今回のfgoのイベントひどすぎてやる気が消滅したわ。
素材やQpで誤魔化してるけど、これサーヴァントなんて聖杯でいくらでも量産可能のただの魔力の固まりって言ってるようなもんだろこれ?
英雄なんてなるものじゃない世界に利用されるだけ、って誰かが言ってたけどその通り過ぎて泣けてくるわ。
みなさんFGOやってますか。やってますね。114514万QP溜まりましたか。僕は羽根と術の石と毒針と心臓と頁が枯渇しました。絶対ジーク君スキルマにするからなお前…
というわけで、今回は「Fate」というシリーズの根幹を成す「サーヴァント」について、一般的なキャラクターコンテンツから入った時に起こしがちな解釈の誤りの話をしようと思います。
※当然のようにネタバレしかありません
サーヴァントは「レプリカ」である。
「ねぇライダー、あなたの真名を言ってちょうだい…?」
「アストルフォ!シャルルマーニュ十二勇士の一人だけど?」「いいえ違うわ!あなたはサーヴァント!アストルフォという英雄の劣化コピーに過ぎないの!!」
-Fate/Apocrypha 黒のライダーと第四の黒のマスターの会話より
「サーヴァント」は「過去の偉人や英雄が召喚されてくる」わけでなく、「英霊の座」という所に登録された人々の「レプリカ」を召喚しているものです。肉の体でなくエーテルで編まれた身体を持ち、伝説や逸話や神話といった「人々がそう思い願ったもの」が能力やワザ、宝具として組み込まれています。
召喚するのは簡単でなく、「聖杯」という膨大な魔力のサポートに「クラス」という押し込みがあってようやく召喚が可能な代物であり、そして性質としては最上級の「使い魔」に属します。
そう、召喚された使い魔。コウモリやトカゲの如く使役されるモノ。例え人格があり、望みがあったとしても……聖杯戦争におけるサーヴァントとは「魔術兵器」と呼んでもいいレベルの魔力の塊です。
そして「レプリカ」であるが故に、「英霊の座」から抹消されない限り召喚が可能です。それ故に別のパラレルワールドであっても彼らは現れます。「限りなく別人に近い同一人物」だとか「限りなく同一人物に近い他人」という言葉で彼らの在り方は説明されます。
なので、サーヴァントについて「原作」だとか言うのは実は無意味です。正しく言うならば「初出」でしょう。Fate世界においてそのサーヴァントが初めて出てきた、程度の意味です。「原典」という話であればそれこそ神話や逸話や史実という事になりますし、決して「Fate/stay night」だとか「Fate/EXTRA」だとかが原作という事にはなりません。
サーヴァントを「レプリカ」ではないと思わせるややこしい点
話を厄介なことにしている点が主に2つあります。
一つは召喚される彼ら自身が「本人である」と名乗るし、そう振る舞う事です。彼らはあくまで「元になった英霊のレプリカ」であるので、厳密には本人ではありません。ですが1騎のサーヴァントが1つの物語の中で様々な召喚をされる光景を見るのはまず無理な上、作品が違う=別のパラレルワールドの場合にまたそのサーヴァントが出てくる機会は稀です。これは勿論キャラコンテンツであるという理由も多分に含まれます。FGOという機会を得て、珍しく「あの作品にも出てきたサーヴァント」と再会する人も多いでしょう。ですがサーヴァントはあくまで「レプリカ」、連続した時間の中にはいませんし、いわば「同一の存在の別個体」ですから同一性を求める方が誤っていると言えます。
二つ目は「記憶」についての扱いがまちまちである事です。
Zeroからstay nightにかけて登場したアルトリア・ペンドラゴン及びギルガメッシュは、どちらもZeroの記憶を保持しています。前者は「実は停止した死の淵にあり、タイムスリップのような形で呼び出されている」事からZeroの記憶を持っていますし、後者に至っては聖杯の泥で受肉する事で本当にZeroの頃から「生きて」います。他にも設定レベルで言えば、元を辿れば天照大神という立ち位置の玉藻の前がFGO内でEXTRAの事について言及しますし、例外の話をし始めるとキリがない。
