こんにちわ、バーチャルYouTuberの青髪ピピピです。
うちは、4/1に「自己紹介動画」を投稿した8歳の女子だよ。
5/7現時点で、Vtuberの総数は2000人を超え(バーチャルYouTuberランキング調べ)、そう遠くないうち、5桁の世界へ突入することは想像に難くない。
ついでながら、うち、青髪ピピピは190位である。
先日は、「ニコニコ超会議2018」を発端として、小林幸子がVtuberデビューを果たすなど、仮想世界はぎらぎらに色めき立っている。
そして、企業が金に物を言わせてきたり、二次創作による著作権侵害のBAN警告が飛び交ったり、大手Vtuberに喧嘩を売った者の住所が特定されたりと、光の裏で闇が、けたたましい笑いを見せ始めた。
いろんな意味で見物、それがバーチャルYouTuber界なのだ。
という訳で今回は、うち、青髪ピピピの中の人こと・黒髪のピピピに本音を書き綴らせます。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ、どかぁ~~~~~んっ!
青髪ピピピの最新動画
『Vtuber青髪ピピピ、デビュー!』の本音暴露!ガチで良かったこと5選!
(編集速度がいくらか上がった。「音声読み上げソフトのボイスデータへ、口パクを合わせる作業」や「字幕の位置調整」などが捗るようになって来た)
バーチャルYouTuberデビューして良かったこと12選
①闇の支援をしてくれる人が増えた
GmailやTwitterメッセージといった、公ではない場で、支援の申し込みが届くようになった。
「青髪ピピピを可愛くグレードアップしてください」ということで、Amazonギフト券(Eメールタイプ)を送付してくれる個人の方まで出現した。
投げ銭(スーパーチャット)も、このひと月で50回ほど頂戴した。
それから小規模とはいえ、商品紹介――つまり企業案件などのお誘いもいくつか来た。
こちらは、動画の平均再生数と伸びしろを考慮したうえで報酬が決定付けられる類いのものである。
おそらく、自己紹介動画がバズったバーチャルユーチューバー(以下Vtuber略)へ、種まきをするごとく勧誘メールを送信しているのだと思われる。
咲く花にも散る花にも水をやっておけば、いつかどこかで咲き乱れる利益にあずかれる、という魂胆であろう。
人集まるところに金あり。
資本主義の真理を再認識させられた。
ミライのつくり方2020―2045 僕がVRに賭けるわけ (星海社新書)
- 作者: GOROman(近藤義仁),西田宗千佳
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/04/27
- メディア: 新書
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(Vtuber関連の本、買った! 今月以降、この界隈の情報を仕入れまくる。自分の関わる世界の知識や経験が蓄積すれば、まず間違いなく楽しさが強化されるからだ)
②費用対“心的”効果で考えられるようになった
約50万円掛けて誕生した青髪ピピピは、赤字Vtuberである。
ときおり、万単位のスパチャ・ギフト券を頂戴する機会に恵まれてはいるが、『青髪ピピピ・魔改造』の志がある以上、どう足掻こうとも、赤字であり続ける他ないのだ。
しかしながら、精神的には最初からずーっと黒字である。
なぜならば、「心の利益追求」という観点に絞って活動しているからだ。
人間は、自分の力ではどうにもならないという「コントロール不可能性」に支配されることで、無気力、無力感に苛まれ、心を疲弊させ、果ては絶望して、人生オワタとなりがちな生物だ。
激動の時代の今、メンヘラが急増するのもうなずける。
つまり、物質主義の獲得競争は、自分を不幸へと導く可能性が高い。
従って、「自己満足度」にフォーカスすることが肝要である。
