数年前まで、ルームシェアをしていた。相方は新卒で入った会社の同期。物静かで聡明な、中国人男性。
我々はほぼ同時期に会社を辞め、それからなんとなく部屋を借りて一緒に住み始めた。普通の2LDKの部屋で、二人、ひたすらダラダラと時間を過ごした。
暇を見つけてはカードゲームにのめり込み、それに飽きるとテレビゲームに熱中し、疲れたらTSUTAYAに行ってDVDを借りる。そんなことを毎日繰り返した。そんなある日、同居人が「梨」を持って帰ってきた。
「美味そうな梨だろう? 一緒に食おう」
同居人は誇らしげに梨をテーブルに置いた。僕は果物全般があまり好きではないので梨には興味がなく「おお」とだけ言って股間をポリポリとかいた。
「どうした、梨を食おう」と同居人は言ったが、僕は再び「おお」と言い、引続き股間をポリポリとかき続けた。
余りにも梨への食い付きが薄い僕の様子を見て同居人は少し落ち込み、そして彼は、梨をおもむろに冷蔵庫の奥の方へ放り込んだ。
結果的に、梨がテーブルの上に置かれていた時間、つまりそれが我々の注目の的になった時間は、長めに見積もっても9秒ほどに留まった。
梨はリビングの話題を一切かっさらうことなく、極めて速やかにテーブルから冷蔵庫へと籍を移した。
そして僕も同居人も、「梨」なんてものが冷蔵庫に入っているという事実すら、すぐに忘れてしまった。
異変に気がついたのは、それから半年以上が経ってからである。
普段ほとんど冷蔵庫を使わない我々が珍しくその扉に手を掛けたのは、とある夏の日。
アイスを保存しようと同居人がその扉を開けた瞬間、冷蔵庫の中から突如として現れた腐敗臭が、彼を襲った。
「ッッtぞゥえ?!?」
と彼は言った。「ぞゥえ?」という疑問文が、予想外の匂いに出会った時の中国人男性の一般的なリアクションなのかは、僕には分からない。
ましてや、その「ぞゥえ?」という疑問文が誰に向けられていたものなのか、質問の意味は何なのか、僕が何と答えるべきだったのか、イッサイガッサイ、何も分からない。
しかしその狂気じみた叫び声により、リビングにいた2人の間に緊張が走ったことは確かだ。同居人はアイスをしまうことなく、直ぐに冷蔵庫の扉を閉めた。
「冷蔵庫の様子が、どうもおかしい」と同居人は言った。「どうした?」と言って僕は彼のもとに近付く。
自らの手で冷蔵庫を開け、そして僕は凍り付いた。冷蔵庫の中に、まがまがしい、漆黒の「球体」が鎮座している。
それが獰猛なまでの異臭を放っている。
僕はそのあまりの存在感に絶句した。少なくともこれまでの人生で、それに近しいと言える物体を、一度だって見たことがなかった。
黒い。それは徹底的に黒く、余りにも黒かった。見つめると引きずり込まれるような感覚に襲われる、誘うような黒さ。
その黒さは、無限へと通ずる「奥行き」を兼ね備えていた。
敢えて一番それに近い物を発表しろと言われれば、「ブラックホール」と答えていたと思う。アホみたいに臭いブラックホール。
なんでそんな常軌を逸した物体が、我々のような凡夫の家の冷蔵庫に宿ってしまったのか、皆目検討もつかなかった。僕は震える手で、そっと冷蔵庫の扉を閉じた。
何かは分からない。何かは分からないが、少なくとも非常に宇宙的な何かが、つまりユニバース的サムシングが、我々の家の冷蔵庫の中に芽生えている。
僕と同居人は目を合わせ、そしてわずかな沈黙の後、この冷蔵庫を二度と開けないということを、かたく誓い、これをこの家における鉄の掟とした。
冷蔵庫の中にある球体は、我々のような一端の人間が触れてはいけない、極めて神聖な何かである。それは、疑いようのないことだった。
我々の家には、いろいろな友人が遊びに来た。彼らはリビングで酒を飲んで、そのまま雑魚寝して朝に帰っていった。
彼らはこぞって酒とチェイサーを買って来たが僕と同居人は絶対に冷蔵庫を使用しないよう注意した。
「この家の冷蔵庫には宇宙的な何かが潜んでいる」
「冷蔵庫には絶対に近付いてはならない」
「冷蔵庫の中は極めて霊験あらたかな空間だ」
「扉を開ける者は、皆、末裔まで祟りに合った」
我々のスピリチュアルな説明を前に、友人達は動揺するばかりだった。なにを言ってるんだ、と顔をしかめた。
