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『響け!ユーフォニアム』アニメが描いていたものを原作小説から読み解く

※ この記事は原作小説版『響け!ユーフォニアム』1巻と、テレビアニメ版『響け!ユーフォニアム』全13話のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 『響け!ユーフォニアム』のアニメ放送が終わったので、原作小説の1巻を読みました。
 アニメの制作が始まった頃には原作は1巻まで出ていなかったと思ったので1巻だけ読んでみることにして、実際に原作小説1巻のラストがアニメ版1期のラストまででした。アニメは今後も展開が続くと信じているので(テレビアニメ2期なのか、劇場版なのかは分かりませんが)、2巻以降を読むのはその後にしようと考えています。


 私は、好きな漫画でも小説でも「原作→アニメ(ドラマ、映画なども含む)」の順で観るとどうしても原作と比較してしまって「展開が遅い!」「演出がおかしい!」「好きだったシーンがカットされた!」「原作にない要素が足されてる!」「夜神月がアイドルヲタクってどういうことだ!」と文句ばかり頭に思い浮かんでしまって楽しめません。
 楽しめないものを観るのは時間がもったいないし、その文句をブログとかTwitterに書いても読んでるみなさんを不快にさせるだけでしょうから、最初から「好きな原作のアニメ化(ドラマ化、映画化なども含む)」は観ないようにしています。

 逆に、アニメ(ドラマ、映画なども含む)から入って「面白かったから原作も読んでみようっと」と後から原作を読むと、アニメなどでは描かれなかったシーンがあったり、アニメなどでは分からなかった設定が分かったり、「元はこうだったのか!」と思えてすごく面白いんですね。
 また、『けいおん!』の1期の時なんかは、アニメで印象的だったシーンはほぼ全てアニメオリジナルのシーンだったことに驚き、そうした差を見ることで「アニメのスタッフがアニメ版で描きたかったもの」が分かるのが面白かったんですね。原作は日常4コマだったのが、アニメでは高校生の成長物語になっているだとか。姉妹がイチャイチャするシーンが増えているとか。


 もちろん、この「原作→アニメ」は観ないけど「アニメ→原作」は観るというのは“私にとってのベストな楽しみ方”でしかありませんからね。「みんなもそうしろ!」と押し付ける気はありませんし、みなさんにとってもそれがベストな楽しみ方になるかどうかは責任は持ちません。アナタは私ではないし、私はアナタではありませんもの。

(関連記事:アニメの後に原作を読むススメ
(関連記事:「小説」と「アニメーション」の違い


 なので、私がこの記事で語りたいのは「アニメの後に原作を読むと面白いのか、原作を読んでからアニメを観るのが面白いのか」みたいなことではありません。『響け!ユーフォニアム』というアニメを観終わって、その勢いのまま原作小説1巻を読み終わって、そこで気付いた「原作はこういう話だったのか」「アニメは再構成するにあたってここに焦点を持ってきていたのか」を語りたいのです。

 ということで、アニメの結末までのネタバレは当然書きますし、原作小説1巻のネタバレも遠慮なく書きます。
 出来ればアニメも原作小説も両方チェックした上でこの記事を読んでもらいたいですけど、片方だけ観てる人にもう片方に興味を持ってもらえるかも知れませんし、両方観ていない人にも興味を持ってもらえるかもと思って書きます。


 そろそろネタバレ防止のための尺稼ぎはイイかな。
 この『響け!ユーフォニアム』の原作小説版→アニメ版で追加された要素は、大体こんなカンジです。これらは、1クール13話のアニメとして構成するのに、アニメスタッフが「ストーリーの軸」として考えた要素とも言い換えることが出来ますね。

1.久美子の成長(変化)
2.久美子と麗奈の描写の強化
3.先輩達を始めとする「久美子以外のキャラクター」の掘り下げ


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◇ 口調の違い
 まずは分かりやすいところから。
 原作小説を読み始めて、1ページ目から度肝を抜かれました。

 この作品……原作小説版もアニメ版も舞台は京都なので、原作小説版だとみんな関西弁で喋るんですよ。高坂麗奈は「めっちゃ悔しいねん」と言うし、葉月も緑ちゃんもあすか先輩も香織先輩もみんな関西弁で喋ります。
 唯一、久美子だけは「小学校3年生の頃に東京から引っ越してきた」そうで標準語を喋るのと、先生方も標準語で喋っているみたいですが……基本的に高校生のキャラは関西弁で喋っているのが原作小説版です。それに対してアニメ版は全てのキャラが標準語で喋っています。


 これ……私が仮に元々の原作小説版のファンで、アニメをその後に観ていたとしたら「どうして標準語になっているんだよ!」と文句を言っていたと思います。標準語で喋る麗奈なんて麗奈じゃない!!と。
 で、どうしてアニメ版は標準語なのかというと……恐らく声優さんの問題でしょうね。日本に声優さんはたくさんいるとは言っても、エセではないちゃんとした関西弁を喋ることが出来る声優さんは関西出身者に限られてしまいますし、関西弁と言っても京都と大阪と奈良では微妙に違うなんて話も聞きます。

 なので、アニメの場合、地方を舞台にしたアニメであっても「基本的にはみんな標準語で喋る」「けど、一部に方言で喋るキャラも出てくる」くらいにしてあるのが一般的だと思います。『たまゆら』のほぼろ店主とか、『花咲くいろは』の巴さんとか。
 『いなり、こんこん、恋いろは。』のアニメはメインキャラに関西出身者を起用した上に京都弁の指導を行い、「京都出身者に台詞を喋ってもらったものの録音を声優に聞かせてからアフレコを行う」という二度手間・三度手間をやってまで原作の京都弁を完全再現していたという話でしたが……逆に言うと、それくらい大変なんですよね。アニメで方言を再現するのって。



 「アニメ→原作」の順で読んだ自分は、最初こそすっごい違和感があったのですがすぐに慣れました。むしろ、途中から「どうして久美子だけ関西弁じゃないんだよ」と思うようになったくらいです。地の文は標準語で、台詞だけ関西弁にした方が、久美子の「上っ面だけ周囲に合わせる」キャラクターが表現できたんじゃないかとまで思ったのですが……全員が関西弁だと、どれが誰の台詞だか分からなくなっちゃうか。