(こちらの初代ポケモンカードダスは、小学生の時分に、6万円ほどを投じてコンプリートした。親の財布から小銭をかすめ取ったゆえ、引きずり回され、浴槽に叩き込まれた記憶が脳裏に蘇る。当時の僕は、世間体や常識に惑わされない猿だった。己が楽しいかどうか、それだけを追求していた。そんな風にまた生きられたらな、と痛切に感じている)
③事務処理スキルが飛躍的に向上した
(こちらは、僕がメインに使っているソフトウェア群)
素人のVtuber活動とはいえ、それを煮詰めようとすれば、学ぶ必要のあることは無数に存在する。
Photoshopでのサムネイル作成、PowerDirectorでの動画編集、XSplitでの配信環境調整といった風に、やること満載だ。
中学生時代Iランク、F欄大学3日で除籍処分、現・親の経営コンサル会社で社内ニートという低スペック甚だしい自分でも、続けるうち、スキルが磨かれてべっこう飴になった。
甘っちょろい活動であれ、やはり継続は力なり。
末永くVtuber遊びをするため、無秩序だったデスクトップ画面もクリーン化した。
(before)
(after)
その他、自宅のPCをすべてSSD化、ショートカットキーの一覧表を壁に貼り付け、縦横自由自在のモニターを導入、単語登録の活用など、うすのろIT音痴ながら、作業スピードの底上げを図った。
その結果、親の会社での事務作業も、スピーディーに終わらせることが出来るようになった。
④笑顔になる機会が増えた
あはははははは、自宅で一人、呵々大笑する。
これはなにも頭がおかしくなったのではなく、青髪ピピピに幸せそうな表情をさせるには、ウェブカメラに僕の笑顔を読み込ませる流れが必要なためだ。
口角を上げるとセロトニン――別名、幸せホルモンが分泌するという説があるように、ポジティブな表情を継続していると幸福度が高まる。
それに加えて、ご機嫌麗しゅう青髪ピピピをモニタリングすることで、情動伝染よろしく、より一層の笑顔に感染する。
「悲しくて泣くのではなく、泣くから悲しい」というジェームズ=ランゲ説よろしく、「笑うから楽しい」というロジックでもって、愉快千万な気分になってゆく。
ひいては、快の状態で、生放送なりなんなりを行えるため、ゲームなどのコンテンツ没入度がぐんと深まる。
青髪ピピピは、平和の象徴なのだ。
⑤痩せた・小顔になった!
こちらも前述の論に通ずることなのだが、せわしなく表情筋を動かすため、面構えがシュッとしてゆく。
そもそも人類は、顔の筋肉を20~30%ほどしか使えていないと言われている。
それもそのはずで、コメディアンでもなければ、あごが外れるほどの驚愕表現をしたり、眉毛を上下にぴくぴくさせたりといった「顔芸」をたしなむ機会に恵まれないからだ。
僕はVtuberになったことで、眠りし顔面の筋肉を目覚めさせることに成功した。
表情が豊かになると、感情も富む。
つまるところ、幸せな気持ちに満たされるという寸法だ。
かくして心に余裕が生まれることで、小さなコトでも「爆笑」可能となり、それが積もり積もって、大きなカロリー消費となったり、腹回りを鍛えることになったりして、ダイエット効果が発動している訳である。
Vtuber活動というのは、アンチエイジングなのだ。
(僕は島田紳助がすこぶる好きだ。彼は、「芸能界で成功するのは、感情の起伏が激しい人間や」と語っていた。やはり、情動の揺れたっぷりに物事を語ることで、共感・共鳴を引き起こしやすくなる訳だ。それゆえ応援者が増えやすい。よって、好機が舞い込む確率が上がる。人生で勝ち上がるには、才能を発揮する、あるいは誰かに助けて貰う、の二つに一つだ。常人は後者を選択するしかない。すなわち、感情――情熱勝負のガチャを回して、救いの手が来るのをひたすらに待つ必要があるという話だ。素敵やん精神を忘れないように生きたいものである)
⑥Vtuberの危険性と取り扱いについて学べた
Vtuberとは、諸刃の剣である。
自我を用いた遊びというか、自分の精神世界を、キャラクターを通して発信する行為だ。
