もしかしたら、これが近未来のソーシャルメディアのあり方を示す一つの出来事になるのかもしれない。そのように思わせる事件がこの4月に起こった。
震源地は、先んじてデジタルの大波に洗われ続けている音楽の世界だ。
今ではアメリカ有数の音楽の祭典となったコーチェラ・フェスティバル(the Coachella Valley Music and Arts Festival)。そのコーチェラに2018年4月14日、当代のディーバたるビヨンセが舞い降りた。
19回目を迎えたこのフェスティバルで彼女は、黒人女性初のヘッドライナーとして、2時間に亘る素晴らしいパフォーマンスを示した。
その様子は会場に詰めかけたファンだけでなく、YouTubeによるライブストリーミングを通じて世界中の人びとに届けられた。もちろん、目の前でビヨンセの姿を見た人たちは、スマホを通じてその様子を各自が伝えることを怠らない。
ファンによる「拡散」を含めて、ビヨンセの激しい歌唱の様子はウェブ上で伝染した。
最近であれば『ファンダム・レボリューション』という本でも強調された熱狂的なファンとしての群衆=ファンダムが、ソーシャルメディアを通じて、彼女を「イコン=聖像」として崇める仕掛けを実現させていた。
ビヨンセのパフォーマンスのあまりの素晴らしさに、ステージが終わった後には、これからは「コーチェラ」ではなく「ビーチェラ(Beychella)」と呼ぼうという声まで聞かれた。
熱狂に包まれた2時間を通じて、すっかりコーチェラは彼女に乗っ取られてしまった。
その時、ディーバ=歌姫は、巫女=シャーマンになった。
では、ビヨンセは、何を目の前の観客に、そして世界のファンに、ヴィジョンとして与えたのだろうか。
実際に今回のビヨンセの姿を見ると、このステージを唯一無二の「ビーチェラ」と呼びたくなるのはもっともなことだ。それくらい彼女のパフォーマンスは突出していた。
単に音楽性が素晴らしいというだけでなく、アメリカ文化シーンという、より大きなフィールドに一撃を与えるものだった。
そしてこの「音楽性+α」のαの部分が、今後のメディアのあり方を変えるのかも? と思わされたところだ。そのαとは、月並みな言葉だがさしあたって「社会性」と呼んでおく。
先ほどビヨンセの紹介の際に「黒人女性初の」と書いたけれど、ここには「黒人」と「女性」の2つの要素が掛け合わされている。
いずれの要素についても、ビヨンセは以前から歌詞やミュージック・ビデオの映像を通じて取り扱ってきていたが、今回とりわけ際立ったのが「黒人性」、さらには「アフリカ性」という要素だった。
コーチェラのステージは黒人マーチングバンドのドラムから始まり、ビヨンセ自身、映画『ブラック・パンサー』にでも現れそうな、古代エジプトの王妃ネフェルティティを思わせるコスチュームを身に纏い現れた。彼女が降り立ったステージは、さながらピラミッドだった。
なによりそのピラミッドの頂点に立ちながら、開始早々「フリーダム」に続いて歌った曲は、彼女のナンバーではなく“Black National Anthem”――「黒人(=black)国歌(=national anthem)」と訳されるようだが、むしろ言葉通りに「生まれを同じくする黒人たちの聖歌」ぐらいに受け止めたほうがよいだろう。とりたてて「国家の歌」というニュアンスはないからだ――といわれる“Lift Every Voice And Sing”だった。
「誰もが声を上げ歌おう、大地と天国が自由と調和して響き合うまで(Lift every voice and sing, Till earth and heaven ring, Ring with the harmonies of Liberty)」
という歌詞で始まるこの曲は、黒人作家のジェイムズ・ウェルデン・ジョンソンが1900年に作詞し、1905年に弟のジョン・ロザモンド・ジョンソンが作曲したもので、それ以来、黒人たちの自由を切望するものとして歌い継がれてきた。
このように、ビヨンセのステージは、黒人性/アフリカ性を前面に押し出したものとして始まった。