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「国籍」は揺らぎ続ける—世界の潮流から取り残された日本の国籍法

丹野 清人【Profile】

[2018.04.24]

2018年3月、外国籍取得に伴う日本国籍喪失は「違憲」だとして、欧州在住の男性らが提訴。また、昨年の蓮舫議員の二重国籍問題を巡る論議は記憶に新しい。現在の日本の国籍法は、時代の要請に沿うものなのか。歴史的経緯や時代的背景を踏まえ、移民問題を研究する社会学者が検証する。

最近、二重国籍問題や日本国籍喪失を巡る裁判などがニュースになり、日本の国籍の在り方に改めて注目が集まっている。二重国籍は、国際結婚から生まれた子の国籍選択の規定(22歳になるまでに日本国籍を選ぶか否かを決める)に深く関わる。そもそも、日本で最初の国籍法は国際結婚に対応するためのものだった。

19世紀に生まれた「先進的」国籍法

近代日本の国籍法は明治6年(1873年)の太政官布告第103号に始まるといわれる。この布告は外国人と結婚した日本人女性および日本人と結婚した外国人女性の国籍の在り方を決めたものだ。そして、これが最初の国籍法とされるのは、国際結婚をする際に政府に届け出なくてはならない人を国籍上の日本人とみなしていることによる。また、政府の許可が必要な人は最初の全国的戸籍である「壬申(じんしん)戸籍」登載者とした―つまり、戸籍によって国籍が決まるという最初の仕組みでもあったからだ。「国籍法」という名の実定法は明治32年(1899年)に公布・施行されているが、それに先立って近代的な国籍概念が日本に存在したということになる。

興味深いのは、国籍の概念が外国との出会いによって生まれてきたことだ。同じことは国籍法についても言える。明治32年の国籍法は、当時としては極めて先進的だった。その最たるものが国籍離脱を認めていたことだ。19世紀の欧州諸国において、国民は兵役の義務を負っていたし、兵役に就いた国民が他国に帰化(=国籍取得)すると軍事情報が流れる可能性を危惧して、厳しい条件を課すのが普通だった。しかし、日本の国籍法は最初から外国に帰化することを認めていた。しかも、原則として国際結婚した場合に女性が男性と同じ国籍を取得するとしたことで、夫婦同一国籍主義として、結果的に国際結婚のもとで生まれる子どもの国籍も同一とする家族同一国籍主義にもなっていた。

明治の国籍法がこのような仕組みを取ったのは、決して家族の中に迎え入れた外国人を同化しようとしたからではない。欧州での戦争では、国籍が違うために家族同士が銃を突き付け合わねばならない事態もしばしば生じた。その反省を踏まえ、人道的配慮をしたからだ。このように欧州の国籍法よりも人道的に進んでいた背景には、明治政府が幕末期に結ばされた不平等条約の撤廃を最大の政治的課題としていたことがある。日本が文明国であることの証しとして欧州よりも進んだ法体系を持っていることを国籍法で示そうとする思惑が働いていた。

血統主義と二重国籍否定の背景

一方、明治の国籍法は「完全血統主義」を採用していた。生まれた場所によって国籍が決まる生地主義に対し、自国民の子は自国民になる仕組みを血統主義というが、完全血統主義というのはどこで生まれても国民の子は国民になるということだ。筆者が主に研究してきた日系ブラジル人の例を挙げる。かつての日本人移民が集団移住した移住地を「コロニア」というが、コロニアでは長いこと自分たちのコミュニティーを日系社会ではなく「日本社会」と呼んできた。明治の国籍法のもとで生まれたのであれば、外国で生まれても日本人だからだ(正確には日本人の父のもとに生まれた場合のみ。母が日本人でも、外国人と結婚すれば母は夫の国籍と同じになるからその子は外国籍になる)。

この明治の国籍法は実は戦後まで続いている。改定されたのは昭和25年(1950年)。昭和の国籍法になってからは、完全な血統主義ではなく、外国で生まれた場合は一定の手続き(国籍留保の手続き)を取らないと日本国籍を取得することができなくなった。さらに、女性差別撤廃条約への批准を機に、父母両系制になり、国際結婚した日本人女性が日本国籍を子に渡すことができるようになった。このように、われわれが日本人であることもその時々のルール(国籍法)いかんによって変わるものなのだという点に留意したい。

日本が二重国籍を認めないのは、決してナショナリズムに基づくものではない。先にも述べたように欧州で家族が国籍によって引き裂かれる事態を回避し、当事者の立場を考えれば、どこか1カ国が責任を取るほうが望ましいとの考えに基づくものだ。その結果が、家族同一国籍主義だった。人道的配慮によって二重国籍を否定する論理が働いているのだが、当時の国際情勢が前提としてあったことは見逃すべきではない。

仕事のために元の国籍を捨てた移民たち

二重国籍を認めない政策の下で、日本から海外に移民した者の国籍は常に問題となった。特に労働者として移民した段階から次の段階に入る時に問題が顕在化する。つまり、労働者として働いた者が一定の富を蓄えて農場主、あるいは会社の経営者などになる際に、国籍が問題となることが多かった。北米でも、南米でも、自分が広げた農地を守るために日本国籍から米国籍、ブラジル国籍やペルー国籍などを取得した者は多い。

戦後も日本からラテンアメリカへの移民は行われているが、その戦後移民の中にも農地を守るため、または農協や会社で一定の地位を占めるようになったために日本国籍を捨てざるを得なかった人々は多数存在した。ブラジルなどでは20年ほど前から、自身の日本国籍離脱は国籍を捨てる意思の発露ではなく財産を守るためにやむを得ない選択であり、日本国籍を今でも持つと認めてほしいという訴えがあった。

仕事上の理由で国籍を変えざるを得なくなるのは、日本に住む外国人でも同様だ。例えば、鉱業法は外国人が鉱山主になることを禁じているし、外国人は公務員に採用されない。つい数年前までは、日本の外交官と結婚した外国人配偶者が在外勤務に帯同する場合には日本に帰化する必要があった。

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首都大学東京人文科学研究科教授。1966年生まれ。専門は外国人移民。一橋大学大学院社会学研究科社会問題社会政策専攻博士課程単位修得退学。2014年より現職。著書に、『越境する雇用システムと外国人労働者』(東京大学出版会、2007年)、『国籍の境界を考える』(吉田書店、2013年)、『「外国人の人権」の社会学―外国人へのまなざしと偽装査証、少年非行、LGBT、そしてヘイト』(吉田書店、2018年)など。 

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