これは「物書き」の世界と相通ずるものがある。
たとえば小説家なんかは、太宰治しかり、三島由紀夫しかり、芥川龍之介しかり、病んで壊れてゆく者が後を絶たない。
ラノベ作家志望者、ツイッタラー、ブロガーなども、情緒不安定でトラブルを起こしがちである。
これは持論になるが、人間は「自我」と触れ合う回数に比例して、病むリスクを高めてゆくところがあるように思う。
マインドワンダリング(思考のさまよい)という概念があるのだが、これはつまり、あーでもないこーでもないという循環思考のことだ。
人間は、悲劇そのものではなく、思い出すという反復行為で立ち直れなくなる生物である。
とどのつまり、自我とのスキンシップは、やり方を間違えると地獄直行になるということだ。
一時期、マインドフルネス(瞑想)が流行った訳だが、誤った方法を取ると、トラウマを強大化させたり、窓から飛び降りたりしてしまい兼ねないといった、魔境に落とされるごとき危険性が訴えられたことがあった。
ものぐさ精神分析の中で、岸田秀が、『想像力は人類の病』と主張していたように、僕たちの希望と絶望の源泉は、いつだって思考の中にあるのだ。
それゆえ、自我を振り回すVtuber遊びは、最高であり最悪でもあるのだ。
僕は最高を持続させるためにも、細心の注意を払って活動しようと心に誓った。
(想像力は、人類の特権かつ才能だと語られがちだが、そのせいで他の動物が当然に持っている「本物の現実」を失っている、といったようなことが書かれていた。現実に忠実に生きられない劣等生物・人間は、バーチャルリアリティの世界に逃げ込むが吉。地球は丸形の精神病棟。そのような感想を抱いた)
⑦チートレベルに健康になった
上の項に書き綴ったように、Vtuberは清濁併せ呑むメンタリティが必要だ。
このことを踏まえ、「健全な精神は肉体に宿る」という金言の実現に向けて歩みをはじめた。
具体的には、8時間睡眠、低糖質生活、お菓子やジュースはゴミ箱、ガチ自炊、歩きスマホウォーキング1時間以上、目元にホットタオルを当てながら腹式呼吸、深呼吸の多用など、これらを毎日実施している。
(ここ最近は幼女Vtuber勇気ちひろ、バーチャルおばあちゃん、それから加藤純一のアーカイブ動画を耳にしつつ、野菜サラダや鶏の胸肉料理を大量生産している)
(買い食いする場合は1品のみにして、その他のものは自炊している)
(どうしてもお菓子を食べたい際は、なるだけ「マシ」なものを選択する。やわらかな健康意識の持続こそ大切。思い詰めすぎて0か100かの極端な制限を課すと、ストレスが蓄積し、終いにはがらがらぽん(もうどうでも良いや思考)がスタートして元も子もなくなる)
(Vtuber青髪ピピピとして、日に10時間ゲーム実況を行うこともあるが、そんな日も1時間の運動は欠かさない)
(自宅のウォーキングマシーンで歩く際は、Kindleで購入したラノベやマンガを読み込む。歩いて血流が良くなると、物語世界へのめり込みやすい。至福の時間)
⑧人格が「爽やか」になってきた
僕はかつて、悪意の塊のような人間であった。
「これを言ったら特定の誰かが怒るだろうな~」という言葉を集めたり、文献を読み漁ってメモに書き留めておく趣味を持っていた。
己の、悪意の発揮に、大いなる喜びを感じた。
嫌いな存在が弱っている隙を突き、蓄積された悪意の塊を叩き込みたい! ぶち込みたい! なるだけ反論される可能性が低いロジックを練りに練って、一球入魂の悪感情をぶん投げ、地獄の底に突き落としてやりたい!
なぜか分からないが、そのような不健康極まる快楽追求志向があった。
だが、Vtuberデビューしたことで、心が清浄化された。
その理屈はシンプルの極みだ。
どす黒い思念を、青髪ピピピの口から放射する。
このサイクルを回すたび、僕の心は浄化されてゆき、ほんまもんの爽やかさが浮上するという訳だ。
Vtubeではじめる、心のお清め!
