「虚数はあるのか？」という話の物理学的な回答

はじめに

GW中にツイッターで「虚数はあるのか？」という話をタイムラインでよく見かけたので自分なりの回答をしようと思います。
私は大学/大学院で素粒子論・超弦理論をやってきた理論物理徒なので物理的な観点から回答します。

※虚数はiで表現します。(i2=−1$i^2=-1$)

電磁気学/波動・振動論

物理で初めて虚数を使うのはおそらく電磁気学か波動・振動論でしょう。
オイラーの公式という形で出て来ると思います。
オイラーの公式
eiθ=cosθ+isinθ(1)$\begin{array}{}\text{(1)}& e^{i\theta }=\cos \theta +i\sin \theta \end{array}$
虚数によって指数関数と三角関数が関係付くという美しい公式です。

オイラーの公式と振動

ご存知の通り三角関数は振動を表しているのでeiθ$e^{i\theta }$も振動を表現しています。
では振動とはどう言う運動かというと、遠くに行こうとするものを中心に引き戻す力が働くので物体は振動してるわけです。
遠くに行けば行くほど強い力で引き戻す必要があるので、引き戻す力は距離に比例してるとすると振動は次の運動方程式でかけます。
m:振動してる物体の質量
x:位置
t:時間
k:定数（バネ定数）
md2xdt2=−kx(2)$\begin{array}{}\text{(2)}& m\frac{d^{2}x}{d{t}^2}=-kx\end{array}$
左辺は質量かける加速度、右辺は中心に引き戻す力です。（ma=Fですね。）
三角関数 x=Csin(km−−√t)$x=C\sin \left(\sqrt{\frac{k}{m}}t\right)$、x=Ccos(km−−√t)$x=C\cos \left(\sqrt{\frac{k}{m}}t\right)$はもちろんこの式を満たしています。(Cは定数)

さて、x=Ceikm√t$x=C{e}^{i\sqrt{\frac{k}{m}}t}$を(2)式に代入してみてください。(Cは定数)
ちゃんと等式が成立していることがわかると思います。つまり、eiθ$e^{i\theta }$が振動を表しているということです。(今の場合はθ=km−−√t$\theta =\sqrt{\frac{k}{m}}t$）
また、x=Ceikm√t$x=C{e}^{i\sqrt{\frac{k}{m}}t}$の代わりに時間に依存しない項をeの肩に追加しても式を満たします。(C=C′eiδ$C=C^{\prime }{e}^{i\delta }$と置き直す。)
x=C′ei(km√t+δ)$x=C^{\prime }{e}^{i(\sqrt{\frac{k}{m}}t+\delta )}$
このδ$\delta$は位相（phase）と呼ばれいてtが0の時の値なのでどのような状態で振動が始まったのかを表現しています。

eiθ$e^{i\theta }$は物理では様々な分野で出てきます。
ですので、物理学徒はeiθ$e^{i\theta }$をみたら「振動だ！」と思うように訓練されています。

インピーダンスの例

抵抗とコイルが直列につながっている回路に交流電流を流すことを考えます。
V:電圧
I:電流
R:抵抗
L:インダクタンス
t：時間
とすると、電位差の和は0になるというキルヒホッフの第二法則より
V−RI−LdIdt=0(3)$\begin{array}{}\text{(3)}& V-RI-L\frac{dI}{dt}=0\end{array}$
となります。１項目は起電力で、2項目は抵抗にかかる電圧（オームの法則）、３項目はコイルにかかる電圧です。
さて、交流電流は振動しているので電流はI=I0eiωt$I=I_0{e}^{i\omega t}$と書けそうです。(I0$I_0$は定数)
これを代入すると、
V=(R+iωL)I(4)$\begin{array}{}\text{(4)}& V=(R+i\omega L)I\end{array}$
になることがわかります。つまり全体として見れば、R+iωL$R+i\omega L$の抵抗がかかっているように見えます。
この、V$V$とI$I$の比であるR+iωL$R+i\omega L$をインピーダンスと呼びます。以後、インピーダンスをZと表記します。
Z=R+iωL(5)$\begin{array}{}\text{(5)}& Z=R+i\omega L\end{array}$
(5)式を複素平面で表すで表現すると様々なことがわかります。図1となります。