 アニメ化の際は、この「関西弁→標準語」への修正だけでなく、細かい口調の修正でキャラクター性をより出しているように思えました。
 例えば、緑ちゃんはアニメ版だと同級生にも敬語で喋るので「お嬢様学校出身」というカンジが強調されていますし。久美子は原作だと「葉月」「緑」「麗奈」と最初からみんなを呼び捨てにしていますが、アニメだと「葉月ちゃん」「緑ちゃん」「高坂さん」と呼んでいて途中から「麗奈」と彼女だけ呼び捨てにすることで“久美子と麗奈の関係が特別であること”を強調しています。この辺は後で詳しく書きます。

 後は、すっごい細かいことなんですけど……先輩達が後輩を呼ぶ際、原作だと「久美子ちゃん」「麗奈ちゃん」といったカンジに名前ベースなのに対して、アニメだと「黄前ちゃん」「高坂さん」といったカンジに苗字ベースに統一されていると思います。香織先輩の「優子ちゃん」だけは例外ですけど。
 これは多分、アニメ版は「1年生同士で呼び合う」のと「先輩が1年生を呼ぶ」のとを分かりやすく区別したかったのかな……と思うのだけど、そう言えば梨子先輩はアニメ版でも「久美子ちゃん」「葉月ちゃん」って呼んでた気がするな。何だろ、分からん。



◇ 原作の黄前久美子と、アニメの黄前久美子
 そろそろ本題。
 アニメの『響け!ユーフォニアム』が何を描いていた話だったのかは、“「吹奏楽もユーフォも何となくで続けていた久美子が、心の底からユーフォを大好きと言えるようになる話」だった”感想まとめの記事に書きました。原作もそういう側面がないワケではないのですが、アニメ版はそれがより分かりやすくなるように様々なシーンが追加されています。

 例えば、アニメ第1話で久美子が吹奏楽部に入るか悩んで、一旦「入ろうと思っていたけど辞めた」と言うシーンはアニメオリジナルです。原作は葉月と緑に「一緒に入るんやんな?」と言われてそのまま流されて入ってしまいます。
 また、アニメ第2話の楽器選びのシーンで、久美子が一旦トロンボーンを志望するけど葵ちゃんと再会したことでユーフォ経験者なことがバレて……というのもアニメオリジナルです。原作だと、どの楽器も選べずに立っているところをあすか先輩と緑に押しきられてそのまま流されてユーフォになってしまいます。

 原作の久美子はひたすら「周りに流される」んですね。自分の意見を持たない。
 アニメの久美子もそういうところがありましたが、原作を読むとアニメはまだ意志のあるキャラだなと思うようになりました。高校デビューをしようとポニテにしたり、吹奏楽を辞めようとしたり、やっぱ入ったり、ユーフォ以外の楽器を選んだり。アニメ版の久美子は「吹奏楽」も「ユーフォ」も一度自分の意志で辞めようとしているんですね。そこからのスタートとなっている。

 高坂さんとのシーンはまた後でも語りますが、3話の『新世界より』を高坂さんが吹くシーンもアニメオリジナルで、4話で久美子がそれを聴いていたことを高坂さんに告げるシーンもアニメオリジナルです。なので、高坂さんを通して久美子が一歩を踏み出せるように成長した描写は原作にはありません。
 なので、4話で夏紀先輩を練習に誘うシーンや、5話で梓ちゃんの誘いを断るシーンも、アニメオリジナルです。原作に比べてアニメは、中盤の時点で明確に久美子が変わりつつあることを繰り返し描いているのです。

 サボテンのシーンや、お姉ちゃんとの絡みもアニメオリジナルです。
 アレらの一連のシーンは「サボテン以外には心を開かない」久美子の心情と、徐々に周りに心を打ち明けていく変化を描いていた要素だと思うのですが……あの辺も全部アニメオリジナルなんですね。

 んで、極めつけは12話。
 急遽ユーフォも吹くことになった箇所に久美子が大苦戦し、必死に必死に必死に練習するのだけど滝先生から外される場面―――そして、「上手くなりたい」「死ぬほど悔しい」と涙することで麗奈のあの時の気持ちに気付くシーン、及びその後にお姉ちゃんに「私ユーフォ好きだもん!」と言うシーンも全てアニメオリジナルです。


 つまり、原作ではあまり重点的には描かれなかった「久美子の成長」を、アニメ版では軸にして描くために「最初はユーフォを辞めさせようとして」「最終的にユーフォが好きだと言わせる」までの過程に再構成したのだと思うのです。だから、アニメで好きだったシーンがアニメオリジナルなシーンだったことに衝撃を覚えつつ、とても納得しました。『けいおん!』1期もそんなカンジでしたしね。



 「じゃあ、原作は中身のないすっからかんな話なの?」と思われたかも知れませんが、そんなことはありません。というか、アニメは「久美子の成長」を王道エンタメとして「良かったね」「感動だったね」と描いていましたけど、原作はそうした変化を成長と捉えることに懐疑的に描かれているように思いました。

 原作の久美子って、アニメ版以上に「超優柔不断」で「周りに流される」キャラとして描かれています。
 先ほど書いた「吹奏楽部に入部した理由」も葉月と緑に流されたからですし、「ユーフォに決まった理由」もあすか先輩と緑に押しきられたからですし。「全国を目指すかどうか」の多数決のシーンで、アニメの久美子はどちらにも挙げないのですが、原作の久美子は「みんなが挙げているから」という理由で全国を目指す方に挙げているのです。
 アニメでは描かれなかったエピソードですけど、原作では入学式の校歌斉唱で「高校ではみんな校歌をマジメに歌うのだろうか」「周りが歌わないのに自分だけ歌ったら浮いてしまう」と周囲を見渡すシーンがあるんですね。つまり、周囲から浮かないことをひたすら気にする性格として描かれているのです。

 んで、この性格はアニメ版だと割と抑えられているように思えるのですが、ところどころに「原作のままの台詞が残っている」ので違和感として覚えていたところがあったんですね。この台詞どういう意味なんだろうとアニメだけ観た時には分からなかった台詞が幾つかありました。
 例えばアニメ6話のAパートラストでソフトクリームを食べているシーン、久美子が「やっぱり抹茶味にすれば良かったかなぁ」と後悔している台詞があります。同じようなシーンが原作にもあるのですが(原作だと相手は梓)、原作の久美子はこれを「優柔不断な性格だから」と自分で語っているんです。吹きたい楽器が選べないように、ソフトクリームの味も即決できない久美子の性格を描写していたんですね。
 ちなみに、アニメ10話にあたる部分で夏紀先輩がシェイクの味を譲らなかったのは、こことの対比でしょう。「ソフトクリームの味も即決できない久美子」と「自分の好きなものを譲らない夏紀」を原作ではしっかり対比しているのです。


