と定めた牧口先生を陰に陽
に支えます。
〈上京後、働きながら夜学の開成予備学校、中央大学に学びました〉

創価教育学会の創立へ
牧口先生は、自ら教育者として初等教育の現場に関わるなかで、すべての子どもが、自らの手
で幸福を勝ち取っていける自立した社会人として成長していくことを願い、それを可能にする
教育の確立を模索していきました。

そして、独自の教育学を構想し、その土台となる価値論を深く追究しました。

そのなかで、人間が社会の中で価値を創造しゆく確固たる主体となりうる生命変革の原理と、

そのための根本の実践を明かした日蓮大聖人の仏法に出あい、昭和3年(1928年)、大聖人の仏法を
継承した日興上人の流れを汲む日蓮正宗に入信しました。
57歳の時でした。

牧ロ先生は、入信した当時の心境を"言語を絶する歓喜をもって、ほとんど60年の生活法を一新
した"と述懐しているように、大聖人の仏法を「生活法」として受け止め、社会生活の中で実証
できる価値創造の力の源泉となる宗教と捉えて帰依したのでした。

牧ロ先生は、入信の動機について、「法華経に逢い奉るに至っては、吾々の日常生活の基礎を
なす科学、哲学の原理にして何等の矛盾がない」とも語っています。
なお、同年に、戸田先生も、牧ロ先生に従って、大聖人の仏法に帰依しました。
昭和5年(1930年)11月18日、牧ロ先生は、『創価教育学体系』第1巻を発刊しました。
この書は、牧口先生が構想された教育学を体系化するものであり、全12巻が予定されていました
(刊行されたのは全4巻)。

弟子である戸田先生が私財を投じて出版を支え、また、牧ロ先生の教育理論のメモを順序立てて
構成し、文章を整理するなど、全面的に協力しています。

また、『創価教育学体系』の奥付には、著作者である牧ロ先生、発行兼印刷者である戸田先生
の名前とともに、発行所として、創価学会の前身となる「創価教育
学会」の名称が記されています。これが創価教育学会の名が世に出た最初でした。

そこで、同書が発行された11月18日をもって、創価学会の創立記念日としています。
「創価」とは、「価値創造」の意味です。
教育の目的、そして、人生あ目的は幸福の追求にあり、その内実は価値の創造であるという牧
ロ先生の思想が込められた言葉です。

この「創価」という言葉そのものも、牧口先生と戸田先生の師弟の語らいのなかで生み出され
たものでした。創価学会は、そのスタートにおいて、「師弟一体」の魂の結晶であったといえ
ます。

大聖人直結の仏法の実践
牧ロ先生、戸田先生の師弟二人で出発した創価教育学会は、次第に、機構的にも整えられ、発
展していきます。
当初は創価教育学説に共鳴する教育者の団体でしたが、やがて教育者以外の人々も加わるよう
になり、価値創造の根本ともいうべき日蓮大聖人の仏法を実践する団体となっていきました。

そして、創価教育学会は、日蓮正宗の在家信徒団体となりますが、従来の講(僧侶の指導のもと
末寺に所属する信徒団体)とは、全く別の在り方をとってきました。

牧ロ会長、戸田理事長のもと、会の運営も会員の信心指導も、僧侶に依存することなく、学会
独自で行っていました。
学会は当初から、従来の日蓮正宗宗門の枠を超えた、独自の在家団体だったのです。

また、その実践においても、仏法を寺院や、葬式などの儀式に閉じ込めるものではありませんでし
た。

信行の深化によって、各人が現実の人生において幸福を実現するとともに、社会の平和と繁栄
を目指す"開かれた"ものでした。
それは、日蓮大聖人の仏法本来の実践の在り方に基づいています。

座談会や地方指導も活発に行われ、創価教育学会は、順調に発展していきました。
全国の会員は、約3000人に至ったといわれます。


軍国主義との戦い
「国家神道」を精神的支柱として、戦争拡大に暴走する軍部政府は、国内の思想統制を強化し
、学会の座談会なども、思想犯の摘発を任務とする特高(特別高等警察)の監視下で行われるよ
うになりました。

当時、政府は神社参拝や神札を祭ることを国民に強要していました。

昭和18年(1943年)6月、学会は権力の弾圧を恐れた日蓮正宗から、当時の法主立ち会いのもと、
「神札を受けるようにしてはどうか」と言い渡されました。
この日蓮正宗の態度は、謗法(正法を謗ること)容認の行為であり、日蓮大聖人、日興上人の教
えに背くものでした。

これに対して、牧ロ先生は、神札の受け取りを断固として拒否しました。
学会は日蓮大聖人が示された謗法厳誠の教えを貫いたのです。

同年7月6日、牧ロ先生は地方折伏で訪れていた伊豆・下田で、同日、戸田先生は東京で、特高
刑事に連行され、最終的に21人の幹部が逮捕されました。
不敬罪と治安維持法違反の容疑が、逮捕の理由でした。

厳しい取り調べのなかで、最後まで退転することなく信仰を貫き通したのは、牧口先生と戸田
先生の師弟だけでした。
牧ロ先生は、取り調べに当たった検事や判事にも、日蓮大聖人の仏法の教義を説きました。
権力の弾庄に屈せず、仏法の正義を貫き通したのです。

昭和19年(1944年)11月18日、牧口先生は、栄養失調と老衰のため、東京拘置所内で逝去しまし
た。
奇しくも「創立記念日」と同じ日、73歳で殉教したのです。
その生涯は、まさに御書に仰せの通りに不惜身命の実践を貫き、日蓮大聖人の民衆救済と妙法
弘通の御精神を現代に蘇らせた、尊い先駆の一生でした。


戸田先生の獄中の悟達
戸田先生は、昭和19年初頭から、獄中で唱題に励むとともに、法華経を読み、思索していきました。
そのなかで、「仏とは生命である」との悟達を得ました。

さらに唱題と思索を重ねていったとき、戸田先生は自身がまさに、法華経に説かれる虚空会の
儀式で、釈尊の滅後に法華経を広宣流布していく使命を託された地涌の菩薩にほかならないこ
とを覚り、「われ地涌の菩薩なり」との確信を得ました。
昭和19年11月のことです。

戸田先生は、この「獄中の悟達」により、日蓮大聖人の仏法への確信を不動のものとするとと
もに、広宣流布を自らの使命として自覚しました。
戸田先生のこの「獄中の悟達」こそ、仏法を現代に生き生きと蘇らせ、創価学会が広宣流布の
教団として飛躍していく原点となったのです。

戦後、戸田先生は、牧ロ先生の法要の席上、次のように語っています。

「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげ
で、『在在諸仏土・常与師倶生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌
の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。

なんたるしあわせでございましょうか」
「在在諸仏土・常与師倶生」とは、法華経化城喩品第7の文で、"師匠と弟子とは、あらゆる仏
国土にあって、、いつも一緒に生まれ、民衆救済に戦っていく"という師弟の絆を述べた言葉で
す。
弾圧に屈して多くの人が退転したなかで、牧ロ先生への報恩感謝の誠を尽くし抜かれた戸田先
生の言葉に、師弟の絆の強さを拝することができます。