図1.複素平面上のインピーダンス

この図から直ちに大きさ|Z|=R2+(ωL)2−−−−−−−−−√$|Z|=\sqrt{R^2+(\omega L{)}^2}$,電圧と電流の位相差tanα=ωLR$\tan \alpha =\frac{\omega L}{R}$であるとわかります。

インピーダンスの虚数

インピーダンス、つまり電圧と電流の比に虚数が出ました。
つまり、虚数は存在する？
結論から言うとそうとは言い切れません。
オイラーの公式を(1)のθ$\theta$にπ2$\frac{\pi }{2}$を代入してみてください。
e(iπ2)=i$e^{(i\frac{\pi }{2})}=i$になります。
つまりインピーダンスはR+ωLe(iπ2)$R+\omega L{e}^{(i\frac{\pi }{2})}$と書けます。
電流がI0eiωt$I_0{e}^{i\omega t}$であり、(4)の再び代入すると、
V=RI0eiωt+ωLI0ei(ωt+π2)$V=R{I}_0{e}^{i\omega t}+\omega L{I}_0{e}^{i(\omega t+\frac{\pi }{2})}$となります。
これが示しているのはコイルに入ったら位相がπ2$\frac{\pi }{2}$ずれるということを表現しているにすぎません。
実際にI=I0eiωt$I=I_0{e}^{i\omega t}$の代わりにI=I0sin(ωt)$I=I_0\sin (\omega t)$と表現しても良いはずです。V=V0sin(ωt+α)$V=V_0\sin (\omega t+\alpha )$
これを（３）式に代入すると

V0sin(ωt+α)=RI0sin(ωt)+ωLI0cos(ωt)=I0R2+(ωL)2−−−−−−−−−√sin(ωt+θ0)(6)$$\begin{array}{rl}{V}_0\sin (\omega t+\alpha )& =R{I}_0\sin (\omega t)+\omega L{I}_0\cos (\omega t)\\ \text{(6)}& & =I_0\sqrt{R^2+(\omega L{)}^2}\sin (\omega t+{\theta }_0)\end{array}$$

但し、tanθ0=ωLR$\tan {\theta }_0=\frac{\omega L}{R}$
両辺を比べると、V0=I0R2+(ωL)2−−−−−−−−−√$V_0=I_0\sqrt{R^2+(\omega L{)}^2}$, tanα=ωLR$\tan \alpha =\frac{\omega L}{R}$となって複素数を使わなくても同じ結果を得られます。

ではなぜ最初にI=I0eiωt$I=I_0{e}^{i\omega t}$を使ったのかというと(6)式の三角関数の合成を使うよりも複素平面の幾何として扱った方が簡単だからです。
つまり、ここで使っている複素数は本質的なものではなくあくまでも便利な道具として使っています。

実は他の分野で扱われる虚数も同じで、虚数を使わなくても解ける問題が殆どです。
次の量子力学を除いては。

量子力学

量子力学の基礎方程式として状態の変化を記述するシュレディンガー方程式というのがあります。
ihdψ(t,x,y,z)dt=−ℏ22m∇2ψ(t,x,y,z)+V(x,y,z)ψ(t,x,y,z)(7)$\begin{array}{}\text{(7)}& ih\frac{d\psi (t,x,y,z)}{dt}=-\frac{{\hslash }^2}{2m}{\mathrm{\nabla }}^2\psi (t,x,y,z)+V(x,y,z)\psi (t,x,y,z)\end{array}$
h:プランク定数
m:が粒子の質量
V:ポテンシャル
ψ$\psi$:波動関数（状態を表す関数）
t:時間
x,y,z:それぞれ空間座標
∇2${\mathrm{\nabla }}^2$:ラプラシアン

この方程式には初めから虚数が入っていますし、ψ$\psi$も複素数です。
しかし、人間が観測する物理量は量子力学では関数に働く作用で、実数になります。（というか実数になるようにしてます。）
また、ψ$\psi$に関しても物理として意味があるのはψ$\psi$ではなく|ψ|2$|\psi {|}^2$です。
|ψ|2$|\psi {|}^2$が粒子の存在確率密度を表すというのが一般的な量子力学の解釈です。
確率密度なので空間で積分すると1になります。
∫∫∫|ψ(t,x,y,z)|2dxdydz=1(8)$\begin{array}{}\text{(8)}& \int \int \int |\psi (t,x,y,z){|}^{2}dxdydz=1\end{array}$