 また、アニメだと9話にあたる部分で、秀一にフラれた後の葉月が久美子に「久美子は押しに弱いから自分が先に言えば(秀一のことから)引いてくれるかと思った」と言うシーンがあります。アニメだとこの台詞の意味がよく分からなかったのですが、原作の久美子は部活のことも楽器のことも「人に流されて決める」くらいでしたから、葉月はそれを利用したのです。
 後述しますけど、原作の久美子は確かに「葉月が秀一を誘った」際に「本当は嫌なんだけど譲るしかなかった」的な気持ちが描かれていましたし、原作の久美子は秀一のことが好きなんだろうなと百合原理主義者である私でも思いました。まぁ、ここは後で。


 ということで、原作の久美子はアニメ版以上に「超優柔不断」で「周りに流される」キャラで、アニメ版のように分かりやすくそこが直っていく様子も描かれません。私の印象ですけど、原作1巻のラストでも久美子はそのままだと思いますし、逆にアニメのラストでは久美子はもう「ユーフォが好きだもん」が揺るがなくなっていると思います。だから、アニメ版の方が分かりやすく「久美子の成長物語だった」と言えるのですが……

 ですが、この作品が何を描いていたのかを考えると、原作の方が分かりやすいと思うのです。「超優柔不断」で「周りに流される」久美子を主人公にして描くことで、麗奈だったりあすか先輩だったり吹奏楽部の面々だったりがどうしてそういう行動を取ったのかが分かるのです。
 というか……アニメ版だと久美子が4話の時点で自分で決断して行動できるように成長しちゃっているから、アニメだけ観てもよく分からなくなっちゃった部分もあるんですよね。一番の例は、どうして最終回のコンクール直前にあすか先輩はあんなことを言ったのか?です。あのシーンは原作小説版だとものすごく自然な流れなんです。



◇ アニメ版は「高坂麗奈ルート」である
 あすか先輩の話はこの次の項で語るとして……。

 この話は不快に思う人もいると思うので、まず最初に「その人がした“解釈”こそがその人の“正解”でイイじゃないか」というのを大前提にしておきます。それで、ここから語るのは私の“解釈”で私にとっての“正解”ですが、それを他人に押し付ける気はありません。


 「久美子と麗奈の関係は百合か?」という激論が飛び交っていたそうで、それでつらい思いをしたという人の話を聞いて心が痛くなっていました。異性愛か同性愛かという話を置いといても、「久美子が好きなのは秀一なのか」「それとも麗奈なのか」というカップリング論争とシンプルに考えればそりゃ一筋縄ではいきませんよね。

 んで、その際に「原作の久美子は秀一のことが好きだと思わせる描写があるじゃないか」「だから、久美子と麗奈は百合じゃないだろう」と言っている人を見かけました。私がその際に思ったのは「テメー!ネタバレするんじゃねえよ!」だったんですけど(笑)、実際に読んでみたら確かに原作はそう感じるところは多いです。アニメだとコンクールに向かう直前にグータッチをしていますが、原作だと指を絡ませあって始まるのを待っていたみたいですしね。

 逆に言うと、アニメだと「久美子が秀一のことを好きだと思わせる描写」を意図的に削っているんですね。どっちかというと戦友的に描いているし、「まだ恋愛が始まっていない二人」として描いているように思えます。原作だと秀一は葉月を「他に好きな人がいる」とフっているのだけど、アニメだと秀一は「ごめん」としか言っていませんからね。


 なので、原作の1巻は「秀一ED」と言えると思うのですが。
 アニメの1期はそうは思えなくて、むしろ「麗奈ルート」による「麗奈ED」だったんじゃないのかなぁと思います。

 そのくらい、アニメ版ではアニメオリジナルのシーンとして「麗奈と久美子のシーン」が追加されているのです。
 例えば、中学のあの一件以降、気まずくなってしまった(と久美子が思っている)描写はアニメオリジナルです。なので、喋りかけようとして喋りかけられないとか、謝ろうとして謝る必要あるのか考え直すとかあの辺も全部アニメオリジナルです。原作では、確かにあの一件はあったけれど、それでも会えば普通に話すくらいの関係に最初からなっているのです。

 んで、アニメ版では久美子の意識を変えた3話の『新世界より』の演奏シーンや、4話で麗奈が謝って久美子が自分の気持ちを麗奈に告げるシーンもアニメオリジナルです。あの2つのシーンはお互いがお互いを意識するようになったきっかけのシーンで、これ以降この二人の距離は接近していくんですね。原作にはこの描写がないんです。
 だから、5話の「黄前さんらしいね」もアニメオリジナルだし、6話の「高坂さんらしいね」もアニメオリジナルです。8話の山に登るシーンは原作にもある重要なシーンですが、楽器を持って登るのはアニメオリジナルですし、アニメ版では久美子の唇を麗奈が指で弾いていましたが、原作では頬を滑らせるだけです。明らかにアニメスタッフはここに性的なメタファーを加えていると思うのですが、百合原理主義者の言っていることなんであまり本気にしないでください(笑)。

 先ほども書いたように、久美子が麗奈を呼ぶ時の呼び方が「高坂さん」から「麗奈」に変わるのはアニメオリジナルで、アニメは特にここで二人の関係性が変わったことを強調しています。

 原作でも久美子は麗奈と一緒にいると安心するようなことを言っていますが、そもそもアニメ版のように「誰にも心を開かなかった久美子がサボテン以外にも心を開けるようになる」成長が原作にはありません。
 なので、アニメでは9話にあたるオーディション直前に夏紀先輩のことで動揺している久美子を麗奈が支えるシーンはアニメオリジナルですし、逆に11話の再オーディション前に久美子が麗奈を支えるシーンも、久美子だけが真っ先に麗奈に拍手をするシーンもアニメオリジナルです。12話自体がアニメオリジナル回なので、久美子の練習に麗奈が付き合うのも、久美子が外されて落ち込んでいるのも、そこに着信履歴を麗奈がめっちゃ残すのも、その後に「今から会えない!?」と言うのも全部アニメオリジナルです。