戸田城聖
第2代会長の時代
昭和20年(1945年)7月3日、2年の獄中生活を耐え抜いて出獄した戸田先生は、牧ロ先生の遺志を
継いで、ただ一人、広宣流布に立ち上がり、理事長として、壊滅状態だった学会の再建に直ち
に着手します。
時あたかも敗戦の混乱と荒廃により、日本の民衆は塗炭の苦しみのどん底にうちひしがれてい
ました。
それまで国民が強制された国家神道など、信念、価値観は否定されたものの、新たな希望を見
いだせないでいました。

戸田先生は、その民衆を救いゆく大法理は、日蓮仏法しかないと、広宣流布の大願に立たれた
のです。まず、教育改革だけでなく、広宣流布という全民衆の幸福と世界の平和を目指す学会
の目的に即して、会の名称を「創価学会」に改め、座談会や地方指導も再開しました。

戸田先生・池田先生の師弟の出会い昭和22年(1947年)には、戸田先生と池田大作先生の師弟が
出会います。
池田先生は、昭和3年(1928年)1月2日、東京都大田区大森北で生まれました。

日本が次第に戦争に突入していく時で、(池田先生が)9歳の時に日中戦争、さらに13歳の時に太
平洋戦争が勃発。

やがて戦況が悪化するなか、働き盛りの4人の兄は皆、徴兵されて出征しました。

池田先生は家を支えながら軍需工場で働きますが、このころから結核苦しみ、生死の問題を考
え悩む青春時代を送りました。

戦地から一時帰国した長兄の、戦争がアジアの民衆を苦しめているとの言葉や、空襲で焼け出
されたことから、戦争の矛盾や悲惨さを痛感。
特に、再度、出征した長兄がビルマ(ミャンマー)で戦死したことを、戦後になって知らされま
す。
この時、母の悲しみの姿を通して、あらためて戦争の罪悪を実感したのです。
また、文学や哲学の書を通し、確かな人生の在り方を模索していました。

池田先生は、昭和22年(1947年)8月14日、初めて創価学会の座談会に出席し、そこで、生涯の師
となる戸田先生と出会いました。

この日、戸田先生は、「立正安国論」を講義していました。
講義終了後、池田先生は、戸田先生に「正しい人生とは」「本当の愛国者とは」「南無妙法蓮
華経とは」「天皇について」と、次々に質問しました。
軍部政府と戦い、2年間の獄中闘争を貫いた戸田先生の深い信念が脈打ち、理路整然とした明快
な答えに、池田先生は、「この人の言うことなら信じられる」と直感します。

そして、10日後の昭和22年8月24日、信仰の道に入りました。
戸田先生47歳、池田先生19歳の時でした。

池田先生は、その翌年、大世学院(のちの東京富士大学)の夜間部に学びます。
9月には、戸田先生による法華経講義の受講生となり、仏法の研鎖を深めるなかで、戸田先生を
師として、広宣流布に生き抜くことを誓います。

また、昭和24年(1949年)1月、戸田先生が経営する出版社に入社し、少年雑誌の編集に携わりま
す。

昭和24年7月には、創価学会の機関誌として新たに「大白蓮華」が誕生。
その創刊号に戸田先生は、論文「生命論」を執筆しましたゆ師弟共戦による学会再建その後、
日本経済の混乱の影響を受けて、戸田先生の事業は苦境に陥り、翌25年(1950年)8月24日、戸田
先生は、学会の理事長を辞任する意向を発表します。

この時、「これから、私の師匠は誰になるのでしょうか」と尋ねる池田先生に対し、戸田先生
は、「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」と師弟の絆を確認しています。

池田先生は、戸田先生の事業の残務整理などに奔走するなかで、この窮地を打開し、必ず戸田
先生に学会の会長になっていただくのだと深く決意しました。

師匠を支えるために夜学を断念した池田先生に対して、戸田先生は、大学教育にも勝る、万般
の学問の個人教授をしていきました。

この個人教授は、戸田先生が逝去する前年まで続き、「戸田大学」と呼ばれています。

また、こうした悪戦苦闘のさなかにあっても、戸田先生は、常に側にいた池田先生に、広布の
言論戦のための機関紙の発刊、創価大学の設立など、未来の構想を語っています。聖教新聞も
、創価大学も、この師弟の語らいから生まれたのです。


第2代会長就任
苦境を勝ち越えた戸田先生は、多くの会員の要請を受けて、昭和26年(1951年)5月3日、第2代会長
に就任します。

そのあいさつで、75万世帯の折伏を達成するとの誓願を宣言しました。
当時の学会員は実質約3000人。
誰もが信じられない弘教の目標でした。

戸田先生は、この会長就任を前に学会組織を再編。その後の発展の基盤となる支部体制を整え
、広宣流布への布陣を新たにします。

会長就任直前の4月20日には、機関紙「聖教新聞」が創刊され、戸田先生はその第1号から、妙
悟空のペンネームで小説『人間革命』を執筆・連載しました。

「人間革命」とは、日蓮大聖人の仏法の実践によって、各自が自身の生命境涯を変革し、全人
類の宿命転換を成し遂げていくことを意味しています。
戸田先生は、生命論を基盤とする人間革命の理念を掲げ、日蓮大聖人の仏法を現代に展開して
いったのです。

会長就任後には、直ちに、婦人部、男子部、女子部などの各部を相次いで結成しました。

そうしたなか、翌27年(1952年)の初頭、戸田先生の命を受けて、蒲田支部の支部幹事になった

池田先生は、2月の1カ月間で支部201世帯の弘教を推進。
当時の弘教の壁を破ったのです(二月闘争)。

これが契機となって、会員75万世帯達成へ、学会全体の弘教が加速度的に進んでいくようになりま
した。
一方、戸田先生は、御書全集の発刊にも取り組みました。
広宣流布を進めていくためには、御書を正しく研鑽していくことが不可欠だったからです。

戸田先生は、碩学・日亨上人に編纂を依頼し、昭和27年4月の立宗700年の節目に『日蓮大聖人
御書全集』を発刊しました。

この御書全集を一人一人が真剣に研鑽することで、御書根本の精神が学会全体に確立されてい
きました。


権力の魔性の蠢動
学会は、民衆の幸福と社会の平和のために戦われた日蓮大聖人の「立正安国」の精神を根本と
して、腐敗した政治を浄化し、民衆の手に政治を取り戻すために、昭和30年(1955年)4月の統一
地方選挙で、初めて独自に推薦する候補を立てました。

翌31年(1956年)、池田先生は関西で飛躍的な折伏を推進し、5月には大阪支部が1万1111世帯と
いう未曽有の弘教を達成。

また、7月に行われた参議院議員選挙では、池田先生が支援活動の責任者となった大阪地方区で
、当選は不可能といわれた予想を覆し、支持した候補者は当選を果たします。

一般紙も「"まさか"が実現」との見出しを掲げるほどの見事な勝利でした。

この選挙では、学会推薦の参議院議員が3人誕生。
このころから、創価学会は社会的に影響力を持つ団体として注目されるようになり、それと同
時に、さまざまな既成勢力から不当な圧迫が加えられるようになります。