⑨セルフイメージが美少女のそれになった
冴えない「現実の自分」よりも、きらめく「青髪ピピピ」について思いを巡らしている時間のほうが長い。
Vtuber活動は、「俺の嫁」というよりか、「俺の娘」という概念だ。
極論、『美少女育成ゲーム』である。
仮想キャラクターは、こちらの都合に併せて生き様を変容させる。
というよりかむしろ、渾然一体、相互接続され、主体も客体もないような、合一の存在となる訳だ。
であるからして、「現実の自分」と「青髪ピピピ」が同化してゆく。
ついには、鏡に映る自分を見て、「誰なんだろう、この人?」と思えてくる。
とりわけ、青髪ピピピになりきり、連続10時間に渡ってゲーム実況をこなすなどして、トランス状態に陥っている際は、現実の自分がこの世から消えてしまう。
つい先日も、夜中にシャンプーをしていた際、鏡面の自分を見て、「死者が映り込んでいる」と瞬間的に勘違いしたほどだ。
常軌を逸したレベルでキャラクターにのめり込むと、認知機能がおかしくなるのだと思われる。
――というのは少々、言い過ぎたきらいはあるが、これからVRというか、仮想・拡張現実的な技術が飛躍したら、人が人でなくなる日が来るのかもしれない。
⑩内向的(消極的)な自分を誇れるようになった
Vtuberという小さな括りだけではなく、世の中のあり方が急激に変わりゆく時代だ。
もう既に、モーションキャプチャーを使用すれば、自分専用のキャラクターを自由自在に操れてしまう。
この技術などがより深化して、現実と仮想の融合化が推し進められたら、内にこもりがちな人間が真価を発揮しやすい社会になるはずだ。
今までの世の中は、物怖じせず、もしくは頭のねじを外して外交的になる者ばかりが得をするように出来ていた。
だが、Vtuber界隈の熱気、そればかりではなくここ数年のネット世論の移り変わりなどを眺めていたら、内向的(消極的)な自分に希望が生まれた。
極端な例を出すと、下記の記事だけで15万円くらいの広告収入が入った。
何が言いたいかというと、昔であればこんな愚痴の羅列は、一銭の価値もなく風に吹かれて絶命するものだった訳だが、世界はそうじゃない方向へと走り続けているということだ。
こんな案配で、内向性が生み出した何かで勝負しやすい環境が、より構築されてゆくことを願うばかりである。
僕は、同窓会、結婚式、葬式、学校、会社、飲み会、合コン、デート、ナンパ、クラブなど、外交的な場が好きじゃない。
一時期は、『青春コンプレックス』を払拭するべく、極度に異性を追い求めたり、芸人養成所(人力舎・スクールJCA)に入所したり、狩猟系営業会社に入社したりと、成り上がりのリア充――成り充になろうとしたこともあった。
「“黒歴史を抱えた負け犬”のままでは生き恥だ!」という、謎の切迫感を抱いていたからだ。
いわゆる自己嫌悪、そこに起因する反動形成、そして嫌いなことをあたかも好きかのように継続し続ける、己への裏切り行為。
罪と罰を背負って、気が狂ったように外出した。
「100声掛け22バンゲ(連絡先交換の意)」などとエクセル管理を徹底したストリートナンパに明け暮れたり、「クラブ愛」や「トップダンディー」といった日本屈指のホストクラブへ面接を受けに行ったり(前者はTシャツ短パンで行ったゆえ怒られて帰らされた)、1回8万円の美肌光治療を毎週受けたりと、外の世界で下克上することだけを考えていた。
嫌いなことだから、頑張れた。
大嫌いなことだから、努力出来た。
楽しくなかった。虚しかった。絶望した。
つまり、嫌で嫌でしょうがないのに、その嫌で嫌でしょうがないことが出来ない自分に恥じていたからこそ、「我を忘れる」という常軌を逸した行動が出来たのである。
