3,500枚のCDを捨てた話

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先日、ついに約3500枚のCDを捨てる決心が付きました。

今日はそんなお話を中心に、私のCDと音楽への愛を一方的に語りたいと思います。CD世代の方々には懐かしい話多めです。目次はこんな感じです。

  • 私を魅了したCD
  • 薄れるCDの存在感
  • ストリーミングで音楽は愛せない?
  • 捨てられなかったCDもある
  • 私に捨てられたCDたちの行方

私を魅了したCD

音楽に関心を持ち始めるのは普通は中学生くらいだと思うのですが、私はかなり遅くて19歳の時でした。つまり、10代はほとんど音楽に興味を持たず過ごしました。高校時代、友人に「これ聴いてみなよ」とCDを渡されたのですが、CDの取り出し方が分からず「これどう開けるの?」と聞き返した覚えがあります。

音楽と縁遠かった私は、1992年の春休みに自宅で観た『ターミネーター2』の主題歌、ガンズ・アンド・ローゼズの"You Could Be Mine"に衝撃を受けました。全身に電流が走ったようになり、この曲が聴きたくて仕方なくなりました。

音楽を自分で買ったことがなかったので、すぐ買うという発想にならなかったのですが、一週間くらい経ってもどうしてもその曲が忘れられず、生まれて初めてCDショップというものに足を踏み入れました。ジャンル分けされた陳列方法も、どのアルバムにその曲が入ってるかも分からなかったので、店員さんに聴いてアルバム『Use Your Illusion II』を見つけて購入しました。自分の意思でCDを購入した最初の体験です。

余談ですが、友人が薦めるCDを友人に買ってきてもらったことはそれ以前にありました。それがジョー・サトリアーニ『Surfing With The Alien』と『Flying In A Blue Dream』です。初めて自費で買ったCDとなるとこの2枚になるのですが、些細な話だし、ジョー・サトリアーニの話をして通じることがほぼないので大抵「最初はガンズ」と言ってます。

話を戻して、特に人に自慢できるような趣味も特技もなかった私にとって、音楽はすぐに一番の趣味になりました。ただ既にバンドを始める年齢でもなかったので、音楽が趣味といってもバンドや演奏はせず、ただ聴き手として音楽に詳しい、というだけでした。音楽が好きなのに特にバンド活動もしてない私にとっては、持っているCDの所有枚数だけが、音楽への熱量を証明できるバロメーターでした。

例えばクイーンが好きという人は周囲にそれなりにいました。しかし私は全アルバムを持っていました。問題作『Hot Space』もほぼサントラの『Flash Gordon』ももちろん持っていました。ブライアン・メイのソロもロジャー・テイラーのソロも揃えていました。当時数万円したフレディ・マーキュリーのCD10+DVD2枚の限定セットも持っていました。その時点で発売されてたオフィシャルのライプビデオも全部持っていました。

これらを所有してることで「オレはそこらのクイーン好きとはワケが違うぞ」と言えたわけです。改めて振り返るとなかなか痛いオタクで、書いてて自分でちょっと引きました。

私が音楽にのめり込み始めた大学の頃はまだネットがなかったので、雑誌やムック本、古本屋で売ってる書籍などから情報を入手していました。特に『ビルボード50年の歴史』みたいなタイトルのまとめ本は、私が知らない80年代以前の歴史を後追いで遡るのに非常に役立ちました。

このようにして可能な限りあらゆるところから音楽の情報を集め、その中で紹介されていた名盤をワープロで作った「購入リスト」に入力し、その最新版を印刷して常時持ち歩いていました。今ならネット+スマホで済むことです。面倒なことに時間を費やしてたものです。

このリストを持ち、毎週のように秋葉原に行って、レコファンディスクユニオン、リバティをハシゴして中古CDを漁っていました。新作は主に大学の帰りに池袋のヴァージンメガストアもしくはHMVで買っていました。ポイントもガンガン貯まりました。バイト代の大半はCDに使っていました。