そうした弾圧に対して、池田先生は、学会員を守るために果敢に戦いました。

北海道の夕張炭労(炭鉱の労働組合)が信教の自由を踏みにじり、学会員を圧迫する動きをみせ
ていることに対しても、昭和32年(1957年)6月、直ちに現地に赴き、炭労に断固抗議する姿勢を
明確に示し、事件の解決に奮闘しました(夕張炭労事件)。

その直後の7月3日、池田先生は大阪府警に不当逮捕されました(大阪事件)。

これは、同年4月に行われた参議院大阪地方区の補欠選挙で選挙違反者が出たことに関連して、
選挙支援の責任者であった池田先生を事件の首謀者に仕立て上げ、事実無根の罪を着せようと
したものでした。

この7月3日は、昭和20年に戸田先生が出獄した日と同じ日であり、池田先生は後年、「出獄と

入獄の日に師弟あり」と詠みました。

15日間にわたる過酷な取り調べで、検察は、池田先生に「罪を認めなければ、戸田会長を逮捕
する」などと言って迫りました。
既に、戸田先生の体は衰弱していました。

池田先生は、師の命を守るために、一旦は罪を被って、その後の裁判で身の潔白を証明する道
を決断。
7月17日に大阪拘置所から釈放されます。

それから池田先生は4年半に及ぶ法廷闘争を貫き、昭和37年(1962年)1月25日、無罪が言い渡さ
れました。

検察側の控訴はなく、この判決が確定しました。


広宣流布の後継を託す
昭和32年(1957年)9月8日、戸田先生は、創価学会の平和運動の基調となる「原水爆禁止宣言」を
発表します。

この宣言では、仏法の生命尊厳の原理のうえから、核兵器を人類の生存権を奪う「魔」の産物
ととらえ、核兵器の使用を絶対悪として断罪しています。

同年12月には、戸田先生が誓願された弘教75万世帯を達成しました。

翌33年(1958年)3月には、学会が大石寺に建立寄進した大講堂が完成。

3月16日には、池田先生をはじめ、集った青年部員の代表6000人に広宣流布の一切を託す儀式が
行われ、席上、戸田先生は、「創価学会は、宗教界の王者である!」と宣言します。

戸田先生から、後継の青年に広宣流布の大願が託されたこの「3・16」は、後に「広宣流布記念
の日」となっていま昭和33年(1958年)4月2日、戸田先生は、一切の願業を成就し、58歳で逝
去しました。

戸田先生は、獄中の悟達を原点として学会を再建し、広宣流布の揺るがぬ基盤を築いたのです。


池田大作第3代会長・SGl会長の時代
戸田先生の逝去後、新設の役職の総務となり、実質的に学会の運営を担っていた池田先生は、
昭和35年(1960年)5月3日、第3代会長に就任しました。

「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布を目指し、一歩前
進への指揮を執らせていただきます!」・・・戸田先生の時と同じ「5・3」に行われた会長就任
式における、池田先生のこの第一声の師子吼から、学会の新たな大前進が始まりました。

昭和35年(1960年)10月2日には、南北アメリカへ出発。
世界広布の第一歩を踏み出しました。翌36年(1961年)1月には、香港、インドなどアジアへ、同
年10月には、ヨーロッパを訪問するなど、世界広布の布石を打っていきます。

日蓮大聖人が示された「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」への本格的な歩みが、池田先生によ
って、開始されたのです。

池田先生は、創価学会の歴史と精神を正しく後世に残すために、昭和40年(1965年)から聖教新
聞に法悟空のペンネームで小説『人間革命』(全12巻)の連載をスタート。

「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の
宿命の転換をも可能にする」との主題のもと、人々の幸福と人類の平和建設に挑む三代会長の闘争
が描かれています。

その執筆活動は、小説『新・人間革命』に続いています。

平和・文化・教育の運動学会は、社会に貢献する青年を育てる団体です。
池田先生は、恩師・戸田先生の・・・広宣流布が進んでいけば、多くの人材が育ち、社会のあ
らゆる分野で活躍していくことになる。

やがて創価学会は、人類の平和と文化を担う中核的存在として、そのための人材を育て上げる
壮大な教育的母体になっていくだろう・・・との展望を具現化するため、仏法を基調とした平
和・文化・教育の運動を広げ、社会に貢献していきます。

池田先生の提案で、教育部(教育本部)、学術部、芸術部、文芸部、国際部(国際本部)、ドクタ
・・部が結成されました。

また、社会部、農村部(農漁光部)、専門部、離島本部(勝利島部)、地域部もつくられ、さらに
東洋学術研究所(東洋哲学研究所)や民主音楽協会(略称・民音)、東京富士美術館が設立される
など、多彩な教育・文化、社会貢献の運動が展開されます。

政治の分野にあっては、庶民のため、大衆のため、社会のための政治を確立するために、昭和39年
(1964年)、独立した政党として公明党が誕生します。

また、牧ロ先生、戸田先生の教育理念の実現に取り組み、東京・小平市に創価中学・高校(昭和
43年開校)、東京・八王子市に創価大学(昭和46年開学)、大阪・交野市に創価女子中学・高校(昭和
48年開校。
のちの関西創価中学・高校)を創立するなど、幼稚園、小学校から短大・大学、大学院ま・での
「創価教育」の教育機関をつくりました。

平成13年(2001年)にはカリフォルニァ州オレンジ郡にアメリカ創価大学が開学しました。

そして、池田先生の平和・文化・教育に焦点をあてた対話の行動は、世界に大きく広がってい
きました。
昭和43年(1968年)9月8日には、日中国交正常化提言を発表。

昭和47年(1972年)から、池田先生は、イギリスの世界的歴史家アーノルド・J・トインビー
博士と2年越し、40時間に及ぶ対談を行いました。

このころから世界の識者との対話による"平和・文化・教育の交流"が、本格的に始まります。
東西冷戦、中ソ対立の壁が厚かった昭和49年(1974年)から翌年にかけて、中国、ソ連(当時)、
アメリカを相次ぎ訪問して各国首脳と会見。平和と友好の道を開きます。

そして、昭和50年(1975年)1月26日には、世界51カ国・地域の代表が、グアムに集って、創価学会
インタナショナル(SGI)が発足し、池田先生がSGI会長に就任しました。

相次ぐ賞讃と顕彰
学会が世界広宣流布に大きく飛翔していくなか、昭和52年(1977年)ごろから、宗門の末寺等で
、僧による理不尽な学会批判が繰り返されました。
第1次宗門事件です。
そこには、反逆者が僧と結託し、広宣流布の指導者である池田先生と会員の師弟の絆を分断し
、学会を自在に操ろうとする謀略がありました。

池田先生は、その攻撃から会員を守り、僧俗和合を図ることができるならと、昭和54年(1979
年)4月、会長を辞任して名誉会長となり、事態の収拾に努めました。

昭和58年(1983年)から、1月26日の「SGIの日」を記念して池田先生は、毎年、「平和提言」を
発表。
その提言は、世界から注目されています。
また、世界の大学や学術機関での講演も30回以上になります。

池田先生と海外の識者との対談も広がり、国家元首、文化人、大学総長らとの対話が1600回以
上。
世界の識者との対談集は70点を超え、このうちトインビー対談は、約30言語で出版され、「世
界の文化の道標」「人類の教科書」と評されるなど、学識者や指導者に賛同を広げています。

