朝鮮日報

【コラム】韓国人はまた信じたいことだけ信じている

 日本に虐げられるだけ虐げられていた時期のことだ。その10年前に景福宮は日本軍に踏みにじられていた。東学党の農民は日本軍に虐殺された。翌年、宮殿で王妃が日本軍に殺された。その翌年には王室がロシア公館に亡命する恥辱を味わわされ、日本からやっと社稷を保全した。そんな国の王室と当代の知識人たちが伊藤博文の「東洋平和」という「妖説」に頼ったのだ。

 日本は「韓国のため共にする」意思はなかった。満韓交換論は以前から伊藤博文の持論だった。ロシアが満州を取る代わりに、日本が韓国を取るという妥協案だ。ロシアがこれを拒絶して発生したのが日露戦争だった。伊藤博文が妖説を口にして帰国した直後、日本は韓国を保護国にするという「大韓帝国に対する方針」を決定した。乙巳勒約は1年半後に結ばれた。「東洋平和」を信じ、伊藤博文を称賛した当時の韓国の知識人たちは、その裏切りに泣いた。「この日、大声で痛哭(是日也放声大哭)」したのだ。

 実は「信じた」というよりも「信じたかった」という表現の方が正しい。旧韓末の知識人はバカではなかった。歴史を通して日本の乱暴な本性を知っていたし、見聞を通して不利な方へ進む世の中のことも分かっていた。だが、韓国を助けてくれる国がなかった。中国とロシアは敗者となり、米国と英国は日本の肩を持った。日本の慈悲と善意を信じること、本性に目をつぶり、妖説に頼るのがとりあえずは心安らかだった。信じる根拠があったからではなく、信じたかったから信じたのだ。その背景には日本帝国主義に対する積もり積もった恐怖があった。

社会部=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)部長
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