こんなタイトルをつけてさぞ私は冷酷で残酷な人間だと思われるのだろうか。2016年の津久井やまゆり園で事件を起こしたあの人と変わらないのか。
障害者のきょうだいがいる人のことをきょうだい児というらしい。
私はきょうだい児だ。18歳だ。
私は軽度発達障害がある弟が嫌いだ。早く消えて欲しいと願っている。今すぐに病気で死ねばいいのにと密かに思っている。でも発達障害だから頭はおかしくても、身体は丈夫でそんなに簡単に死なないんだよな。きっと事故にあわない限り平均寿命まで生きるのだろう。
弟に対してこう思うのにはきちんとした理由がある。きょうだい児は遺伝のことを心配されて結婚が破談になるケースが多々あるらしい。つまり将来弟は私の人生を邪魔する可能性が高いのだ。そんなのはごめんだ。「差別しない人を見つければいい」と第三者は分かったような口をきく。なんで、周りは差別主義者とも付き合って幸せに結婚ができるかもしれないのに、私は付き合う人の選択肢を「赤の他人」の弟のせいで狭まれるの?許せない。私は障害や弟と一切関係のない人生を歩みたい。でも、同じ血が流れている以上それは無理だ。遺伝も怖い。10代までずっと障害者と暮らしたからこそ、私は絶対に健常児が欲しい。障害や病気はある一定の確率で起こってしまうから、なんとか受け入れられるかもしれないけど、弟のような発達障害の子を産んだら私は確実に捨てるか、自分が死ぬか、どちらかを選ぶ。だから、出生前診断には大賛成だ。遺伝学の進歩も願っている。
結婚破談など起きなければ別に弟に対して死まで望まない。私はそういう意味で一番偏見なく接してきたから、弟をきちんと1人の人間として見ることが出来る。だから、もし結婚破談などがないのなら、いつも通り弟と接することができる。だけど破談は実際問題起きる。そして障害者のきょうだいとの結婚を嫌がる人を責めることもできない。嫌なもんは嫌ですよね。
また、勘違いしないで欲しいが、私は障害者全員に対して憎しみを抱いてはいない。家族という切っても切れない環境にいる弟のことだけが嫌いでとっとと死んで欲しいと思っている。なぜなら、赤の他人の障害者は私の人生を踏みにじらないからだ。生きてたって何も思わない。もし、その方が困っていたら私は手を差し伸べる。しかし、きょうだいである弟は私の人生を踏みにじるから、困っていても助けない。優生思想などもちろん賛成できないのに弟に対しては割り切れない気持ちを持ってしまう。
そして、親が悪いとは私は思わない。誰も悪くない。難しい。親は障害者の弟の世話で忙しいながらも構ってくれた。私は愛されていると幼い頃から感じていた。だけど、やっぱり将来の結婚などの問題が近づくと、弟に対して良い感情は持てない。
こんな汚い感情を持ったきょうだい児がいるご家庭の親御さん。あなたは悪くありません。あなたとそのきょうだいは別人です。このような憎い、消えて欲しいと言った感情はきっと一人の人間として思ったことなのです。それは、あなたがいくらきょうだい児のケアに尽力しても、このような気持ちを抱える人もいるし、ケアしなくてもまっすぐ育つきょうだい児もいると感じます。(よく言う毒親の話とは別です。毒親はやっぱりその毒親が悪いと思う。子どもをお世話係にするなんて断固反対)
きょうだい児全員がこんな感情を持ってはいないことは十分承知している。仲睦まじく助け合って生きているなら、それはそれで良いと思う。私の場合親への怒り(もある。あなたの代わりに障害を背負ったのがきょうだい、とか言われたら意味わからないしきょうだいに何を求めてそんなこと言ってるのか理解ができないので)もあるが、家族という血縁関係にいる弟の存在を快く思えなかったり、どこに向かう怒りかよくわからない。しかし毒親に苦しんで私より辛い経験をしている人もいるのだろう。そんな方々からは贅沢な悩みに見えるのだろうか。
でテレビや社会が思うような障害者のきょうだいがいるからこそ思いやりがあって手を取り合って…というのは幻想だ。障害者のきょうだいがいて学んだのは思いやりではない。世間のきょうだいに対する無理解や結婚時の差別だ。差別のない社会を作る、なんて私たちが生きている間は無理だ。だから弟に消えて欲しい。私は卑怯だから弟と手を取り合い助け合い生きることより、障害と無縁な生活をして幸せになりたい。そのためだったら弟を捨てる。「自分の人生を歩みなさい」とよく言うのなら、これだって認められるべきだ。
縁を切っても解決しない、次は遺伝の恐怖が襲ってきます。私がこの気持ちに決着をつけるのは無事に健常児を産んだ時でしょう。
「差別反対!」と仰る方々に聞きたい。すごく正しいことを言うあなたたちに。あなたは結婚を考えるくらい好きな人のきょうだいが障害者だったら結婚しますか?私はここでYESと答えられない人を責める気はありません。でも、YESと答えられないなら軽々しくニコニコして「差別反対!」って言わないでくださいね。障害者のきょうだいと結婚出来ないのなら、自分は障害に対して理解がある、みたいな善人ぶったことはもうしないで。まっすぐあなたの気持ちを聞きたい。
こんな考えを持つ私はダメですか?悪いですか?正しくないですか?無理解ですか?「障害者=可哀想」「障害者のきょうだい=優しい」と思うあなたや、そういう感動ポルノを発信するメディアのほうが正しいですか?
