福島県浪江町の住民が東京電力に対し、原発事故に伴う慰謝料の増額を求めた裁判外紛争解決手続き(ADR)は決裂した。未曽有の事故被害で早期解決を目指すとした制度は十分に機能したのか。
故郷を離れ、町全体での避難を強いられた浪江町。町が住民の代理人となって精神的慰謝料の増額を求め、国の原子力損害賠償紛争解決センターにADRを申し立てたのは二〇一三年五月のことだ。
住民の七割に当たる一万五千人が加わる異例の申し立てを受け、センターは法律家の仲介委員が現地調査などを実施。翌年三月、現行の一人当たり十万円の慰謝料に五万円増額、七十五歳以上の高齢者にはさらに三万円を上乗せする一律和解案を示した。
この和解案をめぐり、町側は受け入れを表明したが、東電側は「個別審査が基本」として度々拒否。審理は行き詰まり、センター側はもはや和解の仲介は困難だと判断して手続きを打ち切った。
浪江町の住民が集団による申し立てを選んだのは現実的だという判断があったからだ。事故によって住民は全国に散り散りになってしまった。高齢者などが個人で申し立てようにも手続きをとること自体が難しい人は多い。時間も労力も費用もかかる裁判に訴えるよりも、簡易な手続きによって速やかな賠償を実現するという、国が被害救済のために用意したADRの趣旨にかなうと考えたのだ。
だが、被災者にとってはこの解決システムも十分ではなかった。仲介委員が示す和解案の受け入れに強制力はない。東電はこれまで手続きの大部分で和解案を受諾しているが、拒否した例も少なくない。東電の拒否にあって七十件以上の手続きが打ち切られている。
浪江町のケースで東電は、和解案に従って一律賠償を認めたら、ほかの地域の被災者との公平性が損なわれると主張した。だがそうだとしても、東電は被災者の生活再建に対し「迅速な賠償」など三つの約束をしている。和解の努力をし、事故の責任を果たしていくのが本来の姿であると被災者が考えるのも分かる。
浪江町の人びとは今後、個々に仲介手続きを申し立てるか、裁判に訴えるしかなくなる。この間、申し立てた住民のうち八百人は亡くなった。司法的な手続きはなお急がなければならない。
原発事故から七年。事故は社会や地域にさまざまな分断をもたらした。分断を協調へと導く努力こそ必要だ。
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