TwitterやFacebookなどSNS界隈では以前から複業(副業)のブームが一足先に来ていたが、世間でもジワジワと複業ブームが広がりつつあり、人生100年時代とセットで新聞や雑誌などのオフラインメディアで取り上げられることが多くなっている。私は複業に関しては大賛成派で、日本経済活性化のためにも、現役期間が延長された個人のためにも、会社員などの1つの仕事に拘らずにドンドンとチャレンジするべきだと思う。しかし複業ブームに安易に乗っかればワーキングプアに陥ってしまう可能性を指摘したい。
複業ブームの根本は低単価経済
世間における複業のイメージは、スキルや人脈が広がる、チャンスの数が増える、第2の収入が生活を安定させる、と謳われているがこれはメリットであって複業の本質ではない。そもそも日本人にとって複業とは、インターネットの普及によって既存の仕事が低単価になり減った分を量で補うというプラスアルファではなくマイナスを補うネガティブなものである。
競争力を失った日本経済によって、衰退していく会社が増え、その結果として会社員に支払われる報酬が減る。その上で長寿化による生涯消費額の向上、加えて危機感を持った企業達が使えないゴミみたいな人間を切り、優秀な人間のみだけ十分な報酬を渡す方針を切り替えてきてるきた。さらにインターネットを活用すれば今まで抱えていた業務をコストダウンを図りながらアウトソーシング可能とくれば、ますます企業は能力を持たない人間に報酬を払わない。
これらを背景にして落ち込んできた個人消費を懸念した政府は複業ブームを国策として進めているわけだが、本意を汲み取れば「もっと稼いで幸せになりましょう」と言っているのではなく「もっと労働しないと不幸せになりますよ」と言っているのだ。複業をして恩恵を受けるのではなく、複業で損失分を補う、これが複業ブームの本質なのだ。
低単価経済に生きる私達
代表的な例を挙げるならば、インターネットの広告(アフィリエイト等)がわかりやすいだろう。今までなら自社で数百万円のコストを支払って営業部隊を雇うか委託していたのが、インターネット広告の登場で数十万のコストで以前の倍以上の効果があるマーケティングをできるようになった。こうなってくるとインターネット広告にコストを掛けた方が遥かに良いので、営業マン達に渡る報酬の総量は当然の如く減る。
AIによって人間の仕事が取られるのでないかと注目されているが、太古から人は技術確信によって幾度となく職を失ってきた。技術革新によって経済が変わり仕事を失うのが世の常なのだ。インターネットという技術、そしてその技術を日常へ組み込んだスマートフォン、今回の技術革新が経済活動に変化を与え、その結果として低単価経済が生まれたのだ。つまり我々のしてきた仕事の多くは一段の劣化を迎え、低単価で仕事をしなければいけなくなった人が増えた。
複業する目的は労働量アップ
低単価によって報酬が減った分だけ労働を増やす、労働量を増やして経済力を補おうとするのが複業ブームであるが、これをただ労働時間の増加と受け取ってしまってはいけない。ここで定義する労働量とは、時間とパフォーマンスの2つを指す。つまり労働量というのは時間×パフォーマンスによって計算される。
労働時間を増やすのだけが複業だと安易に乗っかり、パフォーマンスの向上を忘れればワーキングプア待ったなしだ。複業ブームというのは経済の冷え込みと技術革新によってもたらされたことは説明したが、もう一つ「複業の方が労働量がアップするのではないか」との考えが広まったのも理由である。
複業で労働量がアップする理由
これはよくメディアで取り上げられる複業するメリット通りであるが、得られるメリットは人によって違い、労働量がアップする要因も実は人によって違う。しかし複業で労働量が増える理由は包括して言える。それは「自分にとってのベストマッチを見つけやすい」からだ。ベストマッチとは能力(環境)とのマッチである。
人によってケース・バイ・ケースというのは、固有の能力に影響を受けている。この人にとって良いものがあの人には良くないように、あの人にとって良いものがこの人に良くないのは、能力や環境が違うからであると当然わかると思う。ならばベストマッチを発見すれば労働量が増えるのも当然のように理解できるだろう。
複業とは自分にマッチするもの探し時間×パフォーマンスを引き上げるもので、決してこれを放棄しイタズラに労働時間を増やすものではない。ベストマッチを探すのは重要性は今回の複業に限ったことではなく20世紀から言われてきた。いわば複業とは、人類が合理的な経済活動をするために編み出された自身の能力を最大限発揮する、という戦略を用いる知的フレームワークなのだ。
自分にとって何がマッチするのか見極める
