佐々木さんは、じつは僕が最後にお会いした2ヵ月後に92歳で亡くなられました。
本当に奇跡のような偶然が重なって、最後の最後、佐々木さんにお会いできたのです。僕はその事実に打たれました。
ますます、この人の人生をどうしても日本人に伝えたいと思うようになりました。
佐々木さんは優秀なパイロットで、それゆえに特攻隊員に選ばれたと書きました。特攻を絶対に成功させるためです。そもそも、どうして「特攻」を絶対に成功させる必要があったのか、ということは重要な問題です。
『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』では、佐々木友次さんの人生だけではなく、「特攻とはなんだったのか?」ということを突き止めようとしました。
佐々木さんの人生を書くことは、特攻を書くことで、それはつまり特攻そのものと向き合うことは避けられないと思えたからです。
調べれば調べるほど、「特攻とはなんだったのか?」という問いには答えられないことが分かってきました。
特攻には、「命令した側」と「命令された側」があって、この二つを区別しないで「特攻とはなんだったのか?」と問いかけるのは無意味としか思えないのです。
「命令した側」から見た特攻と、「命令された側」から見た特攻はまったく違っていました。残された証言は、同じひとつの「特攻」を語っているとは思えないほどでした。
また、特攻が「志願」だったのか「命令」だったのかという、今も続く問題も、この二つの視点を区別して考えないと意味がないことも分かってきました。
そもそも、僕は「特攻はムダ死にだったのか?」という問いは意味がないと思っています。死は厳粛なもので、ムダかムダじゃないかという功利性で語るものではないと思っているからです。死は誰がなんと言おうと、どんな状況であろうと尊く厳然としたものです。
私達は、日本人として特攻隊で死んだ人達のことを忘れてはいけないと思います。深く頭を垂れ、悼むべきものです。
だからこそ、「命令した側」と「命令された側」の違い。それから「命令された側」の階級の違い。「志願」と「命令」の問題。成功率などの有効性の真偽を語らなければいけないと思います。
それが、特攻隊というものをずっと民族として記憶していくことだと思うのです。
戦後72年が過ぎて、特攻に対して、客観的に語れる土壌ができてきたと感じています。
それまでは、どうしても感情的になり、冷静な議論も検証もできませんでした。ようやく、僕のような戦争経験がない者も特攻に関して語れる時期になったのではないかと思います。
本当に書きたかった本です。やっと、出せることになりました。
読書人の雑誌「本」2017年12月号より