「冷蔵庫の中が臭いって、それ、何かが腐ってるだけだろ。早く中のもん捨てろよ」
ある日、ベロベロに酔っ払った友人が、そんなことを言いながら勢い良く冷蔵庫へ向かった。
「やめろ!! 冷蔵庫だけはやめろ!! 命が惜しくないのかああ!!」という同居人の叫び声も虚しく、彼はそれに手をかける。
怖いもの知らずの彼はそのまま勢いよく扉を開け、そして「ンッッゾンん!!」と叫んでから勢いよく扉を閉めた。
この「ンッッゾンん」という「ン」から始まる独特なコメントが、一体何を示していたのか、やはり僕には分からない。
しかし彼は中を覗いた瞬間、全く違う人間になったかのように正気を失くし、弱々しくへたり込んだ。
そしてその後、放心状態になりながら、薄れ行く意識の中で「神さま……」と言って、それだけを言い残してリビングで息を引き取った。というか、潰れた。
その一連の光景は、ホラー映画の序盤でよくある「お化けなんて嘘だと啖呵を切ったイキり気味の主人公の友人がしっかり最初の犠牲者になるシーン」を想起させた。
神さま。
冷蔵庫に、神さまがいる。
それからさらに1年以上が経った。我々は遊んだり遊んだりしながら時々働いて、あとは遊んだ。
その間冷蔵庫を開けることは一度もなかったが、冷蔵庫と我々の関わりは確実に変化していった。それは畏怖の対象から、信仰の対象へ変わった。
冷蔵庫の中に宿った何かは、明らかに人智を越えたそれであり、我々のような人類には到底理解しえない存在である。
きっとそれは、我々を生かすことも殺すこともできるのだと、我々は理解した。それは宇宙的且つ霊的な何かであり、そして間違いなく、「神様」なのである。
超越的な何かを感じると、人はみなそれを恐れ、やがて神と崇めて信仰の対象にする。
古今東西、ありとあらゆる文化の中で繰り返されて来たテンプレ的パターンが、東京都渋谷区西原の一室でもしっかり繰り返された。
そして神を信じた我々の冷蔵庫への崇拝は、やがて文化としてその部屋に根付いた。
朝家を出る前、そして夜寝る前。この二回のタイミングで我々は冷蔵庫に向かって深く頭を下げ、冷蔵庫の中に宿る漆黒の神様へ、絶対的な忠誠を誓った。
冷蔵庫を司るユニバース的サムシングが、我々の部屋を守っている。それは平和の神であり、幸福の神であり、長寿の神であり、戦いの神であり、豊作の神であり、肉欲の神である。
神はあまりにも超越的であるが故、我々の目で直接見ることは出来ない。そこで神は自ら「冷蔵庫」に入り込み、それと一体化することで、電化製品の姿を借りて人間の目に映ることを試みた。
つまり、「冷蔵庫」というのは、我々人間が唯一「神」と接点を持てる場所なのである。
我々二人は、人類の末永い繁栄を祈り、毎日、冷蔵庫に祈りを捧げ続けた。こうして、「冷蔵庫」という偶像を徹底的に崇拝する、新たな新興宗教が爆誕した。
冷蔵庫に感謝し、冷蔵庫に尽くし、冷蔵庫を愛する者は、すべからく救われる。一方、冷蔵庫を開ける者、冷蔵庫を軽んじる者は、軒並み地獄へGO。
我々のこの卓越した思想を聞いて、友人達はすべからくドン引きした
冷蔵庫の中の神様は、世界に秩序をもたらした。良いことがあれば、それは冷蔵庫のおかげ。悪いことがあれば、それは冷蔵庫への祈りが足りていなかったせい。
このように、この世の全ての事象は、冷蔵庫を起点に考えることで整理することができる。宇宙の因果が解明したことに対して、僕は深い満足を覚えた。
宗教上の理由で、我々の部屋ではアイスやジュースを冷やすことは許されなかった。冷蔵庫、触れるべからず。
友人達には、ぬるくなったビールを飲んで不愉快な気持ちになることも、それも「神への感謝」の一つなのだと、教えを説いた。
結局、ルームシェアを解消し家を出るその時まで、僕たちが冷蔵庫を開けることはなかった。
今では別々に暮らしている元同居人と、最近、飯を食いながら久しぶりに「神様」の話をした。
懐かしいな、と話したあと、「あれは腐った梨だった」ということで、直ぐに見解が一致した。そう。
二人とも薄々感づいていたのだ。あれは神様でも何でもないし、恐らく僕達を守ってくれてもいないし、梨だし、腐っているし、さっさと捨てた方が良い。
ルームシェアって、楽しいですよね。