 アニメを観た後に原作を読むと、原作は「序盤で高坂さんのフラグを立て損なったせいで高坂さん関連のイベントを全然回収できていないじゃないか!」というカンジがするんですね。これがゲーム脳です(笑)。
 逆に言うと、この原作をアニメとして再構成する際に、アニメスタッフは「久美子の成長」を一つ目の軸にして、じゃあどうやって久美子を成長させるのかを考えた結果、二つ目の軸として「麗奈と支え合う関係になる」描写を増やすことで久美子の成長に説得力を持たせたんじゃないかと思うのです。


 なので、「原作の久美子と麗奈は百合ではない」という意見は頷けるのですが、「だからアニメの久美子と麗奈も百合ではない」という意見は頷けないのです。明らかにアニメ版はこの二人の関係性に重点を置いて描いているし、原作とは違う関係性になっていると思うのです。

 逆に秀一の方は……というと、アニメ化にあたって足されている秀一のシーンは主に「滝先生に怒られているシーン」です(笑)。これは別に「滝×秀」だとかそういう話が言いたいのではなく(言いたい気もするけど)、アニメ版の秀一は「上手くなりたい」と努力する描写が原作以上に繰り返し描かれているのです。
 それを久美子が遠くから見て「上手くなりたいよね……」と一人呟くシーンや、12話で橋の上から「上手くなりたい!」と二人が叫ぶシーンもアニメオリジナルです。んで、13話のコンクール直前のシーン、原作では指を絡ませているところを、アニメではグータッチに変えられています。

 だから、私は「アニメ版の久美子と秀一は戦友のような関係」だと思うんですね。
 アニメ版の久美子と麗奈のように支え合う関係ではなく、互いに努力している姿を遠くから見て「自分も頑張ろう」と思える関係。もちろんここから恋愛感情が生まれる可能性もあると思いますし、これから先どうなるかは分からないのですが、明らかに原作から描写が変えられているのだから「原作がこうなんだからアニメもそうだろう」とは言えないと思います。



◇ 何故、この吹奏楽部は変わったのか?
 さて、いよいよ本丸に切り込みます。

 先ほど私は「原作の久美子と麗奈は百合ではないと思う」と書きましたが、じゃあ『響け!ユーフォニアム』の原作には百合描写がないかというとそんなことはなく、むしろ原作の方が「吹奏楽部は女性が女性をアイドル視する空間」と明言されています。アニメでは優子先輩くらいでしたが、原作ではその他の女子部員も香織先輩やあすか先輩にメロメロだという描写があります。

 その香織先輩も、原作だとアニメ以上にあすか先輩への想いがガチっぽいように描かれていますし。あすか先輩も「(あがた祭りは)香織とデート」と二人であがた祭りに行っているんですね。アニメだと晴香先輩と三人で行っていたのに。
 じゃあ晴香先輩はどうなのかというと……原作だと久美子が晴香先輩の首筋にキスマークのようなものを見つけるシーンがありますし、どうもそれを付けたのはあすか先輩じゃないかと思わせる描写もあります。

 え?何?
 アニメだと三人仲良くキャッキャッしてたのに、原作だと泥沼三角関係なの?


 と、1巻の時点では思いました。
 アニメだと「香織先輩―晴香先輩」の友情が繰り返し描かれていましたし、一番の理解者みたいな描き方でしたよね。実は原作1巻ではこの二人の関係はほとんど描かれていないんです。これは2巻以降どうなるのか、アニメも2期をやるとしたらどうするのか……


 原作だと久美子の一人称で話が進みますが、アニメではその他の部員にもしっかりとスポットが当たっていて、それぞれのキャラの考えが描かれて、それが久美子に影響を与えていたように思います。先ほどの「滝先生に怒られる秀一」もそうですし、6話で葉月が「チューバが好きだ!」と言う展開もそうですし、ついさっき書いた香織先輩と晴香先輩の友情もそうですし、優子先輩と夏紀先輩の仲良し具合もほぼアニメオリジナルです。

 というか、原作の優子先輩は割とカンジワルイまま1巻が終わっちゃうのよね……
 アニメは夏紀先輩を上手く使ってフォローしてあったと思います。



 さて、その夏紀先輩……原作とアニメで一番違う立ち位置のキャラでした。
 原作には、アニメ3話の高坂さんが『新世界より』を吹くシーンがなく、なので4話でそれを久美子が麗奈に告げるシーンもないことは繰り返し書いてきました。そのため、原作の久美子は「自分の意志で一歩を踏み出す」ことが出来ず、アニメ4話で夏紀先輩を練習に誘う場面がありません。

 先ほどの表現を引きずるのならば、原作の久美子は「夏紀先輩フラグ」を立て損なっているので、原作だと最後まで夏紀先輩は練習に本気にならないのです。
 夏紀先輩がユーフォを持ち帰って練習をするのも、オーディション前に必死に練習しているところを久美子が目撃してしまうのもアニメオリジナルのシーンです。原作の夏紀先輩はそんなに練習していません。オーディション後にシェイクをおごってもらうシーンは原作にもありますが、「来年一緒に吹こう!」と楽譜に書いてもらって久美子が泣くという一連のシーンはアニメオリジナルです。そもそも原作の久美子は他人にそこまで心を開いていないので、コンクールの発表まで泣きませんからね。


 で、原作ではこのシェイクをおごってもらうシーンで夏紀先輩が何を喋るのかというのが……実は、この『響け!ユーフォニアム』という作品の根幹にあるものだと思うのです。ここの会話はアニメ版ではカットされています。入れようと思えばどこかに入れられたと思うのですが、恐らく意図的に削っているんです。
 アニメの感想でも、とある人が「どうして下手くそだった吹奏楽部がいきなりこんな上手くなるんだよwww」と言っているのを見かけたことがあります。私は「アニメってそういうもんじゃん。そんなとこにケチ付けてたら始まらないじゃん」と思っていたのですが……原作だと、しっかりとここに理由付けがされているんですね。

 1年前、ちゃんと練習しようと言ってきた当時の1年生を無視して辞めさせて。
 4月の段階では新入生にも「下手すぎる」と言われるような演奏しか出来なくても何とも思っていなかった吹奏楽部が……

 どうしていきなり一生懸命練習して、オーディションに落ちたからといって泣き出すほどに真剣になったのか?



