【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に】 言論さくら組の中で、大高 未貴さんが、「切支丹弾圧と遺産登録の真相」と題してこの世界遺産登録の問題点を語ってくださっています。1.03.36辺りからご覧ください!https://www.genron.tv/ch/sakura-live/archives/live?id=481 …
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そもそも天草一揆の発端は 天草地域では米による税収が少ない ↓ キリシタン領民に改宗を迫る ↓ 改宗に応じた領民を欧州に売り飛ばす ↓ 売り飛ばされることを恐れて改宗を頑なに拒む ↓ 更に圧力をかける の悪循環がきっかけですからね。領主松倉勝家が死罪となったのも当然の結果でしょう。
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その歴史をよく知らないので詳しく教えて下さい。税を免れる為にキリシタンに改宗させてたんですか?
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その時代(江戸時代初期)は軒並みキリシタン大名とは別の大名が治めていたのですが、キリシタン大名が行なっていた欧州への非キリシタン領民の奴隷貿易を継続していたそうで、火山灰土壌から米の収穫に不向きだった天草は幕府への石高を上方修正させるために領民には重税を課した上(続く)
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(続き)キリシタン領民にはあらゆる手段を行使するなどしてキリスト教棄教をさせ欧州への奴隷売買の「商品」とし、財源確保に当たっていました。そのやり方に領民が反発して起きたのが天草一揆です。
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つまり、キリシタン大名は敢えてキリシタンの領民をキリシタンから改宗させることで、奴隷貿易の商品にして金を稼ぎ、幕府へは石高があるように見せかけるという訳ですか?
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九州で大名がことごとくキリスト教の洗礼を受けた理由としては ・当時大名と肩を並べるほどの勢力を誇っていた寺社の排斥 ・欧州諸国との交易 が挙げられます。ただ関ヶ原の戦いを境にキリシタン大名は改易され、その所領はキリスト教以外の大名が代わりに請けていたのですが、(続き)
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(続き)キリシタン大名が行なっていた非キリシタン領民の奴隷貿易を即座に止めるわけにもいかず、特に天草を領していた大名の寺沢堅高や松倉勝家(いずれも非キリシタン大名)は元来実質の石高に見合わぬ程の城を持っていた上、さらに城の改築を簡単に認めて貰えない武家諸法度があったことで、(続く)
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(続き)体面を保つために石高を上方修正させ、それで重税と奴隷貿易で石高の財源確保をせざるを得なかったというのが悲劇に繋がった、という訳です。(続く)
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杉田議員、そろそろ世界遺産が指定された地方にとって、一過性のブームを起こすだけで経済的利得も思うほどでもなく、本来観光地でなかった地域の場合では、かえって生活環境が悪化するだけと言うことも周知すべきではないですか?http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49205 …
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この指摘には一理ある。
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そう言や?日本のキリスト教の連中は反日で反皇室だからな。 連中は共産党系と手を組んでいるからな。 この間も皇室にイチャモンを付けてたな。
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キリスト教を一括りにはできないでしょう。皇室は外国王室や宗教指導者とも深く交流しています。キリスト教だけでなく仏教寺院の中にも共産主義者と結託したような施設あります。反原発や反核平和ですが、支那やロシアには文句言いません。
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そうですね、私の早とちりでした、仏教系の僧侶にも左翼・右翼は居ますし、全てのキリスト教徒は敵では有りませんね。 誤解を招く発言、謝罪します。 済みませんでした。
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とんでもありません。あなたのご意見によって気づく事が出来たのですから、あなたが謝る必要は全くありません。こちらこそ申し訳ありませんでした。
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いえ、私も誤解を招く発言をしたのですから謝罪をするのは当然ですので。
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スペインの立派な教会が小さな国の王様を酷い仕打ちで騙して部屋いっぱいの金を奪って出来た装飾で出来ているという話は知っています。バチカンの犯した罪も。聖書を読めば人間が初めからどんな(祭司を含め)醜いことを繰り返してきたか包み隠さず記してあります。
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キリストの系図にも、当時は人数にも数えられなかった女性の名が記されていますが、彼女らは娼婦でした。
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私はそんな金ピカの教会は今更剥がして金を返すのもなんだし、史実を明記して、博物館にでもした方がいいと思っています。
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戦国時代の日本には、戦場で勝利者が財物や人を強奪して(「乱どり」)売り飛ばすというという一種の奴隷売買があった。 『妙法寺記』 『甲陽軍鑑』 『八代日記』 『天正日記』 『北郷時久日記』 『別本和光院和漢合運』 『信長公記』 『義演准后日記』 等に記録されている。pic.twitter.com/I4pM96COLU
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慶長の役に従軍して朝鮮半島に渡った僧慶念は『朝鮮日々記』という日記を残している。 「・・人商いせる者・・男女・老若買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わねば後より杖にて追い立て、打ち走らかす有様・・・」 縄にて首に括り付け、杖で打ち、朝鮮の人を日本に連れてきた。
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『安寿と厨子王丸』に見られるように、古代から中世にかけて日本には人身売買の風習が広まっていた。そこで武将たちは南蛮船が来ると、乱取りした人たちを売りつけていた。パードレ・カルネイロは、1555年の書簡で商人たちが女奴隷を買って淫行にふけることを激しく非難している。
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