こうした「文明間対話」「宗教問対話」は、相互理解を深め、民衆を結ぶ善の連帯を築き上げていま
す。

平成7年(1995年)には、SGIの人間主義の理念を明確にした「SGI憲章」が制定され、平成8年1996年)には、戸田先生の遺訓を原点に「戸田記念国際平和研究所」が創設。

こうしたSGIの運動に対して、世界各地に、牧口先生、戸田先生、池田先生の名前が冠された、
公園や通りなどが誕生し、池田先生に世界各国から国家勲章、各学術機関から名誉博士・名誉
教授等、また世界各地の名誉市民の称号が授与されるなど、賞讃と顕彰が相次いでいます。

その間、平成3年(1991年)には、日蓮正宗宗門が創価学会1000万、信徒を「破門」するという横
暴極まりない事件が起こりました(第2次宗門事件)。

しかし、学会は、宗祖大聖人に違背し、腐敗堕落しきった宗門の大謗法を責め抜き、宗門事件に大勝
利して、世界192力国・地域に日蓮大聖人の仏法が広まる世界広布の時代を迎えたのです。

各国のSGIでは、仏法の人間主義の精神を基調に、地道な社会貢献に取り組み、大きな信頼と賞
讃が広がっています。

平成25年(2013年)11月に、東京・信濃町の総本部に「広宣流布大誓堂」が落成しました。

池田先生は「広宣流布誓願の碑」に、「広宣流布は、世界の平和と社会の繁栄を開きゆく大道
なり。
全人類を救わんとする、我らの久遠の大誓願なり」と綴られています。

全国、全世界の同志が大誓堂に集って行われる「広宣流布誓願勤行会」では、各人が、「大法
弘通慈折広宣流布大願成就」と認められた創価学会常住の御本尊に広布誓願の祈りを捧げ、新
たな決意で出発しています。

創価学会の実践によって、日蓮大聖人の仏法は、いまや人類全体を照らす希望の太陽となって
いるのです。


創価学会の主な記念日

1/26 昭和50年(1975年) 1月26貝創価学会インタナショナル(SGI)がグアムで発足

3/16 昭和33年(1958年) 3月16日、戸田先生から後継の青年、なかんずく池田先生に広宣流                                   布の大願が託される

5/3 昭和26年(1951年) 5月3日、戸田先生が第2代会長に就任
5/3 昭和35年(1960年) 5月3日、池田先生が第3代会長に就任


7/3  昭和20年(1945年)  7月3日、戸田先生が2年の獄中生活を耐え抜き出獄。学会の再建に                                  着手した
        昭和32年(1957年)  7月3日、池田先生が大阪府警に不当逮捕される(大阪事件)


10/2   昭和35年(1960年) 10月2日、池田先生が世界広布の第一歩として、南北アメリカへ出発


11/18  11月18日、牧ロ先生が『創価教育学体系』を発刊(創価学会の創立記念日)



 

太ちゃんさんの師敵対(小樽問答)は有為な引用ですね!

 投稿者:恒例閲覧者  投稿日:2018年 5月11日(金)02時38分6秒
  諌暁八幡抄にも描かれている通りで、青年部時代は大変に頑張っていたにも関かわらず、年齢を重ねて怠け者になり、何時しか、めんどくさいと言葉を吐くようになり、不勉強にして高速社会から取り残されて孤立感を深める。

先般、或る方と対話した際にまさに苦言を聞きました。もう八十歳になろうとしている方ですが、今も読書、唱題の毎日を送っている方です。特に五十代、六十代がダメだと。ゆとりあるバカもダメと。

何が自らの幸せなのか?お金を沢山持っていること?時間が余り有ること?立場や役職が有ること?大きな間違いだと言っていました。
そんなもんは、アッと言う間に消えて無くなる!
人を育てたか?自分をイジメ抜いて寝る暇も惜しんで題目を死ぬまで唱えているか?と語っていました。
 

失わせない

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 5月11日(金)02時11分50秒
  インターネット上では
「完全に匿名で質問・回答が可能なYahooが、
筆名を義務付けるGooよりも、回答の所要時間
と正答率において有効性が高い」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasmin/2005f/0/2005f_0_31/_article/-char/ja/
というような事例もあるようだ。

今でこそ匿名の掲示板なんて
当たり前にあるものであるが

20年ぐらい前だと
初めて、そんな掲示板が作れることを知って
知らない人と一言挨拶を交わすだけでも
ドッキドキだった。

匿名でインターネットを渡り歩いてきた人たちは
色んな失敗もしてきていると思う。

どうすれば、このような場で信用を勝ち得
有効に活用していくことが出来るか。

そういうのも、場数で経験していくものだ。

インターネットを渡り歩く上では
様々な悪意を見抜き、防衛策をとることは
それぞれにしなければならない。

クリック一つ、メール一通で
アカウントが一つ台無しになることだってある。

悪意を見抜くことは
善良な人たちとのコミュニケーションを確保し
そこに現実の肩書や老若男女を越えた信頼を生み得る。

それは現実の中での活動に繋がっていく力を内在している。

みんなが家の中で
漫画ばかり読んでないでちゃんと勉強しなさい
と言われて育っても、漫画は消えなかったし

みんなが組織の中で
インターネットばかり見てないで
ちゃんと幹部の言うことだけ聞きなさいと言っても
インターネットが消えるわけはなかろう。

そこでは抑圧から解放されて
本当の自分自身の感覚を味わえると知った人間がいるかぎりだ。

だからここにはあちこちに
本当の心からの声があり
それを見つけて寄ってくる人たちがいる。

こうして集まった人の中に
真剣に、池田先生から学んだ真実を語る人間が現れると
みんな呼応して真剣に、一言も聞き漏らすまいと

往年の座談会のような雰囲気になる。

それは今の現実の創価学会には失われていっているものだ。

元職員らが座談会を始めたのは
裾野を広げる転機だった。

執行部にだってそれぞれに善かれと思っている意思があり正義を掲げるとしても
だから両成敗でいいものでもないし、序列によって可否を決めるものでもない。

序列のカーストよりも、釈尊の仏法が大善。
王を囲んだ諸宗派よりも、民を囲んだ日蓮仏法が大善。
言論抑圧の治安維持法より、民衆運動の牧口座談会が大善。
自力折伏の進まぬ宗門より、わずかな聞く耳がある事から始め
悲惨の二字なくす75万世帯へ有言実行の戸田先生が大善。
嫉妬と策略の裏切りの者たちより、
人間を中心に枠を越えて仏法の下種を貫いた池田先生が大善。

どれか一つがあれば大善なのではなく
大善は戸田先生まで採用して、池田先生はやめとこうとかは
甚だしく画竜点睛を欠く。うるし千ばいに蟹の足一つだ。

ここには、ああでもないこうでもないと
あの手この手で貶めたりたらし込んだり。
飽きもせず悪や小善が涌くこともあるけれど

真剣な人が潰えない限り
大善のバトンを、傷付けさせやしないだろう。
 

形式主義と人間主義

 投稿者:ブルーハワイ  投稿日:2018年 5月11日(金)02時04分29秒
  諸法実相抄の池田会長講義より

日蓮大聖人のお心を我が心とし、大聖人のご精神を自己の生命をかけた使命としていく「日蓮と同意」の人こそ真の日蓮大聖人の弟子であります。口先や、形式などは、やがては、大聖人のおしかりを受けることでしょう。

・・・・・・・
釈尊は人間主義で、厳格な規則は拒んでいました。

提婆達多は、戒律を増やし、形式が大好きだった様です。信心は無いけど、戒律を考えるのはお得意だったのでしょう。

信濃町カット(笑)、アイシャドウで怒られている人もいました。
七三分け

最近は
ネットだめ
提婆系は禁止大好き

勇気や心は見えないけど、目に見える形式は分かりやすいのかもしれませんね。




 

9割はサイコパスとは?

