これがアメリカ
パクるんじゃねえ
俺がどうやって生きてるか見ろよ
Childish Gambino / This Is America
行け 失せろ
行け 失せろ
行け 失せろ
行け 失せろ
俺たちはパーティーしたい
パーティーはお前らのため
俺たちは金が欲しい
お前らのためだよ
パーティーしたいんだろ
俺のためのパーティーだ
ガール、俺を躍らせた
踊って 体を揺すって
これがアメリカ
パクるんじゃねえよ
盗むんじゃねえ
俺が何とヤってるか見ろ
これがアメリカだよ
パクるんじゃねえ
盗むんじゃねえ
俺が何とヤってるか見ろよ
これがアメリカ
パクるんじゃねえ (シッシッ)
俺がどうやって生きてるか見ろよ
警察はラリってる
イェー、これがアメリカ
拳銃はそこらにある
鞭を手に入れて
運ばなきゃなんない
イェー、ぶち込むのが俺の仕事
イェー、ゲリラだよ
イェー、俺の仕事はバックを手に入れて
イェー、もしくはアジトを手に入れて
イェー、ジュエリーでブリンブリン
イェー、俺はドープ
鼻から吸っちまうよな(マジで)
ウーウー、誰かに教えてやれ
教えてやれよ、お前
母ちゃんが言ってた
金を稼ぎな、坊や
金を稼ぎな、坊や
金を稼ぎな、坊や
金を稼ぎな、坊や 男だったら
これがアメリカ
パクるんじゃねえよ
盗むんじゃねえ
俺が何とヤってるか見ろ
これがアメリカだよ
パクるんじゃねえ
盗むんじゃねえ
俺が何とヤってるか見ろよ
ガリ勉かどうか見てみろよ
俺はイケてる
グッチ中毒
そこそこイケメンだろ
手に入れるんだよ
俺を見張ってな
携帯電話
つうか道具
俺の(ブラック・)コダック
ウー、知ってる(切んなよ)
手に入れろ
ヤっちまえ
10万ドル、10万ドル、10万ドル
密輸品、密輸品、密輸品
オアハカの連中とコネがあんだよ
奴らはお前を見つける バキューン
ウー 誰かに教えてやれ
アメリカ、俺は以下のリストをチェックする
誰かに教えてやれよ
俺に貸しがあるだろ、クソ野郎
母ちゃんが俺に言ってた
金を稼ぎな、坊や
金を稼ぎな、坊や
金を稼ぎな、坊や
金を稼ぎな、坊や 男だったら
世界の黒人たちよ
お前らはタグ付き
こき使う高価な外国人
お前らは親友
俺はアイツを裏庭で飼育した
いや、犬に人生なんてないだろう
でっかい犬たちよ
もちろん意訳。スラングが多いので難しい。別に英語が得意でもないのにこんなことをしている。という言い訳を先に。冒頭のパーティーという言葉には団結という意味も含まれていて、それを呼びかけているようにも感じる。
さて本題。
「音楽に政治を持ち込むな」なんていう言葉がナイーブ(あるいはセンシティブ)かどうかはさておいて、アフロ・アメリカンの音楽が歴史や社会と切り離せないこと、露悪的なビデオよりもおそらく社会の有り様が深刻なこと、加えて複雑なこと、こうした表現が生まれて共有される土壌があること、どこを切っても考えさせられる。
「我が国スゴイ」以外のことを言うなら金も人も引き上げます、みたいな事態を妄想して自主規制したり、突き抜けた表現がただのタブー破りなだけで社会的な意味がクソほどもないどこかの国とは違って、ハリウッド俳優でグラミー受賞アーティストがこれを作るのだから、どっちがスゴイか言うまでもないような気がする(ちなみにドナルド・グローヴァーは作家でもありコメディアンでもある)。というか、本来はすごくない。表現すべきだと思ったことを表現するのは普通のことだから。
こうしたビデオや楽曲を「スゲー!」だなんて言って消費したり、アメリカ社会と音楽との有り様や彼らの意図を考える前に、俺は率直に悔しい。日本のトップクリエイター(そんなの居るのか?)がマスと向き合う現場で何を作っているのかと言えば、たったひとつ、コマーシャルだろう。販促物だ。
それでいいのかよ?っていう言葉を、「私は当事者だ」と思う人すべてに投げかけたい。私は違うって言うならば用はない。すぐにコマンドとWを押して業務やら表現やらに戻ってほしい。とりあえず俺は自分の土手腹に向かって、その言葉を3万回くらい投げ込みたい。
自分のヌルさに反吐が出る。