では、量子力学においても虚数を使わずに表現できるのでしょうか？

その前に(7)式は両辺に複数共役をとっても成り立つはずなのでψ∗${\psi }^{\ast }$が成り立つ方程式は
−ihdψ∗(t,x,y,z)dt=−ℏ22m∇2ψ∗(t,x,y,z)+V(x,y,z)ψ∗(t,x,y,z)(9)$\begin{array}{}\text{(9)}& -ih\frac{d{\psi }^{\ast }(t,x,y,z)}{dt}=-\frac{{\hslash }^2}{2m}{\mathrm{\nabla }}^2{\psi }^{\ast }(t,x,y,z)+V(x,y,z){\psi }^{\ast }(t,x,y,z)\end{array}$
となります。（これは後で使います。）

さて、確率密度の時間変化を考えます。

d|ψ|2dt=ddt(ψ∗ψ)=dψ∗dtψ+ψ∗dψdt=−ℏ2mi(ψ∗∇2ψ−(∇2ψ∗)ψ)=−ℏ2mi∇⋅(ψ∗∇ψ−(∇ψ∗)ψ)=−∇⋅ℏ2mi(ψ∗∇ψ−(∇ψ∗)ψ)$$\begin{array}{rl}\frac{d|\psi {|}^2}{dt}& =\frac{d}{dt}({\psi }^{\ast }\psi )\\ & =\frac{d{\psi }^{\ast }}{dt}\psi +{\psi }^{\ast }\frac{d\psi }{dt}\\ & =-\frac{\hslash }{2mi}({\psi }^{\ast }{\mathrm{\nabla }}^2\psi -({\mathrm{\nabla }}^2{\psi }^{\ast })\psi )\\ & =-\frac{\hslash }{2mi}\mathrm{\nabla }\cdot ({\psi }^{\ast }\mathrm{\nabla }\psi -(\mathrm{\nabla }{\psi }^{\ast })\psi )\\ & =-\mathrm{\nabla }\cdot \frac{\hslash }{2mi}({\psi }^{\ast }\mathrm{\nabla }\psi -(\mathrm{\nabla }{\psi }^{\ast })\psi )\end{array}$$

3行目の式変形で(7),(8)を使った。また、∇⋅$\mathrm{\nabla }\cdot$はdiv$div$とも書かれダイバージェンスですね。

ここで、ρ=|ψ|2$\rho =|\psi {|}^2$, j=ℏ2mi(ψ∗∇ψ−(∇ψ∗)ψ)$j=\frac{\hslash }{2mi}({\psi }^{\ast }\mathrm{\nabla }\psi -(\mathrm{\nabla }{\psi }^{\ast })\psi )$とすると、
dρdt=−∇⋅j(10)$\begin{array}{}\text{(10)}& \frac{d\rho }{dt}=-\mathrm{\nabla }\cdot j\end{array}$
と書けます。
（10）式は連続方程式と呼ばれていて、確率密度ρ$\rho$の時間変化がjという流れとなるという式です。（jは確率密度流と呼ばれています。）
この連続方程式は確率密度が急に湧いてきたり、無くなったりせず空間上で連続的に変化することを表してます。
確率密度なら当然満たすべき性質です。

さて、この確率密度流の係数に虚数が出てきました。
先ほどのインピーダンスの時と違うのはψ$\psi$を複素数とした訳ではないのに始めから確率密度流に虚数が入っていることです。
さらに確率密度は実数なので(10)の左辺も実数で、確率密度流は実数になるべきです。そうするためにはψ$\psi$は複素数である必要があります。
（そもそも[:tex \psi]が実数なら[:tex \psi^*=\psi]となって確率密度流は常に0になる。
また、(8)式より「右辺が1なんだから確率密度の時間微分は0になるのでは？・・・」と思った人はガウスの定理などを思い出しながら実際に計算してみて下さい。）

つまり、|ψ|2$|\psi {|}^2$を確率密度と解釈するなら量子力学には虚数は必須であると言えます。

終わりに

これが「虚数はあるのか？」という問いに完璧に答えるかと言われてると微妙ではありますね。
そもそも量子力学の解釈が間違っているとか、実は虚数を使わなくて済む別の方程式があるのではないかとか色々ツッコミどころはあると思います。
ただ、少なくとも私は「虚数はあるの？」とか「虚数は必要なの？」って聞かれた場合は「虚数が無いと量子力学の確率解釈が成立しない。」と答えます。

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じゃあの。