この頃の主な音楽の聴き方は、自宅ではCDラジカセもしくはCDコンポ、屋外ではカセットテープのウォークマンとCDウォークマンの併用でした。外出時には常に20枚くらい入る携帯用CDケースを持ち歩いていました。

外出する前に「今日はどのCDを持っていこうかな」と選ぶわけですが、ものの1時間もすると好みが変わり、聴きたいCDが家にあって今は聴けない、ということがよく起こりました。また駅のホームで立ちながらCDを交換して失敗して地面に落とす、ということもよくやっていました。

カセットのウォークマンは自分で作ったミックステープを聴くために使っていました。ミックステープ作りは大好きでしたが、今のプレイリスト作りと比べると面倒くささが半端ではありません。

テープの再生時間が決まっているので、まずは紙に曲目と分数を書き出して入念に計画を練るところから始まります。この計算をミスると、A面の最後の曲だけ途中で切れることになったり、A面とB面の間に長い空白ができたりします。

曲間にもこだわり、0.数秒刻みで一番カッコよく繋げることに命を燃やしていました。

こうして丹精込めて自作したミックステープのラベル作成には「レタリングシート」という、指やペンでこすると文字を転写できるシートを使っていました。今も売ってるみたいですが、こういうやつです。

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基本的にやり直ししにくいものなので、一文字一文字を間違えないよう、スペルミスしないよう、斜めにならないよう、細心の注意を払って1時間くらいかけてラベルを作っていました。もちろんミックステープをBGMで聴きながら。

話は再び戻ります。

音楽好きの私の就職活動は当然ながらレコード会社第一志望でしたが、就職氷河期まっだ中であること以前に、性格的に「業界人」になれそうもないことを見抜かれ、予想通り全滅しました。そして就職浪人をし、1997年にSI系の会社に就職しました。

社会人になって、自由な時間は減りましたが、お金には少し余裕が出ました。当然ながら、社会人になっても音楽への熱はまったく冷めず、学生時代以上にCDを消費し続けました。

この頃の主な活動エリアは渋谷でした。土日になると渋谷に行き、まずはHMVタワレコで入荷したての新作を試聴して気に入ったものを購入。その後旧作を漁るためにレコファン渋谷店に行ってました。

4〜5時間はぶっ続けでCDショップで過ごしていましたが、当時はそれが普通で、生きる上での一番の楽しみでした。

そういえばCDはレコードと違って「永遠に音質が劣化しない」というのが売りだったと思いますが、一時期、それは理論上の話で実際にはCDの内側が腐食したり劣化したりして早ければ20~30年で聴けなくなる、みたいな噂が流れて、愕然としたことがありました。

そんなことになったらどうしよう、全部CD-Rに焼き直して複製すべきか、などと真剣に悩みました。しかしこれも最高レベルの杞憂でした。まさかCDが腐食するより先に自ら進んでCDを捨てる日がやってくるとは。未来のことなんて本当に分からないものです。

薄れるCDの存在感

2001年、退屈だった会社を辞めて28歳でデザイナーに転身し、30歳で結婚しました。それからの数年間は、自由に使えるお金も時間もかなり減ってしまいました。しかし音楽は相変わらず好きでした。

私の場合、懐かしい音楽よりも新しい音楽が聴きたいタイプなので、週末のCDショップ巡りは止められませんでした。じっくり試聴してどうしても欲しいCDは買っていました。

しかし、この頃からネットの影響を受け始め、それまでの音楽にまつわる行動パターンが変化していきます。

まず、私の音楽人生から音楽雑誌が脱落しました。

ネットを使い始めると、情報収集の手段はすぐネットに移っていきました。1998年頃からは音楽サイトを開設し、サイトに来る訪問者や相互リンクしてる人たちと掲示板で情報交換していました。好きな作品を聴くだけでなく、レビューを書いてネット上で語り合うのが音楽の楽しみ方に加わりました。