 原作の夏紀先輩はそれを「空気」だと表現しました。
 この吹奏楽部は「みんなが練習をサボるのなら自分もサボる」けど、「みんなが一生懸命練習しているのなら自分も一生懸命練習する」だけ―――つまり、誰も自分の意志なんて持っていなくて「周りの空気に流されているだけ」なんだと夏紀先輩は言うんですね。

 これ、まさに原作の久美子がそういうキャラなんです。
 校歌斉唱を「みんなが歌っていないのに自分だけ歌ったら浮いてしまう」と周囲を気にして、みんなが「全国を目指す」方に挙げているから自分もそっちに手を挙げて、どこの部活に入るのかもどの楽器を吹くのかも他人任せ、練習しない先輩達の陰口を言う秀一にも「別にそれでイイじゃん」と思ってしまうのが原作の久美子なんです。それが、みんなが必死に練習する空気になると自分も必死に練習して、最終的には「ユーフォが大好き」と思ってしまう……

 アニメはそれを「久美子の成長」と描いていたように思います。
 何にも夢中になれなかった久美子が「死ぬほど悔しい」と涙して、「ユーフォ好きだもん」と言えるようになって、それは成長だったし「青春ってイイね!」「頑張るのってイイね!」という感想を持った視聴者も多かったことでしょう。アニメはそういう方向で描いていたと私も思います。

 しかし、原作は「それも周りの空気に流されただけだよね」と描いているのです。



 思えば、『響け!ユーフォニアム』という作品は、この「周りの空気に流されること」と「それに反発すること」を描いていた作品だったと思うのです。
 原作でも重要なシーンですし、アニメでも8話で描かれた「あがた祭り」で久美子と麗奈が山に登るシーン……麗奈は「みんながお祭りに行っているのに、私達だけ山に登っている」という“特別”になろうとしていました。「周りの空気に流される人間」ばかりの中、自分達だけはそうではないとあろうとしました。


 原作での夏紀先輩も、その流れに乗れなかった一人です。
 アニメだと4話で久美子に声をかけられて、それ以降は一生懸命に練習する夏紀先輩ですが……原作だと彼女は一生懸命練習しません。急にやる気を出した吹奏楽部内でも「部活の変化についていけへんねんなあ」とマイペースで、オーディションに落ちても全く気にしていませんでした。


 葵ちゃんの行動も、この文脈から考えればよく分かります。
 彼女は、こうした「周りの空気に流される」ことに耐えられなかったのです。1年前は「やる気のないみんな」に反発して辞めていく1年生を必死に引きとめて、それが適わず、なのに「急にやる気になったみんな」に耐えられなかったのです。多数決のシーンで「全国を目指さない」方に挙げたように、彼女はこの流れに真っ向から逆らおうとしたのです。

 ニコ生だったかで、久美子役の黒沢ともよさんが「(アニメの)最終回に葵ちゃんが出なかったのがつらかった」と言っていましたが……何も考えずに作っていたら、最終回のコンクールを葵ちゃんが観に来て拍手をするシーンとか入れることだってあると思うんですね。別の道を進んでしまった吹奏楽部と葵ちゃんだけど、最終回で繋がったね、みたいな。『けいおん!』の純ちゃんとかはそうしていたワケですし。
 でも、この作品でそれはしてはいけないことだった―――葵ちゃんは「周りに流される」ことなく「自分の意志」で吹奏楽部を去ったのです。最終回、「コンクール頑張ったね!」「青春ってイイね!」「吹奏楽部最高だね!」とまとまっている吹奏楽部の中に、その流れを嫌った葵ちゃんが混じってはいけないのです。

 原作だと、アニメ以上に久美子と葵ちゃんの距離感は露骨に描かれていて……
 葵ちゃんは久美子となるべく関わりたくないと思っていて、久美子は葵ちゃんは自分には上っ面でしか喋っていないと思っていて、「周りに流されるだけの久美子」と「それに反発する葵ちゃん」の溝を生々しく描いているんですね。




 そして。ようやく書けます。
 あすか先輩は、どうしてコンクールの直前にあんなことを言ったのか?
 そして、関西大会出場が決まった後、どうしてアニメ版ではあんな表情をしたのか?

 前者は原作にもあるシーンですが、後者はアニメオリジナルの描写です。
 アニメ版だとよく分からなくて感想まとめの記事で時間かけて考察したのですが、原作を読めばとてつもなく分かりやすかったです(笑)。基本的にはあの記事に書いた私の考察と、それほど差はないです。

 あすか先輩だけは、「周りの空気」なんて関係がないんですね。
 原作での夏紀先輩の話によると、みんながマジメに練習しなかった1年前もあすか先輩だけは一人ものすごく練習をしていて、でも「マジメに練習しましょう」と言って無視されてしまった当時の1年生達の味方をしたワケでもなかったのです。彼女は自分のためにしか練習しないので、それを他人に強要しないし協調もしません。夏紀先輩が練習サボってても文句を言わなかったくらいですからね。

 アニメ版のあすか先輩はまだ周りを気にかけていて、葉月に練習しろと発破をかけたり、久美子に稽古をつけたりしてくれていましたが、あの辺は全部アニメオリジナルのシーンでした。なので、違和感があったんですね。
 葉月が秀一にフられた後にやる気をなくしてしまうシーンが原作にあるのですが(アニメだとスランプに陥るのは緑ちゃんですが)、その際にあすか先輩は「うちが助けるメリットなんてないやん」とあっさり見捨てるんです。彼女にとって「周り」なんてそんなものだ、と。


 だから、コンクール直前に「これが最後なんて寂しいね」と言ってしまうんです。
 彼女は「周りの空気」なんて気にしていないから、みんなが必死に全国を目指して練習をしていたことなんて意識していなかったのです。ここで久美子が「私達は全国に行くんですよ!これが最後じゃありません」と言うシーン、アニメだと久美子がここまで言えるくらい成長したのかーと思えたのですが、原作では印象はむしろ逆で。久美子ですら「周りに流された」結果、そんなことを言ってしまうくらいになってしまったのか……というシーンに思えました。




 麗奈は、「特別」になりたい人だった。逆に考えれば、まだ「特別」にはなっていない。
 だから、彼女は意識して他人と違うことをしようとした。

 (原作の)夏紀先輩は、ただ「周りの空気」についていけないだけだった。
 チョコのシェイクを譲らないように、自分を変えることが出来なかった。

 葵ちゃんは、「周りの空気」に反発した。
 「周りの空気に流されて」やる気のあった1年を追い出し、なのに今更やる気を出している部に耐えられなかった。


 しかし、あすか先輩はどれでもない。
 「特別」―――「周りの空気」など関係なく、自分の意志を持って、他人がどうであっても気にもしない孤高の人間。だから、「正直言って、心の底からどうでもいいよ。誰がソロとか、どうでもいいこと」と言ってしまう。




 ホントに?


