三大秘法禀承事のこと(再掲)
以前記した『三大秘法抄』のことについては残しておきたかったので、再掲したいと思う。
先日、ちょっとしたことを調べるために、春日正三氏の日蓮聖人遺文を国語学的な立場から考察した論文を2・3読んだ。
日蓮聖人遺文については、近年、特に真偽論について検討されているが、やはり教学的な考え方から判断されることが多い。しかし、歴史学的な立場や民俗学的な立場からのアプローチもあって、様々な視点から論じることができるんだと思ったものだったが、今回、春日氏の論文を読むことで、国語学的な立場からも議論されるんだということを改めて実感した。
その読んだ春日氏の論文の中で、宮崎英修先生古稀記念論集『日蓮教団の諸問題』(昭和58年・平楽寺書店刊)に所収された、「日蓮聖人遺文の用語研究―形容動詞語の一断面―」と題する論文には、文部省(当時)統計数理研究所(中心者・村上征勝先生)によって、『三大秘法抄』の調査がなされ、その研究に基づいた考察がなされていた。
用語の使用法を統計・数理化することで、真偽を判定するというもので、これは立正大の伊藤瑞叡先生とともに研究が進められ、結果的に『三大秘法抄』は真書という判断がなされた(詳しくは、同編著『なぜいま三大秘法抄か―計量文献学入門』【1997年、隆文館刊】、『三大秘法抄なぜ真作か―計量文献学序説』【1997年、隆文館刊】、『三大秘法抄の真偽論争』【2003年、隆文館刊】など参照)。これに対し、宗学的な立場からは批判的な見解が提示され(例えば、冠賢一稿「文部省統計数理研究所の「三大秘法禀承事」真作説に対する疑義」【『大崎学報』148号、1992年】など)、数度の議論がなされたものの、結果的にはどっちもメリット・デメリットがあるという、いわばグレーで止まっているように思える。
この『三大秘法抄』について、幾つか思いついたことを少々…。
私の修士課程の同窓生で、日蓮聖人は「三大秘法」とは述べていないという見解を持っていた人がいた。これから考えていったら、『三大秘法抄』は何度か「三大秘法」という言葉が使われているから偽書になる。
しかし、日蓮聖人の使用した言葉はどうであれ、三大秘法である「本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目」を弘通することを目的とされたことは、報恩抄等様々な遺文に明瞭に説かれている。
ただし、もし『三大秘法抄』が偽作ならば、ここに記された、
戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり
というような具体的な戒壇義が全く説かれないまま、日蓮聖人は入寂を迎えたことになるのだ。確かに、「本門の戒壇」について、後世、事壇とか理壇とか様々に議論され、結局混乱を招く種となっていたのも事実である(詳しくは小松邦彰稿「本門戒壇について」【宮崎英修先生古稀記念論集『日蓮教団の諸問題』、昭和58年・平楽寺書店刊】など参照)。
私個人的な意見としては、日蓮聖人が戒壇の意義を説かないまま、後世建立するようにとだけ弟子に言い残して寂に入られたのなら、少し無慈悲な感じがする。
日蓮聖人は弘安年代は常に「はら」の病で苦しまれていたことは遺文に明瞭だが、そういう中でも弟子育成と多くの檀越に対する書状なども残されているように、積極的に教団を意識された晩年であったことは否めないから、やはり「戒壇」についても、何らかの形で残されたのではないかなと思うのだ。
こうした意見を、護教的とか主観的といわれればそれまでかもしれないが、まぁもっともっと色々なことを学んでいって、『三大秘法抄』が真書なのか偽書なのかということを明確にして議論できればいいなと思っている。
もう一つ、具名である「三大秘法禀承事」の読み方だ。
「禀」を漢和辞典でひくと、漢音が「ヒン」呉音が「ホン」と読むそうだ。仏教は呉音読みだから、ホンと読むべきだ。
石田瑞麿著『例文仏教語大辞典』(1997年・小学館刊)では「禀承」をホンショウと読ませている。ちなみに意味は「師より受法すること。教えを習い受け継ぐこと」(1001頁A)とある。
これらに倣えば、サンダイヒホウホンショウジと読むのが通常かもしれない。しかし、私は先輩に三大秘法ボンジョウジと教えてもらい、今でも仏前などにおいても、研究の中でも、いつもそのように読んでいる。
そこで、諸辞典を見てみると、『日蓮聖人遺文辞典・歴史篇』では、宮崎英修先生の執筆になるが、三大秘法ホンジョウジと読ませている。『日蓮宗事典』では、小松邦彰先生の執筆で三大秘法ボンジョウジと読ませている。ちなみに、創価学会の『仏教哲学大辞典』では三大秘法ボンジョウノコトと読ませている。
区々さに少し笑ってしまったが、「ボ」か「ホ」かの違いであり、「事」を「コト」と読むか「ジ」と読むかの違いだけで、そんなに大きな差異があるわけでもないので、あとは自分の好きでいいのかもしれない。まぁ、自分はこれからも三大秘法ボンジョウジと読み続けようと思っているのだが…。
(2007/2/14記)
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