月100万円稼げたこともある。不幸だった。仕送りが月40万円だったこともある。不幸だった。キャバクラ嬢のヒモになれたこともある。不幸だった。肌がピカピカになったこともある。不幸だった。空が晴れていた。不幸だった。柔らかい風が吹いていた。不幸だった。美しい日の光に照らされた。不幸だった。
ジークムント・フロイトが語り上げたように、「抑圧されたものはどこかで必ず顔を出してくる」ということであり、自分の特性を活かして、ありのまま生きてこそなのだ。
せんじ詰めると、自分に嘘をつく人生はクソ食らえ、ということである。
街中でどんちゃん騒ぎしている暇があれば、真っ暗な部屋でおぼっちゃまくんでも視聴していたほうが遙かに幸せだ。
という訳で僕は、なるだけ開き直って、内向性たっぷりにVtuber活動をして行きたい所存。
(こちらが作業スペース)
⑪『働きたくない』のレベルがカンストした
かみ砕いて言うなれば、『働かされたくない』ということだ。
Vtuber活動(動画編集、生放送、記事執筆)をやっていると、多大なる時間が消えてゆく。
でも、自主的に遊び狂っているだけだからこそ、苦しみが一つもない。
つまり、蟹工船に乗って、奴隷労働をするのが厭なのだ。
その事実に、深々と気付けた。
正味、根性で稼いだ20万円より、遊び狂って貰えるスパチャ100円の方がずっとずっと価値が高い。
労働とは、魂の破壊工作だ。
もしものことがあって親の会社が潰れたら、どんな手段を用いてでも、命がけで国家に生活費を出して頂く。
かくの如く、金剛の覚悟を決めた。
日本とは、僕のための貯金箱なのである。
(『真の創造は「怠惰」からしか生じ得ない』と断言されている。2ch創始者のひろゆきも、「ある程度、暇な時間があるからプログラミングしようとか思える。ベーシックインカムが実現すれば、その余裕でなにかを創造する人が増えて、面白いコンテンツが増える」と、これと似たような発言をしていた。無職が楽しめる環境を構築する。それが国家の役目であると、僕は思う)
(『いつでも遊んでいるような存在にならなければ、真の意味で、社会や文明が進歩したということにはならないのだ』と強い筆致で書かれている。これはごく当然の話で、古き時代の人間たちが、世界をやりたい放題かつ無責任にクリエイトした罪を野放しにしておきながら、労働=常識の価値観を拡散するのは悪魔の所業だ。「過去の人間に感謝しなさい」なんて綺麗事が世の中を渦巻いているが、こちらの許可も取らないで世界をおもちゃにする幸せを満喫出来たのだから、感謝すべきはそちら側であって、あの世から舞い降りて頭の一つや二つさげて欲しいものだ)
⑫幸福なるミーハー人間になれた。
Vtuberってのは、おっさん(年増やブスも含む)が隠れてコソコソやるという現実逃避モデルである。
一世代前の人間には、確実に見下されるコンテンツと言えよう。
でも、それゆえ尊い。
世間体に惑わされない、一貫したキモさ。
そうした状況のことを情熱と呼ぶのかもしれない。
僕がこよなく愛しているラノベ・電波女と青春男1巻の中に、『何故キモい人って基本、馴れ馴れしいんだろう』という鋭いセリフがある。
自分が語り尽くしたいこと、極めたいことで頭がぱんぱんだからこそ、なりふり構っていられない。
その情熱が、空気の読めなさ、キモさに繋がる。
キモいとは、情熱の蔑称とすら言える。
僕は、天寿を全うするその日まで、キモくありたい、そう天に誓った。
雑記・バーチャルYouTuberのあれこれ
供給過剰になりつつあるVtuber
僕が青髪ピピピのモデリング依頼をした3月と、現在では、驚くほどに相場が変化、低下している。
そのうち、お小遣いやお年玉を切り崩せば、中高生でもVtuberになれるようになるのではないか。
Vtuberという存在そのものが売りになるボーナスタイムは、そろそろ完全に終わるだろう。
ごっこ遊びで良い