 久美子は実は勘付いているのです。「みんなに笑顔を振りまくあすか先輩」の姿だけでなく、「誰の味方もせずにただただ音楽にだけ集中するあすか先輩」という像も彼女が作り出した“仮面”でしかなくて、その奥には人間らしさがあるのではないだろうか―――だから、久美子は原作でもアニメでも“仮面”という言葉を使ったのだと思うのです。久美子自身も「周りに合わせるイイコちゃん」の“仮面”を付けて生きてきたのだから、それが分かるのだと思います。
 アニメ最終話、最後の最後に見せたあすか先輩の表情というアニメオリジナルのカットは、久美子が剥ぎ取れなかった仮面の奥にある「人間らしさ」を視聴者だけには見せたのではないかと私は思いました。




 原作にあった“「周りの空気に流されること」と「それに反発すること」”は、アニメ版では大分薄められていると思います。アニメ版は「久美子の成長物語」として再構成させるために、久美子は自分の意志で踏み出せるようになったし、夏紀先輩も一生懸命練習していたし、久美子と葵ちゃんは原作ほど溝を感じる関係でもありませんでした。「周りの空気に流されること」も、割と肯定的に描かれていたのがアニメ版だったと思います。

 だから……原作にあった「多面性」というか「深み」を削ってでも、アニメ版は分かりやすい王道エンタメ「成長物語」な青春作品に徹したと言えるのかも知れません。

 しかし、あすか先輩だけは「特別」なんです。
 「周りの空気に流されない」存在として、アニメ版でも最後の最後まで徹底して描かれたのです。だから、アニメだけ観ている時にはどういう意味だか確信が持てなかったのですが、あれはアニメ版が原作に敬意を払って残した“原作にあった「多面性」”だったんじゃないかと私は思いました。



 そういう意味では、
 「原作小説版」と「アニメ版」は、同じような出来事が起こりながら、全然違うドラマが描かれているメディアミックス展開だったなと思います。どっちがどっちはそれぞれお好きな方を選んで欲しいのですが、片方が「通常エンディング」で、もう片方が「TRUE END」みたいなカンジ。

 個人的には、どっちにも良さがあって、どっちも観て良かったと思っています。



 が……この「アニメ化に際して付け加えられたオリジナル要素」は、今後アニメも続いて2期とか劇場版とかが作られた際に、原作との乖離が生まれるんじゃないのかという心配もあります。それこそ『けいおん!』が直面した問題に、この作品も直面してしまうのかと。

(関連記事:「原作が絶賛連載中」作品のアニメ化による物足りなさ
(関連記事:「原作通り」を再現するアニメと、「原作とは違う物語」を描くアニメ

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| アニメ雑記 | 17:47 | comments:16 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

原作を3巻まで読まれてからアニメをもう一度見直すことをおすすめします。何気ない一コマにも意味があることがわかって一層楽しめると思います。

| ああああ | 2015/07/11 11:02 | URL |

>ああああさん

 記事本文を読んでくださいね。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/11 11:31 | URL | ≫ EDIT

京アニさんて高品質なアニメーションを作るからあまり批難されてないけども、ユーフォニアムに限らず所謂原作レ◯プ・原作ブレイカーな事をよく行う制作スタジオですもんねえ(実質的に自社レーベルの作品に限らず)
確信こそしていませんでしたが原作との乖離は予想していました。いやはや作品の「屋台骨」と思われる要素を大体にアレンジしてたんですなあ

人間の闇な部分の本質を曝け出す文学的アプローチはアニメ愛好家にはウケが悪いんでしょうかね
もちろんアニメ版ユーフォニアムも面白かったんですが原作のシナリオのアニメ化も見たくなってしまいました。

| ひょうきん | 2015/07/12 10:04 | URL | ≫ EDIT

いやー先に原作読まれてなくて良かったですねw
百合百合とどこも五月蠅くて…でもこうして静かに考察されている百合好きさんは好感持てます。記事も面白いしね。

私は原作者の了解が得られているなら、原作に囚われすぎずにアニメ化するのは有りだと考えています。画も音も付きますし視聴者もより幅広いですから。

名前の呼び方、成程、そうなってたんですね。
香織先輩の優子ちゃん、梨子先輩の久美子ちゃん葉月ちゃん、はどちらも同パートの後輩だから親密度の違いじゃないでしょうか。

「アニメ版の久美子と秀一は戦友のような関係」は、私はそこも進展したのだと思います。
秀一の思いを知った久美子、麗奈の腕をギュッと握りしめる久美子、麗奈に指摘され「そんなことないよ」とドギマギしながら言う久美子、橋でのエール交換wを経て…
そして、その行為が相手にどのような作用を及ぼすかを理解した上でのグータッチ。秀一の思いを少し受け入れた瞬間!
あ、ノンケ主義者の妄想なのでスルーでw

| サントラ欲しぃ | 2015/07/13 08:36 | URL |

> ひょうきんさん

>原作レ◯プ・原作ブレイカーな事をよく行う制作スタジオですもんねえ
 『ハルヒ』からして時系列シャッフルさせていたくらいですしねぇw
 やっぱりそれは「元からの原作ファン」以上に「京アニがアニメ化したことで原作を手に取るようなったファン」が多いから許されていることであって、例えばkeyの作品をアニメ化するとしたら同じようなことは出来ないだろうなーと思います。


 原作は原作で面白いのだけど、やっぱりアニメで「夏紀先輩カワイイ」「デカリボン可愛い」と改変されたキャラも大人気だったところを見るに、これはやっぱり正解だったのかなーと思います。



