ルームメイトは笑わない

球体関節人形とゲームが好きな人のブログです。

Lucy~彼女が望んだもの~をクリアした

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Steamにて980円で販売されている泣きゲーと名高いビジュアルノベルゲーム(スマホ版もあるらしい)

「Lucy~彼女が望んだもの~」を全クリアした。

今回はこの作品の感想。私はネタバレのないように感想を書くという器用な真似はできない。2016年にリリースされた作品(原作は2010年に韓国で出たらしい)とはいえ、Steamでおすすめに出てきて気になってるんだけどプレイしてないんだよなぁー、っていう人はご注意を。

 

舞台は2050年の日本。

車は相変わらず地面を走っているけれど、

アンドロイドは大衆化されていた。結構高級だけど。

 

ロボットが広く普及したことを良しとしない人々や、

過剰にロボットに入れ込んでしまうような人々がいる世の中。

 

主人公は、そんな世の中において「ロボットが嫌い」な高校3年生。

受験の差し迫る秋。

彼は学校からの帰り道、街中の喧騒を避け、近道をしようと立ち入り禁止区画である機械たちの廃棄場に足を踏み入れる。

10月12日。

彼はそこで、捨てられた1台のアンドロイド『ルーシィ』を見つけた。

それは、過去から未来に繋がる奇跡の出会いだった。

 

 

というのが、まあ物語のオープニング。

 

家庭内の事情が拗れていて、本人の性格も捻くれ気味の陰気な主人公と、対照的に明るくて賑やかで無垢なアンドロイドが交流し、主人公の心に強い影響を与えていくという筋立て。

原作が発表された2010年当時はどうだったか覚えていないが、最近ではまあ、王道的というか新鮮味のない物語のようではある。

ただ、王道でいいんだよ。

高度な人工知能を搭載したロボットが出てくる作品というのは、いちいち名前を挙げるのが面倒なくらいに数多くある。

ハートフルな物語もあれば、頭の良すぎるロボットが人間との立場を逆転させようとする物語もある。

Lucyはどちらかといえば前者にあたる物語だった。これが良かった。

 

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ゲーム中、しつこいくらいに掲示されるロボット三原則

あんまりしつこいので、何かここに「裏」があるんじゃないかと疑ってしまった。

ルーシィが廃棄されたのは、頭が良すぎてこの三原則の中に「穴」を見つけ出してしまったとか、何かそういう怖い事情が物語の後半で明らかになって、ハートフルボッコにされちゃうんじゃないかとハラハラもしたよ。

 

でもルーシィは最初から最後まで、純粋で、無垢で、美しい存在として描かれていた。

完璧な人間の模造品。その存在は社会にどのような影響を与えるか?

その問いに対する「世の中」の答えが、彼女の廃棄に繋がった…。

 

ある意味、ルーシィは人間の模造品としては欠陥だったということだ。

人間には醜さがある。一切醜い面を持ち合わせていない人間なんてものは存在しない。「あの人は違うもん!」って意見もあるかもしれんが、それは単に可視化されていないだけだろう。みにくいだけに。くそ寒いと分かっていながらこういうことを書いちゃうのも自分の醜いところだな。

だがロボットは人間に似せて作られながらも、そういう醜い部分は排して作られてしまう。その上で人間と変わらぬ水準の精巧な表情を持ち、知能を持ち、会話ができ、運動ができ、仕事ができるロボット。それは模造品というより、上位互換だ。

作中でも語られているが、そんな存在を人間様が認められるわけないのである。

 

そんな完璧なロボットと出会ったのが、機械嫌いの主人公なんだが、これが面白かった。

彼が機械嫌いなのは、仕事一筋で厳格な父親の影響。父はロボットが人に代わるなんぞ絶対に認めるかという思想の持主で、主人公は家庭を顧みず仕事に没頭する父のことを嫌い、反発していながら、ロボット嫌いの考えにはすっかり染められてしまっていた。

血のつながった母親は仕事だけの旦那に愛想をつかして息子を置いて逃げ出し、新しい母親は父親と同じ仕事人間。一家団欒など経験したこともない冷めきった家庭で育った。言うほどグレなかったのは根が真面目で優しい気性の持主だったからなんだろう。

ルーシィと交流を重ねるうちに変化していく彼の心情がよかった。ちょっとチョロい気もしたが、彼のそれまでの人生を思えば納得できる。

 