月単位でしか最新情報が届かない、過去記事の検索ができない、レビューといいながら事実上セールスコピー、といった性質の音楽雑誌は、もはや魅力の薄いメディアでした。ネット上で交換される噂も含んだ先取り情報、ファンの熱い思い、文章は拙いが利害関係のない本心で書いたレビューの方が、私にとっては遥かに魅力的でした。

ネットの世界にハマるにつれ、私の音楽人生はますます変質します。

音楽雑誌の次に脱落したのがCDショップでした。大きな影響を与えたのはAmazonYoutubeです。

2007年頃から私は会社から独立してフリーランスになり、自宅でPC向かって大半の時間を過ごすようになりました。この頃はAmazonYoutubeを使い、CDの購買行動をほぼPCで完結させていました。

実は今から2年ほど前に、約5年ぶりくらいにタワレコに行く機会がありました。懐かしいと思ったのは一瞬だけ、以下のような不便な体験の方が気になってしまいました。

・目当てのアーティストや作品がすぐに検索ができない
・目当てのアーティストが思ってた棚と違う棚にあった
・目当てのアーティストを見つけたがアルバムがなかった
・とにかく探すのに店内を歩く必要がある
・店内ポップは売りつけようという絶賛文ばかりで信用度ゼロだった
・周囲の目を気にしながら慣れないヘッドフォンでの試聴が居心地悪かった

それまではまったく自覚していませんでしたが、デジタルによる音楽体験の進化は予想以上でした。あれだけの時間とお金を捧げた大好きなCDショップを、もう楽しめなくなっていました。浦島太郎状態でした。

そして2010年頃には、ついにCDが脱落しました。デジタルダウンロードへの移行を決心したためです。そしてこの決断に至るには、ある一つのデバイスの存在が伏線となっていました。それがiPodです。

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iPodは2004年ごろから使っていましたが、これによってデジタルデータで音楽を聴くことが標準になりました。CDは最初にデータを取り込んだらあとは用がなく、CDラックに直行するようになりました。iPod購入以降に購入したCDのほとんどは、データを取り出す時の1回しか使用していません。

またこの頃、旧譜はTSUTAYA DISCASを活用してました。月額2,000円で最大8枚まで自宅に郵送してくれたのでかなり重宝しました。到着したCDはすぐにデータを抜き、返却していました。これにより、データは持ってるけどCDは持っていないことが当たり前になりました。私のPCにはそれまで以上のスピードで音楽データが貯まっていき、CDを所有する必然性は急速に薄れていきました。

デジタルダウンロードへの移行を促した決定打はそれ以外にもありました。まず聴きたいと思った時にすぐに聴けるという点です。AmazonでCDを頼んでもその瞬間から聴き始めるのは不可能ですが、デジタルダウンロードならそれが可能です。そしてCDを買うより少し安いというのも大きな決め手でした。

こうしてCDでしかリリースされない作品以外、CDを一切購入しなくなりました。

そしていよいよ2015年、Apple Musicが上陸し、国産サービスも乱立し始め、私も音楽ストリーミング(以下、ストリーミング)への移行を始めました。音楽をデータ化して聴くことに慣れていた私にとっては、ストリーミングへの移行に抵抗はありませんでした。

とはいえ、実はApple Musicだけを使ってる時点では、ストリーミングメインの生活にはなりませんでした。UIやサービスが未成熟でしっくり来なかったからです。また、それまでに構築したライブラリと住み分けたいとか、スマートプレイリストを維持したいとか、カタカナ表記と英語表記のアーティストが混在するのが気持ち悪いとか、色々面倒なことを引きずっていて完全移行ができませんでした。

しかし2016年9月にSpotifyが上陸し、晴れてストリーミングがメインになりました。ついに私の音楽人生から「音楽を所有すること」「音楽を購入すること」が脱落しました。

どうしても聴きたいアーティストでもない限り、Spotifyで配信されてない新作を聴くことはありません。Spotifyで配信されないことは、私にとってはこの世に存在しないに等しくなりました。iTunesで作っていたプレイリストもほぼSpotifyに移行し、Spotify以外の音楽アプリを立ち上げることがほぼなくなりました。

そして家では、大量のCDだけが取り残されていました。

実はストリーミングに移行するかなり前から、毎年大掃除のたびに「CDはいつ捨てるの?」と妻に言われていました。CDの存在意義は、iPodが登場したあたりから薄れ始め、デジタルダウンロードに移行してからはほぼ失われました。

しかしそれでもCDを捨てる決心はなかなかつきませんでした。その度に「まだちょっと今は…」と渋っていました。

聴いてないCDを所有することに何故そんなに抵抗したのでしょうか?

