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※わりとネタバレ記事かもしれません
物語は病院で保護観察処分を受けていた青年(アントニオ・バンデラス)が無事に退院する場面から始まる。街をぶらつく彼がバスに乗っただけでエンニオ・モリコーネの不気味なスコアが奏でられ不安をあおるが、まだこの時点では物語がどう転ぶのか、皆目、見当がつかない。
バスを降りたバンデラスは映画スタジオに潜り込む。そこでは麻薬中毒のポルノ女優(ビクトリア・アブリル)を主演にB級ホラー映画が撮影されていた(彼女の後頭部に撮影用のナイフが刺さったまま立ち話してるのがなんとも愉快)。半身不随から復帰して電動車イスに乗った映画監督は、これが自分の最後の作品になるだろうと意気込んでいる。
バンデラスを置き去りにしたまま撮影所の描写が続き、観客が「これ、いったい何の話?」と呆れる頃、ようやく物語が激しく動きだす。撮影を終えたポルノ女優の後を付けていたバンデラスが彼女のマンションに不法侵入し、彼女を監禁するのだ。
バンデラスは彼女の愛が欲しい。自分がどれほど彼女を愛しているか、そのあふれんばかりの愛情と同等のものを彼女からも受け取りたい。だから彼女を力づくで犯したりしない。監禁しながらも、優しく接し、自分の誠意を理解してもらうことに努める。
一方、ポルノ女優にとってバンデラスは恐ろしい暴漢でしかない。身勝手な愛を強要する頭のおかしい変質者でしかない。
監禁サスペンスと一方通行の愛。バンデラスはポルノ女優が裏切って、逃げだしたり助けを求めたりすれば、彼女を殺すつもりだ。エロスとタナトスの綱渡り。こうした、いかにもペドロ・アルモドバルらしい設定を彼はどう料理するのか?
歯痛を訴え、鎮静剤が必要なポルノ女優のためにバンデラスは彼女を縛って外出する。この「拘束」が本作の焦点になっている。拘束する者/される者。それは命令/服従の関係とも言える。
アルモドバルはこの命令/服従の関係を次第に対等へとシフトさせていく。バンデラスの過剰な愛に釣り合うようにポルノ女優の彼に対する好意の目盛りを少しずつ上げていく。それは人質が犯罪者と一蓮托生の心情になる「ストックホルム症候群」で説明できるのかもしれない。だが、アルモドバルはここでひとひねり加える。ポルノ女優のバンデラスへの好意が爆発するのは、彼女の頼みでヘロインを調達に出かけたバンデラスがフルボッコにされ傷だらけで帰宅する場面だ。自分のために命を危険にさらした(=タナトス)バンデラスに彼女の劣情は沸点に達し、二人は互いの肉体をむさぼり合う(=エロス)。男の傷は女への愛の証しであり、傷だらけの男に欲情するという変態性こそエロスとタナトスの作家、アルモドバルの真骨頂と言える。
命令/服従はエロス/タナトスによって釣り合った。では、この二人の間にまだ「拘束」は必要なのか。バンデラスは逃避行用の車を盗むために外出すると告げる。女は自ら拘束して(=原題である「ATAME!」)と頼む。これは、もはや命令/服従の関係ではないだろう。女が自発的な拘束を望むのは、男の帰りを信じて待つという信頼の証しにほかならない。つまり「拘束」は監禁当初とはまったく逆の意味を持つのだ。
というわけで本作をたいへん楽しく見たのだけど、不満がないわけでもない。ひとつは序盤で描かれた映画撮影で監督が主演のポルノ女優に執着していることが明かされるのに、それがどこにも結びついていない点。彼女への妄執という意味でバンデラスと監督は写し鏡の存在であるにもかかわらず、監督の存在は物語の上でなんら意義をもたない。*
もうひとつは、監禁サスペンスと一方通行の愛という異常な設定でありながら、本作の結末がまるっと(まるで取って付けたような)ハッピーエンドに収まっている点だ。もっともアルモドバルの作品には円満な結末は少なくない。ってかハッピーエンドじゃない方が珍しい。たとえばルース・レンデル『引き攣る肉』を原作に映画化した『ライブ・フレッシュ』の結末も原作とは大きく異なり、アルモドバルらしい力強い生命賛歌として結実している。だからアルモドバルの作家性を考えると本作のハッピーエンドもありえなくはないのだが、どうしても不自然な印象が拭えない。
ヒントになるのは、監督が作中で編集しているポルノ女優主演のホラー映画に対して「この映画にはエンディングがない」と嘆いている場面かもしれない。もしかすると、このセリフはアルモドバル自身が本作に対して抱いた批評ではないのか。つまり、作中のホラー映画に「エンディングがない」ように、本作『アタメ/私をしばって!』にも真っ当な「エンディングがない」。あるのは取って付けたような不自然な結末だけだ。そして、作中の監督がアルモドバル自身の投影だと考えれば、ストーリーの上では無意味だった監督のキャラクターにも存在意義があったと納得することはできる。
とは言え、この解釈に意味があるとは自分でも思わない。アルモドバルの特徴と言えば、ヴィヴィッドな色彩感覚、タブーを恐れないスキャンダラスな題材、メロドラマ的な展開などが挙げられるが、その最大の持ち味は天衣無縫とも言えるストーリーテリングの面白さにこそあるだろう。
どうやら僕は、本作の投げっぱなしの結末に「拘束」されて視野狭窄におちいっていたようだ。細かなつじつま合わせなど眼中にないアルモドバルの剛腕のストーリーテラーぶりを存分に楽しめばよいのであって、この結末にあれこれ言うのはかえって野暮かもしれないな。
付け加えれば、現時点から見ると『私が、生きる肌』で久々にバンデラスを起用した意味もよくわかる。
* 行方知れずのポルノ女優の身を案じ、バンデラスによる監禁をつきとめる、いわば探偵役の側面は監督ではなく、彼女の姉が担っている。そもそも前述したように監督は車イスに乗っており、そうしたアクティブな探偵役にはそぐわない(個人的には彼の役どころは文字通りアームチェア・ディテクティブだと思っていたのだが)
アタメ/私をしばって!(1989・スペイン)
●監督/脚本/ペドロ・アルモドバル
●出演/ビクトリア・アブリル アントニオ・バンデラス Atame! (Almodovar) - Official Trailer この予告篇はアクションが多いのでそう思わないかもしれないが、本篇は意外と同時期のパトリス・ルコントに近い印象を受ける
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