田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 日本銀行が黒田東彦総裁の体制になって5年が経過した。また、安倍晋三首相が2012年秋に自民党総裁選で勝利したことで生じた、「政策レジーム」の転換からも既に5年半を超えた。

 この約5年間の経済政策の評価については、この連載でも最近まとめている。そこで、今回はよりミクロ的な側面、特に雇用状況のうち、失業動向や賃金以外の話題について書いておきたい。

 今回特に注目したいのは、自殺者数の動向と職場におけるハラスメントの問題である。まず前者についてみておく。よく自殺者数が激増する要因として、景気との関係が指摘される。

 不況によって職場を失ったことで、人は自分の生きがいや生きる意味を喪失してしまう。この精神的ショックは、具体的にいえば、今まで帰属していた組織との「絆」の喪失、今までの仕事から得ていたプライドの低下、失職後の家庭での役割の低下、再就職の不安などが挙げられる。とりわけ、男性の働き手には失職による精神的ダメージが顕著であるとも指摘されている。

 そこで、図1の日本の自殺者数の長期推移をみると、1990年代以降で注目すべき傾向は、やはり日本が経済危機に見舞われた1998年以降の急増だろう。3万人台になった後も、この高い水準を10年以上も維持してしまったのである。言い換えれば、それだけ日本は経済停滞による職場の環境悪化、それに伴う国民の生命の危機を放置してきたといえる。
 経済の停滞は人災である。何よりこの認識が重要だ。好不況の循環を自然現象のように考える人がしばしばいるがそうではない。さらに重要なポイントとして、自殺者数の増加が不況の突入よりも、その後の経済政策が「緊縮的」なために引き起こされることを忘れてはならない。

 最近では、2008年に起きたリーマンショック以降の各国の動向を踏まえて、経済政策の失敗が人間の生き死にを直接に左右するという分析を、英オックスフォード大のデヴィッド・スタックラー教授(公衆衛生学)と米スタンフォード大のサンジェイ・バス助教授(医学博士)が『経済政策で人は死ぬか?』(草思社)で提示している。例えば、不況になれば失業者が発生する。このとき政府や中央銀行が適切に対処しなければ、失業の増加が自殺者の増加を招いてしまうだろう。

 スタックラー氏とバス氏たちの著書でも、リーマンショックにより仕事を失ったイタリアの中高年の男性職人が「仕事ができない」ということを理由に自殺したエピソードを紹介している。つまり、この話のポイントは、経済的な困窮ではなく、地位や職の喪失が自殺の引き金になっていることである。
2018年4月9日、首相官邸での会談を前に握手する安倍首相(右)と日銀の黒田総裁
2018年4月9日、首相官邸での会談を前に握手する安倍首相(右)と日銀の黒田総裁
 筆者は、2002年に上梓した『日本型サラリーマンは復活する』(NHK出版)の中で、スタックラー氏やバス氏たちが指摘したものと同様の分析を書いたことがある。そのときは、評論家の宮崎哲弥氏から「自殺の原因は、経済政策の在り方に左右されるような単純なものではない」という批判を受けたことがある。