それはCDが大学以来の自分を支えたほぼ唯一ともいえる、アイデンティティだったからです。それを捨てるというのは、19歳で音楽に目覚めて以来、自分が夢中になって費やしたお金や時間が無駄だったと、自分の人生を否定することのような気がして、どうしても抵抗がありました。

しかしこのたび決心が付きました。これもSpotifyのお陰です。Spotifyによる快適な音楽体験によって、音楽を所有したい気持ちがなくなりました。20年以上におよぶCDの呪縛から、私は解放されたのです。

さようならCD。今まで私の音楽を彩ってくれてありがとう。これからの残りの人生は音楽を所有せずに音楽を愛していこうと思います。

ストリーミングで音楽は愛せない?

2017年、世界市場ではストリーミングが最大の収益源となり、音楽市場の拡大に一役買ったそうです。そんなニュースもあってか、ストリーミングに否定的だったアーティストの作品も最近は徐々に配信されるようになってきました。

しかしSNSなどを見ていると、未だにCD派はそれなりに存在してるようです。最近はだいぶ減りましたが、「モノを買って手にするから愛着が湧くんだ」「ストリーミングなんかでは音楽を深く愛せない」などというCD派の方の主張もしばしば見かけます。

でもこれは本当にそうでしょうか。

CDに人生の多くを捧げてきた私でさえ、ストリーミングを聴くことで音楽への愛が醒めたように感じたことはありません。

例えば私が好きなクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジというアーティストを知ったのは2000年のことで、CD、デジタルダウンロード、ストリーミングとそれぞれのフォーマットで新作を体験しています。

しかしCDでなくなっても、モノとして所有しなくなっても、彼らが好きだという気持ちに特に変化はありません。それどころか2017年にリリースされてSpotifyで聴きまくった『Villains』は彼らの最高傑作と思っていたりします。

もしモノじゃなくなったり、所有しなくなったりすることで音楽を愛しにくくなるのだとすれば、Spotifyで聴いた新作を過去最高傑作だと思うようなことは起こらないはずです。

かつて私を音楽に目覚めさせたガンズ・アンド・ローゼズの"You Could Be Mine"だって、CDで聴こうが、Spotifyで聴こうが、そのカッコよさに何ら変わりありません。

よくよく考えれば「モノとして所有しないと愛せない」「ストリーミングだと本当に好きになれない」というのはおかしな話です。

音楽というのは、物体として存在しないと、購入するという体験を伴わないと、それだけで魅力を失う程度のものなのでしょうか。それこそ音楽の力を軽視してるのではないでしょうか。良い音楽とは、所有形態や配信方法など関係なく、人の心を揺さぶるもののだと私は思っています。そんな私の方が音楽理想主義者かもしれません。

前述のようなCD派、ストリーミング否定派の方々はおそらく、ストリーミングを体験していない、食わず嫌いで先入観が強い方が多いようにも思います。

でも、安心してください。

私程度のCDに対する人生の捧げ方では、がっつりストリーミング(というかSpotify)に魅了されてしまいました。それほどストリーミングというものは魅力的です。私ほどに時間もお金もCDに費やしてこなかった人は、もっと抵抗なく受け入れられるでしょう。私よりもCDに人生を割いた方については知りません。

あくまで所有にこだわるというのなら、アナログレコードの方がまだ良いように思います。あれだけ大きなものは所有してる感も強いですし、あんなに扱いづらくて聴き辛くて保管に気を使うものを耐え忍んで聴くだなんて、愛情以外の何物でもありません。それと比べるとCDというのは、どうにも中途半端です。