ここからが日本人にとって難しい話になるが、複業を始める上で何が自分とマッチするのかを見極めるのが重要だ。現在の仕事、趣味、性格、足りない所、 そして興味、見極め方は多様だ。平均的な教育、仕事は辛く苦しく地獄のようなものだと教えられてきた私達にとって、自分の都合で仕事を考えるのは不得意だ。そもそも考えたことすらない、なんて人もいるんじゃなかろうか。
だがこれも包括的な解決策がある。理論はとっても簡単、高い所に登れば良い。景色が良い所は総じて高い所だ。まだ見たことのない良い景色を見に上に行ってみれば良いのだ。景色良い所に居て不快な人間はいない、しかも美しい景色を見にいくため冒険するのが人間だ。祖先から受け継いだ本能に従い、自分が見たい景色を見に行けば良い。
想像が安直で申し訳ないが、カラオケが趣味ならライブをしてみれば良い、書くのが好きなら何か賞に応募すれば良い、好きなスポーツがあるなインストラクターの免許を取れば良い。ちなみに私はビリオネアの景色が見たいからという理由で投資をやっている側面もある。
好きなことがきっかけで職人になる
私が十代の頃、実業家の父に「稼ぐ力を身につけるために職人になりなさい」と言われたを覚えている。職人とは1つのことに徹底的に打ち込み、非常に高いスキルを持った人間のことなので、複業ブームとは真っ向からぶつかる存在ではあるが、職人とは能力や性格と仕事がベストマッチした人間を指す言葉でもある。
複業を否定するのではなく肯定するためにこの話をするが、昔から多種多様なことをやり大きく成功した人間というのはいない。私は投資家なので投資家を挙げさせてもらうが、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、ジム・ロジャース、どれも投資に人生を捧げて巨額の富と成功を得た人物だ。
私が言いたいのは、複業という知的フレームワークの中で、手当たり次第に好きなものに手を伸ばしてベストマッチを見つけ、それを極め高いスキルを持った人間になり成功する可能性が高まる、という方程式が存在することだ。才能だけでは成功できない。成功には成功するだけの努力、それを支える情熱の2つが必ずある。努力を支える情熱を持つには自分の好きなことをやれば良いのだ。
複業は自分を成長させるもの
複業と言えば複数の仕事を同時に行うことをイメージするが、単純なマルチタスクとは違う。最終的には複数の仕事が複合して1つの仕事になるのが理想形だ。様々な仕事が合わさり、あなたにフィットした形になる、そして1つの仕事として機能し始める、これが最終的な複業、つまり単業まで持っていくのが複業だ。
この複合され1つの仕事になるというのは最初からイメージできないかもしれないが、やってることが点でバラバラに見えてもやっている内に大きく一括りにできる感覚を持つはずだ。この自分のスキルが次々へと繋がっていき強化され、自分が成長していくのが複業の良さである。
1つのことに打ち込み成功した人物たちは1つのことしかできないというのは珍しい。ウォーレン・バフェットは保険事業にも精通し、ビル・ゲイツは事業を育てるのが得意である。一見、矛盾しているように見えるこの現象は、様々な仕事で得た経験が1つの仕事のスキルを磨いた、と説明することで解消できる。
類は友を呼ぶと同じで、自分が興味を持ちやっていることは何かしらの共通点があるはずだ。複数の好きなことをやっていく内に自然とシナジーが発揮され、何もしなくても繋がっていく。人間は完璧に違う複数の顔を持つことはできない。1人の人間というのは1つの人生を重ねて生きているのだから。シンプルな理論で深く考える必要性はない。
高いスキルがワーキングプアを避ける
複業ブームとは一過性のブームでなく、これからの社会で生き抜くため必要に迫られた経済変化の波、すなわち以後の社会は高いスキルを持った人間しか十分な報酬を貰えなくなるという合図だ。今時、大したスキルを持っていない個人がブームにただ乗っかるだけ稼ぎ続けられると思う輩はいないだろうが、複業ブームの本質を理解し行動を起こさなければワーキングプアに陥る可能性は高い。
労働時間を伸ばせば良いとアルバイトを始めたり、みながやってるからといってウェブライターをやるなど、考えることもせず安易に乗っかれば経済の変化に取り残される。やれば複業の恩恵をただ受けられると思ったら勘違い甚だしい。最初からメリットを存分に受けられるのはそれこそトップ10〜20%の世界である。複業ブームが単純なプラスアルファなものであると思っているのなら今すぐに認識を改めるべきだ。
この流れは21世紀に入って加速してきた。まだ21世紀は始まったばかり、今後もこの流れはもっと加速していく。遠くない未来、ベストマッチが常識と化した世界でアンマッチなことをしている人間はワーキングプアに陥ってしまう。ワーキングプアから抜け出す、そして回避するのなら、自分にとって何が重要かを見極める覚悟を持って複業するべきだ。