>サントラ欲しぃさん
>いやー先に原作読まれてなくて良かったですねw
 これは、本当マジでそう思いますw

>記事も面白いしね。
 あざーっす!!
 励みになります。この言葉をあと30回は噛み締めて元気をもらおうと思いますw


 自分も原作にとらわれないアニメ化の方がアニメとしてしっかり描きたいものが描けるので好きですね。
 仮に自分の好きな原作がアニメ化されたとして、自分は観ませんけど(w)、原作をただ再現するものよりもアニメ独自のものを描いてくれるアニメ化の方が嬉しいと思います。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/14 00:02 | URL | ≫ EDIT

「空気」のところは全くの同意ですね
ただ久美子が変わろうとしていたのはアニメも原作も同じでしょう

原作の久美子も周りに流されてばかりの自分を変えようとして
誰も友達のいない高校に進学したわけですよ
でも夏紀先輩の『空気』の話があって
結局久美子の変化の意思も周りの空気に流されてるだけだよねってなっちゃう
俺は小説読んでてそりゃあねえよって思ったよw
アニメであそこカットしたのは苦肉の策でしょう

「久美子の成長」を描こうとすると「空気の話」はやれない
「空気の話」をやろうとすると「久美子の成長」は台無しになる
ここらへんがこの作品の歪でもあり面白いところですね

久美子は結局原作の最後まで傍観者で終わるんですが
「久美子成長ルート」がアニメって解釈もありかもしれません

| abc | 2015/07/25 00:58 | URL |

>abcさん

 アニメ2期以降があることを信じて原作は1巻しか読んでいないのですが、1巻の終わり方を見るに「久美子の成長はこれからだ」ってのが原作だと思うんです。まだ高1の夏の府大会ですしね。
 アニメは「それだと視聴者はカタルシスを得られない」と思ったので、1期の時点でとりあえずの成長をさせた―――ってところかなと思います。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/26 01:46 | URL | ≫ EDIT

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

| | 2015/07/27 17:29 | |

>このコメントは管理者の承認待ちですさん

 あ……うん。
 注意書きをしなかった自分も悪いんですけど、原作2巻以降のネタバレはしないで欲しかったです。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/27 20:48 | URL | ≫ EDIT

この記事のおかげでアニメに抱いていたもやもやが解消しました。

特に、ダメダメだった部活が突如としてマーチングバンドを成功させ、最終的には府大会で優勝するという有る意味ご都合主義が何故起こったのかがどうにも腑に落ちなかったんです。

何せ吹奏楽部は人数が多く各パートごとの役割がハッキリしているせいで、野球やサッカーの様に天才秀才が数人いるだけでは全体のレベルアップがとても図れないような構造になっています。

どうしてこのモブ達は急激とも言えるレベルアップを果たしたのかともやもやしていたのですが、「空気」という言葉がココロの隙間にばっちりとはまりました。また、麗奈と夏紀先輩に対する「ルート」や「フラグ」という言葉はとてもすっきりしました。

おかげで大変面白く考察を読むことができました。

| T2 | 2015/07/28 01:30 | URL |

>T2さん

 ありがとうございます。
 おかげさまで、こちらこそ「この記事を書いて良かった」と思えました。


 アニメの切り取り方だと、やっぱり少し「ご都合主義」的に見えてしまうところはありますよね。元々はそこにもちゃんと理由があるんだよというのが伝わったのが、自分としても嬉しかったです。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/28 21:31 | URL | ≫ EDIT

 はじめまして。自分も原作を最近ようやく読みまして(ちなみに2巻まで)原作との比較考察を探していたので、記事の方大変興味深く見させていただきました。

 自分は、このアニメは原作の「周りの空気に流されること」と「それに反発すること」というモチーフをさらに拡大して、「自分を貫くとはどういうことか」というようなことをテーマとして物語を再構成したものだったと感じました。

 アニメを見てから原作を見ると、久美子の変化に関係する事柄のほとんどがアニメオリジナルで驚きました。(麗奈との校舎裏のシーン、夏紀を練習に誘うシーン、オーディション前の麗奈との会話、秀一との上手くいかないもの通しの関係etc…)言われる通り、久美子の成長ものというのがアニメにおいて大々的に押されていること明白です。

 その中でも特に、久美子の自我についてはアニメは非常に力を入れて描いているなと感じました。要は「音楽について、ユーフォについての久美子の想い」です。管理人さんをはじめ多くの方がこの久美子の物語について「吹奏楽もユーフォも何となくで続けていた久美子が、心の底からユーフォを大好きと言えるようになる話」だと言われますが、自分はこれは「人の流れの中で吹奏楽・ユーフォに対する情熱を無自覚に抑圧するようになってしまった主人公が、再び情熱を解き放てるようになる話」だと受け取り、そこがこのアニメの肝だと思いました。
 原作の久美子も音楽が好きだと取れる場面はいくつかありますが、記事で仰るとおり流されやすい面がアニメの比ではないくらい強調されているのと、展開の速さ及びそのために描写をすっとばしてモノローグで語られるために、それこそ周囲に流されてやる気を出しているだけにしか見えないんですよね。これは流されていく者の一人として久美子を描いている原作ならではのものだと思います。

 対してアニメでの久美子は、10話の感想で言われているとおり、中一の時の出来事や吹奏楽をやめてしまった姉の影響で、本来持っていた情熱が出せなくなってしまったという描かれ方なんですよね(姉の描写もアニメでは増されていますね)。ここですごいのは「本来もっている情熱を抑圧している」というキャラクターを映像で、それも一話からしっかり描けていることなんですよね。黒沢ともよさんの演技は各所で話題になっていますが、一話アバンタイトルでの「金だ…」はダメ金だったことに無意識に失望しているのが短いセリフで伝わる素晴らしい演技だと思います。この他吹部のあまりの下手さをみて「全国目指しているわけじゃないんだろうな…」と口にする自分に驚くシーンやびっしり書き込まれた楽譜を眺めるシーンを経て、かつての自分を思い出しながら葉月や緑の誘いにのって入部するという一話。全話見てから見直すと、導入としての手際の良さに驚かされます。その後の話でも、なんだかんだで手にしたユーフォをみて微笑むシーン、「いくらやって完璧にならないというか…」「上手くなろうね」「上手くなりたいね」など久美子の秘めた情熱を示す場面が徹底して挿入されます。