かと思えば同じFGO内でも4章と6章のモードレッドはサッパリ別の扱いですし、蒼銀のフラグメント初出のアーラシュやパラケルスス、静謐のハサンであってもアーラシュはぼんやりとその話をする割に静謐のハサン(詳細は幕間にて)は別の聖杯戦争の話をしない。ファンサービスの部分も相まって知ってるんだか知らないんだかもうめちゃくちゃ。一応「英霊の座にレプリカからのフィードバックが記録として残るので、実感としては無いが知識として残る。残らなくもない。何それ。」という程度の設定はありますが、ここを厳密に考え始めると脳が焼けます。正確に言えば「その経験を経てしまうとそれは”それ”で無くなる」という事もあれば、「その経験が無くともそれは”それ”だ」という事もあり、一概に言えないのが「記憶」と「記録」です。あるいは、わざと「語らない」という事も。ところでモーさん新宝具ボイスおめでとう。ほんとうに。
ともあれ、そんな風に「知ってるサーヴァントの知らない振る舞いと戦い」を見る機会を、FGOによって与えられたのが今です。原作ではなく初出、本人でなくレプリカ。ここを押さえておくか否かで受け取り方がずいぶん変わります。
サーヴァントについての扱いの代表例。遠坂親子。
さて、サーヴァントが「レプリカ」であると共に「魔術兵器」だという話に戻しましょう。
聖杯戦争に勝利するために触媒を用意し、最強のサーヴァントを呼ぶ。それに最も成功し、そして失敗したのが遠坂時臣です。かれはZeroの舞台である第四次聖杯戦争にてギルガメッシュを召喚しています。一流の魔術師である時臣は英雄王であるギルガメッシュに敬意を払いますが、それもいわば「道具のコスト」としての敬意。「使い魔風情」という見方はしませんが、契約上の関係であり「人」や「英雄」としては見ていませんでした。それ故に退屈であるとギルガメッシュに見限られ、最後には英雄王を自害させる算段が露呈した事もあり言峰綺礼に殺されてしまいます。
また、その時臣の娘である凛についても同様で、主従関係をハッキリ決めに行った所でエミヤから未熟な子供扱いをされた事に激昂し「絶対服従」を令呪を以って命じています。その後の展開や他の作品を知った後であれば凛とエミヤは「パートナー」であるという事は百も承知でしょうが、凛も模範的な魔術師たろうと最初はサーヴァントに対して道具として接しています。
他にも「魔術兵器」としての使い勝手や強さを考慮した結果、狂気を付与されたランスロット及びヘラクレスが冬木の聖杯戦争でも間桐とアインツベルンから投入されており、「一般的な魔術師の認識」としてサーヴァントがこのような扱いであると言うことが分かります。また冒頭に引用したセレニケ、及びユグドミレニアの長であるダーニックが作中でサーヴァントをどう扱ったかについてはご存知のとおりです。
もっと言えば、Zeroの主人公である衛宮切嗣はその「魔術兵器」たるサーヴァントであるアルトリア・ペンドラゴンとの相性も最悪であれば、何よりその「信条」を軽蔑すらしていたマスターでした。
しかし「レプリカ」であっても、想いと願いは。
「魔術兵器」であるサーヴァントに。現代を生きる人間である「マスター」達が心を動かされ、揺さぶられ、そして歩き出す。それがFateの大きな見所の一つです。例えサーヴァントであっても「女の子なんだから」とアルトリアを守る衛宮士郎を始め、挙げるとキリがありません。
その中から、ウェイバー・ベルベットの話をしましょう。
