今日行こうとDEBUなべりんを誘ってチケット予約したら、まさかの昨日分を買うというミス!三枚がフイに。
そもそもDEBUは反応イマイチだったので、今日チケット二枚にしたら直前になべりんが体調不良でまさかのダウン!
一人で観るために実に9000円を払うという・・・。
何の罰ゲームだよ・・・。今年のGWはイケてなかたったなぁ・・・。
と、いう想いが吹き飛んでしまった。
僕はこの映画を観るために、9000円を払うべきだったのだ。
なんだこの大傑作は!!
映画史が変わったのではないか!?
いやいや、最近のハリウッド映画なんてロクに観ていない僕が、こういう言い方をするのはさすがに無様だ。
しかし、そう言いたくなるような、自分の映画の記憶がひっくり返ってしまうような衝撃を受けた。
個人的には、『天空の城ラピュタ』以来の衝撃だ。
アホ臭い「たられば」だが、30年前に『ラピュタ』を観ていなければ、間違いなく僕はこれで実写に行ったであろう。
いかんいかん、今日はどうも感情的な文章だ。
これは通って何度も観て、調べてみないと解らないことがいろいろある。
映画史的・映画学的評価はひとまず後だ。
まず、一生分泣いた。だって冒頭5分目でもう泣いていたんだぜ?
え?なんで俺こんな序盤で泣いてるの??
最初は自分の涙を理解できず、あれ、俺やっぱり心病んでるのかな・・・?と、すら思った。
自分の涙に自分の脳が追い付かないのだ。
やがて確信した。
俺の目は、確実に映像に興奮している!
何でもないミュージカル映画だと高を括っていた。DEBUにしつこく誘われなければ観てなかっただろう。
実際竹内さんにしつこく誘われた『ラ・ラ・ランド』は観ていない。
『ラ・ラ・ランド』を観ていた人は僕の興奮に苦笑するのだろうか?
こればかりは観てないから何とも言えない。不勉強すいませんでした。
しかしこの映像の素晴らしさは、間違いなく演出のお陰だ。
もうこれはミュージカル映画の範疇を超えている。音楽と画、ダンスとそして歌詞。そのコラージュが絶妙に本能を刺激する。
僕らはまるでクレショフのテストを受けているかのように、画面に釘付けになり、欲情を剥き出しにする。
いや、言うなればゴダールの「ソニマージュ」に近いのかも知れない。
当のゴダールは完全なマンネリズムに陥ってしまったのを尻目に、本作の監督・マイケル・グレイシーは自信を持って言うのだろう。
「俺が今の映画の最先端だ!」
美学・芸術学での最大の讃辞というか、本分であるのが「瞼を切り落とせ」という言い方だ。
見えたものをそのまま目に焼き付け、感性に従い、その反応を考える。余計な知識や情報は要らないのだ。
この映像は、まるで「瞼を切り落とした」かのような刺激を受けた。だから脳が涙に追い付かないのだ。
こんな経験は初めてだ。
目がビックリしたのだ。
それだけではなく、感情ついでに言ってしまうが、オタクこそこの映画に大いに共感するだろう。
DEBUが夢中になるのも解る。
ここに出てくるサーカスの奇形児・フリークスこそ、かつての俺達だったじゃないか!
それも確信させられた。俺達はいつから見世物から芸術家になったんだ?
俺達はいつから、「クールジャパン」や賞レースや世界的名声に踊らされ、自分の姿を見失ったのか?
まさに「スノビズム」だ!それに溺れていくP.T.バーナムだ!
今や「キレイなオナニー」から「日本アカデミー賞監督の嫁」まで、アニメの醜さを封印し、過度なまでに着飾ったスノッブ達の吹き溜まりじゃないか!
そうか、あんなの俺の観ていたアニメじゃないはずだ!
アニメはもっと泥臭くて人間臭くて、エロくてゲスで低俗でクレイジーで、メチャクチャなインチキがまかり通る見世物小屋だったはずだ!
それをハリウッド映画に気付かされてしまうという皮肉!
・・・と、ね、まぁこう書いてしまうと、実は本作は途端に通俗的になってしまう。
この映画の弱点というか、誤解を受けるところは、実は脚本。
余りに「ハリウッド文法」に従いすぎているのだ。
その分完成度は非常に高いが。
あと、音楽も最近のブロードウェイらしく、実に手堅い。
オペラ歌手言ってるのにオペラの発声じゃないしね。
別に傷には到らないが、そこでビックリした訳ではないということ。
やはり、演出だね。
ほとんどキャリアのないマイケル・グレイシー、天才ではなかろうか?
