5月4日。起きたらけっこうな時間だったので、本日は近場にお出かけの日にする。朝飯食べて昼前に出て、近所の野毛山動物園へ。こいのぼりなれあぬ、きりんのぼりとかわにのぼりなどが泳いでいる
それにしても、大変な混雑。すごい、こんなひとがくるのか
ぐるっとお散歩して出て
桜木町から東京へ、そして竹橋へ。国立近代美術館へ行く
東京国立近代美術館『横山大観展』は会場内の混雑にびっくり。なんでこんなに混んでいるのか…トーハクはあんなに空いているのに…
しかし自分のように横山大観があまり好きでない人にこそ見て欲しい。一点だけ見ると下手…で終わる作品、周囲から漏れ聞こえる感想も聴きながら時代を追ってじっくり観察して行くと、なぜ大観がそんなに人気があるのかなんとなく解ってくる。
センスの感じられない琳派風の構図、迷いしか無い筆運び、立体感の感じられない描写…古典から西洋画まであらゆる技法に学び絵に反映し近代日本画の先駆となった横山大観の、しかしそれにしても下手…としか思えない絵画の数々が、たくさんの数を並べて見ることで、なんだか愛おしくなってくるのだ…
迷いの無い筆運びで素晴らしい構図で描かれる日本画のそれが、上手いなぁ、良いなぁ、としか言いようが無いのに比べて、横山大観の絵は何をどう努力しているか、それでも駄目なものは駄目なのか、非常によく分かるのである。そして、それを語りたくなる。横山大観、生粋のコンテンツである。
例えば今回、習作と完成作が並べて展示されていると、完成作を見てなんだがイマイチな配置構図だなぁ…と思ったものが、習作を見るといくらなんでもこれは酷いとなり、習作から完成作までに横山大観がいかにがんばったのか、ちゃんと見えるのである。作品はたくさんみて分かることも多い。
今回の展覧会のキャプションも、絵の評価をあまりせず、斬新であるとか、心情をよく表しているとか(それは迷える近代日本のそれの表現として)、終いには墨はとても高級なものを使ったとか、褒めているようでちっとも褒めていない内容も多く、それも見どころのひとつになっている。
後年、富士山だけはとにかく安定しており、センスもある構図になり、線も安定するが、面白いかと言えばね…。戦争の為、報国の為に描かれるそれらをどう評価するか。さらに、戦後でも変わらず富士山を描くメンタリティも不思議に思う。
終戦直前まで、戦闘機奉納の資金集めで富士山描いて三越高島屋で展覧会開いてたのに、終戦後すぐにまた富士山とか日本の美しい風景とか描いて、日本の復興を願って、などと言う。絵馬鹿的な戦争画の藤田嗣治とはまた別の、不思議な、超越的な自意識を感じる。
とりあえず富士山描けば売れる、と言われる戦後日本画のパイオニアもまた横山大観であった、近代日本画の先駆者横山大観であると、なんとなく納得するのだった。
そんなわけで4階にあがり、眺めの良い部屋から眺めて
コレクション展は、猪熊弦一郎の戦争記録画が心に残る。
あと、古賀春江小特集も良い。
鈴木理策のサント・ヴィクトワール山も良かったなあ。そんなこんなで。歩いて東京駅に出て、京浜東北線で蒲田へ。歓迎に30分並んではいり、ばんごはん。この店、焼き餃子より水餃子のほうが美味しいのでは。もっちり
あと、豚肉そぼろと海鮮のレタス包みが良かったな
で、お腹いっぱいになったので腹ごなしに少し散歩して、こちら、蒲田温泉へ。実ははじめて
温度が二種類ある黒湯にがっつり浸かり、2階でビールいただいておりました
ミッフィーのぬいぐるみが置かれていた
しかしここの黒湯、なんか、足にくるね…強い。歩いて蒲田、京浜東北線で関内、よるのおやつにロイヤルホストのパフェを食べて
帰宅いたしましたのです