彼は第四次聖杯戦争で征服王イスカンダルを召喚し、そして敗退したマスターです。ウェイバーはその奔放かつ豪胆なイスカンダルに振り回され、イスカンダルの宝具を目のあたりにすることによってプライドを粉々にされ、「お前だって不満だろうが!こんな僕がマスターなんて!」とイスカンダルにその劣等感をぶつけました。そんな時、イスカンダルから返ってきたのは「この世界地図に姿を描き入れてみよ。立ち向かう世界に対して我らは極小の点でしかない。だからこそ滾る!」と諭され、その後「貴様は四の五の言いつつも、己の小ささを分かっておる。それを知った上で尚、分を弁えぬ高みを目指しているのだからな」と薫陶を受けています。
彼はいつしかイスカンダルの背中に夢を見、そして最終決戦に於いて令呪を放棄した上で「征服王の臣下」となり、彼と同じ夢を見させて欲しいと誓いを立てるのでした。
聖杯戦争が終われば消えてなくなるサーヴァントとの日々、そしてサーヴァントの思いはFateの作中でも「泡沫の夢」と例えられ、既に死者である彼らは「歴史の影法師」と例えられます。しかし、その想いや生き様は決して偽物ではなく、作中のマスター達のみならず、読者・観客である私達すら心を震わせるものであることは疑いようもありません。
手垢でページが黒ずむほど読まれた『イリアス』。
封も開けられなかった、一つ余分にコントローラの買い足されたゲーム機。
ただの「霊魂風情」だのと言うには、あまりに鮮やかに、残される”色彩”。
そんな風にサーヴァントたちは、マスター達に夢と思いを残していきます。
そして願わくば、そのサーヴァントの活躍を唯一つと決めつけぬように
サーヴァントは魔術兵器で、魔力さえあれば召喚ができ、また聖杯にアクセスする手段に長けたものであればやはり召喚が可能です。そして死んでも「その時のレプリカ」が消え失せるだけで、英霊の座には僅かな記録だけが戻ります。
とはいえ、そのサーヴァントとマスターの関係はかけがえのないものであり、その光景そのものに強く焦がれる物があるのも事実です。それがFateに触れる初めてであったり、初めてそのサーヴァントを見たときならなおのことでしょう。
しかしながら、サーヴァントは何度も言うように「レプリカ」、Fateが続く限りはまたどこかで、「いつか見たサーヴァント」と新しいマスターの出会いや戦いの日々があることでしょう。
その中で「このサーヴァントにはこのマスターなんだ」「このコンビのときはこうだったんだ」「だから新しいこれは間違っているんだ」と、私はあまり言わないでやってほしいのです。
知ってるサーヴァントの出てくる、知らない聖杯戦争。それもまたFateが長年続いたからこそ見ることの出来る、Fateならではの醍醐味です。そして知ってるサーヴァントがまた、誰かと歩み、導き、その願いを伝えていく。それは決して初出時のコンビに勝るとも劣らないものがあると私は信じていますし、そう無碍にするもんでもないと思うのです。
ロード・エルメロイII世の事件簿 7 「case.アトラスの契約(下)」 (TYPE-MOON BOOKS)
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名残は尽きず。
胸を打つ空虚に、泪しそうになったとしても。
―――遠くには青い空。
こんなにも近くに感じるのに、
手を伸ばしても掴めない。
いつか、星を眺めた。
手の届かない星と、叶う事のない願いを。
共に残せた物など無く、
故に、面影も記憶もいつかは消える。
「――――――――」
それでも。
届かなくとも、胸に残る物はあるだろう。
手に残る物はないけれど、同じ時間にいて、同じ物を見上げた。
それを覚えているのなら―――遠く離れていても、共に有ると信じられる。
なくなる物があるように、なくならない物だってあると頷けるのだ。
だから、今は走り続ける。
遠くを目指していれば、いつかは、目指していたものに、手が届く日が来るだろう。
―――冬を越えた始まりの春。
いつか彼女も見ただろう青空の下、坂道を上っていく。
-Fate/stay night セイバールートより、衛宮士郎の独白