 投稿者:恒例閲覧者  投稿日:2018年 5月11日(金)01時36分51秒
  近い将来、野垂れ死ぬ本部職員、外郭団体職員、公明党議員並びに職員、そして付き従うバカ共のことですよ!
秒読みに入って、何も考えたくないし、めんどくさいし、このままで居たいけれども、それも叶わない。
だってこんなに会員苛めやってきて、先生利用してきて、後戻り出来ないでしょ!
鬱になるは、雷なって嵐かと思ったら、いきなり晴天になるは、気温は上がる下がる、地震は頻発する、火山は噴火して家は燃えると三災七難の様相で、祈らないから益々サイコパスとなって、他者に原因を押し付けるわけですよ。終わってますよ。(爆)
 

何故原田学会が 右翼化し 全体主義になったか

 投稿者:空虚な整体師  投稿日:2018年 5月11日(金)00時19分14秒
  54年問題  で 一気に 池田先生の  裏切り者が  露呈しました。

私は  実は  池田会長就任の  昭和35年に  池田会長の反対派  和泉理事長  辻青年部長  と 秋谷栄之助第5代

原田稔第6代の  主流派が  執行部の実権はそのまま

握っていたと  理解している

牧口会長の 当局の 長野教員の  赤化修正座談会から

戸田会長と  岸信介総理の交流など 元は  右翼思想が  根底にあると言える

そこに  突如  反主流の  庶民第一  人間主義  絶対平和主義の  若い池田会長の出現

学会の貴族階級路線から  庶民が第一の路線に  替わった

54年問題は  執行部は安藤しただろ    しかし池田先生

人間主義を 変えることを許さなかった!
何故か、  庶民の自出    平和主義は 戦争で 実兄を亡くした
母親の背中をみて育った。先生は女性を重宝された

元来 女性は  平和と 安定を  本能的に持ち合わせている。

創価学会執行部の現在が  実は  執行部の大半の  秘密の掟だったのだろう

池田会長の絶対平和主義 人間主義は  異端のように

思えてならない。

しかし  学会員の  大半は  イケディアン思想が  主流派に なり  執行部の考える  全体主義

組織史上主義と対立する 結果に  なった
 

なりすまし

 投稿者:  投稿日:2018年 5月11日(金)00時03分5秒
  (無題)  投稿者:春  投稿日:2018年 5月10日(木)23時55分15秒
9割はサイコパス
誰ですか?
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 5月11日(金)00時00分8秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に

宜しければ、北朝鮮拉致問題に興味のある方は
5月10日(木)今日放送の、虎ノ門ニュースを御覧ください
地上波では放送されない貴重な情報です
ユーチューブでトラ8と検索すればアクセスできます
おやすみなさい
 

(無題)

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 5月10日(木)23時59分21秒
  鬼太郎の下駄とか、目とか、指とか、「毎回HNを変えないと投稿できない病」が流行っているのか?

結局実名で投稿しろと言っている様だが、ゲリラにしろレジスタンスにしろ、大した武器も持たない我々庶民に、正規軍と同じ様に戦えと言う奴など、ダーハラ一派の可能性が高いのだ。
イラク開戦時の公明党に対する認識もおかしい。

擁護し過ぎるのは考えものだ。戸田先生は「敵と味方を峻別せよ」と言われた。
「城者として城を破る」事になる危険性が常にあるのだ。
関羽と趙雲の違いだ。関羽の様に、曹操をわざと逃す様な事をしていると、こちらがやられる。


明日はまた用事あり。昼間の投稿できなさそう。
 

八重の相対

 投稿者:レジスタンス  投稿日:2018年 5月10日(木)23時57分55秒
  彼らがマスコミに先生を売った理由が
学会、党を守る為?
先生を排除して、自分達で好き放題する為だったと思うのだけど
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 5月10日(木)23時55分15秒
  9割はサイコパス  

少なくとも

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月10日(木)23時15分57秒
  あなたと虎じゃないことは確かだねw

明確な悪を認識できるのに、今までの自分を諦めきれない惨めな姿ww
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 5月10日(木)22時52分3秒
  23時に開始です。よろしくお願い致します。
池田先生、奥様のご健康ご長寿を祈りましょう。

闘病されている同志の皆様にお題目を送ります。
 

イラク戦争について

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 5月10日(木)22時11分29秒
  アメリカは正義のため、イラク戦争を
引き起こし50万人の人間の命を亡くし、
テロリストを作った。

