日本人差別にしても男性差別にしても。 日本人が日本人であるが故に受ける、男性が男性であるが故に受ける、社会的・経済的な不利益(反対属性ーー日本人なら『外国人』、男性なら『女性』と比較して『不利益』となる明確な差異)が存在するかと言えば、存在しない。 いや、存在し得ない。 〈続
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承前〉 そして【差別】を用語として使用している者にとって《差別》は【差別】ではないため《偏見》という名で呼ぶ。 【差別】と《偏見》に軽重がある訳ではないし、【差別】ではないのだから《偏見》を受けても我慢しろと言ってる訳でもない。 論点が異なるので粗雑に混同させるなという意味だ。 〈続
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承前〉 【差別】は構造的な問題から生ずるため、必ず『相対的弱者』と『相対的強者』が存在する。 そして【差別】における『マイノリティ』とは構成人数に関わらず『相対的弱者』を意味し、『マジョリティ』とは構成人数に関わらず『相対的強者』を意味する。 〈続
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承前〉 だからこそ【差別】は『マジョリティ』から『マイノリティ』への一方通行となる。 『マジョリティ』が少数で『マイノリティ』が多数のことすらあるが、必ずこの一方通行は変わらない。 (例:南アフリカにおけるアパルトヘイト) 〈続
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承前〉 もう一度繰り返す。 《偏見》は【差別】ではない。 幾ら社会的にカリカチュアされた笑いの対象となろうが、存在そのものが色眼鏡に晒されようが、嘲笑されイジメの対象になろうが【差別】とは違う。 問題を粗雑に混同してはならない。
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