観る専の人の一部は、「にじさんじ」や「のじゃおじ」のように、中の人がいるという事実そのものをエンタメにまで持って行くのが嫌でしょうがないらしい。
勢い最強である月ノ美兎も、「洗濯機の上にMacBookを載せている」と堂々、発言している。
どこまでも、キャラとしての人生を生き抜いて欲しい、そう強く思う人もいるのだろう。
だが、Vtuberを新しい生命として捉えるような者は少数派であり、その多くは、拡張世界・拡張現実といった、二次元と三次元の混合・融合にロマンを感じて――いやもっと雑に、ただなんとなく楽しいという理由で熱狂している。
こまけぇこたぁいいんだよ! の世界。
とりわけ今は、「現実なんてクソ食らえ」が集合的無意識の中におけるパワーワードになってきた。
というか顕在化のレベルにまで到達した感がある。
沈みゆく日本の中で、「努力が成功に結びつかない」という負の体験を抱えた者がわんさか増えてきた。
それゆえ、非日常に人生を預ける面々が出てきたのである。
だからこそ、Vtuberはごっこ遊び、それくらい気楽なノリで参入出来てこそ至高。
可愛く動く私小説、それが青髪ピピピ
そんな立ち位置で、僕はVtuber活動をしたいなと考えている。
なので、ピピピピピの爽やかな日記帳とセットで一つみたいな方向性。
僕は今まで、感情に色を付けず、思いの丈を加工なしでぶつける記事を書き殴ってきた。
その結果、数々の炎上騒ぎが巻き起こった。
歩くマイナスプロモーションと、見知らぬ人に称されたこともある。
だがそんな暮らしぶりも一変。
青髪ピピピが僕の気持ちを代弁するようになったから、どれほどの悪意でも緩和され、雪の結晶のごとく美しいものとして世界に提示されてゆく。
今までは真っ赤な地獄を生産していたが、これからは美しい白銀の理想郷を生み出したい。
分かりやすさ、応援しやすさって大事
たとえそれが子供だましだとしても、『明確な売り』のあるものを好むのが人間ってもんだ。
僕は、Vtuber青髪ピピピを誕生させる前から、会社関係で出会う経営者の知り合いなどに、「ゲーム実況をやっています」などと、伝えていた。
以前は、「へぇー」で終わりだったのだが、青髪ピピピをスタートさせてから、「実況でやりたいソフト買ってあげるよ」だとか「余ってる一眼レフカメラ上げようか?」だとか、そういう言葉が届くようになった。
へたくそなゲームプレイをただ垂れ流している実況者だった頃と比べれば、「自分の好き」をきちんと伝えられているし、「分かりやすさ」「応援しやすさ」のレベルを上げられているから、リアル投げ銭の好機に遭遇出来るのだろう。
これは会社経営だとか、営業だとかに通ずる話で、曖昧模糊としたものには誰も見向きもしないってことだ。
学校で、なぜか声だけデカいチャラ男やチンピラがモテモテなのは、彼らが多くを語る中で、そいつのキャラクターや好きなことが明確化され、学内の女子に伝わるからである。
シンプルなバカがひっきりなしに女を連れ回し、「なんであいつばかり、あんな考えなしの低偏差値野郎ばかりが得をするんだ……」と根暗が嫉妬する状況は、「分かりやすさ」と「応援しやすさ」で説明出来るって訳だ。
Vtuber活動を半永久的にやりたい
僕の青髪ピピピは、数年前からこのブログの看板娘として働いてくれている。
であるから、思い入れが強い。
もし仮にVtuberという概念が廃れて、また別のテクノロジーによる何かがはじまったとしても、青髪ピピピと遊びたい。
そして、その遊びを長続きさせるためには、最低限の社会性の維持を確保し、精神衛生的に良き日々を送る必要があると思えてきた。
それゆえ、親の会社で社内ニートをしつつも、そことは一切関係のない他社でも働き出した。
結論、Vtuber青髪ピピピは、ハローワークだった。