間違った正義は、必ず時間が経てば、
わかるものです。

正義を振りかざしてる時、
間違った正義とは気づかないものです。
間違った正義に何回も何回も色を塗るから
見えなくなる。

間違った正義は、
他者を受け付けなくなると
悪質に変わり行くだけ。

気をつけて!
間違った正義だけは。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/84014

~~~~~~~~

鬼太郎の目様のご投稿は素晴らしい。
イラク戦争の話題は、創価学会でタブー視されているからです。

公明党が支持したイラク戦争が、「間違った正義」であったと、断言してくださっった!
公明党の政治判断は間違っていたのですね。

『公明党は平和の党』と、何も考えず公明党支援した結果が、イラク戦争だったのです。
虹は、この時の支援活動を、心から後悔しています。
その時は、『平和のために良かれと』思った支援活動が、最終的には『公明党の誤った政治判断』となってしまった。
いや、公明党だけでなく多くの方が、こうなるとは思っていなかったのではないでしょうか。

だからこそ、安保法制を始めとする他の政策についても、しっかりと吟味しなければならない。
また同じ過ちを繰り返す可能性があるからです。

鬼太郎の目様の言葉を借りれば『(公明党の議員が)正義を振りかざしてる時、
間違った正義とは気づかないものです。』と、イラク戦争を通して教えて下さっている。

イラク戦争のような過ちを繰り返してはならない。
テロリストまで作ってしまったのですから。




 

静かな大人のカフェさん

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 5月10日(木)21時21分9秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/84049

静かな大人のカフェさん、たまにコメントを見かけておりましたね。


>6代会長就任当初の記憶。

A:就任直後は、アポなしの話なども受け付けていて、前任者の堅苦しさとは違い好印象。ただ、その返答がイミフで、失笑物でした。質問の趣旨をくみ取れていない、歯車の噛み合わない内容に、相手が「?」になる場面が続出。指導会などで、意味不明で会場がざわつくことも。

B:イミフでざわつく笑

爆笑しちゃいました。

A:そのうち、受け答えの軽薄さ(口癖が「~っていうことでしょ?」と断定調で聞き返すが、的外れで上滑りしている)、指導力や状況判断能力の低さ、上がってくる種々の報告に関する優先順位付け能力と判断速度の完全欠如)に周囲が危機感を抱き始めました。<


未成長段階にいる餓鬼界の境涯の方と周囲の反応の典型ですよこれ。
もちろん数々の悪行の「自覚」も絡んで修羅の命も顔を出し畜生界や地獄界の命も出すのでしょうけど。
餓鬼界の境涯では周囲のことより「欲望」が優先し、「欲望」がロコツになることで「恥知らず」と周囲には映りがちですからね。

しかしながら、それほどの「欲望」さえも、南無妙法蓮華経の御本尊に帰依すればどのようなことになるか。
広宣流布へのあくなき望みへと変化し、会員にはまさに諸天善神の如く感じることでしょうに。


>H:ダーハラの言葉、全然響いてきませんね。言葉が軽いんです。重みがない。まだアッキーヤの方がマシだった。所詮はタブレットが無いと何もできない男(笑)

A:空き家氏は、ちゃんと喋れる人でしたよね。
タブレットが無くても困らない。むしろあの方のレベルの原稿を代筆できる方は極少数だったのでは?<

そうかも。掲示板での秋谷氏の情報は修羅の境涯を示してますよ。
原田氏より秋谷氏のほうが少し境涯があるぶん、原田氏が秋谷氏を副会長へ呼び戻したのも合点がいきますもんね。

僕自身も本質は修羅と自覚あるけれど、秋谷氏と決定的違いは南無妙法蓮華経に帰依してるかそうでないか、その違いですよ。
南無妙法蓮華経に帰依してるから信仰者を守ろうとする、秋谷氏は帰依してないからご自分を守ろうとする(結果的に他化自在天を本尊とした行状となってる実態)。

原田会長は孤独死の行く末かもね。
今の時点ですでに周囲にそのように「仕向け」て自ら環境構築してるものなぁ。
北条元会長より遥かに悪行をやらかしてるんでは、北条氏より悲惨すぎて事実はとても聖教新聞に出せない有様になるでしょうか。


追伸:
原田会長さんへひとつ言いたいことがある。
人生で1人ぐらいまともに「真心の折伏」してみてもいいんじゃないの?
もう今の生活も飽きてつまんないでしょ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

東京・青梅本部婦人部の集い

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月10日(木)21時04分24秒
  生涯を信心で福運の坂を

「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書1468㌻)と日蓮大聖人が御教示のごとく、私たちが生
きていくうえでもっとも重要なことは、現実の生活がどのように変革されたかにある。さまざ
まな学理があっても、現実の生活に通用しなければ無意味である。大聖人の仏法は、まさしく
現実的であり、最高の生きがいの法則なのである。また「善に付け悪につけ法華経をすつるは

地獄の業なるべし」(御書232㌻)とも仰せのごとく、いかなることがあっても御本尊に唱題しぬ
くことが、福運の生活・満足の人生を築いていく源泉であることを忘れないで、明るく信心即
生活の実践を繰り返していってほしい。さらに、われらは凡夫であるがゆえに、自分の生活や
家族のこと、あるいは病気など・さまざまなことで悩む。その意味で、人生とは悩みとの対決
の連続であるともいえる。しかし、どのような悩みも、御本尊に唱題を重ね、自行化他の実践
を貫いていったとき、煩悩即菩提爆の原理で、いっさいの苦悩は福運の財産と変わっていくの

である。御本尊には無量の功徳があるゆえに、どこまでも自分のため、また子供のため、そし
て子孫末代にわたる福運のためにも、信心だけは強盛に貫いていってほしい。また、生涯、勇
気ある不退の信心であるならば、最後にはかならず安心しきった「勝利の人生」を築けること
は間違いない。ともあれ、お互いに同志として、ともどもに助けあい、励ましあいながら、自
分らしく、悔いのない広布の人生を歩んでいこう。

(昭和53年7月12日東京・青梅文化会館)
 

「お母さん、いつも笑顔をありがとう!」祈り学び抜いて“夢”を実現

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月10日(木)20時52分57秒
  2003年4月19日

【滋賀県草津市】この4月、晴れて小学校教師となったK・Dさん(29)=大津常勝県・晴
嵐支部、男子地区リーダー。受験年齢制限でラストチャンスだった昨年、見事に同県採用試験
合格を勝ち取った。その笑顔には、末期の小児がん、陰湿ないじめ等、度重なる苦境を勝ち越
えてきたパワーが輝く。

それは、1982年(昭和57年)冬の夜中だった。小学2年生のKさんは、「おなかを何匹
ものハリセンボンが動き回っているような」激痛に、突然、襲われた。当初は急性胃炎と診断
されたが、断続的な痛みは止まない。精密検査ののち、静岡県立こども病院に転院。医師は、
両親に告げた。「末期の悪性リンパ腫、いわゆる小児がんです。ここまで広がった状態で治っ
た症例は、ほとんどありません。あと2カ月と思ってください」リンパ節にそって体じゅうに

できた腫瘍は、約30カ所にのぼっていた。全身に転移しているため手術はできない。放射線
を主とする化学治療しか方法はなかった。予断を許さぬ、一進一退の病状。Kさんは、危険な
状態に何度も陥った。母・S子さん(55)=大阪府箕面市、粟生支部、支部副婦人部長=は
、涙をこらえつつ題目を口ずさみ、苦痛に耐えるわが子の体をさすった。父・Eさん(56)

=箕面太陽支部、副本部長(地区部長兼任)=は、当時、男子部副本部長として、半年で5世
帯の弘教を実らせた。幼いKさんも、体調の良い時を中心に、ベッドの上で手を合わせ、真剣
に祈った。学会嫌いだった祖母も、孫の回復を願って入会。ほどなく治療が奏功し、“病によ
る痛み”は和らいでいった。しかし、“治療による痛み”は、過酷だった。抗がん剤によって