またしばしば「ストリーミングはアーティストを搾取する」と言われることもありますが、私としてはこの考えにも懐疑的です。

私は権利関係には詳しくないので、新作をCDで購入するのと、ストリーミングで聴くのとで、結果的にどちらの方がアーティストに多くのお金が入るのかはよく分かりません。

ただ、5年前、10年前に、20年前に買ったCDを聴き続けてもアーティストに一切お金は入ちません。そしてストリーミングで聴けば、聴いた回数分だけのお金が再びアーティストに入っていきます。

私が好きなアーティストには商業的にはあまり成功していないアーティストも多いため、昔買ったCD(から取り込んだデータ)をいつまでも聴くのではなく、ストリーミングで聴いてあげた方が今の彼らを経済的に支援することになるのでは、と思ったりします。

色々と事情があるのかもしれませんが、ストリーミング各社も、聴き放題ばかりを謳うのではなく、アーティストに貢献するカラクリをもっと分かりやすく大々的に広めればいいのになと思います。

「ストリーミングはアーティストを搾取する」という誤解を丁寧に説いていくことは、日本におけるストリーミングの普及スピードにも大きく関わるんじゃないかと思うわけです。

捨てられなかったCD

このように、Spotifyの影響を受けてCDをバッサリ捨てようと決断したわけですが、それでも捨てられないCDがありました。例えばこれです。

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言うまでもなく、私が自分の意思で初めて買ったCD、ガンズ・アンド・ローゼズの『Use Your Illusion II』です。

見ての通りボロボロで、表紙と裏表紙がブックレット本体から取れてしまっています。なぜこんなにボロボロなのかというと、CDを聴くたびにブックレットを取り出し、歌詞を見たり解説を読んだりしながら何度も聴いたからです。CDの内側にはブックレットをひっかけるためのフックがあるのですが、特にそこと擦れる部分が削れたように破れています。

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中を開くと、ページ中央の下の部分が少し黄色く変色しています。これはようするに手垢なのですが(汚くてすみません)、この部分に指を置き、常にブックレットを見ながら手垢が残るほどに聴き込んだことを物語っています。

こんな風に、注ぎ込んだ情熱が目に見えるように残るというのはモノであることの一つの良さだと思います。私はこのボロボロのブックレットを見て、このCDを捨てるのはやめようと思いました。このCDは私が死んだ時に一緒に燃やしてもらうことにしました。

もしかしたらモノ重視派の方はこれを見て、「ブックレットが壊れるほど夢中になれるのは、やっぱりモノだったからじゃないか」と主張するかもしれません。しかしおそらくそれは的外れで、CDであるかどうかは実は関係ないと思っています。

このCDのブックレットがこんなにボロボロになったのは時代のせいです。もっと分かりやすく言えば、情報がほとんど無い時代だったからです。

この当時、私がガンズ・アンド・ローゼズの情報を手に入れたいと思ったら、真っ先に当たるべきは音楽雑誌でした。

しかし音楽雑誌は毎月ガンズ・アンド・ローゼズを扱ってるわけではありません。最新号にはその時新作を発表するアーティストを中心とした記事しか載っていません。

そこで、ガンズ・アンド・ローゼズの情報を手に入れたければ、バックナンバーを漁るという初心者にはややハードルの高いことをしなければいけません。そして万が一探し当てられたとしても、情報やインタビューが載っているのは数ページのみです。

こんな状況だから、ブックレットに掲載されている歌詞やライナーノーツも、当時は貴重な情報源だったのです。だから何度も出し入れをしてボロボロになってしまったのです。

今の時代に、私が音楽に開眼したら、ブックレットがこんなにボロボロになることはなかったでしょう。まずWikipediaを読み、Amazonのレビューを読み、個人ブログの解説を読んだはずです。最近は機械翻訳の精度も上がってることから、英語圏の情報も漁ってたと思います。でもその方が、音楽体験としては幸せな気がします。

