最近、『マルクス・エンゲルス』という映画を見た。
若き頃のカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスを描いているのだが良い映画だった。
パパが社長故に悩むエンゲルスやヒモで生活者として苦心するマルクスと色々と自分も考えさせられる。
封切り日に見たのだが、観客は年齢層が高かった気がする。
彼らは自分の容姿という性的価値や就活という資本による値付けしか興味がない。
あとは、シャンプーやリンス、ソシャゲだろうか。イケメンに抱かれることだろうか。
最近は卒論研究のために悪い頭で洋書と格闘していて就活サイトすら見ていない。
恐らく、慶応大学に進学したマナカちゃんは要領よく入試にも適合できたし、性的魅力を磨きながら、就活という資本の要求にも適応していくのだろう。
彼女が羨ましいとすら感じる。
ただ、バカバカしいとも感じる。
ある会社の意識高い系の社会人のTwitterを見ると、政府や企業を責めるな 自分を変えろ云々とツイートしている。
自分もよく知っている会社だから彼が可哀想になってくる。こんなことを言っても何もリターンなどないのにと。
労働者がシリコンバレーを見ても何も良いことなどない。身の回りの政治を気にするべきなのだはないかとひしひし思う。
多分、マナカちゃんも疲弊してくると哀れに見えてくるのだろうか。ただ、彼女はたくさん楽しい思いをしている。
これからも資本から、腐敗した権力やらから加護を受けられるのかもしれない。適度に自己啓発して、政治やら経済には関心を持たず、自己の価値を高めていく。
いや、容姿が醜い何も得られていない自分が一番不幸なのだろう。
就職をどうすれば良いのかわからない。マルクス生誕200周年の日に思う。
自分を変えるのと社会を変えるのとだと、楽なのは自分を変える方 なぜなら自分一人の問題で済むから 社会を変えるとなると他人にも自分にも気を配らなくてはならないから大変 「こ...