、髪の毛は、すっかり抜けた。大人でも耐えられないという骨盤注射の激痛、放射線治療のつ

らさ……。ある日、病室に励ましの色紙が届いた。札幌創価幼稚園からだった。「Dくん
、がんばれ!」――。父の札幌転勤で、入園し通い続けた、懐かしい日々がよみがえった。“
北海道の先生や友達も応援してくれている……”。色紙に書かれた一言一言が、かけがえのな
い力となった。苦痛に耐え続けるKさんに、心はやる時間があった。院内学級だった。

同室の友達が、ある日突然いなくなる。生死と隣り合わせの日常。だからこそ、Kさんの勉強
への集中力は、研ぎ澄まされた。“今、この本を読まないと!”“今、作文を書かないと!”
と。院内学級は、隔離病棟で行われる。一般病棟からの外出はその時だけ。植物栽培で土に触
れる。学級新聞に作文が紹介される。授業すべてが楽しかった。“早く元気になって学校に戻

りたい!”。幼いKさんにとって、「勉強」は、まさに“生きる希望”そのものだった。――
83年初夏。「よく頑張ったね!」。目を丸くしてほほ笑む医師に別れを告げ、ついに退院!
入院して約1年半。驚異の回復だった。

“やっと、友達のいる学校に戻れる!”――生来の活発さに加え、復学の喜びで、積極的に授
業に取り組んだ。その意欲的な姿は、しかし級友の目に“生意気”と映ったようで、いじめに
あう。中学でも、いじめは続いた。“病気で迷惑をかけた両親に、もう心配させたくない……
”。Kさんは、夜中、布団の中で声を殺して泣いた。男子部のお兄さんが、励ましてくれた。

「いやなことがあったら、お題目をあげるんだよ」と。素直な気持ちで唱題に励んだ。力がた
ぎった。“いじめっ子に負けてたまるか!”と、明るさを失わず、周囲に笑顔で話しかけた。
友達は一人、また一人と増えていった。中学3年の時、父の転勤でI県へ。転校先でKさんは
、持ち前の明るさでたちまち人気者となった。退院後の小・中学校生活は、皆勤だった。

札幌創価幼稚園歌「つよくただしくのびのびと」。その言葉通りに、Kさんは育った。高校時
代に医師から病の完治を告げられ、関西大学に進学した。大学4年の夏。Kさんは、創大の通
信教育部で、小学校の教員免許状が取れることを聞く。「心の中で、クス玉がはじけたような
衝撃を受け、胸の奥にしまっていた教師への夢が、一気にわき上がったんです」大学卒業と同
時に創大通教へ編入。“教育の目的は、子どもの幸福”と唱える牧口初代会長の創価教育学を
学び、リポートを提出。スクーリングにも参加した。99年の卒業式。創立者・池田名誉会長
のスピーチの一節“現実社会の中で勝利しゆく人材に!”が、生涯の指針となった。

98年から試験に挑戦。1次試験は突破するものの、最終合格を勝ち取れない。99年から、
育休・産休教師の、代用の臨時教員として、数校の教壇に立った。翌年、結婚した妻・M子さ
ん(26)=矢倉支部、副ブロック担当員=が振り返る。「どんなに疲れて帰宅しても、毎晩
、学級名簿を目の前に置いて、生徒一人ひとりのことを祈っていました」臨時とはいえ、失語
症の生徒を立ち直らせたこともあった。生徒一人ひとりに尽くし抜く熱血先生に、保護者や生

徒の評判が高まった。2001年には、同時に受験した国家公務員試験に合格。郵便局の営業
として働き、好成績を勝ち取った。その中で、教師への夢を追い続けた。往復2時間の通勤車
中は、格好の勉学の場となった。受験者の年齢制限により、滋賀県教員採用試験のラストチャ
ンスとなった昨年、Kさんは、2世帯の弘教も実らせ、ついに合格を勝ち取ったのである。9

月には、長男・Hちゃんも誕生。かつて強い放射線治療を受けたため、医師から「子どもは期
待できません」と告げられていただけに、御本尊の功力を心から実感した。現在、甲南町立第
1小学校で4年生の担任を。「“学べる喜び”は、必ず“生きる力”となります。自分の体験
を生かして、少しでも生徒の力になりたい!」苦難を越えてつかんだ夢。Kさんは、新たな使
命の道を走る。
 

Eさんが言及したのは「資料⑤ 『八重の相対』について」です。

 投稿者:静かな大人のカフェ  投稿日:2018年 5月10日(木)20時46分7秒
  先ほど投稿した「ツイッター座談会『6代会長就任当初の記憶』」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/84049
の中で、Eさんが、
「資料の中で、矢野氏、秋谷氏が当時の池田会長を排除しようとした動機を『創価学会、公明党を守るため』だったと分析している点が面白かったです」
と述べています。

私も、波田地氏と東京都審査会、監正審査会との間でやり取りした除名関連の資料がすべてアップされている
「蓮虎・資料室」
http://senhum.com/index.html
に入って、16あるファイルを全部、ダウンロードして読みました。

「波田地氏除名に関する文書公開」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/83700
で、重機さんが「必見」と述べていた、波田地氏の「陳述書」(12番)と「陳述書」の関連資料(13番)は、たしかに面白かったです。

Eさんが面白かったとおっしゃっているのは、関連資料の14頁から20頁にある
「資料⑤『八重の相対』について」の中の次のくだりです。

「問題はなぜ、秋谷前会長や矢野がこんなこと(=池田先生をマスコミに売ったこと)をしたか、です。私は、創価学会、公明党をる守ためであったと思います。二人は、いわば池田名誉会長と創価学会(公明党)を相対して、創価学会(公明党)のほうを守ろうとしたと言えます」

私も、この分析は非常に面白いと思いましたが、それ以上に興味を持ったのは、その直後に続く、第一庶務・峰尾次長の次の発言です。

「これに対して、第一庶務の峰尾次長が自分の一代記を語るなかで、こうおっしゃっていたそうです。『私は、創価学会に全く興味がない。学会活動もやったことがない。池田大作という人間にしか興味がない』と。
当時は、“創価学会なんかつぶれてもいい。池田先生さえお守りすれば、今よりも何倍も凄い学会を作ることができる”という意気込みだったとも。峰尾次長らは、創価学会と池田名誉会長を相対して、名誉会長を守った。」

この昭和54年当時の峰尾次長の信念こそが、「池創相対」の核心をなしているのではないかと思いました。「創価学会なんてつぶれたっていい。池田先生さえお守りすれば・・・」――すごい言葉ですね!

堀日亨上人は、「現在の宗門で、学会以外に、取るものがあるかね。学会を排除する宗門は、忌むべきである」と喝破されていたと言います(新改革通信59号・平成18年7月16日、日蓮正宗改革同盟発行)。
http://www.nichiren.com/blog/index.cgi?year=2006&month=8&day=4

これに倣えば、「現在の学会で、池田先生(池田先生の思想と実践)以外に、取るものがあるかね。池田先生(池田思想・実践)を排除する学会は、忌むべきである」と声を大にして言いたいです。

興味のある方は、関連資料ファイルから「資料⑤『八重の相対』について」を抽出しましたので、お読み下さい。また、「蓮虎・資料室」に入って、除名関連資料全部に目を通して、シガナイ・師がない男子部長の言い分と波田地氏の言い分を、ご自分で比較されることをお勧めします。

資料⑤「八重の相対」について.pdf
https://ux.getuploader.com/nabe_wata/download/1
パスワード sironeco
 

2008年から

 投稿者:    軽く仕事人  投稿日:2018年 5月10日(木)20時16分14秒
  イケディアン  創価大卒業者が

不振死が多発していることを  文化庁は


把握しているだろうな?
 

「匿名」「ネット特有」

 投稿者:ちょっと立読み  投稿日:2018年 5月10日(木)20時08分0秒
  鬼太郎・・・様のおっしゃる通り、ここでは少し思い込みかなと思う人もいれば、それを指摘する人もいます。
また、その指摘に対して意見を言う方もいますので、私は、座談会のようなものだと思っています。

名前の「ある」「なし」にかかわらず、文章には、読んでいて合点のいくものと、そうではないものがあります。

鬼太郎・・・様の文脈からすると、匿名で投稿されるこの掲示板は「正しいとは言えない」と言う事でしょうか。

