本と6ペンス

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Maugham)

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178.模倣犯 一~五 (宮部みゆき)

さて、今回読んでみたのは宮部みゆきの作品の中でも一際名高い「模倣犯」である。
あらすじは第一巻の裏表紙から引用しよう。

墨田区・大川公園で若い女性の右腕とハンドバッグが発見された。やがてバッグの持主は、三ヵ月前に失踪した古川鞠子と判明するが、「犯人」は「右腕は鞠子のものじゃない」という電話をテレビ局にかけたうえ、鞠子の祖父・有馬義男にも接触をはかった。ほどなく鞠子は白骨死体となって見つかった――。未曽有の連続誘拐殺人事件を重層的に描いた現代ミステリの金字塔、いよいよ開幕!


さて、まずは、この小説の尋常ではない面を言わなければならないだろう。長さだ。
「模倣犯」は400から500ページ程度の本が五冊連なってできている長編作品である。一連の連続誘拐殺人事件について、犯人、被害者、刑事だけでなく被害者の遺族や発見者などの登場人物が重層的に絡まりあっている。他の小説の解説で「(宮部みゆきは)全ての登場人物について語りたがる性質があり、本質的には長編作家である」という指摘があったが、まさに彼女の特徴が存分に発揮された作品であると言っていい。

これだけの長編であるにも関わらず読者を飽きさせないのも、この小説の優れたところだ。
以下のように、「模倣犯」において読者は三つの異なるミステリーの読み方をすることになる。
・序盤は、読者は誰が犯人なのか分からないまま、事件の経過と登場人物が真実の追及に取り組む様を読む。
・中盤は、犯人を中心に事件を描き、読者は事件の真相を知ることが出来るようになる。
・終盤は、読者は犯人が誰かを知っている上で、追及する側と犯人との攻防を見ていくことになる。
この読者の視点の変化こそが物語の重層的な構造を可能にし、読者に飽きさせない鍵になっていると考えられるだろう。読者は時に何も知らされずに、時に真実を知りつつ、固唾を飲んで展開を見守り続けるのである。

さて、では小説の中身に入っていきたい。
とはいっても、これだけの長編小説だから、さらに個々の登場人物の「物語」を漏らさず書くという宮部作品の特徴から、一つ一つ真面目に切り込んでいくといくら書いても足りなくなってしまう。
ここは、タイトルである「模倣犯」という言葉を軸にこの物語を考えていきたい。


この小説の最大の犯人は「ピース」こと網川浩一である。
余談であるが、「ピース」は頻繁に登場するにもかかわらず、本名は終盤まで伏せられている。読者がハッキリと「こいつが一番悪い!!」と気付いた時になってはじめて、彼の名前が明かされるのだ。こうした細かい演出が、読者を離さない効果をもたらしている。

さて、二転三転する事件の本質、すなわち犯人「ピース」の本質は第一巻のところにそれとなく書かれている。
ある種の事件を起こし易いタイプの人間をして事件の方向へ向かわしめるのは、激情でも我執でも金銭欲でもない。英雄願望だ。

俺はお前らとは違う、俺は大衆に埋没する存在ではない。俺には能力がある。俺は英雄として語り継がれるべきなのだ――。
こうした強烈な自意識と英雄願望が、「ピース」の犯行を強烈に後押ししていく。彼は脚本を作り、演出をし、自ら演じ、そして驚き目を回す大衆を嘲笑う。彼の行動はすべて、その自己顕示欲によって貫かれている。
「本当の悪は、こういうものなんだ。理由なんか無い。だから、その悪に襲われた被害者はどうしてこんな目に遭わされるのかが判らない。」
これは「ピース」の台詞だったと記憶している。彼は徹底的な悪を演じることで、社会に痕跡を残すことを望んだ。

しかし、完璧に見えたシナリオも、彼の英雄願望によって自己崩壊するのである。この作品は肥大化し暴走した彼の英雄願望の足跡だ。その通った後には、餌食となった被害者の骸が無残に転がり、周囲では遺族が自らを責めることで精神的にすり減らされている。それは地獄絵図であり、宮部みゆきはそのなかで光る人間の強さや絆にも、きちんと光を当てている。

彼の英雄願望は、クライマックスでついに(電話越しだが)否定される。
「みんな忘れるよ。あんたのことなんか、みんな忘れちまう。世間を舐めるんじゃねえよ。世の中を甘く見るんじゃねえ。」
これを耳にして衝撃を受けるような犯人だったとは到底思えないが、この言葉によって彼はついに彼の願望が成就しなかったことを思い知らされるのである。

ここまで考えたところで、タイトルについての話をしよう。
解説に「模倣犯」というタイトルの解釈が書かれていた。

刑事が述べるように、「犯罪もまた『社会が求めている』形でしか起こり得ない」とするなら、網川浩一もまた、テレビの画面を共有する大衆の欲望の輪郭をなぞった模倣犯であったことは否定できない。

この指摘は重要である。勘のいい読者はもう察しが付くのではないか。
この小説のタイトルである「模倣犯」は、著者の宮部みゆきによる、犯人に対する断固とした怒り、否定、そして軽蔑の表象であると考えることはできないだろうか――というのが僕の見解だ。

英雄願望を持つ「ピース」は、彼の起こした事件がありふれた、つまらないものだと考えられることにどうしても耐えられなかった。その姿は作中で何度も描かれている。
とすれば、彼の犯行の一部始終を描いたこの小説に対して「模倣犯」というタイトルが付けられることは、彼に対するこれ以上ない仕打ちであると考えることが出来よう。宮部みゆきは小説の中で悪逆の限りを尽くした犯人に対して、そのタイトルをもってして痛烈に「NO」を突き付けたのである。

これが「模倣犯」というタイトルの意味だと考えられる。
こうした視点に基づいて、本の中で描かれた様々な事柄を新しい体系に沿って綺麗に考え直すことも可能であろう。ただしこの記事では、ここまでにとどめておくことにする。



さて、いろいろと考えたことを書いたが、とにかく面白さとしてはミステリー小説の中でも随一だろう。
五冊を一週間で読み終えてしまったので、僕自身も相当のめり込んでいたと考えられる。

限られた文章量で、首尾一貫したような作品の「美しさ」とはまた違った魅力を持つ小説だった。とにかく面白い。素晴らしい小説であることは、誰もが認めるところであるのではないか。




余談
数えてみると、今年に入って118冊を読み終えたことになる。
留学に旅立ってから読んだ本は24冊だから、まぁ大体二日から三日に一冊のペースらしい。
寒くなってきて年度の変りが近づいてくると、どうしてもこれまで読んできた数字が気になってきてしまう。それがすべてでないということは、当然承知しているのだけれど。

まぁこのまま、良いペースで読み続けていきたいなと思うものだ。

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コメント


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初めまして。
とても面白い考察です。
僕もあらかた同意見でしたが、それでもここまで腑に落ちる書評もあまりお目にかかれないかなと思います。
褒めるだけだと味気ないのでオススメの本を1冊。
『葉桜の季節に君を想うということ』― 歌野昌午
タイトル考察という点では模倣犯に劣りますが、負けないエンターテインメント性があります。お時間がありましたら是非。

red_legal | URL | 2013-11-06(Wed)06:57 [編集]


コメントありがとうございます。

コメントありがとうございます。
褒めていただいて大変嬉しいです。
紹介していただいた本、日本にいま居ないので手に入れるまで時間がかかると思いますが、読んでみたいと思います。

niksa1020 | URL | 2013-11-06(Wed)10:40 [編集]


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