まぁ、映画学的な考察は、後にしよう。
少なくとも僕にとって、この映画には自分に鞭を入れてくれる、非常に運命的な出会いを感じたのは紛れもない事実だからだ。
創作人生のスイッチが入り直した!
これをやるまでは死ねない!!
と、いう想いが吹き飛んでしまった。
僕はこの映画を観るために、9000円を払うべきだったのだ。
なんだこの大傑作は!!
映画史が変わったのではないか!?
いやいや、最近のハリウッド映画なんてロクに観ていない僕が、こういう言い方をするのはさすがに無様だ。
しかし、そう言いたくなるような、自分の映画の記憶がひっくり返ってしまうような衝撃を受けた。
個人的には、『天空の城ラピュタ』以来の衝撃だ。
アホ臭い「たられば」だが、30年前に『ラピュタ』を観ていなければ、間違いなく僕はこれで実写に行ったであろう。
いかんいかん、今日はどうも感情的な文章だ。
これは通って何度も観て、調べてみないと解らないことがいろいろある。
映画史的・映画学的評価はひとまず後だ。
まず、一生分泣いた。だって冒頭5分目でもう泣いていたんだぜ?
え?なんで俺こんな序盤で泣いてるの??
最初は自分の涙を理解できず、あれ、俺やっぱり心病んでるのかな・・・?と、すら思った。
自分の涙に自分の脳が追い付かないのだ。
やがて確信した。
俺の目は、確実に映像に興奮している!
何でもないミュージカル映画だと高を括っていた。DEBUにしつこく誘われなければ観てなかっただろう。
実際竹内さんにしつこく誘われた『ラ・ラ・ランド』は観ていない。
『ラ・ラ・ランド』を観ていた人は僕の興奮に苦笑するのだろうか?
こればかりは観てないから何とも言えない。不勉強すいませんでした。
しかしこの映像の素晴らしさは、間違いなく演出のお陰だ。
もうこれはミュージカル映画の範疇を超えている。音楽と画、ダンスとそして歌詞。そのコラージュが絶妙に本能を刺激する。
僕らはまるでクレショフのテストを受けているかのように、画面に釘付けになり、欲情を剥き出しにする。
いや、言うなればゴダールの「ソニマージュ」に近いのかも知れない。
当のゴダールは完全なマンネリズムに陥ってしまったのを尻目に、本作の監督・マイケル・グレイシーは自信を持って言うのだろう。
「俺が今の映画の最先端だ!」
美学・芸術学での最大の讃辞というか、本分であるのが「瞼を切り落とせ」という言い方だ。
見えたものをそのまま目に焼き付け、感性に従い、その反応を考える。余計な知識や情報は要らないのだ。
この映像は、まるで「瞼を切り落とした」かのような刺激を受けた。だから脳が涙に追い付かないのだ。
こんな経験は初めてだ。
目がビックリしたのだ。
それだけではなく、感情ついでに言ってしまうが、オタクこそこの映画に大いに共感するだろう。
DEBUが夢中になるのも解る。
ここに出てくるサーカスの奇形児・フリークスこそ、かつての俺達だったじゃないか!
それも確信させられた。俺達はいつから見世物から芸術家になったんだ?
俺達はいつから、「クールジャパン」や賞レースや世界的名声に踊らされ、自分の姿を見失ったのか?
まさに「スノビズム」だ!それに溺れていくP.T.バーナムだ!
今や「キレイなオナニー」から「日本アカデミー賞監督の嫁」まで、アニメの醜さを封印し、過度なまでに着飾ったスノッブ達の吹き溜まりじゃないか!
そうか、あんなの俺の観ていたアニメじゃないはずだ!
アニメはもっと泥臭くて人間臭くて、エロくてゲスで低俗でクレイジーで、メチャクチャなインチキがまかり通る見世物小屋だったはずだ!
それをハリウッド映画に気付かされてしまうという皮肉!
・・・と、ね、まぁこう書いてしまうと、実は本作は途端に通俗的になってしまう。
この映画の弱点というか、誤解を受けるところは、実は脚本。
余りに「ハリウッド文法」に従いすぎているのだ。
その分完成度は非常に高いが。
あと、音楽も最近のブロードウェイらしく、実に手堅い。
オペラ歌手言ってるのにオペラの発声じゃないしね。
別に傷には到らないが、そこでビックリした訳ではないということ。
やはり、演出だね。
ほとんどキャリアのないマイケル・グレイシー、天才ではなかろうか?
まぁ、映画学的な考察は、後にしよう。
少なくとも僕にとって、この映画には自分に鞭を入れてくれる、非常に運命的な出会いを感じたのは紛れもない事実だからだ。
創作人生のスイッチが入り直した!
これをやるまでは死ねない!!