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80歳の現役記者「事件から逃げたらあかん」若手にエール
更新中京テレビ放送の記者として三重県で24年間、事件事故を追い掛けてきた服部良輝さん(80)が5月末、勇退する。県警で「知らない幹部はいない」と言われるほどの存在で、人間関係と日々の積み重ねを何より重視した。常に体調を気に掛けてくれた妻に感謝しつつ、「事件から逃げたらあかん。寝不足と空腹に強くなれ」と若手記者にエールを送る。
力強い声
「けがは? 現場は信号あるん?」。交通事故について警察署に電話取材する力強い声が記者クラブに響く。周囲の記者がパソコンを使う中、取材が済むと愛用の軟らかい3Bの鉛筆で原稿用紙に記事を書き、ファクスで送信した。
定時制高校を卒業後、生まれ育った津市で農作業や工事現場での作業に従事した。19歳で毎日新聞津支局が募集していた記者用車両の運転手に就き、報道の世界へ。「当時、記者はみんなが憧れる仕事。新聞社で働けることは喜びだった」
間もなく地元の運動会や台風の取材など記者の仕事もするようになった。5人が死亡した1961年の名張毒ぶどう酒事件では、1週間泊まり込んで現場を歩き、聞き込み取材を行った。
56歳で再就職
三重県や愛知県で記者やデスクを務め、93年に毎日新聞を定年退社。その後「三重に詳しい記者を」と請われ、56歳の時に中京テレビに再就職した。すぐに各社の若手が配属される警察取材を任された。以来24年近く、事件記者だ。
70代のころ、検察幹部を取材しようと、夜に家の前で帰りを待っていた。通り掛かった警備員に見とがめられ、名刺を渡すも「こんな高齢の記者がいるわけがない」と信用してもらえず、警察に通報されたことも。
強く印象に残るのは、2013年に三重県朝日町で起きた中3女子殺害事件だ。発生から約半年後、容疑者の逮捕が近いとの情報をいち早くつかみ、スクープした。