私も若い頃からもっと情報にまみれたかった。そうすれば情報収集意欲の全てをブックレットにぶつけてボロボロになることもなかったでしょう。

私に捨てられたCDたちの行方

さて、タイトルには「捨てた」とやや刺激的な書き方をしましたが、正確にいうとCDたちの行方は所有、譲渡、売却と3パターンに分かれました。

まずSpotifyで配信されていないものは所有し続けることにしました。Spotifyで配信されてないかを確認しながら棚を整理したので、これは結構面倒くさかったです。あとは前述の『Use Your Illusion II』や、知人の作品など、特別な思い入れや人間関係がある作品も手元に置いておくことにしました。

こうして精査した結果、手放すと決めたもののうち、約300枚は譲渡しました。

実は、最初は本当にCDを捨てようと思っていたのですが、そのことをFacebookで告知したところ、友人から「うちの息子に譲ってくれないか」というメッセージをもらいました。

息子さんはまだ小学生とのことなのですが、好きなアーティストはグリーン・デイニルヴァーナジミー・イート・ワールドマイ・ブラッディ・ヴァレンタインビートルズから始まって、オルタナグランジ、オアシス周辺、エモ、パンクに興味が広がってるという、とんでもない小学生です。19歳からロックを聴き始めた私からすれば羨ましいばかりの人生です。

そんな少年の音楽人生の糧になるのであればということで、約300枚ほどをピックアップし、段ボールに詰めて郵送しました。

キャッチーなパンクっぽいのが好きみたいなので、その辺で聴きやすいもの、あとはロックの名盤・定番系、有名アーティストのベストアルバム、それと個人的にオススメしたいものを混ぜ混ぜしてお送りしました。

譲渡したCDのリストは末尾をご覧ください。

さて、自分で所有する分と友人の息子さんに譲渡する分を除いた残りのCDですが、これは買取業者に買い取ってもらいました。

買取業者はネットで検索するとたくさん出てきます。自宅まで取りに来てくれるところも多く、ネットの情報だけではかなり迷ったのですが、最初の窓口の方も次の買取担当の方も電話対応がとても良く、引き取りの日程もすぐに決めてくれたレコファンに決めました。

買取担当の方はレコファン渋谷店からいらっしゃったのですが、私のCDの何%かはレコファン渋谷店で買ったものなので「買い取ってもらう」というより「お返しする」ような気持ちにも少しなりました。

それと買取担当の方に「これスゴイ量ですね。もしかして音楽のお仕事をされてる方ですか?」と言われたことは、人生最後の「CDを所有しているが故の喜び」になりました。ありがとうございます。

ちなみに今CDを売る人はやはり多いみたいです。「なんで売ろうと思ったんですか?」と聴かれたので「ストリーミングでしか聴かなくなったので」と答えたら「やっぱりそうですよねぇ」と、似たような理由で売る人が多そうな感じでした。

また、私は最初は本気で捨てるつもりだったのですがどうすればいい分からずひとまずゴミ袋に入れてしまったのですが、梱包は運びやすいように改めてレコファンの方がしてくれました。これから売ろうと思っている方は、棚にあるままで大丈夫です。こんな感じで段ボール持参で梱包してくれます。

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量が多いのでもちろん私も手伝いました。

あと私は一時期、収納の問題で300枚くらいのCDのケースを捨ててソフトケースに入れてしまったのですが、それもきちんと受け取ってくれました。ただ、ケース破損扱いで若干買取額が減額されるそうなので、将来売却を想定されている方はソフトケースに入れずにそのまま持ってた方が無難です。

なお、レコファンさんは電話だけじゃなく、来てくれた担当の方もとても感じが良かったです。レコファンさんはスタッフ教育が行き届いてそうで好印象でした。

というわけで、CDの大量処分ならレコファンがオススメです。

最後に、以下が小学生の息子さんにあげたCDのリストです。この中から一枚でも「人生の名盤と出会えた!」と思ってもらえたら本望です。