逆に出所のハッキリした本部のお達しは「正しい」と言われている様に読めてしまいます。

私はそう捉えましたが、これでよろしいでしょうか。
鬼太郎・・・様の意図をもう少し詳しく教えて下さい。

また、「鬼太郎の○○」と毎回ハンドルネーム変える事は、読んでる方に失礼な行為だと思います。


 

re: その一割が

 投稿者:通りすがり  投稿日:2018年 5月10日(木)20時03分23秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/84050

> ぼんくらタイガーじゃないことを願いますww

虹と~氏とか新感性氏とかでしょ。
日蓮仏法~氏もかな。
 

聖教でも新報でもいいから

 投稿者:レジスタンス  投稿日:2018年 5月10日(木)19時54分23秒
編集済
  南米訪問団と欧州訪問団の
帰朝報告、掲載したら?

先生は海外に行かれた時、必ずお礼と報告をして下さった

最近の新報はつまらない
辞めたいとたくさんの人が言っている
是非、団員の報告掲載して下さい
 

〇〇!悪いのはおまえだ!

 投稿者:冷遇センター  投稿日:2018年 5月10日(木)19時46分32秒
  今から、二十数年前に流行った言葉があった。

「〇〇!悪いのはおまえだ!」痛快だった。

信濃町の中心で叫んでほしい。

 

「脳波シフトで宿命転換」

 投稿者:日蓮仏法3.1メール  投稿日:2018年 5月10日(木)19時07分46秒
  こんばんは。 ?投稿者:幸せな人 ?投稿日:2018年 5月10日(木)18時24分13秒

幸せな人がもっと幸せになると、私も一緒に幸せになれます。
宜しくご支援をお願いします!

https://www.amazon.co.jp/dp/4802094353

 

アルゴリズム様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 5月10日(木)18時43分22秒
  いま書き込みを読んだのですが私にご質問でしょうか」?

と思ったらかわりにSaySaySay様が答えて下さってますね。

私は河合さんのご指導のCDを持っているのですがなかなか人を引き付ける魅力を
持った話をされる方です。

先生のご指導から引用することも多く独自の解釈で話されてるようには思えません。
立派な方だと思います。

わたしも河合さんの著書は「生活にいきる信仰」「続・生活にいきる信仰Q&A」
を持っています。


 

師敵対(小樽問答より)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 5月10日(木)18時39分53秒
編集済
  小樽問答より以下の部分。
宗門の「C作戦」の遥か後になる「現代」においては、いかなる「意味」となるか。

もうひとつ。
現最高幹部の行状と照らし、いかなる「意味」となるか。



学会側:小平芳平

えー、日興、日興上人が日蓮大聖人の仏法を、正しく受け継がれたということは厳然たる歴史上の事実であります。
今そのことをいろいろな面から論証したいのでありますが、ただ一つだけ申し上げて次へ移ってまいります。

それは、当時の身延の地頭は波木井殿でありました。
この波木井殿は、大聖人様の入滅された後、身延山にはもはや大聖人様はおられない、その寂しさの感情のありました時に、日興上人様が堂々と第二代の御法主上人として身延山へ登られました。

その時に波木井殿は、日興上人様に非常に御喜びの手紙を差し上げまして

「日興上人様が身延にお出でになられましたことは、大聖人様が再び身延へ来られたかのように嬉しく思う、世間のことにつけても、仏法のことにつけても、何一つ不足はありません、身延へお出でになったことを重ね重ね嬉しく思います」

と、このように波木井殿は日興上人に手紙を差し上げたのであります。
その手紙は現在、富士の西山本門寺にきちっと残っておるのであります。

しかしながら、それから三年経ち五年経つうちに、ほかの五老僧は誰一人身延の山へ参りません。
日興上人様はただ一人身延山にお出でになりまして、大聖人様の後を受け継ぎまして弟子の養成、それから全国への布教、これに当っていられたのでありますが、そののち、民部日向という六老僧の中の一人でありますが、この人が身延へやって参りました。

ところが地頭の波木井殿は、あれほど日興上人様がお出でになったことを喜んでおきながら、五年経ち六年経つうちに、すっかり民部日向の謗法にかぶれたのであります。

その一つ一つの具体的な事実は、あるいは原殿御書、あるいは、え―、門徒存知の事、その他、各文書にはっきりしているのであります。

その中を申し上げますならば、三島明神、あるいは箱根の権現様、そういう所へ波木井はお詣りに行ったのであります。
あるいは又、釈迦の仏像を立てると、本尊にすると、いうふうにいいました。

日興上人様は、大聖人様の教えでは、御本尊様は南無妙法蓮華経、三大秘法の御本尊様でなくてはならない。
釈迦の、釈迦の仏像を建てることはあいならん、このように波木井殿を厳しく誡められているのであります。

それからまた、波木井殿は念仏に供養をした。

このような謗法が重なりまして、日興上人様は厳しく波木井殿を誡められましたが、波木井殿は聴こうとしない、しかも私は民部日向の弟子である、日興上人の弟子じゃない。

と、このようなことまで、暴言をはくようになったのであります。これによりまして日興上人様はこれ以上、謗法の山にいても、どう仕様もない、大聖人様は「地頭、えー、謗法ならん時は、日蓮が魂は謗法の山に住まない」と、こういう意味のことを大聖人様は御遺言なさった。

そのことは、私が只推量していうのではなくて、美作房御返事という御手紙に、はっきりと出ておるのであります。

このようないきさつの後、日興上人様は、奮然と、決然と立って本門戒壇建立の霊地、富士へ移られたのであります。
その時の日興上人様の御心境を原殿御書に拝したいと思います。

「身延の沢を罷り出でて候事、面目なさ本意なさ申し尽くし難く侯えども」

日興上人様としては、身延を出るということは本意ない事である、

「打ち還し案じ候えば」

さて考え直してみるならば、

「いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にては侯え」

たとえ富士へ移ろうとどこへ移ろうと、大聖人様の法義を正しく打ち立てるこそが、ことこそ、第一に必要な事である、との仰せでございます。

「さりとも思い奉るに御弟子悉く師敵対せられ候ぬ」

よくお考えになっていただきたいと思います。
日興上人様を除いて以外の弟子は、すべて、ことごとく、師敵対せられた。大聖人様に敵対せられた。

「日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り侯べき仁に相當って覚え侯えば、本意忘るること無く候」と。

このように日興上人様は、唯、日興一人、日蓮大聖人様の正しい教義を奉じて廣宣流布するのであると、このように御決意を御述べになっているのであります。
しかるに、さきほどらい、御両師のお話では、身延山の山へは大聖人様の命が吹き込んであると、そのような御書がどこにありますか!

大聖人様は「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」この、大御本尊こそ、大聖人様の御本懐であり、この大御本尊こそ、我々末法の衆生が、即身成仏のできる唯一無二の大御本尊ではないか。

このような状態でありますから、今でこそ、身延と中山と云えば、親戚のように思うかも知れない。
しかしながら、ある時には大いに喧嘩をした。
その一つは中山の僧侶であります人が、

「身延なんていうのは、とんでも無い謗法の山だ。
あんな山の前で馬から降りても相成らん。
まして身延へ詣るなんていうことはとんでも無いことだ」

このようにいっているではないか。

えー、まだ歴史上の根拠を申し上げると、際限ないのでありますが、このように日興上人様がただひとり正しく大聖人様の御正義を伝承されて今日に至っている。

これこそ日蓮正宗富士大石寺である。そのことを申し上げて終ります。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

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