そして父親を除く、彼の周囲の人間。クラスメイトの機械博士(あだ名)や、ガラクタ同然だったルーシィを(高校生にはややきついお値段で)直した修理工の店長。彼らはロボットに対して好意的な思想の持主であるが、あくまでも「人間は人間。ロボットはロボット。」と、しっかりと境界線を引いて考えている人たちだった。

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人形にハマった人である私としては機械博士の言葉が耳に痛い。

というか、全体的にプレイヤーの私の胸に刺さる話が多くてしんどかった。

 

そういう機械に肯定的な人たちがちゃんと一線を引いているのに対して、

機械に否定的だった主人公が「アンドロイドに心はあるのか?」なんて疑問を抱くぐらいにのめり込んでしまう姿が、愛おしくもあり、切なくもあった。

 

修理屋の店長さんの回答は印象深い。

「それは模造品でしかないけど、価値を決めるのは君次第」そういった内容。

 

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人に役立つように作られたルーシィは、いつも人の役に立ちたいと思い、人の役に立てたら嬉しいと感じる。まるで人のように。

主人公は、それを「そうなるようにプログラムされたからに過ぎない。それはお前の意志ではなくて偽物。何の意味もない」といった、辛辣な言葉を浴びせるのだが、これに対するルーシィの答えで私は涙を流してしまった。

 

 

「誰の意向であれ、ルーシィが手伝えば誰かは喜びます」

「誰かが喜べばルーシィはもっと嬉しくなります」

「誰かのお役に立てましたから」

「ルーシィは人を助けることでやり甲斐を感じ、人は必要としていた助けを得ることができます」

「ルーシィはそれだけで満足です」

「それがもし、誰かによって意図された状況に過ぎないとしても…」

「行動も、ルーシィの意志でない他意によるものだとしても…」

「ルーシィにとってそれは全く重要な問題ではありません」

「ルーシィがその時感じた感情、助けた行為、助けたという事実、助けを得た誰かの気持ち…」

「この過程をマスターは偽りというかもしれません」

「意図的に作られましたから」

「でもルーシィにとってはこれは本物であり、そして決して意味のないものではありません」

 

 

この手の問いは、ロボットを題材にした作品には散見されるもので、ロボットがこの問いに対して苦悩して暴走してしまう展開もあったりするが、ルーシィはそうはならない。2050年のロボット開発者からしてみれば、古典SFによく見られるテーマだろうから、ルーシィがそんなことで悩まないように明確な回答をプログラムに組んでいたとも考えられる。仮にそうだったとしても、「ルーシィにとってはこれは本物」という彼女の言葉は否定のしようがない。それに別れのとき、ルーシィがロボット三原則を破り、命令ではなく、主人公との約束を優先したことは、彼女の中に人間と同等の心が存在していたことを証明している。主人公にとって、あまりにも悲しい形で証明されてしまったわけだが。

 

先のやりとりがきっかけになったのか、ロボット嫌いだった主人公が、如何にしてルーシィを人間と同等の存在として認め、自分を納得させるか、思考を巡らせていく様が面白い。

ルーシィの存在は彼のこれまでの価値観を覆し、彼がこれまで得られなかった優しさ、温もりを与え、その安らぎを永遠のものにしたいと願い始める…。

だけど、ルーシィは永遠を信じない。ルーシィ自体は半永久的な存在だが、時代の流れと共に自分が旧式と呼ばれるものになり、パーツは壊れ、ある意味では人間ほど長持ちしないということを知っている。

そして彼女が願ったのは、「自分を忘れないで欲しい」ということ。人の記憶の中で生きること。それが機械である彼女が、「個」として望むことのできる唯一の永遠。

 

しかしまぁ、こうした主人公とルーシィの交流期間というのは終わってみれば、何んとたった3週間足らずの出来事だったというのが衝撃だ。

 

1周目ではトゥルーエンドに辿り着けない作りになっていて、とても憂鬱になる終わり方だった。

まあ私はこっちの終わり方も嫌いじゃない。「彼女が望んだもの」は叶わぬまま。壊れゆくルーシィに、決して彼女のことを忘れないと誓った主人公は、結局時の流れと共に彼女のことを忘れてしまう。ふいに思い出しかけても、若気の至り、みたいな黒歴史扱い。だけど、彼女と過ごした時間の短さを思えば、20年後の主人公の姿としては現実的だな、とも思ってしまうから、否定できるエンディングじゃない。とか硬派っぽく書いてるけど、自分の人形を見ながら泣いてましたはい。そりゃないよ。

