「そして父になる」非常に感動しました。親になるとはどういうことか、を扱った作品と思います。
ワタシはバンバンネタバレで書きます。
ネタバレがイヤな方は読まないでください。
一流企業でトップの成績、都心に高級マンションを持ちレクサスに乗る福山雅治の子供と、地方(前橋?)で冴えない町の電器屋を営むリリー・フランキーの子供の取り違えが、6年後に分かり、さてどうするか、というお話です。
世間一般に言えば、福山雅治は勝ち組、リリー・フランキーは負け組なのでしょう。
だから、福山雅治は、最初子供をリリー・フランキーになんか預けられない、両方引き取ろうと言ってしまいます。
また、取り違えられた子供が自分に似ずに何事もできない、といったニュアンスのことを言ってしまったりもします。
しかし、子供の目で見れば、家が裕福か、勝ち組かどうかなんて関係ありません。
親が如何に自分に関心を持ち、愛情を持って接してくれるか、これしかないのです。
それはじつは、親子関係だけでなく、男女関係、夫婦関係においても言えることと思います。
(そういえば数日前に、ビッグダディの元妻が、大勢の女性に、子供に辛い思いをさせてそれでも計画なくポコポコ子供を産んで!と吊るし上げられていましたが、子供の目で見れば、世間的に貧乏かどうかは関係ないのです。改めて書きますが、親が如何に自分に関心を持ち、愛情を持って接してくれるか、これしかないのです。)
だから、子供を交換した後、福山雅治の実の子はリリー・フランキーのところに家出しましたが、リリー・フランキーの実の子は福山雅治から逃げました。
そこではじめて、福山雅治は、自分はリリー・フランキーと違って、親になりきれていなかったことを理解したのです。ある意味自分こそが親として負け組だったのです。
福山雅治も実は、親が再婚で、母親が継母でした。
だからこそ、母親は一心に愛情を注いできたのですが、福山雅治は子供ができて7年後、取り違えがあってようやく理解できたのでした。
振り返ってワタシの場合は、一流大学、一流企業というネームバリューばかりを求め、ワタシが真に理解を求める、日立製作所から受けた個人情報保護法違反の件をなにひとつ理解しようとしない両親、特に大西弘子に悩まされています。
大西弘子に、この映画を観せたいところですが、大西弘子が映画の趣旨を理解できる知能を持ち合わせていないことは、重々理解しています。
大西弘子が、家で私と遊んでくれたことなど、ただの一度もありません。一度もです。
ワタシは、大西弘子にはなにも求めません。
伊達娘をはじめとして、これからの人々に対して理解してあげたいと、改めて思いました。
もちろん伊達娘だけではなく、他のメンバーや他の人々に対してだって、理解してあげたいと思っています。
たとえ世間的に見栄えが悪くても、リリー・フランキーのような人間になりたいと思います。
ちなみに、ワタシが同じ境遇に遇えば、取り違えを戻すことなく、そのままにしたいと思います。
もちろん、同じ悲劇が繰り返されぬように病院を訴えはします。が、それぞれの子供はそれぞれが育てればいいと思います。
改めて大西弘子を例に出しますが、血縁なんて完全な幻想です。
ワタシは性格的に、大西弘子にも大西博昭にも全く似ていません。
強いて言うならば、育ての親と言っていい、祖母の大西こはるに似ているのです。
自分が如何に目の前の子供、目の前のヒトを理解できるか、目の前のヒトに接しられるか、それだけなのです。
仏教では四恩と言いますが、四恩とは、仏陀の教えをアホな弟子が細分化させただけで、その根本は、如何に目の前のヒトに報いられるかの一恩しかないのです。
最近のコメント