TRPGを改良する:TRPGにサイコロは不要だ
TRPGのセッションで最も苦痛なのはサイコロを転がして判定している時間だ。サイコロを振りたいだけならすごろくを遊べばいい。バックギャモンでもいい。サイコロを転がしてランダム性に身を委ねるくらいなら人生ゲームを始めてルーレットを回している方が面白い。
これは私の個人的な感想だが、ルーレットはサイコロよりも優れた乱数生成装置だ。ルーレットを回す方がサイコロを転がすよりも楽しいし、サイコロは転がした時にうっかり転がり過ぎて行方不明になることがあるがルーレットは安全だ。もし人生ゲームがルーレットではなくサイコロを採用していたら、今ほど人気にはなっていなかったのではないか?
TRPGからサイコロを排除することでセッションは安全で快適なものとなる。クリティカルやファンブルでプロットが崩壊する心配をすることなくGMはシナリオを組むことができるし、サイコロを振って停滞する時間がなくなるのでその分だけ物語創造に時間を割くことができる。
TRPGはボードゲームと違い強固なシステムを持たず、プレイヤーの自由に物語を創造できるゲームと言われている。ボードゲームと比べれば確かにその通りなのだが、実際はTRPGのゲームシステムに拘束されて時間を無駄にすることも多い。これはTRPGの精神に即してないのではないか?プレイヤーがもっと自由に物語創造に集中できるようにTRPGを改良しなければならない。
ボードゲームであれば、毎回同じ退屈なゲーム展開になることを避けるためにサイコロなどの乱数生成装置を導入することは理解できるが、TRPGであればプレイヤーは退屈であると感じればストーリー展開を変えることができるのだからサイコロは必要ない。逆に、サイコロを振るのにうんざりしても「ルールブックにサイコロを振れと書いてあるから」という理由でサイコロを振らされることが多い。
サイコロを振りたい人間にとっては今のTRPGは楽しいのかもしれないが、私のようなサイコロを振るのが嫌いな人間から見ると、サイコロを振りたいタイプの人間はTRPGではなく延々とサイコロだけ振っていればいいのではないか、と思えてしまう。
私がTRPGに求めているのは生き生きとしたキャラクター、ダイナミックで白熱した戦闘、そして一貫性のある面白い物語の創造などだが、キャラクターが判定でサイコロを振る度に雰囲気がぶち壊しになり、戦闘でサイコロを振る度に事故が起こり、サイコロを振る度に物語がデタラメな方向に進んでいくのを見て、サイコロがTRPGの抱える問題の諸悪の根源であることを理解した。
TRPGのルールブックはプレイヤーたちが仮想世界で物語を紡ぐのに役立つ世界観・キャラクターメイキング・種族・職業・スキル・魔法・装備・アイテム・敵データなどのモジュール一式を提供して支援するものであるべきであり、「ゲームシステム」と称してサイコロを混入させる必要はない。
昔ならともかく、今はTRPGより優れたゲームシステムを有しており機械判定でGMの手を煩わせる必要のないコンピューターゲームがいくらでも存在するのだから、プレイヤーはプレイヤーにしかできないことに集中するべきだ。
もしかすると、サイコロを振らないTRPGを見てあなたは「これはゲームではない」と言いたくなるかもしれない。それに対しては「ゲーム性を維持することがTRPGの重荷になっているのだから、ゲーム性を捨てなければ問題は解決しない」と答えることができる。
元々TRPGはゲームシステムよりもプレイヤー共同による物語の創造に重点を置いたものだった。原点回帰してさらに突き詰めただけだ。
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