 

私が人間の性質の中で最も嫌悪している部分は、悲しい出来事を忘れてしまうところだ。そういうことがあったということは覚えていても、その瞬間の悲しみ自体は時の流れと共に薄れ、個人差はあるが、消えてしまう。それは心を安定させるために必要なことではあるんだけど、愛犬が死に、悲しんでいたはずの母が数日後には、「今度は柴犬がいいわ」などと言ってウキウキした様子でペットショップに出かけていった姿を見たとき、私はそこに人間の非常にグロテスクな面を垣間見た気がした。新しく飼う犬もいずれ自分より先に死に、また悲しむ可能性もあるのに、どうしてそんなふうに振る舞えるのか。いや、悲しいことだけじゃない。誰かを強く愛した気持ちまで、時が経てば忘れてしまえる。それが人間の強さだというなら、私は弱い人間であり続けたい。

 

1周目を終えた段階で開放される、父親視点の後日談もそりゃあもうしんどかった。ルーシィを燃やしやがったこの男が、どれほど不器用な男で、息子と仲直りできる日が来ることをどれほど切に願っていたのか…年を取って、少しだけ丸くなったこの男が、これから良くなるかもしれないと希望を持った矢先に送られた息子からの手紙。共に笑える未来などあり得ないことを宣告する決別の言葉にまたしても私は強いショックを受けた。

 

で、つらい気持ちになりながらも、いやいやこれで終わりなはずがない、と意を決して2周目を始め、ついに辿り着いた10月12日。

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副題…!副題が…!!

 

正直、ここからの展開というのは、ゲームを始めた頃にある程度予想はできていた。

そこそこ本を読んだり映画を見たりしている人なら勘付くレベルのそう珍しくはない叙述トリックの種明かしがされるわけだが、1周目のエンディングで打ちひしがれていた私は、その可能性のことをすっかり忘れていた。

こう単純だと、人並み以上に感動できるので、得をしているなと思う。

ちなみに私はハリウッド映画のアルマゲドンで何回見ても泣けるタイプだ。

だからもうね、ルーシィが、博士が待ち侘びていた一言を発した瞬間、

全てが繋がった、という、本当に電気が走ったような感覚があって、

私の涙腺はそこで完全にぶっ壊れてしまった。

たった3週間足らずの出来事を15年も引きずり続けて、10月12日という日のことをずっと覚えていたことは、不可能と言われたことを実現させたことは、

「永遠」を信じてもらうために十分すぎる奇跡…そう、これは奇跡の物語だった。

人間の性質を無視した末に勝ち取った奇跡。

ゲームだから、フィクションだからあり得る物語だと、冷めた本音を言えばそうなるけれど、奇跡という言葉を使うことで、現実でも、ひょっとしたらあり得るかもしれない、そう私は信じてみたくなった。

 

トゥルーエンド後に見られる、父親の後日談の続きや、前日譚でも、当たり前みたいに泣いた。

結局、後日談の中でも親子は仲直りできなかったけど、いつかきっと修復されるんだろうなと思わせてくれる、しかも高い確率で…そういう終わり方だったのが本当に良かった。

 

とまあ、泣いた泣いたとか言い過ぎるとだんだん作品がチープに見えてしまうので、このへんで。

 

トゥルーエンドを見るには最低2周。そのほかのアンロック要素もその2周の内で終われるだろう。まあタイトル画面のやつは調べなきゃ気付けない…って思ったが、自分で見つけられたら感動しただろうなぁ。

スキップ機能も使えば全クリアは半日とかからないボリュームではあったものの、ルーシィの日本語ボイス担当の舞原ゆめさんの芝居が、彼女の魅力を忠実に引き出してくれているので、ついついスキップを止めて聞き入ってしまった。

さらに、物語の全様を把握したあとにプレイしてみると、何気ないセリフの中にも切ない言葉の数々があることに気付かされた。

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いくらか誤字脱字はあったが、ご愛敬。

クリア後に考察を深めて楽しむタイプの作品ではない、と思ったが、それゆえに今は心地よい余韻に浸れている。

私も願わくば、自分の人形たちとずっと一緒にいたいものだ。

 

…それは何一つ感動を誘わないシチュエーションだな。