 で、記事にもある通り久美子以外の登場人物たちのストーリーも原作に比べて掘り下げて描かれます。特に7話以降ですが、これが全部が全部「自分の意志や願いに基づく決定」の話なんですよね。去年の事件の罪悪感から辞める選択をした葵、それでも続けていく選択をした春香。決まっている人の流れに抵抗しようとする麗奈、それに魅せられていく久美子。部の柵から演奏者としての自分を殺してきた香織、その香織への想いから部活の空気にも自分の良心にも香織の意志にすら逆らうような行動をしてしまう優子など、とにかくエピソードの全てがひとつのテーマに通じているんです。
 アニメ版は「周りの空気に流されること」も、割と肯定的に描かれていたということは自分も感じました。原作は「周りの空気に流されること」と「それに反発すること」をテーマとしていましたが、空気に流されること、流されないことが本質的にはどういうことなのかまで深化させているストーリーではなかったように感じます。アニメはそれを「空気に流されること=自分の意志を誤魔化して行動すること」、「空気に流されないこと=自分の意志を貫いて行動すること」という解釈した上でのストーリーを進めていたと思います。原作においては「周囲に影響を受けての変化」も肯定的には描かれませんでしたが、アニメ版は周りに影響を受けることというのが必ずしも悪いことではなく、その根底に自分の意志があるかどうかを重要としていたため上記のような印象を受ける描き方になっていたのだと思います。(久美子のキャラクターの改変はその最も顕著なものかと。夏紀についても原作の流されないキャラを尊重して、部の空気や久美子の影響以上に自分の過去を精算しようと行動しているように描かれています)。

こう解釈したことにより、原作のテーマをより深く、より広く、より多面的に描くことができたのがアニメだと思います。再オーディション編での、出来上がってしまった流れに抵抗しようとするのは麗奈も、優子も同じであるという展開は唸らされましたし、自分の意志を貫いて行動することについても、全肯定するのではなく、むしろ極めて厳しい見方で作っているのも素晴らしかったです。優子も麗奈も葉月も葵も晴香も久美子も、自分の願いや想い故の苦しみを味わうことになります。自分の意志を貫いったって苦しいことばかりで、むしろ再オーディションで手を挙げることを拒んだ者たちのように自分の意志を示さず生きたほうが楽なのではないか、そんな風に思ってしまうくらい容赦のない描き方が続きます。それでもラスト2話、久美子がずっと胸に抱いていた想い・願いは誰から与えられたものでもない久美子自身のものであるし、それを言葉すること、行動にすることはきっと意味が有ることだろう、というラストの展開に自分は非常に感銘を受けました。

ユーフォニアムという作品にはいろいろ思うところが多く、文章が長くなるわりに管理人さんのように上手く表現することはできなかったのですが、要はこの作品、原作のユニークかつ深みのある部分を上手く抽出し、深め、かつそのテーマと併存できるような、エンタメ性が重視される深夜アニメに相応しいカタルシスのある展開もしっかり準備するという、絶妙なバランス感覚で作られているのが何よりすごいと思うんです。最終回にしたってこれまでひたむきに練習してきた秀一や久美子、麗奈や香織などにスポットを当てながらも、演奏の途中で他校の様子を音をぶつ切りにしてまで挿入するなど、絶妙にカタルシスを与え、与えすぎないような演出をしています。夏紀の空気の話もカットされたとは言え、再オーディションの結末で、吹部についてはより悪趣味かつ絶望的に描かれていたと思います。決して原作を緩く改変してエンタメ優先にした作品ではないと自分は思うのです。

| ZOO | 2015/07/30 20:38 | URL |

>ZOOさん

 長いコメントは構わないのですが……長いコメントを書く時は「SUBJECT」を付けて欲しかったです……
 FC2ブログの管理画面は「SUBJECT」を付けないと、コメント全文が「SUBJECT」扱いになるので一覧表示が恐ろしいことに……スクロールしてもスクロールしてもZOOさんのコメントから抜け出せない……w


 『けいおん!』なんかもそうでしたけど、京アニ作品は「ボーっと眺めててもそこそこのエンタメとして楽しめる」「より深く観ようとすると深い解釈が出来るようになる」作品が多くて。今回の『ユーフォ』はその極みだったかなーと思います。

 深く観ようとすると、仰るとおり果てない深みが待っていたというか。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/30 23:27 | URL | ≫ EDIT

「グラスリップ 黒歴史」という電波を受信しまして、彷徨ってるうちにこちらのブログにたどり着きました。
記事を読むと、ああ、グラスリップってこういう……けど考察がすごい、面白い、と他のアニメの考察も読んでいく内に、大好きなユーフォの記事を発見。
オンエア当時の興奮が蘇って来るようでした。(12話最高だったなぁ)

さて、ユーフォは秋から2期が始まりますね。
アニメ1期と原作1巻で乖離した部分(久美子の精神的な成長度合いなど)や、1巻よりもちょっとシリアスな2,3巻の内容を、京アニがアニメ向けにどのように料理してくれるのか、今から楽しみです。
やまなしさんはあまりアニメの続編があまりお好きではないとの事ですが、願わくば2期の考察も……気が向いたら……チラッ。
1年前のエントリーにコメントしてすみませんでした。

| プッカネスタ | 2016/06/12 04:16 | URL |

>プッカネスタさん

>1年前のエントリーにコメントしてすみませんでした。

 いえいえ。時間が経っても読んでもらえるというのはうれしいものですよ。

 秋からの2期も一応(病気などのトラブルがなければ)Twitterに感想を書きつつ、ブログを書けるようなネタがあったら個別記事を書いていくつもりですー。個別の記事を書くかは、観てみないと分からないので……(笑)。

| やまなしレイ(管理人) | 2016/06/12 23:36 | URL | ≫ EDIT

アニメと原作の違い

管理人様 はじめまして

 アニメと原作で大きく違うと感じたのは、ソロオーディションで、久美子が立ち上がって麗奈に拍手をした場面です。原作には無かったこの拍手。麗奈との関係から起きた久美子の変化(あるいは約束)によるもの、と単純に受け取っておけば良いのでしょうが、個人的には、久美子を見る周りの目が変わった出来事という印象を強く感じる場面でした。上級生からも同級生からも「いい度胸している」と思われたんじゃないでしょうか。原作のままの久美子なら、部長や副部長などになることもなく卒業していきそうですが、アニメの久美子には違った未来があってもおかしくは無さそうです。

 自分はアニメと原作どちらも楽しめましたが、京アニ、大胆に舵を切ったな、と思ったエピソードでした。

| 棚に上がるのは得意 | 2017/02/22 16:06 | URL |















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