障害者のきょうだいとは結婚出来ないといいつつ、障害を理解しています多様性大事です、とか仰る方々より私の方がよっぽど芯が通った見方をして差別をしていないと思うんですけど。
テレビや「一部の」親が言う、障害は個性、純粋、あなたも持つかもしれなかった障害を持って生まれたのがあなたのきょうだい。嫌いだ。どうしたらそんなセリフが言えるの?健常であることに後ろめたさを感じながら、きょうだいに慈しみを持ちながら生きていけと?確かに障害を持つのは私だったかもしれない。でもそんなことは起こらなかった。現実はきょうだいの方が障害者だった。気持ち悪い価値観で受け入れがたい。好きで障害者にならなかったのならこっちも好きできょうだい児になったんじゃない。親は好きで、と言うか全てを覚悟して子どもを産むのだろうけど親と私たちはちがう。私たちは知らないうちに障害と関係ある生活を送ることがもう始まっていた。
私もこの気持ちを持つ自分が苦しい。葛藤してきた。私は障害者と一緒に生活してきたので、親の次に偏見なく障害者と接してもいるのに、弟に対して死んで欲しいという気持ちも持っていてまるで相模原事件の犯人のような面もある。一方できょうだい仲良くテレビを見たり、芸能人の話をしたり、心から楽しかった瞬間もたくさんあった。もちろん喧嘩もした。葛藤だらけだ。私にはあの犯罪者と変わらない思想を弟にだけ持ちつつ仲良く楽しい瞬間もすごしつつ、2つの面がある。そんな自分が怖いし、15歳あたりからは色々葛藤と闘っている。
きょうだい児という名があまり好きではない。きょうだい児の中にもいろんな人がいる。それをまとめるのはどうなのか?でも、まとめて名称を付けないと存在を認識しづらくて、対案も思い浮かばないが…わざわざ「障害者の弟がいて…」と説明するよりは、「きょうだい児」という言葉を使う方が手間は省けるが…障害児と掛けてるのか知らないけど聞いていて、その言葉に当てはまる当事者としてあまり良い気分はしない。
このブログは今仲良くやっているきょうだいを非難するつもりはさらさらない。むしろ羨ましい。私も幼い頃にはあったそんな気持ちをずっと持ち続けていたかった。憎み合って生きるより、仲良い方がそれは気持ちいいに決まってる。だから、そんな方々に対してこれを読んで不快に思ったらほんとうに申し訳ないとは思っている。頭を下げます。ごめんなさい。
また、ブログは匿名と言う贅沢な環境なので年齢くらいは明かして良いと思い、明かした。私は18歳だ。世間から見たら若いのだろう。しかし、これを見て「若さゆえの…」などと思ってほしくない。これを読んだあなたと私、一対一の人間として対話しましょう。意見が全く合わなくとも。
もちろんきょうだい児といってもこんな属性だけではないでしょうから批判大歓迎です。全てに目を通すつもりです。どしどし批判をください。
もし、同じ気持ちの、10代のきょうだい児がいたら、一緒にきょうだいの権利について声をあげましょう。名前も顔も知らないけどあなたは一人じゃない。しかもあなたは悪くない。その汚い感情もあなたのもの。声をあげよう。ネットで声をあげてもリアルの友達にはバレないから。私も友達の反応が怖くて弟のことを話したことがないから。一緒に反撃しよう。親に対して…?違う。社会に対して響かせよう。
最後に、これを見て不快になるのは親の立場の方でしょうか。私たちは親と正反対の立場ですが、親と分かり合いたいと思っています。対話できる日が来ると良いですよね。対話の入り口はヒリヒリしますよね。私もきっと親の立場の話を聞いたらヒリヒリしてヒートアップします。でもそのあとは、対話したい。
何で自分は何もないのに、今ある方法「だけ」で幸せになる道を見つけなきゃいけないの?制限されるの?大切な家族のためなら、それを飲み込まなきゃいけないの?私は自分勝手な人間なので、そんなのは嫌です。自分が一番大切だから、自分が原因じゃない何かで制限されたくない。(自分が何か持っていたらそれは受け入れて、そんな自分をも受け入れてくれる人を探します)
もうご結婚なされてお子様もいるような、自ら人生を切り開いてきた歳上のきょうだい児さんは私を見てどう思いますか?同じことを考えていましたか?全て弟のせいにするな、自分だって結婚できたのだから、と思いますか?でもそれは結婚した今言えることではないのですか?どんな意見であれ聞きたいです。
このブログが1人でも多くの障害と無縁な方や、真反対の立場にいる親や障害をもつ当事者に届くことを祈ります。
あなたが思うほど綺麗じゃない。涙も出ない。そもそもこれまで24時間テレビなどを見た時「きょうだい」の存在を気にかけましたか?
障害に縛られない、こんな自分に後ろめたさを感じない人生を歩みたかった。自分の人生を歩めばいいのよ、悩む必要なんてないと言ってくださる方々はいる。でも自分の人生を考えた時、弟がついてくる。弟が原因で破談になったらどうしよう。世話のことが懸念材料になったら捨てるとかどうとか(おそらく自立できるのでそこまで世話に関しては心配はないが、障害者というだけで相手は不安になる。無知なら仕方ない。)できるが、遺伝の話はなんとも言えない。起こりもしないことを不安がる私は頭がおかしいのか。いつかくる大地震について騒ぐくらい頭がおかしいのか。でも不安だ。切っても切れない、離れても離れないことだから。自由に結婚とか想像して見たかった。これから先長い、怖い、不安。15年後の今日、私にはすでに家族がいて満たされているかもしれない。18の私のことをバカだと思うくらいいとも簡単に相手を見つけているのかもしれない。想像通り結婚などできていないのかもしれない。未来はわからない。だけど、18の春、私はこの不安に飲み込まれそう。日常のほとんどは普通の女の子のように過ごしていても、たまにこの不安が襲ってくる時間は、黒々しい色をして飲み込まれそうで必死になっている。